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自分の気持ちは自分のもの

2014/02/27(Thu) Category : 心と感情
改めて、家族ロールプレイ(20140125)お疲れさまでした。
・感情体験
・その気持ちを言葉にすること
・人の気持ちを聴くこと

この3つが、いかに人を成長させるのかがわかったと思います。
思考による成長は微々たるもの。むしろ人を点や直線に固化します。
感情は、人を一挙に広く、深く、高くします。

2次元や虚構の世界で生きることから抜けだし、
3次元やリアルの世界で活き活きと生きるようになるには、
感情を言葉にするだけでいいことがわかったと思います。

だからこそ、そこから足を遠ざけさせていたのが、本能は野生であり、感情は思考(理性)に劣るとされた仕組まれた理性(知性)至上主義。

そして、間違った理性(IP)は、本人が気持ちを言ったときに『私は人を傷つけてしまったのではないか』(←感想7で出てきましたね)というように、自分を脅してきて、ますます自分を弱くしていくのです。けれど、次のように自ら気づかれましたね。

『私が怒りをぶつけてしまったことで相手役の人の心が何か反応するとしたら、それは、その人の中にあるものが出てきただけなんだ、と。私のせいではないのだ、と。』

その通りです。

真智子も書いていますね。
『場面や相手は感情が出て来る切っ掛けに過ぎない』

このとき、相手にぶつけるのではなく、湧いてきた感情達を丁寧に見つめ、言葉に現していけばいいのです。その気持ちがある間、その気持ちを言葉にしていけばいいのです。たとえば、「腹立つなぁ」「むかつく」「悔しい」「寂しい」「悲しい」・・と思いに任せて同じ言葉を繰り返します。

すると現された(日の目を見た)感情は、感謝して自分の中から出て行ってくれます。そして自分の中の「小さいちゃん(IC)」との信頼が強まっていくのです。

その証拠に、たとえば「寂しい、寂しい」といいながら、ふと「あ、なんかうれしいというのが出てきた・・なんで・・・」そして、また「寂しい」が出てくる―ということがあります。この途中にふと出てくる「うれしい」と言う気持ち。それは、やっと気持ちを言ってくれた自分に「小さいちゃん(IC)」が喜んでいるのです。やっと、言ってくれたね、と。

だから、私も、相談者の方が「腹立つ」「むかつく」「憎い」「妬ましい」「痛い」「うざい」「気持ち悪い」「悔しい」「苦しい」「重い」「辛い」「むなしい」「絶望」「寂しい」「悲しい」・・と言っているとき、それを感じている本人はとても大変なのですが、それを感じる一方で、小さいちゃん出てこれてよかったね~、と喜んでいます。



さて、折しもマイミクの方の日記に、前世療法で臨死体験をされた方の記事が紹介されていました。臨死体験をされた方は、あの世へ行ったときに衝撃的に気づかれたことがあり、そして生き方を変えられました。その日記を紹介させていただきます。




「気持ちよく死ぬ、気持ちよく生きる」より抜粋------------------------

でも、私の人生を大きく変えたのは、その時に、気づいた一つのことでした。

それは、死んだ後に問われるのは、その時の人生でどのような業績をなして、どのような仕事をしたかではない。地位や収入は、一切、問われない。

問われるのは、私にとって、それは、どんな人生だったか、
心から幸せだったか、満足だったか、
人を愛したり、人に愛されたり、
人を許したり、許されたりしながら、
愛情深く生きたかということなんだ。



また、人生で関わった人たちがどんな人生を送り、私がしたことによってどんな影響を受けたかということも、一切、問われない。

なぜなら、私が人生で関わった人たちが、どんな人生を生きて、何を感じていたか、私がしたことによって、どんな感情を抱き、どんな行動を取ったかは、彼ら自身の選択であり、彼ら自身の責任ですることだからだ。

人を傷つけたりしたとき、あるいは、誰かが、私は傷ついたと言ったとき、
問われるのは、私は最良の方法で対応しただろうか、愛と優しい心でその人の傷を癒そうと努力しただろうか、ということであって、
もし、最良の方法で最善を尽くしたなら、その人が傷つき続けても、それは、その人の選択であって、自分の責任の範囲ではない。


そして、それら、すべてを厳しく問いかけるのは、神様でも、他の人たちでもなく、「自分自身なんだ」ということでした。




それは、とても、大きな衝撃でした。
結局、死んだ後に、審判を下すのは、私自身であり、神様や天使や他の誰かが、「あなたの人生はよかった、あるいは、悪かった」と診断したりはしないのです。

死んだ後の世界(魂の世界)にいる人たちは、ただ、ただ、私を受け入れ、愛し、許し、「大丈夫。それでいいんだよ」と言ってくれました。私が、激しく号泣しながら、自分がしてしまったことを後悔し、厳しく責め立て、苦しんでいる間、「過ちを犯すのは、悪いことではない。大切なのは、過ちを犯したことに気づいて後悔し、次の人生では、二度と同じ過ちを犯さないようにし、前の人生でした過ちを修正することなんだ。そうやって、より良い人間になっていけばいいんだよ」と言ってくれていました。


