10.ダブルバインド事例:第二次禁止令
2014/09/13(Sat) Category : 心理学
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10.ダブルバインド事例:第二次禁止令--------------------------------
眠くないのに、「もうお休みなさい」と言われた子ども―
もしここで、まだダブルバインド的コンテクストが形成されていない子どもが、「まだ疲れてないよ。眠りたくない」と言ったとしましょう。それに対して母親が、「ママは、あなたのことが心配だから言ってるのよ。だから寝なさい」と言い張ったり、あるいはそう言いながら手を引いて寝室に連れて行ったとします。
このとき母親は、『子どもによる身体的メッセージの解釈を制御するとともに、母親に対する子どもの反応を子ども自身がどう解釈するのかということも制御する』(『』内は「精神分裂症の理論化に向けて」より)ことになります。
この文を少し掘り下げてみましょう。
・子どもは「疲れてない」という体のメッセージを聴き、
・「眠りたくない」と表現しています
それに対して、「疲れている」という決めつけからスタートしている母親は
・「疲れてない」というメッセージはディスカウント(無視)します。
・「眠りたくない」と言っているのは自分の限界を無視したわがままだと決めつけ(=親の解釈を押しつける=子ども自身の解釈を制御する)、本当に子どもの体のことを考えているのは子ども本人ではなくむしろ自分であるという信念で、子を寝室に堂々と“強制連行”していくことになります。
そして、このように『封印された子どもにとって最も楽な選択は、母親の擬装された優しい態度を本物として受け入れることだろう』
つまり、本当は疲れてもいず眠くもないのに、「自分は疲れているから寝るんだ」という母親のシナリオに則って体を動かすことになるわけです(操り人形ですね。これを続けている内に、気持ちと行動の間に乖離を感じていくようになるわけです)。これをベイトソンは、『自分自身を欺いて、母親の欺きに荷担する』と言っています。
上記ではわかりやすいように子どもの反論を入れましたが、子どもが反論せずにぐずっている時に、「ママは、あなたのことが心配だから言ってるのよ。だから寝なさい」と追い立てる場合も同じですね。
母親の言動が子どもの「異議申し立てした内容」あるいは「異議申し立てすること自体」を封じ、子を意のままに動かしています。
このことをベイトソンは、第二次禁止令と呼び、『これも第一次の禁止命令と同様、生存への脅威となる処罰またはその示唆を伴うものだ』と述べています。
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先に見ましたように第一次禁止令の場合は、「自分が母親から愛されていないのではないか」という懸念があり、それに気づくこと(=罰)への恐れから、親の指示を受けざるを得ない状況に追い込まれていました。
この第二次禁止令は、その指示の遂行を確定的にするものです。
まず、「休みなさい」と言う理由の説明(メッセージの内容についてのメッセージ)が入っています。つまり、「休みなさい」(メッセージ)に対する「あなたのことが心配“だから言ってる”のよ」(メタメッセージ)です。
次に、そのメタメッセージ自体が脅迫になっています。言葉にすれば、
「ママが心配していることを疑ってるんじゃないだろうね」(ベイトソンの言葉で言えば、『私の愛を疑うことは許しませんよ』)
→「あなたへの愛ではなく、ママが意地悪で言っていると思ってるんじゃないだろうね」(ベイトソンの言葉で言えば、『私がお前を罰する意地悪な人間だと思っているんじゃないだろうね』)・・・
いずれにせよ、「ママの言っていることを疑うことは、“ママがあなたを愛していないとあなたが思っている”とママが気づくことになる(=罰)が、それでいいのか?」という脅迫が隠されていますね(メタ・メタメッセージ)。
これを受け手側の立場から言いますと、前項でも触れましたが、そもそも相手が自分のために言ってくれているのかどうかは、直感(実感)でわかります。ですから、「何でこんなことを言うのか」というメッセージについてのメッセージがわざわざ加えられた時点で、それが自分のためではないことが証明されてしまっているのです。
だから、「寝なさい」というのは自分のためではなかったということが確定的になるのですが、だからこそ、それに気づいてしまってはすべてが終わってしまうという強迫観念に囚われてしまうのです。子どもの側からすれば、母親の本意は謎だけれどすべてが終わるよりはマシ。結局、母の意向に沿って行動することになります。
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この事例を整理してみましょう。
第一次禁止令:「“休みなさい”という私の命令を遂行しなさい。でなければ、おまえは<私がお前を愛していないということに、自分が気づくという罰>を受けることになるよ」
第二次禁止令:「“あなたのため”と言っているママのことを疑うな。でなければ、おまえは<私がお前を愛していないとお前が思っていることに、私が気づくという罰>を受けることになるよ」
いずれも親子間の愛に関わるものですから、抜き差しならなくなるわけです。そして、
第一次禁止令は、親の命令に従うように自分で自分を縛るわけですが、
第二次禁止令は、親の命令に従うように親が脅迫することで縛っています。
このように二重に縛られるので、ダブルバインド(二重拘束)と言います。
最終的に子どもは、愛(の可能性)を失いたくないために従わざるをえなくなってしまうわけです。気づきたくないわけですから、気持ちはフリーズしたまま、行動は操り人形のように従う―と言った方が正確でしょうか。
