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14.世代間連鎖によるダブルバインド事例

2014/09/19(Fri) Category : 心理学
【「精神の生態学」~ベイトソンのダブルバインド理論の詳細】の目次へ

14.世代間連鎖によるダブルバインド事例-----------------------------

(以下、わかりやすくするために脚色した事例です)
ある日、C子ちゃんが「学校やだな~」と涙ぐんだので母親が訊くと、休み時間に友人と遊ばず独りでいるとのこと。学校で唯一の友人K子ちゃんは他の友人に取られ、そこで綱引きするよりも「一人でいる方がいい」ようです。母親は、「この子は強いな」と思いつつ、「ほんとはK子ちゃんと遊びたいんだよね」と子の気持ちに共感し、「ママのパワー送るから頑張れ」と言いました。

大学生もトイレで孤食の時代、独りぼっちの子どもは多いかもしれません。その子どもを応援する母親の図―この中にどのようなダブルバインドが隠されているでしょうか。





<第三世代―子ども>------------------------------------

子どもの側に立って見てみましょう。
C子ちゃんは、「学校やだな~」と言って「頑張れ」と返されました。涙ぐんで、さらに過酷な学校での様子を話した上での「頑張れ」ですから、これは、たとえどんな状態でも「学校を休むことを禁ずる」という禁止令を受けたことになります。

しかもこの時、母親は「この子は強いな」と思っているわけですから、学校で独りでいることが“評価”されている雰囲気を感じます。自分は苦しいのに、なんだか褒められている―戸惑います。戸惑いの本質は、「なぜお母さんは、私が独りぼっちでいることが嬉しいんだろう?」という謎ですが、謎は謎として、少なくとも「私が一人でいることがお母さんは嬉しいんだ」ということがわかります。

次に、「ほんとはK子ちゃんと遊びたいんだよね」と言われたこと。
この言葉で、C子ちゃんは、友人をK子ちゃんに限定されてしまいました。「3人で遊んでみたら」とか「ほかにも友達いるでしょう」などと可能性や友人の枠を広げる許可は与えられていません。
母親は、あくまでもC子ちゃんの友人はK子ちゃんしかいないというコンテクスト(関係性、文脈)の中にC子ちゃんを閉じ込めているわけです。これにより、C子ちゃんは「ほかに友人を作ることを禁ず(一人でい続けなければならない)」という禁止令を言外に受けたことになります。

つまり、C子ちゃんは、母親から他に友人を作ることも禁じられ、学校に行かないことも禁じられ、学校に行って独りでいることを続けなければならないわけです。しかもそれを、応援の装いで言われますから反論も出来ません。ダブルバインド理論に当てはめれば、次のようになるでしょうか。

第1次禁止令:学校で一人でいろ。友人を作ることを禁ず。
第2次禁止令:ママがパワー送ってまで応援しているのだから、異議申し立てを禁ず。
第3次禁止令:学校を休むこと(その場から逃げること)を禁ずる

このダブルバインドにあったC子ちゃんは、「いやだ」という自分の気持ちを無視して、母親の望み通り学校に行き、独りで居続けなければなりません。

そして、まさにその姿が『休み時間に友人と遊ばず独りでいる』姿でした。つまり、母親の望む姿を既に体現していて、それをやり続けているけどもう苦しいよ、もうお母さんの言いなりになるのはいいでしょ―という悲鳴なのです。

それはある意味、お母さんの望みを叶えた“成果報告”をしているわけですが、それを聞いた母親に、それでよし、ますます頑張れと言われたことになるわけですね。






<第二世代―母親>------------------------------------

では、ダブルバインドを仕掛けている母親の側に立って見てみましょう。
母親は『休み時間に友人と遊ばず独りでいる』状況を、子どもが涙ぐみつつ言っているのに、それを“強い”と捉えています―ちょっと変ですね。

ある人の物事のとらえ方にどこか違和感を感じる場合、それはその人が属しているコンテクストの異常性を感じています。(たとえば風習。異なる風習に接した人は、それに違和感を感じますが、中にいる人にとってはそれが当たり前です。つまり、その人が変なのではなくて、その人はその人を取り巻くコンテクストを表現しているだけなのです)

では、どうおかしいのか。母親が“強い”と反応したのは「一人でいる方がいい」という子どもの言葉です。母親は子どもの表層的な言葉に反応して、子どもの実相(涙ぐんでいる姿)は無視しています。まず、子どもの実相を見ないところがおかしいですね。

子どものメタメッセージ(涙ぐむ)は無視して、子どものメッセージ(一人でいる方がいい)だけをピックアップしているところに、この母親自身がメタメッセージ(感覚・感情・事実など)を無視して虚構を生きていることが見えるわけです。


