「バンクーバー朝日軍」がカナダを魅了した日本人の誇り
★憎しみの的となった朝日軍--------------------------------------------
明治時代、世界中に渡った日本人たち。
カナダのバンクーバーにも、1万人が住むリトル東京ができた。
勤勉な日本人に仕事を奪われた白人達は憎しみを募らせ、
1907年、5000人もの暴徒が日本人街を襲撃した。
それを力で撃退した結果、日系人は危険な民族とレッテルを貼られた。
(まるでヤマト民族に危険視された縄文人のようですね)
選挙権も得られないカナダ社会に仲間入りすべく、野球リーグに参戦することを決めた日系人有力者たちは、15歳前後の少年達を集め「バンクーバー朝日軍」を設立した(1914)。
チーム設立から4年後、ついに白人下部リーグへの出場が許され、試合が始まると、なんと圧勝。そして、参戦2年目にしてリーグ優勝を果たしてしまった。
翌年、朝日軍は次のレベルのターミナルリーグへ招待されたが、そこはリーグ全体が“敵”だった。ラフプレーとあからさまな偏向ジャッジにより、朝日軍は連戦連敗。しかし、下のリーグに落とされることはなかった。
観客の溜飲を下げる見世物となっていた。
要するにサンドバッグにされたのだ。
朝日軍の選手は嫌気がさし、崩壊の危機に直面していた。
★フェアプレーが揺り動かした心------------------------------------------
しかし、新監督に就任したハリー宮崎は、守備、バント、走塁、そしてフェアプレーを徹底させた。だが、日本人が抵抗しないのを良いことに相手はやりたい放題で結果は惨敗続き。悔しがる日系人の観客から詰め寄られることもあった。
相手チームだけではなく味方からも追い詰められた。
けれど、幼い頃に暴動を見ていたハリー宮崎はひるまなかった。
「憎しみに憎しみで返せば、憎しみが憎しみを呼ぶだけだ」
どんな不利な状況でも正々堂々と闘い勝つ
それが日本人であることを示す―それが本当の闘い。
日本人の誇りを失うな!
けれど、最下位であり続けた・・
ある年、3点リードで迎えた9回ウラ、朝日軍はランナー満塁のピンチ。
走者一掃で同点、バッターがホームを踏めば逆転。
折しも、ロングヒット!打者もホームに突入した。
けれど、キャッチャーにタッチされたとき、明らかに打者の足はホームになかった。
「セーフ!」 審判の声が響く。
やりきれない―と、そのとき、審判に抗議するために乱入したのは、なんと白人の観客達だった!
「石の上にも3年」―石を動かしたね~。
★野球で憎しみを消す----------------------------------------------------
ハリー宮崎の監督就任から5年。バンクーバー朝日軍は、ターミナルリーグ初優勝を果たす。 応援に駆けつけた5000人を超える日系人とカナダ人の観客は、一つになって喜びを分かち合った。
ハリー宮崎が言っていた言葉が結実した。
「たかが野球だ、やってられるか!」というムードのチーム崩壊の危機の時、ハリー宮崎は言った。
「たかが野球だ。しかし、野球にしかやれないことがある」
それが、
「正々堂々と戦い続けることでお互いの憎しみを消していこう」というものだった。
間違っていなかったね。
よく堪え忍んだね。
1941年には、各リーグのチャンピオンが戦う最高峰の大会で5連覇を達成。
日系人とともに、多くの白人ファンを熱狂させた。
「艱難辛苦は汝を珠にす」
―そのことわざのように、まさに珠玉のチームとなった。
★カナダの感謝----------------------------------------------------------
しかし、太平洋戦争が勃発。
日系人2万人は敵国の人間として全財産を没収され、カナダ各地の強制収容所に送り込まれた。そして、バンクーバー朝日軍は、戦後も再結成されることはなかった。
時は流れ・・・
2003年、朝日軍のカナダ野球殿堂入りが発表された!
メジャーリーガーなど超一流選手の中に日系人アマチュアチームが仲間入りしたのだ。それは、カナダの社会にフェアプレーの精神を刻んだ朝日軍への感謝だったのだろう。

↑写真は下記サイトから
・私のカナダ物語『朝日軍』選手 ケイ上西(かみにし)さん
【バンクーバー朝日軍~人種差別を乗り越えて~】
白人もひいきする人気チームだったことがわかりますね~。
★発言はその人のもの-------------------------------------------------
「目には目を」「武力には武力を」と言う方も多いでしょう。
「正直者が馬鹿を見る」と言う方もいるでしょう。
ヘイトスピーチを叫ぶ人もいるのでしょう。
けれど、そこから何が生まれてくるでしょう。
憎しみの連鎖だけです。
しかも、その連鎖が終わることはありません。
なぜなら、前記事でも前々記事でも見たように、その憎しみは外の“対象”に対してあるものではなく、あなたの内にあるものだからです。だから、代償行為をいくらしたところで、あなたの苦しみは消えません。
それは、外を意識しての「Youメッセージ」ではなく、自分の内側に意識を向け、それを表現する「Iメッセージ」でのみ解放されていく感情なのです。
気持ちが解放されたとき、あなたは、もはや憎む対象を探す必要がなくなっていることに気づくでしょう。それがどんなに楽なことでしょうか。
自分と向き合わず、外に憎む対象を置いている間は別の意味で楽なのです。その間は、自分が一番見たくない不安や恐怖を見なくてすみますから。人は、一人ではなかなか不安から逃げ続けることができません。そのため、共に逃げ続けてくれる相手(パートナー)を探します。それが、気になったり、心配したり、嫌悪したりする相手なのです。
けれど、そうしている間に、あなたはあなたが憎む相手と同じ狢(むじな)になっています。そして、年を経るごとに、不安から逃げ続けるためだけの隘路に追い込まれていくことになります。
このように、すべからく発言というものは、その人自身の内面を現しています。
たとえば、竹田恒泰さん(明治天皇の玄孫)の発言は、国を背負っている人の発言と感じました。彼自身が、その出自から背負わなくていいものを背負ってしまっているのでしょう。そして、目一杯頑張っているのでしょう。
その気持ちもわからないではありませんが、彼がその重荷から自らを解き放ったときに、もっと大きな目で物事を見られるようになると思います。
朝日軍が示した日本人の誇りとは、国を背負うことではありませんでした。
現代であれば、マスコミは連敗続きの朝日軍を国辱的と罵ったかもしれません。
朝日軍が背負ったのは、正直者であり続ける、フェアプレーの精神です。
だからこそ、国を超え、人種を越えて、カナダの殿堂入りをしたのです。
カナダは、「朝日軍の心」を自国に刻んだのでした。
★人間であれば、心は通じる----------------------------------------------
朝日軍は、憎しみにどう対応するのか―それを教えてくれました。
「たかが野球」とか「自分一人正直にやっても」とか腐らずに、「ださい」と斜に構えずに、まっすぐな自分を貫くこと。そうすれば、泥の中から真っすぐに茎が伸び、やがて蓮の花のように水面上でポッカリと美しい花を咲かせるでしょう。
泥に埋もれていたいのか嫌なのかは、自分の選択です。
浅田真央さんも、見事な返し方をしていましたね。
「人間なので失敗することもあるが、自分も失敗したくてしているわけではない」「私は何とも思わないけど、森さんがああいう発言をしてしまったことに少し後悔しているのでは」
カチンときたんだなぁと思います。が、
言うべきことはきちんと言った上で、怒りで返していません。
自分と向き合っている人の言葉は素的です。
だからこそ、中国や韓国の人々も、国や政治を超えて浅田真央さんに感動し、感謝したのでしょう。
今やどの国も、政府と市民が乖離し始めています。
政府が人々の声の代表ではなくなってきており、背後から動かされている部分もあるから当然なのですが、私たち一人一人が政治に踊らされる操り人形から「人間」になることで、国を超えて人種を越えてつながっていけるのではないでしょうか。
そのことを、朝日軍や五輪選手達が教えてくれているように思います。
・テッド・フルモト 「バンクーバー朝日軍」の本
*朝日軍が設立されてちょうど100年。映画化されるそうです。
→妻夫木聡、移民侍JAPAN主将!「バンクーバー朝日軍」映画化