【縄文vs弥生】8.縄文人とインディアン~ペトログラフが語るもの
2014/02/04(Tue) Category : 神社・寺・城・歴史
【縄文vs弥生】
時があっという間に去って行きますね~・・・
その間も私も家族も皆様も変化し続けているわけで、同じ所にとどまっていることはないんだなぁと、つくづく感じます。
さて、続きがもう少しあります。
★縄文人とアメリカインディアンとある米国映画--------------------
奥州の繁栄に、日米の違いを見ることができて興味深いです。
興味深いのは、同じく古モンゴロイドであり、自然と共に部族で生き、同じような世界観を持った縄文人とインディアンの辿った運命の違いです。
日本で縄文人の同化政策が行われたのが700~900年にかけて。その後、1200年頃まで奥州には弥生+縄文パワーが炸裂したかのような日本第2の都市が華開き、黄金の国ジパングとまで言わせました。
アメリカでは、約1000年後の1600~1900年ほどの間、白人とインディアンの間に戦争が続き、インディアンは支配されていきます。白人の方針は焦土作戦(根絶やし)であり、インディアンの文化は華開きませんでした。
あるアメリカ映画を思い出します。
それは、突然宇宙人が各都市湾岸に飛来し、海から上陸するや無差別に殺戮し大都市に要塞を設けます。その要塞を核攻撃するために、その地にわずかに残された人々を海兵隊が救出に行く。ついでに要塞も破壊し、それだけで宇宙人全滅という都合のいい物語。
このとき、海兵隊長が言っていた言葉―敵は侵略してくるときに、その地に住む人間を抹殺し、その後土地を奪う―というようなことを、さも当たり前のように言っていました。
この映画で最も印象に残っているのはその言葉なのですが、それを聞いたとき、インディアンを根絶やしにしようとしたアングロサクソンらしい言葉だなぁと思ったことです。
自分たちがしたことだから、相手もそうすると思っているわけですね。そこには、自分たちがしたことを悔い改めず正当化する態度があります。正当化するのは奪った権益を守りたいからです。
けれど、そのように自己を正当化するなら相手も同じ理屈で正当化できるわけで、結局は力でねじ伏せた方が正義という幼稚な世界にしかなりません(地球は誰のものでもないのにね)。
だから、武力を見せ続けなければなりませんし、その裏で自分たちもそうされるという恐怖が常に根底にありますから、市民生活においてさえも銃を手放すことができないわけです。さらに他国監視、市民監視、そして潜在的脅威の抹殺と疑心暗鬼はとどまるところを知りません。(まさに不安から逃げ続ける人生を見るかのようです)
映画でも、海兵隊長が父を失った子供に「勇気を持て」と伝える場面が一つの見せ場でしたが、結局、あの文脈の中では「戦い続けろ」と言っているわけですね。こういうプロパガンダの中できわめて愛国的な若者が育ち、しかし潜在的脅威抹殺のために派遣された先で現実を突きつけられ、真実に目覚める者もいます(「イラク―米軍脱走兵、真実の告発
」)。
【追記:集団的自衛権と「イラク戦争」】
このように支配者として君臨し続けようとする生活は、裏を返せば不安と恐怖から逃げ続ける安らぎなき人生なわけですが、その不安と恐怖を見たくないが故に「虚構」から降りようとはしません。いえ、自分が虚構の中にいることにさえ気づきません。あの映画で言われていることをさも当たり前のように見る米国人もいるのでしょう。
★習俗にも風土にも古代が残る奇跡の国ジャパン--------------------
ところで、その米国で「最古の学会」は何かご存じでしょうか。
なんと、「民俗学」だそうです。123年の歴史を持ち、しかも全米で「最大の学会」でもあるそうです。
その米国最大かつ最古の民族学会が範としているのが、なんと、柳田國男。欧州の民俗学は物中心であるのに対して、日本は民間伝承を中心にしており、その方法論を確立したのが柳田國男です。
しかも、それができたのは、民族移動や産業革命などでフォークロア(民間伝承や民俗資料)が散逸してしまっている欧州と比べて、日本には往古の痕跡が物や生活の中に残っているからです。
そういえば、神社の様式に古代ユダヤの様式が残っているのを知って驚いていたユダヤ人の本がありましたね。
また、水月湖を思い出しました。
水月湖は、福井県三方五湖の一つ。この静かなる名を持つ湖は、7万年の時を計ることができる奇跡の湖なのです。
湖底に積もりゆく堆積物が木の年輪のように「年稿」を作っていきますが、それを調査することによって、気温や降水量など地球環境変動の歴史を年単位で読み解くことができるそうです。さらには、アメリカマヤ文明衰退の原因や人類発展の歴史までわかる「過去7万年の標準時計」なのです。まさに、「地球の宝」―奇跡の湖です。
・世界標準の"ものさし"が完成した
(この近くに原発があることが悔やまれます。わずか人生数十年のつまらぬ現世利益で「7万年の地球のものさし」「地球の宝」を壊しますか? 早く撤去してほしいものです)