気持ちだけにフォーカスすれば、混乱して身動きとれない状態とも言えますが、行動はさせられてしまいます。ここに統合失調症が発症する素地が形成されると思うのです。
10.ダブルバインド事例:第二次禁止令--------------------------------
眠くないのに、「もうお休みなさい」と言われた子ども―
もしここで、まだダブルバインド的コンテクストが形成されていない子どもが、「まだ疲れてないよ。眠りたくない」と言ったとしましょう。それに対して母親が、「ママは、あなたのことが心配だから言ってるのよ。だから寝なさい」と言い張ったり、あるいはそう言いながら手を引いて寝室に連れて行ったとします。
このとき母親は、『子どもによる身体的メッセージの解釈を制御するとともに、母親に対する子どもの反応を子ども自身がどう解釈するのかということも制御する』(『』内は「精神分裂症の理論化に向けて」より)ことになります。
この文を少し掘り下げてみましょう。
・子どもは「疲れてない」という体のメッセージを聴き、
・「眠りたくない」と表現しています
それに対して、「疲れている」という決めつけからスタートしている母親は
・「疲れてない」というメッセージはディスカウント(無視)します。
・「眠りたくない」と言っているのは自分の限界を無視したわがままだと決めつけ(=親の解釈を押しつける=子ども自身の解釈を制御する)、本当に子どもの体のことを考えているのは子ども本人ではなくむしろ自分であるという信念で、子を寝室に堂々と“強制連行”していくことになります。
そして、このように『封印された子どもにとって最も楽な選択は、母親の擬装された優しい態度を本物として受け入れることだろう』
つまり、本当は疲れてもいず眠くもないのに、「自分は疲れているから寝るんだ」という母親のシナリオに則って体を動かすことになるわけです(操り人形ですね。これを続けている内に、気持ちと行動の間に乖離を感じていくようになるわけです)。これをベイトソンは、『自分自身を欺いて、母親の欺きに荷担する』と言っています。
上記ではわかりやすいように子どもの反論を入れましたが、子どもが反論せずにぐずっている時に、「ママは、あなたのことが心配だから言ってるのよ。だから寝なさい」と追い立てる場合も同じですね。
母親の言動が子どもの「異議申し立てした内容」あるいは「異議申し立てすること自体」を封じ、子を意のままに動かしています。
このことをベイトソンは、第二次禁止令と呼び、『これも第一次の禁止命令と同様、生存への脅威となる処罰またはその示唆を伴うものだ』と述べています。
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先に見ましたように第一次禁止令の場合は、「自分が母親から愛されていないのではないか」という懸念があり、それに気づくこと(=罰)への恐れから、親の指示を受けざるを得ない状況に追い込まれていました。
この第二次禁止令は、その指示の遂行を確定的にするものです。
まず、「休みなさい」と言う理由の説明(メッセージの内容についてのメッセージ)が入っています。つまり、「休みなさい」(メッセージ)に対する「あなたのことが心配“だから言ってる”のよ」(メタメッセージ)です。
次に、そのメタメッセージ自体が脅迫になっています。言葉にすれば、
「ママが心配していることを疑ってるんじゃないだろうね」(ベイトソンの言葉で言えば、『私の愛を疑うことは許しませんよ』)
→「あなたへの愛ではなく、ママが意地悪で言っていると思ってるんじゃないだろうね」(ベイトソンの言葉で言えば、『私がお前を罰する意地悪な人間だと思っているんじゃないだろうね』)・・・
いずれにせよ、「ママの言っていることを疑うことは、“ママがあなたを愛していないとあなたが思っている”とママが気づくことになる(=罰)が、それでいいのか?」という脅迫が隠されていますね(メタ・メタメッセージ)。
これを受け手側の立場から言いますと、前項でも触れましたが、そもそも相手が自分のために言ってくれているのかどうかは、直感(実感)でわかります。ですから、「何でこんなことを言うのか」というメッセージについてのメッセージがわざわざ加えられた時点で、それが自分のためではないことが証明されてしまっているのです。
だから、「寝なさい」というのは自分のためではなかったということが確定的になるのですが、だからこそ、それに気づいてしまってはすべてが終わってしまうという強迫観念に囚われてしまうのです。子どもの側からすれば、母親の本意は謎だけれどすべてが終わるよりはマシ。結局、母の意向に沿って行動することになります。
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この事例を整理してみましょう。
第一次禁止令:「“休みなさい”という私の命令を遂行しなさい。でなければ、おまえは<私がお前を愛していないということに、自分が気づくという罰>を受けることになるよ」
第二次禁止令:「“あなたのため”と言っているママのことを疑うな。でなければ、おまえは<私がお前を愛していないとお前が思っていることに、私が気づくという罰>を受けることになるよ」
いずれも親子間の愛に関わるものですから、抜き差しならなくなるわけです。そして、
第一次禁止令は、親の命令に従うように自分で自分を縛るわけですが、
第二次禁止令は、親の命令に従うように親が脅迫することで縛っています。
このように二重に縛られるので、ダブルバインド(二重拘束)と言います。
最終的に子どもは、愛(の可能性)を失いたくないために従わざるをえなくなってしまうわけです。気づきたくないわけですから、気持ちはフリーズしたまま、行動は操り人形のように従う―と言った方が正確でしょうか。
気持ちだけにフォーカスすれば、混乱して身動きとれない状態とも言えますが、行動はさせられてしまいます。ここに統合失調症が発症する素地が形成されると思うのです。