12.ダブルバインドの諸事例
12.ダブルバインドの諸事例------------------------------------------
◆1.社会に出たいが出られない(親は普通で自分に問題)-------------
理由がないのに人を信じられず、社会に出たいのに社会に出られず、身動きとれない方がいらっしゃいました。どんなに記憶を辿っても、それらしき根っこが出てこないのです。一体何がその方を苦しめていたのでしょう。
こちらを読んでみてください↓
・記憶にないトラウマ
その方の人間不信、社会不信の根っこは、本人に直接の記憶がない赤ちゃん時の体験にあったのです。それは、親から聞かされただけの、赤ちゃんの時に高熱が出たという話―ただそれだけのことで、実感のない本人は何も気にとめていないお話でした。しかし、その体験が、「生き埋め」にされる怖いイメージや、「胸苦しさ」や「息が詰まる感じ」の背景にあったものでした。
きわめて単純化していえば、人間不信は母親から、社会不信は父親から来ます。つまり、人間不信、社会不信であること自体が両親不信ということを現しています。
その不信の原体験がこの赤ちゃん時の体験だったわけです。けれどそれは記憶にはなく、物心ついて以降は「普通の親」と思って生きてこられたわけで、社会に出られないのは「自分に問題がある」からでした。
けれど、親のメタメッセージに子は気づくものです。が、赤ちゃん時に「見捨てられ体験」があるこの方は、親のメタメッセージにはおくびにも気づいてはならなかったのです。ですから、「普通の親」と信じて生きてこられたのでした。
さて、赤ちゃんの時のこの方は、高熱で死にそうに苦しいのに声も上げられない。病院に連れて行ってほしいのに、そうしてくれない大人に対して異議申し立ても出来ない―そういう状態ですね。ここにベイトソンがいうダブルバインドの構造が隠れていますね。
つまり、生まれてすぐに強い第二次禁止令(異議申し立てを禁ずる命令)が発動されたようなもので、以降は親の指示(第一次禁止令)はいちいち第二次禁止令を持ち出すまでもなく、そのまま受け入れることになったわけです。
◆2.自分に自信がなく人が恐い(親には褒められて育ったのに)-------
母親から天使のような笑顔で褒められて育った方―
ならば、ノビノビと天真爛漫、自信を持って堂々と生きていそうです。
が、そうではありませんでした。
でも、なぜ?
そこが本人にも謎でした。
が、不意に蘇った記憶があったのです。
それは、自分でも信じられない記憶でした。
母親が怒った鬼のような顔を思い出したのです。
その形相のあまりのショックに、その記憶は封印されたのでした。
そして、以降は、その母親の機嫌を損ねないように生きてきたのでした。
つまり、「鬼の形相」が強い第二次禁止令(異議申し立てを禁ずる命令)となったわけです。それほどの怒りを示した相手に、異議申し立てが出来ようはずもありませんでした。そして、その記憶を封印して以降は、親の指示(第一次禁止令)は第二次禁止令を持ち出すまでもなく、そのまま受け入れることになったわけです。
「自信」とは、“自分(インナーチャイルド)”が自分を信じること。
そのためには、自分が“自分”の気持ちで行動すること。
そのときにこそ背骨が出来、それが自信となるのです。
けれど「鬼の形相」を見たくないが故に母親の思い通りに生きてきたため、自信を持つことが出来なかったのです。
◆3.母の言うことを忠実に守る妹(差別を受けて育った姉妹)---------
姉は虐待を受け、妹はかわいがられた、という明白な差別を受けて育った姉妹がいるとします。この場合、妹の方が“洗脳”が深い場合があります。
どういうことでしょうか。
初めての子はなすすべなく親のエネルギーをまともにかぶりますが、下の子は上の子と親との関係を見て学んでいます。こういうことをしたら褒められ、こういうことをしたら叱られるんだな―と自己学習するわけですが、何をしても怒られるという上の子に対する凄まじい虐待を見てしまうと、下の子は自分の意志を持つこと自体を放棄し、親の意向を進んで実行する手足となっていくことがあります。
この場合、「異議申し立てをする上の子が虐待される場面を見る」ことが、妹にとっては「異議申し立てを禁ずる」第二次禁止令になっているわけです。言わば、虐待を受ける姉の存在自体が第二次禁止令なのです。
ですから妹は、親の命令に忠実なだけではなく、親の意向を汲んで率先して動くようになります。自分の気持ちとは無関係に親の操り人形となっている妹も、たとえ親との間にダブルバインド的コミュニケーションがなくても、ダブルバインドに遭っていると言えるでしょう。
なぜ、洗脳が深いのでしょうか。