★皇紀(神武紀元)以前の2つの王朝と幣立神宮--------------------
習俗にも風土にも、古代が現代にまで残っている―まさに、「神秘の国」日本。
その神秘の国からペトログラフ(石=ペトロに刻まれた文字など=グラフ)についての発表があると言うことで、2005年のアメリカ伝承文化学会は105分ものジャパンアワーが設けられ、錚錚たる学者が聴きに来たそうです。
通例学会発表は15分ですから、いかに特例扱いなのかがわかりますが、なぜそれほどの関心を集めたかというと、神秘の国におけるペトログラフ―広く言えばロックアートの研究発表は初めてだったからです。
柳田國男は、「性」と「流民(漂泊民・非稲作民)」は無視したそうです。いずれも縄文に関わることですね。ドルメン(支石墓)、メンヒル(立石)、ストーンサークル(環状列石)、盃状穴石などロックアートの研究も公的にはなされなかったわけです。
文部省が費用の半額を出したのは(=公的になったのは)、1985年の「下関市彦島のペトログラフの比較言語研究」が初。
・彦島八幡宮
ところが、それから数年の内に西日本を中心に169カ所でロックアートの発見が相次ぎ、それに驚いた米国民族学会が研究発表を吉田信啓氏に要請してきたそうです。
なぜ日本では、ペトログラフの研究がなされなかったのか?
それは神武(BC660とされている)以前は「神代」であって、そこを解明することはタブーとされていたからです。そのため、記紀以前の歴史―大和王朝以前に72代もの王朝があったことを伝える「上記」「九鬼文書」「富士宮下文書」「東日流外三郡誌」「竹内文書」は皇国史観を守るためにすべて偽書とされました。
たとえば「富士宮下文書」は紀元前221年頃に来日した徐福が最終的に富士山麓に落ち着いた後、当時の伝承や記録をまとめたもので、そのダイジェスト版が「現代語訳 神皇紀―徐福が記録した日本の古代“富士古文書”
」として世に出されました。
その「神皇紀」によれば、神武王朝以前に2つの先行王朝があり、第1王朝は富士高天原にあったそうです。しかし大陸から九州に大群が押し寄せたため阿蘇霧島に遷都(第2王朝)し、約5年をかけて海幸彦を元帥とする海軍によって撃退。その後、海軍を宇佐、陸軍を阿蘇に設けて、その地でウガヤフキアエズ王朝が51代続いたそうです。
その第25代目の時に王子達を世界に派遣して文字を教え、それが古代エラム文字やヘブライ文字になったと書いてあるそうです。五色人が集まる阿蘇の幣立神宮を思い出しますね。
時代は下がり、今度は近畿でナガスネヒコが反乱を起こしたため、51代の第4王子イワレヒコが熊野から上陸して撃破(神武東征)。第4王子は第52代ウガヤフキアエズ王になるとともに、奈良で新王朝(第3王朝)を始めたそうです。
★縄文時代にあった文明圏---------------------------------------
縄文時代にそのような高度な王朝が存在したことが信じられないように思えますが、考古学は縄文の常識を変えつつあります。たとえば、メソポタミアが「世界文明の祖国」とされたのは土器が初見されたからですが(BC5000年)、縄文土器は1万5,6千年前のものが発見されています(青森県太平山元遺跡)。
9500年前頃には50軒近い集落があったことが、青森県三内丸山遺跡や鹿児島県国分市の上野原遺跡によって証明されました。
4500年前くらいからは焼畑稲作が、
3300年前くらいからは水田が耕作されていたことがわかり(岡山市津島江道遺跡)、弥生時代(紀元前300年頃)から稲作が入ってきたという説は覆されました。
縄文人が稲作を知らなかったわけではなく、海幸山幸に恵まれて稲作をする必要がなかったのでしょう。しかし、地球の寒冷化に伴って民族大移動が起こり、急速に稲作文化(を持つ弥生民族)が浸透し、また稲作に頼らざるを得なくなってきたのでしょう。
縄文人は稲作をしていただけではなく、三内丸山遺跡や北海道南部で出土する翡翠は新潟県糸魚川産であることが判明し、広域に交易をしていたこともわかっています。つまり、「文明圏」を持っていたということですね。
★ペトログラフが示す真実---------------------------------------
このように、考古学は記紀が覆い隠した過去を暴きつつあり、また世界各地のペトログラフも隠れていた事実を顕しつつあるようです。
たとえば、ハワイにある膨大なペトログラフはメネフネ族という小人族によって刻まれたとされているそうですが、そのメネフネ族は「太平洋の西から来た渡来人」とされていて、同形のペトログラフは日本にしかありません。
また、日本とアメリカのペトログラフが同じ事に気づいたドン・スミサナ氏は、アパッチ族など5部族ほどの語彙を調べて日本語の語彙との共通性に驚嘆しました。
ナンシー・デイヴィス博士は、「海神を守護神とし、太平洋の西の国から遠い時代に渡ってきた」という伝承を持つズニ族に注目し、九州北部の方言との共通性を突き止めました。