虚構を生きているとは、脳内親に見せるための日々を送っている=脳内親に見せるために人生脚本を現実化して生きているということです。ではどういう脚本なのか―それは、母親がどういう言葉をチョイスしているかを観察することで見えてきます。

ここでは、「一人でいる方がいい」という言葉でしたね。この母親は「人とつながらず独りでいろ」という脚本を生きていました。でも、それがとても苦しいことを体験でわかっています。だからこそ、「一人でいる方がいい」と言えた娘を賞賛したわけです。

つまり母親が娘を賞賛したのは、母親が属しているコンテクスト(娘から見るとメタコンテクスト)の価値を娘が体現していたからです。ですから、“強い”と思ったのも脚本人生劇場の上での本当の感情です=けれどそれは、舞台上のホンモノ感情―つまりはニセモノです。

この思い方はもう一つの効果を持ちます。それは、娘のことを強いと“思った”という事実が、娘を応援したことを肯定する“証拠”になります。言い換えれば、自分は娘を応援して学校へ行けと言った(アリバイ)のであり、自分が「学校を休んではならない、でなければ罰する」という強い禁止令を言ったのではないという自己洗脳になっているのです。

こうして、自分は子どもの味方になっている“つもり”で、子どもを過酷な状況に置き続けることが出来るわけですね。(これが意識化されると子を自分の道具にしていることがわかりますので、意識化されません)

ここまでを見ますと、母親自身のコンテクストの中でなされた言動が、結果的に子どもをダブルバインドで縛っていることがわかると思います。





<第一世代:祖母と第二世代:母の関係>------------------------

では、この母親はどういうコンテクスト(娘から見るとメタ・メタコンテクスト)の“下”で生きていたのでしょう。

この母親(Bさんとします)の母親(祖母Aさん)は、存在不安の強い人でした。Aさんにとっては、娘が存在価値を持つこと自体が(自動的に)自分が無視されることにつながるのです。ですから、娘(Bさん)は存在価値を持ってはいけませんでした。

たとえばBさんが「うるさい! 近所迷惑!!」と怒られたとします。Aさんにとって“うるさい”=娘が存在価値を誇示することでした。ですから、「近所迷惑」という理屈を付けて、「存在を主張するな(=私の存在を消すな)!!」と禁止令を出したのです。

すべての表現を怒りと共に否定されたBさんにとって、“許されていた表現”は泣くことでした。泣いている間は、少なくとも“攻撃”はされなかったのでしょう。つまり、泣いている間は“安心”して母親の傍にいられた(=存在を認められた)ということです。

ここまででBさんは3つのことを学んでいます。
1.自分はダメな存在でなければならない(存在価値を持ってはダメ)
2.怒られ役(受け皿)として母親とつながることが出来る
3.泣くことでストロークをもらえる

親への関わり方が他人と関わる基本形となりますから、Bさんは次のように生きるようになります。
1.天然で、うっかりなことをする(ダメ人間のであることの自己証明)
2.第三者から何かを言われる(ダメ人間であることの他己証明)
3.それを母、代理母親、脳内母親に報告する(成果報告)


そして、日々を脳内母親に見せる虚構を生き始めますので、「ダメで責められることの証明として泣く」ことを始めますが、さらにそこから「泣く」=「ダメ人間であることの証明」と逆転して、何でもないことでも泣くようになっていきます。すると次のようになります。

1.常に自分を責める第三者を探そうとします。
2.次に、その第三者がどういうところを責める人なのかを探ります。
3.そして、その人が責めるポイントで(無意識に)何かをしでかします。
4.大して責められてなくても、とても責められたと脳内変換します。
5.泣くようなことでなくても泣きます。

もう少し具体的に書くと、
たとえば、忘れ物をする、抜けてる、片付けられない、事実確認をしない、天然、何かやらかす、時間にルーズなど、お母さんとつながるための「手段としてのキャラ」を形成します(持って生まれた性格ではありません)。

そして、自分が馬鹿にされるための「舞台探し」をし「舞台作り」をします―たとえば、ミスやトラブルを起こしやすい会社を選んだり、自分にそぐわない任を引き受けたり、人を責める人間に出逢ったりします。

その舞台の上で大失敗をやらかし、皆に馬鹿にされる状況を作るわけです。この時、表層意識上の本人は、嘆き、悔やみ、自分を責めさいなみ、苦しみ、大泣きし、時には自分に「死んでしまえ」と思うくらい絶望に陥ることもありますが、実はそのときこそが、「最高の見せ場」なのです。

