『アナと雪の女王』~ありのままの姿見せるのよ
車で迎えに来てほしいのだろう、と思いつつ電話を取ると、「一緒に見よう!」と言う。私が乗り気でないのを知っていたから真智子は一人で行ったのだが・・・
―なぜ、乗り気でないかというと、ディズニーだから。
幼い頃はディズニーアワー(三菱ダイヤモンドアワー)を夢中になって見ていたが、近年の作品では「過去を振り返らせないメッセージ」が巧みに織り込まれているのを感じたり、インディアンの歴史を少しかじった者から見ると「ポカホンタス」は明らかに歴史の糊塗であったり(見てないけど)・・・つまり、胡散臭いものを感じていたので、私がディズニーを敬遠していることを真智子は知っていたから―
もっと言えば、アニメによって歴史の印象を都合よく変える一方で、「ワンピース」のように都合の悪いアニメはあれこれと理屈をつけて骨抜きにしていく―その米国の一部のあり方に不信感を持っている。
(まぁ、「日本書紀」もそうだし、いずれの国も体制側は同じようなことをしているのでしょう・・・各国の政権はその体制を守るためにそのようなことをしますが、私たち普通の人々はフィクションではなく事実を知りたいし、国境や人種を越えて仲良くしたいのですよ)
さらに言えば、インディアン(縄文人の末裔)の虐殺も69年前の3/10の東京大空襲も皆殺し(根絶やし作戦、焦土作戦)だ(NHK特集ドラマ「東京が戦場になった日」の中でも、そのようなことを言ってましたね)―他民族を抹殺するという発想にも反発も覚えていた。
(まぁ、江戸時代270年の歴史にも及ばない若い若い国であり、根っこに不安と恐怖を持つ国アメリカ―不安と恐怖に基づく行動は、老若男女や人種を越えて同じような行動パターンになります。神を外在化する一神教と、万物に神は宿る=内在化する多神教。結局、一神教は神から人が疎外されているわけで、そこに不安の根源があるように思います)
まぁ、それやこれやモヤモヤしたものがあったので、「アナと雪の女王」を見るつもりはなかったのでした。そのことを真智子は重々承知していたのでしょう。
「ビデオになったら見るよ」と言うと、
「映画館のスクリーンで見てほしい」と言う。
「じゃあ、どこかで時間作って見るよ」と言うと、
「一人でわざわざ見に行かないでしょう」と言う。
う~む、こちらの心の内を知った上で、やけに食い下がってくる。
こんなこと初めてだ。
「あなたが見る映画よ。あなたに見てほしい」とまで言う。
なんなんだこの強引さは。
映画が終わった後で聞いたのだが、映画のエンディングで「Let It Go~ありのままで~」が流れはじめ、「ありのままの~♪」のところにさしかかったとき、「ピッカ~ン」と雷に打たれたようになったのだという―「英司だ!」
そして、すぐにも外に出て電話で連絡したい気持ちになったそうだが、「待て待てディズニーだから最後に何か出てくるかも」と最後まで見終わってすぐ電話をかけてきたそうだ。
そういう事情は知らなかったが、ともかく折れずにしつこく食い下がってきたので、何はともあれ見に行くことにした。
しかも、「英語版ではダメ、日本語版で見てほしい」という。
2時間半ほど間があくが、その間はコーヒー飲みながら本を読んでいるという。真智子も帰ってからやることがあったはずだが、気合いの入れ方が違った。
こんなにまで言うのだから、逆に予備知識は一切入れずに行くことにした。
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テンポの速い展開だ。
にもかかわらず、なんだかふるふると来ていたが、
エルサが雪山で存分に歌うシーン―まさに、
「ありのままの 姿見せるのよ~♪」
と歌った場面でブワッと涙がこみ上げた。
(あとで、エンディングの同じところで真智子が「英司だ!」と閃いたことを知って驚きましたが)
そう、これこれ↓
この25ヵ国語バージョンの「Let It Go」で、ちょうど松たか子が歌っている、まさに“そこ”です。
【『アナと雪の女王』「Let It Go」(25ヵ国語Ver.)】
(それにしても、日本語は美しいね)
それでは、松たか子フルバージョンをどうぞ。
【 松たか子 『アナと雪の女王』「Let It Go」】
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エンディングの歌が始まったとき・・
聴いている内に、また涙があふれだした。
歌声に全身を打たれているような、
全身を包まれているような・・・
魂が
揺さぶられた
【May J. 『アナと雪の女王』エンディング 「ありのままで」】
このエンディングの歌を、あの大音量で、もう一度聴きたい。
いや、体感したい。
そのために、もう一度見に行ってもいい―そう思えた。
深く揺さぶられたのだろう。
その後真智子と話をしているときも、余震のように、折に触れては涙があふれた。個室の居酒屋でよかった。
いろいろと思う。
けれど、書かないでおこうと思う。
一人一人の体験が違うと思うから。
*真智子も書いてます↓
・「アナと雪の女王」を見て
*同じような、映画にまつわるエピソード↓
妻は自分をアナになぞらえていましたが、下記を読めば、妻もまたエルサでもあったことがわかります。
・妻が古い人生脚本を捨てた日