しかも、デイヴィス博士が推定するズニ族到来の8世紀は、ちょうど大和政権が日本を統一し「天皇」の称号が生まれる頃。イザナギが筑紫で禊ぎをしたときに生まれた海神(底・中・上のワタツミノカミ)を祀る阿曇連(むらじ)が新天地を求めて太平洋を渡り、阿曇族がズミ→ズニになったのではないかと吉田信啓氏は推測されています。
他にも、ハヤト(隼人)、サク(佐久)、ユマ(夢)、ホピ(蛇)、アパッチ(天晴)など、日本人と同じ顔、習俗、語彙を持つモンゴロイド部族がいるようです。
そして、文法などが日本語と最も似ている孤立語系とされる「ナ・デネ語」を話すのがナバホ。ナバホは、日常的に部族語を用いている数少ないインディアンだそうです。
さらに、幣立神宮で見た五色がインディアンにも見られます。色は居住地及び各部族を象徴しているようです。北は黒、南は赤、東は青、西は白、そして中央が茶(←黄色が置きかわったもの)。
このようにペトログラフを元にした民族の比較研究、ひいては人類発祥の研究が世界的になされているわけです。
その学際的な視点から、日本の考古学にもメスが入っているようです。
GHQは、戦後日本の神性を失わせるために意図的に編年を指導しました。それを受け入れたのは、記紀の虚構を維持しようとする日本側にあったわけですが、たとえば高松塚古墳。日本では、4,5世紀の建造とされていますが、オランダの歴史数学者ヨンゲ博士によれば、「紀元前5000年」に達すると目されているそうです。つまり、世界4大文明の発祥以前に、これだけのすばらしい装飾画及びそこに描かれている文明が日本にあったことになります。
その装飾古墳が圧倒的にたくさんあるのが九州北部。
珍敷塚古墳(めずらしづか)で壁画を見たエジプト国立カイロ博物館のラーマン館長は「エジプト人が日本に来た証拠だ!」と感激し、日岡・月岡古墳では「これはまさしくエジプトの絵文字だ!」と指摘されたそうです。
縄文人が、東は大洋を横断してアメリカまで、西は大陸を横断してアフリカまで到達していたことがわかります。興味のある方は、下記の本をお読みください。


★ケネウィックマンは何を語る-----------------------------------
さて、1996年、コロラドで約9300年前の人骨が発見され、地名からケネウィックマンと呼ばれるようになりました。
遺骨は白人だというチャターズ博士に地元先住民ウマティラ族は猛然と抗議。ネヴァダで発見されたスピリットケーブマンがアメリカ先住民と異なる特徴をもつとして研究していたオーズリー博士は、軍に遺骨の移送を依頼。ところが、米軍は博士の下に遺骨を届けるどころか、遺骨の発見された河原を2000トンもの土砂で埋め尽くしました。発掘作業は完全に不可能になったのです。
軍が動きましたね。
軍が動くときは、「不都合な真実」を隠すときです。
アメリカ大陸最初の人間は誰か?―それを解明されたくなかったのでしょう。ミシガン大学のローリング・ブレース博士は解剖学的特徴から、ケネウィックマンは縄文人であると見なしているようです。
アメリカ最初の移住者は、約1万5000年前の氷河期に日本から移住してきた縄文人であり、約5000年前に北方アジアから移住した人々が先住の縄文人と入れ替わり現在のアメリカ先住民になったと言う仮説をたてたそうです。
アメリカの先住民族も日本から渡った「縄文人」だった。そして民族の波の渡来が二派三派と繰り返す内に、日本と同じように混血していったのでしょう。
あるいは、「世界の村で発見!こんなところに日本人」(テレビ朝日)を見ていると、気候風土に適応して肌の色が変わっていることがわかります。日本の女性は進化論的にはあり得ないくらい急速に体型を変えているそうですが、また心が変化すると体型も変化する事を実際に知っていますが、同一人物でも大きく変化するわけで、縄文人がレッドマンに変化するにも何世代もかかったわけでもないのかもしれません。
★「和をもって貴しとなす」-------------------------------------
その先住民族を、大和民族もアングロサクソン族も差別しました。
大和民族は縄文人を同化~容認(共存)へと進みました。それができたのは、間に出雲族のようなクッションがあったからでしょう。
その1000年後、アングロサクソンはインディアン(縄文人の末裔)をオオカミ(獣)のように扱い駆逐しました(まぁ白人至上主義ですから混血政策はあり得ないでしょう)。
結果、日本では混血文化が華開き、世界遺産となった黄金の平泉文化が咲き誇ったのです。自分と異なるものをただ恐れ、排除していこうという姿勢からは何も生まれないことがわかりますね。
「分離」原則で動くアメリカ&イギリスと
「統合」原則で動く日本
この違いは、地球のエネルギーラインを見てもよくわかります↓
・ガイアの法則
「和をもって貴しとなす」
聖徳太子が唱えた日本の大原則。
これを世界に広めていくときが来ているように思います。
★虚構世界を終わらせよう------------------------------------------
私がなぜ古代に関心を持つのか?
