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6-5)殴られ続けることが母親への絶望を回避すること(個々人が従う“常識”の正体)

2015/01/16(Fri) Category : 渋谷夫バラバラ殺人事件
【「渋谷夫バラバラ殺人事件」の考察】
【6.人生脚本を突っ走り始めた歌織(2003.05~2003.08)】


5)殴られ続けることが母親への絶望を回避すること(個々人が従う“常識”の正体)

「わからない」と「恥ずかしい」が真実を封印することがわかりましたが、そこを追究すれば真実にたどり着く入り口となる場面で、やはり歌織は「分からない」を連発しています。

検察側「(2005年)6月24日にはシェルターの係員に対し、最初の暴力は結婚翌日だと言っているが、覚えている?」
歌織 「覚えていない」
検察側「その3日後のシェルターでの心理面接には、(最初の暴力が)平成15(2003)年9月と書かれているが?」 
歌織 「そこのところは覚えている」 
検察側「どうして9月だと話したの?」 
歌織 「本当に殴る、蹴る、首を絞めるという暴行と言うようなひどいものを受けたのは、そのときが初めてだったから」 
検察側「弁護側の被告人質問では(15年4月の)最初の暴力で、いきなり顔を殴ってきたと言っているが?」 
歌織 「そうです」 
検察側「顔を殴るというのは大したことではないの?」 
歌織 「(15年9月の)引っ越しの翌日の暴行に比べたらということ。翌日の(暴行は)あまりに酷かった」 
検察側「なぜ、シェルターでは(最初の暴行について)話をしなかったのか?」 
歌織 「分からない」
検察側「あなた、話す相手によって都合のいい話をしていない?」
歌織 「分からない」

この尋問で、歌織にとっては『顔を殴るというのは大したことではない』と思っていることが、浮き彫りにされていますね。

どの子どもも、自分と親との関係を基盤に、“自分なりの常識”を築いていきます。カウンセリングでも「これくらいのこと当たり前だと思っていた」「普通のことだと思っていた」ということをよく聞きますが、それらがことごとく異常なことや非常識なことなのです。

あの残酷な幼児体験をした歌織にとっては、顔を殴られるくらいのことは大したことではありませんでした。逆に、それを酷いことだと認識してしまうと、父への怒りに気づいてしまいます。そして、前項で見ましたように、その怒りは最終的には、父から自分を守ってくれなかった母への怒りを引き出してしまいます。

それだけは絶対に避けなければなりませんから、顔を殴るということを大したことにはしないのです。むしろ、それくらいのことは他の人間もやるという状況にして、だから父親もやったのだ、とカバーしなければなりません。暴力を振るった父自身を正当化することによって、実はその奥にいる母親に触れないようにしているのです。

「母親と暮らしたい」という夢がある限り、母親の本当の姿を知ってはならない―母親はアンタッチャブル(触れてはならないもの)であり、タブーであり、だからこそ神になっていくのです。そのため次のようなことも起こります。



木村鑑定人「(被告が)シェルターから出て以降、暴力の形態が変わった。直接殴るよりも、両手を挙げてわざとぶつかって、被告がどこかにぶつかったりという形態になった。そこで祐輔さんは『そういう暴力は未必の故意なので暴力ではない』という主張をして、被告は未必の故意の意味が分からず、(祐輔さんが)自分のことを困惑させていると思っていた。鑑定の終わりのほうまで、未必の故意が暴力ではないということを(被告は)信じていた」

両手を挙げてわざとぶつかってくるようなことは『暴力ではない』―歌織にとってはそのくらいのことを暴力といわれては困るのです。それを暴力と認識すると、当然父親がやったことは虐待ともいうべき酷い暴力であることがわかります。怒っていいんだと分かることで怒りが爆発しますが、その怒りは母への怒りを誘爆します。ですから、決して父に怒ってはいけません。そのためには、父親がやった以上のこと―つまり、殴るけるをしてくれなければ「暴力」と認めてはなりません。それが、「歌織が棲む常識の世界」です。

鑑定人が説明しても、『未必の故意が暴力ではないということを(被告は)信じていた』―説明されても耳を貸さない―貸すはずもなく、“わかる”はずもありませんでした。この「信念」こそが、「母親を守るための信念」であり、「絶望することから自分を守るための信念」なのです。(どの方も、形は異なれどこの一点においては共通しており、皆様このために虚構人生を歩き、苦しみ、人を巻き込んでいます)


このように「個々人の常識」は、「触れないことによって母親を守る」ための城柵のようなものとお考えください。
母親が本丸とすれば、
二の丸が父親の暴力、
三の丸が第三者の暴力と来て、
さらにその外側にある城を取り巻く堀―それが、個々人が懸命に従おうとしている“常識”の正体です。

歌織は、『未必の故意』どころか、ビンタまでは暴力ではないという「常識」(掘)の世界を創り上げました。それによって、本丸(母親)と二の丸(父親)は無条件に守られます。第三者の暴力であっても、それがビンタや『未必の故意』であれば「掘りの中」なので守られます。歌織にとっては、殴る蹴るをされたときに初めて、「堀の外」(常識の外)として認識され、怒りの対象となるわけです。

その“常識”にたった上で、さらに「自律せずに金を浪費し、男性に束縛され暴力で支配されて我慢しつつ、都心にマンションを得る」という脚本人生(虚構)を維持するためには、歌織の考える暴力(つまり、凄まじい暴力)で殴られ続けなければならないのです。

結局それは、父を守るためでも、母を守るためでもなく、自分が母親に絶望しないためなのです。




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