芝居がかって大げさなことを「劇場型」と言いますが、まさしく「脚本人生劇場」を生きている人は芝居がかった人生になります。そこで表現される大げさな喜怒哀楽は、インナーチャイルドではなく、脚本ちゃんが絶好調であるときなのです。

こうして、
脚本―Bさん(人生脚本)
演出―Bさん(インナーペアレンツ)
主演―Bさん(本人)
共演―Bさんに巻きこまれた家族、親族、第三者
観客―脳内母親(=Bさんが創り上げた虚像)
という「壮大な独り相撲」(ゲーム)があたかも“人生”として、延々と演じられていくことになります。

そして、「ダメ人間であり続けなければならないBさん」も、人に認められてはダメ=独りでいなければダメですから、そのBさんの子どもも友人を作ってはならないのです。だから、独りでいることを賞賛するのです。
加えて、寂しがりで泣き虫なBさんにとって、「一人でいる方がいい」と言った娘は、“強い”と思えたわけです。






<世代間連鎖と人生脚本に気づこう>--------------------------

祖母A→母B→子Cへの世代間連鎖を俯瞰してみました。
整理してみましょう。

子Cがダブルバインドに遭って学校に行き続けたのは、母Bの表層意識(寂しがりで泣き虫)から来る思い「強い」と、そこから発せられるメッセージ「頑張れ」。そして、無意識(独りでそこにいろ)から来るメタメッセージ「友人を作ることも学校に行かないことも禁ず」に挟まれて行かざるを得なかったからです。

母Bの思い「強い」は、自分が(寂しがりで泣き虫)というコンテクスト(文脈)で生きているから出てきた言葉ですが、その背景には、「ダメ人間で、人から責められて泣く」人生脚本(メタコンテクスト)がありました。

そして、母Bのメタコンテクストの背景には、「存在価値を持つな」と怒る祖母Aとの関係(メタ・メタコンテクスト)があったわけです。

こうして、
祖母Aの存在不安からの怒りを起点に、
母Bは「ダメ人間で人から責められて泣く」脚本人生を歩き、
子Cは「友人を作らず独りでいる」脚本人生を歩いています。



この連鎖から離脱して母親が自由になり、かつ子に影響を及ぼさないためには、まずこの構造に気づくこと。ダブルバインドを指摘するだけではなく、なぜそういう行為をしてしまったのか、自分を縛るメタ・メタコンテクスト(いわゆる人生脚本)に気づくことです。

そして、祖母Aの脚本がわかれば、自分がいくら存在価値をなくそうと務めても、それは祖母Aに無関係であることがわかり、だから安心して自分の存在価値を自分で認める方向に向くでしょう。

すると、作られた擬装キャラも演じる必要がなくなり素の自分が出てきます。脚本劇場を演じるために必要なキャストを探す必要もなくなり、出逢う人が変わってきます。

何より、子ども(外在化したインナーチャイルド)が自由にノビノビしてくるでしょう。
外在化したインナーチャイルドであるわが子がノビノビすること―それがつまり、自分が解放された証拠なのです。




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Comment

 

すぐに泣く…、というのは心のコップがいっぱいだということの他に、こういうメカニズムもあったのですね。

 

夜におなかがすいて冷蔵庫に入っていた夕食の残りを食べたのですが、翌日母が父のお弁当を作る日だったことを思い出し、お弁当分を残しておきました
ところが、次の日父は休みでお弁当の必要はなく、残しておく必要は実はなかったことが判明
そこで母に残しておいたんだよ~と話したところ、その行動は意味がなかったね!という感じのことを言われました
なんかもやっとしたので、考えた結果「私は朝が忙しい母をいたわったのでその気持ちを受け取ってほしい」といったら母がはたっと気がつき感謝されました
母がお弁当を作るとき(作りたくないため)イライラしてるのを不安がった私が納めようとしただけかもしれませんが、(お弁当作りは母の茶番劇だと思う)この記事を読んでふと思いだして書きたくなったので書きました。

 

読みながら背筋が凍ってしまいました。
小中高と委員会やら部活やら一生懸命やりましたが
まとめ役は苦手なのに、買って出たり
本当は別のことがしたいのに、無理に部活に入ったり。
周りから浮いたり、嫌がらせにあっても気持ちに蓋をして…
ただ親に認めて欲しかっただけに
ここまで背負い込んで嫌われて…

辛かったです
もう好きなことだけしていたい。
あの時の自分が可哀想でならないです
夢だってあったのに。

 

私も見事に演じきっていることに気付き、笑ってしまいました。
気付いたからといって、すぐに抜けきれるわけではないけれど、自分の周りにいる人は以前と違うので、自分が行動するたびに、気付きは深まる気はしています。



 
    
 
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