それは、カウンセリングという仕事と関係しています。
私どものカウンセリングは、相談者の方が虚構の世界ではなく現実の世界に生きられるようにサポートすることです(それが共依存から自律へ向かうということです)。そのためには、その人がとらわれている「神話」を暴かなければなりません。これがとても大変なことなのです。
方法はとてもシンプルで、虚構を紡ぎ出す「思考(理屈)」や「解釈」を排除して「事実」をまっすぐに見ること、その事実に接して出てくる「感情」を言葉にしていくことなのですが、この簡単なことが、ほとんどできていないのが脳に支配されている現代人です。
目を背けずに事実を見るのは辛いことです。
それは、他に選びようがなかったこれまでの人生を選んできたのが実は自分であったことに気づいたときに、取り返しようのない絶望が襲うからです。同時に、逃げ続けてきた自分に、封印してきた不安と恐怖が襲ってきます。絶望、不安、恐怖を見たくないから、ほとんどの人が虚構の世界を選び続けるわけです。(原発神話にしがみつくのも同じ)
けれど、そこを抜け出したときに「時」が動き始め、人生が始まります。
時の止まった白黒の世界が命あふれるカラフルな世界になり、
自分が自由に動くと世界も自由に動き始めます。
自分が生き始めるから、世界も生き始めるのです。
『私がいなかったから、動かなかったのですね』
『世界は私を待っていた』
『見えているものは全て自分が作り出しているのだ、と思いました』
『私の世界は本当に私が作り出しているんだ、ってつくづく思いました』
『私がいないと動かないのですね。
だって、私の世界なんだもん。
先生の言葉が腑に落ちて、実感して、号泣でした。』
これが、『発狂しそうなほどの恐怖』を抜けた後の相談者の方の感想です。
壊れた自分を嘆いていたその方は、「壊してよかった」と言いました。
そして、
「新しく自分を作っていこう」と。
「何か、私創りたい!!」と―生きる意欲がみなぎっていました。
なんだよ、騙しやがってー。
何もない、何も動かない荒涼とした世界―
見渡す限りの虚無だったのにー、
とっても小っさい
息がしやすい。
信じらんない、こんな世界。
もっと早く見てればよかった。
隣にあったのに。
あったんですねー。
しかも、“ここ”にあった。
すごく陽気で楽しい場所が。
よかったーーー。
いやー、かわいそうでした。
あんな所に閉じこもって
あるのに気がつかない私が―
あー、自由です。
明るいですね。
体が軽い!
すばらしいです。
ぼーぜんとしています。
あー、うれしい!
あー、むっちゃ幸せです!!
・・・これらは、カウンセリング中に言われた言葉です。
簡単にたどり着ける地平ではありません。
でも、誰でもたどり着くことはできるのです。
すべては、あなたの自由意志。
そして、これを通過したからといって劇的に人生が変わるわけでもない。
ただしみじみとうれしく、人や自然とつながる人生を歩いていくだけです。
神話(虚構)の世界が終われば、
自分(現実)の世界が始まります。
それは、
操り人形の世界から、
意志を持った人間の世界に移行するということです。
考古学者も歴史学者も、勇気を奮って記紀神話に、そしてその向こう側に隠されている事実に立ち向かうときが来ているのでしょう。
私たち一人ひとりも、「脳内親(神)とそれを祀る脚本(簡単に言えば母親一神教)」に立ち向かうときがきています。
立ち向かうといっても、事実を見、それを受け入れるということですが。
その方は、カウンセリングが終わった直後から自分の中で曲がずっと流れていたそうです。
【SEKAI NO OWARI 「RPG」】
脚本人生劇場の世界は、役割を演じる世界。
RPGの世界を終わらせましょう。
(選挙に行くのも、RPGの世界を終わらせる行為です)
時があっという間に去って行きますね~・・・
その間も私も家族も皆様も変化し続けているわけで、同じ所にとどまっていることはないんだなぁと、つくづく感じます。
さて、続きがもう少しあります。
★縄文人とアメリカインディアンとある米国映画--------------------
奥州の繁栄に、日米の違いを見ることができて興味深いです。
興味深いのは、同じく古モンゴロイドであり、自然と共に部族で生き、同じような世界観を持った縄文人とインディアンの辿った運命の違いです。
日本で縄文人の同化政策が行われたのが700~900年にかけて。その後、1200年頃まで奥州には弥生+縄文パワーが炸裂したかのような日本第2の都市が華開き、黄金の国ジパングとまで言わせました。
アメリカでは、約1000年後の1600~1900年ほどの間、白人とインディアンの間に戦争が続き、インディアンは支配されていきます。白人の方針は焦土作戦(根絶やし)であり、インディアンの文化は華開きませんでした。
あるアメリカ映画を思い出します。
それは、突然宇宙人が各都市湾岸に飛来し、海から上陸するや無差別に殺戮し大都市に要塞を設けます。その要塞を核攻撃するために、その地にわずかに残された人々を海兵隊が救出に行く。ついでに要塞も破壊し、それだけで宇宙人全滅という都合のいい物語。
このとき、海兵隊長が言っていた言葉―敵は侵略してくるときに、その地に住む人間を抹殺し、その後土地を奪う―というようなことを、さも当たり前のように言っていました。
この映画で最も印象に残っているのはその言葉なのですが、それを聞いたとき、インディアンを根絶やしにしようとしたアングロサクソンらしい言葉だなぁと思ったことです。
自分たちがしたことだから、相手もそうすると思っているわけですね。そこには、自分たちがしたことを悔い改めず正当化する態度があります。正当化するのは奪った権益を守りたいからです。
けれど、そのように自己を正当化するなら相手も同じ理屈で正当化できるわけで、結局は力でねじ伏せた方が正義という幼稚な世界にしかなりません(地球は誰のものでもないのにね)。
だから、武力を見せ続けなければなりませんし、その裏で自分たちもそうされるという恐怖が常に根底にありますから、市民生活においてさえも銃を手放すことができないわけです。さらに他国監視、市民監視、そして潜在的脅威の抹殺と疑心暗鬼はとどまるところを知りません。(まさに不安から逃げ続ける人生を見るかのようです)
映画でも、海兵隊長が父を失った子供に「勇気を持て」と伝える場面が一つの見せ場でしたが、結局、あの文脈の中では「戦い続けろ」と言っているわけですね。こういうプロパガンダの中できわめて愛国的な若者が育ち、しかし潜在的脅威抹殺のために派遣された先で現実を突きつけられ、真実に目覚める者もいます(「イラク―米軍脱走兵、真実の告発
【追記:集団的自衛権と「イラク戦争」】
このように支配者として君臨し続けようとする生活は、裏を返せば不安と恐怖から逃げ続ける安らぎなき人生なわけですが、その不安と恐怖を見たくないが故に「虚構」から降りようとはしません。いえ、自分が虚構の中にいることにさえ気づきません。あの映画で言われていることをさも当たり前のように見る米国人もいるのでしょう。
★習俗にも風土にも古代が残る奇跡の国ジャパン--------------------
ところで、その米国で「最古の学会」は何かご存じでしょうか。
なんと、「民俗学」だそうです。123年の歴史を持ち、しかも全米で「最大の学会」でもあるそうです。
その米国最大かつ最古の民族学会が範としているのが、なんと、柳田國男。欧州の民俗学は物中心であるのに対して、日本は民間伝承を中心にしており、その方法論を確立したのが柳田國男です。
しかも、それができたのは、民族移動や産業革命などでフォークロア(民間伝承や民俗資料)が散逸してしまっている欧州と比べて、日本には往古の痕跡が物や生活の中に残っているからです。
そういえば、神社の様式に古代ユダヤの様式が残っているのを知って驚いていたユダヤ人の本がありましたね。
また、水月湖を思い出しました。