結局、自分がしたことをもう一度、客観的に見て、後悔し、苦しむのは、自分自身なのでした。

それは、私たちには、良心というものがあるからであり、私たちの魂は、もともと、善の心、愛の心でできているからなのだと思います。

自分の良心が、自分がしたことを振り返って、「なんということをしてきたんだろう」と苦しむのは、火で焼かれるような思いです。
まさに、それは、自分自身で作った地獄の苦しみだと言えます。





その日、セラピールームのソファーで、前世から戻ってきた私は、こう決心していました。

「今回の人生では、死ぬときに苦しい思いをしないように生きよう。
許せない人があれば、進んで許し、
謝っていない人があれば、進んで謝り、
感謝していない人があれば、今すぐ感謝しておこう。

そうして、いつでも、最善を尽くし、澄み切った心でいるようにしておこう。
そうしておけば、たとえ、他の人が怒り続けていたとしても、私を憎み続けていたとしても、私は気持ちよく死ぬことができる」


私たちは、いつ生まれるかということを知らずに生まれてきたように、いつ死ぬかということを知らずに今日を生きています。もしかしたら、今日、喧嘩をして、苦い思いを残したまま別れた恋人や友達や家族が、明日は、この世にいないかもしれないし、もしかしたら、私自身が、明日は、この世にいないかもしれません。

今日という日が、いつも最後の日なのです。
今という瞬間が、いつも最後の瞬間なのです。




(中略)-----------------------------------

でも、私が、昨日よりも今日、良い人間になれるように生きている(=気持ちよく死ねるように生きている)のは、神様がそこに在るからではありません。私が、「今回の人生では、良い人間になって死ぬぞ」と決めたのは、もう二度と、同じことを繰り返したくはないからです。

生きている間も、死んだ後も、
自分を責め、罰するのは、自分自身だけです。

生きている間、「私は十分ではない」と自分を責め、罰し続けるというのも苦しい人生ですが、死んだ後、人生を振り返り、「もう、取り返しがつかない!」と自責の念に胸を焼かれるのは、それ以上に苦しく、悲しい経験でした。



今では、「たとえ、どんな人生を生きたとしても、私たちは、その瞬間、その瞬間、精一杯生きている」のだ、ということもわかるようになりました。
私たちは、誰でも、その瞬間、一番いいと思える方法で生きているのです。

ですから、自分を責めたり、許せなかったり、あるいは、他人を責めたり、許せなかったりということがあっても、いいのです。
その後で、気がついて、許したり、謝ったりすればいいのです。

許したり、謝ったりするのは、早ければ、早いほどいいということは、おそらく、誰でも知っていると思います。苦い思いをするのは、短ければ、短いほうが気持ち良いですから・・・



私が、魂の世界で会った人たちは、みな、「いいんだよ。それで、いいんだよ」と言ってくれました。それが、神の心、愛の心なんじゃないか、と今では思います。私たちがどんな人生を生きたとしても、温かく見守ってくれ、許し、受け入れてくれる存在。それが、多分、「神様というようなもの」なんじゃないか。

そして、私たちが、自分自身のことも、他の人のことも、温かく見守って、許し、受け入れることができるようになったときに、私たちは、「神様のようなもの」に限りなく近づいていくんじゃないか、とも思うのです。

だから、
今は、地球を助けるために毎日を生きていることが、私にとっての幸せです。

死ぬときには、心から
「いい人生だった。地球のために全力で仕事をして、満足な人生だった」
と言えるからです。







なぜ、親にぶつけたい気持ちを自分が受け止めなければならないの?

自分を受け止められない自分





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Comment

 

 
  涙が溢れて止まりません・・・

 そっか、そういう事ですよね。

 自分自身なんですよね。

 

  

 

チャンス

「あの人のせいで悲しい気持ちになった」も、「あんたのせいで怒ってる」も、違うのですね。怒りも悲しみも、元々自分の中に在った。
あの人も、あんたも、その感情を引き出すきっかけに過ぎなかった。
自分はただその感情を、気持ちを声に出してじっくり味わう。人に向けるのでなく。

誰かの言動に自分の心が反応して、悲しい、寂しい、怒り、等かが出てきたら、チャンスなのですね。感情をじっくり味わうチャンス。自分を大切にするチャンス。踏ん張ろうと思います。

 

淋しい
不安は尽きない
誰からも好かれない
誰からも認められない
誰かを頼るのもできない
誰からも必要とされない
悲しい
悲しい
胸のなかに穴があいて
人からの施しを待ち続けている
寂しい
今日は好きなもの食べる

 
    
 
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