プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
09 ≪│2017/10│≫ 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

7-2)見せ場の証拠作り(2003.秋)

2015/01/21(Wed) Category : 渋谷夫バラバラ殺人事件
【「渋谷夫バラバラ殺人事件」の考察】
【7.脚本人生劇場(2003.秋~2004.05)】


2)見せ場の証拠作り(2003.秋)

一方で、歌織は、実の母親に見せるための「束縛と暴力」の目に見える証拠もほしがります。一つは、これだけ酷い目に遭ったよという「脚本ちゃん」の“成果報告”をしなければなりません。自分はサンドバッグになることが「母の役に立つ」ことになるわけですから、その役に立っている証拠を見せたいのです。

もう一つは、一体どこまで我慢すれば母は私のことを心配してくれるのだろう、ということを確認したい無意識(謎解きちゃん)もあったでしょう。子どもは、あきらめながらもあきらめていません。母親に対してかすかな期待を抱き続けているのです。


相談の中にも、大けがをしたり、大事故を起こしたり、障害を負ったりするアクシデントを幼少期から起こしている事例がまま見られます。確かに偶発といえば偶発なのですが、身を挺して母親の愛を確認しているなぁと思えます。

というのも、それを数年おきにバージョンアップしながら繰り返していくわけですが、前の次元のレベルでは母親が見向きもしないことが分かっていますから、3度目か4度目くらいになると、それこそ命をかけた事件や事故になっていくのです。

その3度目くらいでかろうじて捕まえた母親の「言葉」に安堵して、腰が抜けたようにへたり込んだ方がいらっしゃいました。その時その方は、なぜ自分がそこまで全身から力が抜けてしまったのかを理解できませんでした。それは、本人は無意識ですが、もう謎解きのためのトライをしなくていいんだ、と、命をかけた謎解きから解放されたことの安堵だったと思います。





歌織もまた、自分が暴力を受けた証拠写真を母親に見せて、母親がどういう顔をするのか、どう声をかけてくれるのか、その反応を見たかったのかもしれません。

弁護側「ここに写っているのは誰で、誰が撮ったもの?」
歌織 「私自身」
弁護側「どういう状況を撮ったの?」
歌織 「彼から暴力を受けて残った傷を写した」
弁護側「撮った場所と時間は?」
歌織 「武蔵小山のマンションだから平成15年で間違いない」
弁護側「何月?」
歌織 「9月以降」
弁護側「(別の写真を見せて)次にこの写真は、誰が誰を写したもの?」
歌織 「私で、これも彼から暴力を受けたときに自分の身体を写した」
弁護側「どんな状況?」
歌織 「私が彼から逃げられないように、手足を縛られた跡」
弁護側「(別の写真を見せて)これは誰が写したの?」
歌織 「私が撮ったもの」
弁護側「何を写したの?」
歌織 「彼が私を縛った物を」
弁護側「それがこのベルトなどだね?」
歌織 「はい。自分でほどいて、自分の身体から外れたもの」
弁護側「いつごろ撮ったの?」
歌織 「(写真を指して)ここに平成16年春に食事に行ったときの写真があるので、そのころだと思う」
弁護側「あなたは祐輔さんから暴行されるたびに写真を撮っていたの? 隠れて撮れたの?」
歌織 「はい。でも暴力を受けて必ず跡が残るわけではないし、撮った写真も彼に見つかって捨てられたときもある」
弁護側「ほかに写真は撮っている?」
歌織 「いっぱいある。彼は私が離婚に備えて撮っていることは知っていたので。見つかると、カメラを壊されたり水につけてだめにされたりしたのがいっぱいある」


違和感を感じることが2つほどあります。
一つは、自分の体を客体化して語っていること。その形容の仕方がとても物質的で、まるで他人のことかモノについて語っている印象を受けます。
もう一つは、『食事に行ったときの写真』と同じレベルで、ごく当たり前の日常の一部のような印象で語っていること。

つまり、内容の激しさに比して、語り口が淡々としすぎているのです。歌織は証人喚問の時もいろいろな表情を見せていますので、淡々とした人であるわけではありません。むしろ、こういう場合は怒りや憎しみを込めて語るはずです。けれどここでは、されたことに対することさらの感情が見えてきません。

それは一体どういうことなのか。祐輔を束縛強化に仕向けていったのは歌織ですから、これらのことが歌織のシナリオ通りのことだったからなのか。

一方で、この淡々とした語り口調の一方で、強く強調している点があります。『自分でほどいて、自分の身体から外れたもの』と『自分で』を2回も強調しているのです。祐輔に縛られたとすれば、このような言い方をするでしょうか。

人が強調するときは、そこに無意識の意図が働いています。もしかすると、自作自演だったことへの良心の呵責がどこかにあって、このような言い方で自分でやったことを暗にほのめかしたのではないかと私は感じています。



関連記事
 
Comment0  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真/動画集はこちら↓
 
アルバム(flickr)
アルバム(フォト蔵)
YouTube

・写真はアルバムページに飛ぶようにしてあります。
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード