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災後の文明の構築に向けて、たこつぼから出て連携し始めた専門家達

2014/03/25(Tue) Category : 地震・災害・脱原発
BS1スペシャル「震災後の日本をどうする~次の大災害のために~」を見ました。

「災後の世界」をどのように築いていったらいいのか。
政治、行政、経済、歴史、文化などさまざまな専門性を持つ17人の学者が、その垣根を越えて2年半にわたって被災地に足を運び、研究会を続け、論文集にまとめました。

最後の方で、座長の御厨東大教授が述べられていた認識。
「これまで専門家はたこつぼに入っていた」
「全体を見ないとわからない」
「専門領域を超えてつながる」
「地元の人と率直に話をして仕組みを作っていく」
「組織を超えて情報を共有し、連携する仕組みが必要」

実際に行動し、事実を共有し合ったからこそ得られたこの認識に、日本の未来を感じました。

平和な時代は、それぞれが象牙の塔に閉じこもっていればよかった。
しかし、本当に人の役に立つためには、研究室のドアを開けて現場に出ること。そして、現場のニーズを知り、専門性を活かし合って連携することで本当の意味で専門を活かした仕事をしたと言えるでしょう。

私も会社員時代から現場主義でした。
事務所に閉じこもっているのではなく、現場を歩き、現場の人の話を聞く―そこからいろいろな知恵が生まれてきます。
今もまた、各地に赴いて心の現場を歩いています。このブログに書かれている心理の知識は学問として学んだものですが、知恵は相談者の皆さん一人一人から教わったものなのです。

震災は、いろいろな立場や分野で、人任せにせず、自ら動く人を生み出しているようです。



●自治体の横の連携--------------------------------------------------

相馬市は、行革を進め職員減らしをしているさなか、震災に遭いました。
平時の業務から有事の業務へ。
圧倒的に増えた業務量に相馬市の職員だけでは足りません。
それが、災害公営住宅の建設の遅れにもつながっているようです。

souma-city1.jpg

souma-city2.jpg


幸い、市長同士が日頃連携していたおかげで、その仲間の市から応援派遣をしてもらって業務を進めているそうです。市同士の日頃からの連携が大切なことがわかりますね。

平時と有事では、当然業務内容も業務量も異なります。
また、有事の業務は、その経験者でなければわからないこともあるでしょう。

今回有事を経験した職員の方々は、別の地域で有事が起こった際に派遣し、指導できる要員として登録する制度など設けたらどうでしょうか。

また、地域によって役所体質はずいぶん違いますので、相互交流によって互いに学びもあるでしょう。




●自治体の縦の連携--------------------------------------------------

仕事の場そのものを奪われたのは、農漁業。
かつて3万人が来場していたイチゴ狩りビニールハウスは壊滅。下の写真の中央にあるタンクのてっぺん近くまで冠水したそうです。
souma-city3.jpg

家も仕事場も育ててきたイチゴも、さらには家族や友人さえ失って、これで自力で復活しろという方が無茶でしょう。

相馬市は農漁業を復興するため、市がビニールハウス(働く場)を用意することにしました。けれど、「観光産業であるイチゴ狩りビニールハウスの復興は農業支援ではない」と県が難色を示したため、立谷市長は国(復興大臣)に掛け合い資金を援助してもらいました。

現地に即した対応を国や県はすべきと、相馬市は言いますが、その通りだと思います。

復活したイチゴ農園では、観光客からの声援で生きる意欲を取り戻されている方がいます。
souma-city5.jpg

souma-city6.jpg




●自治体と自衛隊の連携---------------------------------------------- 

阪神淡路大震災では自衛隊の初動が遅れ、救出できたのは165人にとどまったことを、当時岩手の消防防災課長だった本田氏は知りました。
有能な自衛隊を活かすことができない悔しさ。

当時、兵庫県から自衛隊への派遣要請は、地震発生から4時間後でした。
救える命があったはずと考えた本田氏は、遠野市長になったときに三陸大津波にどう備えるかを考えました。

海がない遠野市だからこそ果たせる役割―それは何か?
それは、遠野市が後方支援拠点として最適の位置にあることでした。
toono city1

遠野を情報収集拠点の後方支援地としよう。
そこで、遠野運動公園を後方支援拠点とし、2008年には自衛隊との大規模合同訓練を行いました。
toono city2

そして、311の時にこの場所に自衛隊1800人が集結。力となりました。
toono city3

一方の自衛隊も、地震に対応する研究及び訓練を行っていました。
311の3ヶ月前にも、釜石で現地研究(拠点、経路、水補給地点など)を行っています。
saigaihaken6.jpg


岩手県から自衛隊への派遣要請は、地震発生6分後14:52になされました。
saigaihaken1.jpg

15:06に災害派遣命令が出され、
saigaihaken2.jpg

15:16に津波が釜石を襲いました。
saigaihaken3.jpg

翌日03:00に先遣隊が到着。
saigaihaken4.jpg

11:30から救援活動が始まりました。
saigaihaken5.jpg


市の側からも自衛隊の要請を県に依頼しようとしていましたが、既に市内が「湖状態」で連絡もままならなかったそうです。自治体の長が指示するのが効率的だそうですが、それもままならない状況で、自衛隊は自らの判断で救援活動を行いました。

72時間がものを言う非常事態。自衛隊は何ができて何ができないのか、自治体(警察や消防)との棲み分けをどのようにするのか、それを「互いに知る努力が必要」と駒澤大学の村井教授は述べられていました。




●災害情報のリアルタイムの伝達---------------------------------------

気仙沼市では地震発生10分後からツイッターで情報を発信し続けました。
kesennuma city1

さらにいろいろな手段で情報を発信しようとしましたが、人手が足りません。
そこで、一人の入力で複数の通信機器に情報が流れるシステムを構築しました。また、データセンターは仙台に置き、USBのような装置をPCに取り付けるだけでそのセンターに発信できます。
kesennuma city2


これらの情報を共有することが、より多くの人命を巣くうことにつながっていくでしょう。専門家の方々の連携に期待したいと思います。






なお、上記の研究の内容は下記の本にまとめられているようです。








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