水月湖は、福井県三方五湖の一つ。この静かなる名を持つ湖は、7万年の時を計ることができる奇跡の湖なのです。
湖底に積もりゆく堆積物が木の年輪のように「年稿」を作っていきますが、それを調査することによって、気温や降水量など地球環境変動の歴史を年単位で読み解くことができるそうです。さらには、アメリカマヤ文明衰退の原因や人類発展の歴史までわかる「過去7万年の標準時計」なのです。まさに、「地球の宝」―奇跡の湖です。
・世界標準の"ものさし"が完成した
(この近くに原発があることが悔やまれます。わずか人生数十年のつまらぬ現世利益で「7万年の地球のものさし」「地球の宝」を壊しますか? 早く撤去してほしいものです)
★皇紀(神武紀元)以前の2つの王朝と幣立神宮--------------------
習俗にも風土にも、古代が現代にまで残っている―まさに、「神秘の国」日本。
その神秘の国からペトログラフ(石=ペトロに刻まれた文字など=グラフ)についての発表があると言うことで、2005年のアメリカ伝承文化学会は105分ものジャパンアワーが設けられ、錚錚たる学者が聴きに来たそうです。
通例学会発表は15分ですから、いかに特例扱いなのかがわかりますが、なぜそれほどの関心を集めたかというと、神秘の国におけるペトログラフ―広く言えばロックアートの研究発表は初めてだったからです。
柳田國男は、「性」と「流民(漂泊民・非稲作民)」は無視したそうです。いずれも縄文に関わることですね。ドルメン(支石墓)、メンヒル(立石)、ストーンサークル(環状列石)、盃状穴石などロックアートの研究も公的にはなされなかったわけです。
文部省が費用の半額を出したのは(=公的になったのは)、1985年の「下関市彦島のペトログラフの比較言語研究」が初。
・彦島八幡宮
ところが、それから数年の内に西日本を中心に169カ所でロックアートの発見が相次ぎ、それに驚いた米国民族学会が研究発表を吉田信啓氏に要請してきたそうです。
なぜ日本では、ペトログラフの研究がなされなかったのか?
それは神武(BC660とされている)以前は「神代」であって、そこを解明することはタブーとされていたからです。そのため、記紀以前の歴史―大和王朝以前に72代もの王朝があったことを伝える「上記」「九鬼文書」「富士宮下文書」「東日流外三郡誌」「竹内文書」は皇国史観を守るためにすべて偽書とされました。
たとえば「富士宮下文書」は紀元前221年頃に来日した徐福が最終的に富士山麓に落ち着いた後、当時の伝承や記録をまとめたもので、そのダイジェスト版が「現代語訳 神皇紀―徐福が記録した日本の古代“富士古文書”
その「神皇紀」によれば、神武王朝以前に2つの先行王朝があり、第1王朝は富士高天原にあったそうです。しかし大陸から九州に大群が押し寄せたため阿蘇霧島に遷都(第2王朝)し、約5年をかけて海幸彦を元帥とする海軍によって撃退。その後、海軍を宇佐、陸軍を阿蘇に設けて、その地でウガヤフキアエズ王朝が51代続いたそうです。
その第25代目の時に王子達を世界に派遣して文字を教え、それが古代エラム文字やヘブライ文字になったと書いてあるそうです。五色人が集まる阿蘇の幣立神宮を思い出しますね。
時代は下がり、今度は近畿でナガスネヒコが反乱を起こしたため、51代の第4王子イワレヒコが熊野から上陸して撃破(神武東征)。第4王子は第52代ウガヤフキアエズ王になるとともに、奈良で新王朝(第3王朝)を始めたそうです。
★縄文時代にあった文明圏---------------------------------------
縄文時代にそのような高度な王朝が存在したことが信じられないように思えますが、考古学は縄文の常識を変えつつあります。たとえば、メソポタミアが「世界文明の祖国」とされたのは土器が初見されたからですが(BC5000年)、縄文土器は1万5,6千年前のものが発見されています(青森県太平山元遺跡)。
9500年前頃には50軒近い集落があったことが、青森県三内丸山遺跡や鹿児島県国分市の上野原遺跡によって証明されました。
4500年前くらいからは焼畑稲作が、
3300年前くらいからは水田が耕作されていたことがわかり(岡山市津島江道遺跡)、弥生時代(紀元前300年頃)から稲作が入ってきたという説は覆されました。
縄文人が稲作を知らなかったわけではなく、海幸山幸に恵まれて稲作をする必要がなかったのでしょう。しかし、地球の寒冷化に伴って民族大移動が起こり、急速に稲作文化(を持つ弥生民族)が浸透し、また稲作に頼らざるを得なくなってきたのでしょう。
縄文人は稲作をしていただけではなく、三内丸山遺跡や北海道南部で出土する翡翠は新潟県糸魚川産であることが判明し、広域に交易をしていたこともわかっています。つまり、「文明圏」を持っていたということですね。
★ペトログラフが示す真実---------------------------------------
このように、考古学は記紀が覆い隠した過去を暴きつつあり、また世界各地のペトログラフも隠れていた事実を顕しつつあるようです。
たとえば、ハワイにある膨大なペトログラフはメネフネ族という小人族によって刻まれたとされているそうですが、そのメネフネ族は「太平洋の西から来た渡来人」とされていて、同形のペトログラフは日本にしかありません。
また、日本とアメリカのペトログラフが同じ事に気づいたドン・スミサナ氏は、アパッチ族など5部族ほどの語彙を調べて日本語の語彙との共通性に驚嘆しました。