一つは、母親のメタ・メタコンテクスト(人生脚本)にあります。親から愛情をもらえなかった母親は、たとえば長女を次のように道具にしようとします。
1.存在不安を持つ仲間にするために見捨てる(様々なケースがありますが、同性であり、かつ上に助けがない必要がありますから長女がターゲットになることも多いでしょう)
2.母親に対する怒りをぶつけるためのサンドバッグ(代償行為の道具)
3.そうやって自律できなくすることが、同時に自分の母親作りになっている。この場合の母親とは、気持ちを受け止める人ではありません。気持ちを封印するためにむしろそこは不要です。体温があって、ただ“そこ”にいる人が“母親”なのです(代理母親)
4.そのため、万が一にも自分がその「子の母」であることを自覚するようなことをしない
5.逆に、あたかもその子が家族の母親であるかのような振る舞いをする
・・・まぁ、このように様々な“役”を背負わされるわけです。
一方の妹は自分の分身と見なして自分が親からされたかったことをしてかわいがったり(自己投影)、自分の「目」の代わりに姉を監視させたり、自分の「手」の代わりに姉を落とし込んだり・・・
両者の扱いの違いがわかるでしょうか。母親は姉を分離していますが、妹は分離していません。不安を植え付け、代理母とするためには、姉は一度人間にしなければなりませんが、妹は母親の体の延長なのです。
人になった後の苦しみと、
人にさえなれない苦しみは違います。
(質が異なるので、どちらがどうとは言えません)
それに加えて、虐待を直接受けた方は“手応え”を感じています。
が、虐待を見せられた方は“手応え”がない分、恐怖が増幅するのです。
これらのことから、妹の方が洗脳が深い場合があるのです。
上記の事例は、母親が姉を「指示に従わなければ罰する」シンボルとし、妹をダブルバインド下に置いた事例ですが、母親がペットや父親を使う事例、夫婦がタッグを組む事例などいろいろなパターンがあります。
◆4.ダブルバインド瞬時完結のケース(自縄自縛になっていく場合)-----
携帯がない昔は、家電で友達と長話をすることもあったでしょう。
そのとき、母親が「電話が長い!」と文句を言いつつ、フックをガチャンと押して電話を強制的に切ったとします。この場合、
第一次禁止令:「長電話をやめなさい」(さもなければ罰する)
第二次禁止令:「ガチャン!」(異議申し立てを禁ずる)
つまり、異議申し立てをする前にガチャンと切られている=異議申し立てが母親の行為によって無意味化されているわけで、この切られる行為自体が第二次禁止令になっているわけです。
命令と同時に、それを“実行させられている”わけで、ダブルバインドが瞬時に完結していますね。
そして、その後抗議をしようにも、「ガチャン!」とやった母親の剣幕の前でなすすべがありません。この時、この行為を飲ませられてしまったわけです。他でもこのようなことが続くと、母親がすることを「仕方がない」と受け入れていく心性が形成されます。
「仕方がない」とは、実は不満を感じている自分のICに言っている言い訳です。言葉にすれば次のように言っています。
「お母さんはああいう人だから気持ちを言ったって仕方がないだろう?だから、出てくるなよ」
これは結局は、母親に味方をし、ICを封じていることになるのです。(ICは相手に通じないことは百も承知で、そこを問題にしてはいません。ICはただ、自分が感じたことを自分に声に出してほしいだけです。それを理屈を付けてしない自分にイライラし、悔しがり、悲しがっているのです)
こうして、ICを抑圧するIP(理屈)を自分で作っていくことになり、そのうち、自分が何かをしようとするとIP(思考)が邪魔をして思うとおりに行動できない、身動きできなくてフリーズするなど、自縄自縛(自己完結ダブルバインド)で生きるようになっていきます。
自分を取り戻すためには、文句の奥にある本当の気持ちを声に出して言うことです(独り言で構いません)。
「勝手に切られて、ほんっと腹立つ!」
「ムカツク」
「子供じみたことをして大人げない―その姿が情けないなぁ」
「こんなことであそこまで怒るなんて、ちっぽけだなぁ」
「悲しいなぁ」
「見張られてたの?窮屈だなぁ」
「苦しい」
「聞かれてたと思うと、気持ち悪いなぁ」
「あー、キモ!」
「こんな母親だなんて、あー残念」
「がっかり」
「ほんと疲れる。」
「いっつもいっつも、あー、つかれた。しんどい」
「むなしい」
「寂しい」
・・・声に出している内にいろいろと出てくるはずです。それを丁寧に拾い上げてもれなく声に出して言うことです。すると、自分に実感が戻ってきます。先にも書きましたが、「実感」こそが、相手の虚偽を見抜くレーダーなのです。