ナンシー・デイヴィス博士は、「海神を守護神とし、太平洋の西の国から遠い時代に渡ってきた」という伝承を持つズニ族に注目し、九州北部の方言との共通性を突き止めました。
しかも、デイヴィス博士が推定するズニ族到来の8世紀は、ちょうど大和政権が日本を統一し「天皇」の称号が生まれる頃。イザナギが筑紫で禊ぎをしたときに生まれた海神(底・中・上のワタツミノカミ)を祀る阿曇連(むらじ)が新天地を求めて太平洋を渡り、阿曇族がズミ→ズニになったのではないかと吉田信啓氏は推測されています。
他にも、ハヤト(隼人)、サク(佐久)、ユマ(夢)、ホピ(蛇)、アパッチ(天晴)など、日本人と同じ顔、習俗、語彙を持つモンゴロイド部族がいるようです。
そして、文法などが日本語と最も似ている孤立語系とされる「ナ・デネ語」を話すのがナバホ。ナバホは、日常的に部族語を用いている数少ないインディアンだそうです。
さらに、幣立神宮で見た五色がインディアンにも見られます。色は居住地及び各部族を象徴しているようです。北は黒、南は赤、東は青、西は白、そして中央が茶(←黄色が置きかわったもの)。
このようにペトログラフを元にした民族の比較研究、ひいては人類発祥の研究が世界的になされているわけです。
その学際的な視点から、日本の考古学にもメスが入っているようです。
GHQは、戦後日本の神性を失わせるために意図的に編年を指導しました。それを受け入れたのは、記紀の虚構を維持しようとする日本側にあったわけですが、たとえば高松塚古墳。日本では、4,5世紀の建造とされていますが、オランダの歴史数学者ヨンゲ博士によれば、「紀元前5000年」に達すると目されているそうです。つまり、世界4大文明の発祥以前に、これだけのすばらしい装飾画及びそこに描かれている文明が日本にあったことになります。
その装飾古墳が圧倒的にたくさんあるのが九州北部。
珍敷塚古墳(めずらしづか)で壁画を見たエジプト国立カイロ博物館のラーマン館長は「エジプト人が日本に来た証拠だ!」と感激し、日岡・月岡古墳では「これはまさしくエジプトの絵文字だ!」と指摘されたそうです。
縄文人が、東は大洋を横断してアメリカまで、西は大陸を横断してアフリカまで到達していたことがわかります。興味のある方は、下記の本をお読みください。
★ケネウィックマンは何を語る-----------------------------------
さて、1996年、コロラドで約9300年前の人骨が発見され、地名からケネウィックマンと呼ばれるようになりました。
遺骨は白人だというチャターズ博士に地元先住民ウマティラ族は猛然と抗議。ネヴァダで発見されたスピリットケーブマンがアメリカ先住民と異なる特徴をもつとして研究していたオーズリー博士は、軍に遺骨の移送を依頼。ところが、米軍は博士の下に遺骨を届けるどころか、遺骨の発見された河原を2000トンもの土砂で埋め尽くしました。発掘作業は完全に不可能になったのです。
軍が動きましたね。
軍が動くときは、「不都合な真実」を隠すときです。
アメリカ大陸最初の人間は誰か?―それを解明されたくなかったのでしょう。ミシガン大学のローリング・ブレース博士は解剖学的特徴から、ケネウィックマンは縄文人であると見なしているようです。
アメリカ最初の移住者は、約1万5000年前の氷河期に日本から移住してきた縄文人であり、約5000年前に北方アジアから移住した人々が先住の縄文人と入れ替わり現在のアメリカ先住民になったと言う仮説をたてたそうです。
アメリカの先住民族も日本から渡った「縄文人」だった。そして民族の波の渡来が二派三派と繰り返す内に、日本と同じように混血していったのでしょう。
あるいは、「世界の村で発見!こんなところに日本人」(テレビ朝日)を見ていると、気候風土に適応して肌の色が変わっていることがわかります。日本の女性は進化論的にはあり得ないくらい急速に体型を変えているそうですが、また心が変化すると体型も変化する事を実際に知っていますが、同一人物でも大きく変化するわけで、縄文人がレッドマンに変化するにも何世代もかかったわけでもないのかもしれません。
★「和をもって貴しとなす」-------------------------------------
その先住民族を、大和民族もアングロサクソン族も差別しました。
大和民族は縄文人を同化~容認(共存)へと進みました。それができたのは、間に出雲族のようなクッションがあったからでしょう。
その1000年後、アングロサクソンはインディアン(縄文人の末裔)をオオカミ(獣)のように扱い駆逐しました(まぁ白人至上主義ですから混血政策はあり得ないでしょう)。
結果、日本では混血文化が華開き、世界遺産となった黄金の平泉文化が咲き誇ったのです。自分と異なるものをただ恐れ、排除していこうという姿勢からは何も生まれないことがわかりますね。
「分離」原則で動くアメリカ&イギリスと
「統合」原則で動く日本
この違いは、地球のエネルギーラインを見てもよくわかります↓
・ガイアの法則
「和をもって貴しとなす」
聖徳太子が唱えた日本の大原則。
これを世界に広めていくときが来ているように思います。
★虚構世界を終わらせよう------------------------------------------
私がなぜ古代に関心を持つのか?
それは、カウンセリングという仕事と関係しています。
私どものカウンセリングは、相談者の方が虚構の世界ではなく現実の世界に生きられるようにサポートすることです(それが共依存から自律へ向かうということです)。そのためには、その人がとらわれている「神話」を暴かなければなりません。これがとても大変なことなのです。
方法はとてもシンプルで、虚構を紡ぎ出す「思考(理屈)」や「解釈」を排除して「事実」をまっすぐに見ること、その事実に接して出てくる「感情」を言葉にしていくことなのですが、この簡単なことが、ほとんどできていないのが脳に支配されている現代人です。
目を背けずに事実を見るのは辛いことです。
それは、他に選びようがなかったこれまでの人生を選んできたのが実は自分であったことに気づいたときに、取り返しようのない絶望が襲うからです。同時に、逃げ続けてきた自分に、封印してきた不安と恐怖が襲ってきます。絶望、不安、恐怖を見たくないから、ほとんどの人が虚構の世界を選び続けるわけです。(原発神話にしがみつくのも同じ)
けれど、そこを抜け出したときに「時」が動き始め、人生が始まります。
時の止まった白黒の世界が命あふれるカラフルな世界になり、
自分が自由に動くと世界も自由に動き始めます。
自分が生き始めるから、世界も生き始めるのです。
『私がいなかったから、動かなかったのですね』
『世界は私を待っていた』
『見えているものは全て自分が作り出しているのだ、と思いました』
『私の世界は本当に私が作り出しているんだ、ってつくづく思いました』
『私がいないと動かないのですね。
だって、私の世界なんだもん。
先生の言葉が腑に落ちて、実感して、号泣でした。』
これが、『発狂しそうなほどの恐怖』を抜けた後の相談者の方の感想です。
壊れた自分を嘆いていたその方は、「壊してよかった」と言いました。
そして、
「新しく自分を作っていこう」と。
「何か、私創りたい!!」と―生きる意欲がみなぎっていました。
なんだよ、騙しやがってー。
何もない、何も動かない荒涼とした世界―
見渡す限りの虚無だったのにー、
とっても小っさい
息がしやすい。
信じらんない、こんな世界。
もっと早く見てればよかった。
隣にあったのに。
あったんですねー。
しかも、“ここ”にあった。
すごく陽気で楽しい場所が。
よかったーーー。
いやー、かわいそうでした。
あんな所に閉じこもって
あるのに気がつかない私が―
あー、自由です。
明るいですね。
体が軽い!
すばらしいです。
ぼーぜんとしています。
あー、うれしい!
あー、むっちゃ幸せです!!
・・・これらは、カウンセリング中に言われた言葉です。
簡単にたどり着ける地平ではありません。
でも、誰でもたどり着くことはできるのです。
すべては、あなたの自由意志。
そして、これを通過したからといって劇的に人生が変わるわけでもない。
ただしみじみとうれしく、人や自然とつながる人生を歩いていくだけです。
神話(虚構)の世界が終われば、
自分(現実)の世界が始まります。
それは、
操り人形の世界から、
意志を持った人間の世界に移行するということです。
考古学者も歴史学者も、勇気を奮って記紀神話に、そしてその向こう側に隠されている事実に立ち向かうときが来ているのでしょう。
私たち一人ひとりも、「脳内親(神)とそれを祀る脚本(簡単に言えば母親一神教)」に立ち向かうときがきています。
立ち向かうといっても、事実を見、それを受け入れるということですが。
その方は、カウンセリングが終わった直後から自分の中で曲がずっと流れていたそうです。
【SEKAI NO OWARI 「RPG」】
脚本人生劇場の世界は、役割を演じる世界。
RPGの世界を終わらせましょう。
(選挙に行くのも、RPGの世界を終わらせる行為です)