7-4)暴力をバージョンアップさせる理由(2004.02)
2015/01/23(Fri) Category : 渋谷夫バラバラ殺人事件
【「渋谷夫バラバラ殺人事件」の考察】
>【7.脚本人生劇場(2003.秋~2004.05)】
4)暴力をバージョンアップさせる理由(2004.02)
祐輔を完全に取り込み、束縛と暴力は日常化し、その脚本劇場を見る観客もそろえ、証拠写真もそろえました。すると次に行うのは、「実績」をボス(母親)に直接見せることです。翌年の2月に暴力をふるわれた際に、歌織は実家に帰りました。
検察側「平成16年2月に被告が犬を連れて実家に帰ってきた。そのとき、今後の祐輔さんとの関係について証人はどう話した?」
父親 「ただ、別れてほしいと」
検察側「具体的な今後の生活については?」
父親 「そこまで考えなかった」
検察側「被告の先行きは考えなかったのか?」
父親 「はい。けがをみて、まずは休ませたいと。その後のことは考えていない」
検察側「その間、証人は被告の携帯電話を使えなくしたことがあったでしょう?」
父親 「もう、(娘と)話をしたくないと…」
検察側「電源を壊したのはあなたか?」
父親 「はい」
父親の証言があって母親の証言はないのが残念ですが、父親は正直な思いを吐露しているように思います。一方で、もうこれ以上話をしたくないとばかりに歌織の携帯電話を壊しています。この一見すると矛盾した行動はどういうことなのでしょうか。
先に見ましたようにこの父親は、自分の母親に対する無意識の激しい怒りの衝動があるようです。娘を思うこととこの衝動は別物です。父親がこの衝動の激しさに気づいたときに、自分と向き合うカウンセリングに向かえばよかったのでしょうが、怒りのきっかけとなる娘を遠ざける方向に進みました。それもある意味、娘を傷つけないための精一杯の方法だったのでしょう。
既に「父親役割」をする限界を超えていた父親にとって、携帯電話を壊す=娘とのコミュニケーションを取らないという意思表示であり、それによって娘に直接向かおうとする代償行為を止めようとしたのかもしれません。
ところで、歌織が帰省した目的は「男性に束縛され暴力で支配されて我慢しつつ、都心にマンションを得る」という脚本の“実績”を母親の目に見せるためと、もう一つは母親の反応を見るためだったでしょう。
相談者の事例にもよくあることですが、自分がどこまで酷い目に遭ったらこの母親は心配してくれるのか?ということを探るために、どんどん酷い目に遭ったり、大きな事故になっていったりする例があります。
その場合、我慢に我慢を重ねてかなり酷い目に遭って実家に戻ったりするわけですが、母親の反応を見て、「このくらいじゃまだダメなんだ」とまた舞い戻るわけです。そして、それ以上の酷い目にあって、母親の反応を見るということを繰り返します。
こうして酷さがバージョンアップしたり、スケールアップしたりしていくわけですが、そのアップの仕方は、前と同じカテゴリーのリスクレベルでは通用しないと思っているので、3、4回目くらいには命をかけるか、家族や人生を失うくらいの出来事になって行くことは先に書いたとおりです。
歌織は「母の手先」である父親の言うことは最初から重視していません。裏の支配者は母親であり、その母親の意向がすべてです。おそらく母親から、「まだまだ」というメッセージを歌織は受け取ったのでしょう。
もちろん、母親が意図的にそういうメッセージを出しているわけではありません。飢えている母親は「満ちる(足るを知る)」ことがないので、その存在自体が「まだまだ」「もっとくれ」というメッセージを発し続けているのです。こちらの努力や頑張りが足りないとかそういうことではなく、母親という存在の在り方がそういう在り方なんだということに歌織が気づくことが出来ていれば、と思いますが・・・。
結局、歌織もまた、より酷い暴力を受けるべく舞い戻ることになりました。
>【7.脚本人生劇場(2003.秋~2004.05)】
4)暴力をバージョンアップさせる理由(2004.02)
祐輔を完全に取り込み、束縛と暴力は日常化し、その脚本劇場を見る観客もそろえ、証拠写真もそろえました。すると次に行うのは、「実績」をボス(母親)に直接見せることです。翌年の2月に暴力をふるわれた際に、歌織は実家に帰りました。
検察側「平成16年2月に被告が犬を連れて実家に帰ってきた。そのとき、今後の祐輔さんとの関係について証人はどう話した?」
父親 「ただ、別れてほしいと」
検察側「具体的な今後の生活については?」
父親 「そこまで考えなかった」
検察側「被告の先行きは考えなかったのか?」
父親 「はい。けがをみて、まずは休ませたいと。その後のことは考えていない」
検察側「その間、証人は被告の携帯電話を使えなくしたことがあったでしょう?」
父親 「もう、(娘と)話をしたくないと…」
検察側「電源を壊したのはあなたか?」
父親 「はい」
父親の証言があって母親の証言はないのが残念ですが、父親は正直な思いを吐露しているように思います。一方で、もうこれ以上話をしたくないとばかりに歌織の携帯電話を壊しています。この一見すると矛盾した行動はどういうことなのでしょうか。
先に見ましたようにこの父親は、自分の母親に対する無意識の激しい怒りの衝動があるようです。娘を思うこととこの衝動は別物です。父親がこの衝動の激しさに気づいたときに、自分と向き合うカウンセリングに向かえばよかったのでしょうが、怒りのきっかけとなる娘を遠ざける方向に進みました。それもある意味、娘を傷つけないための精一杯の方法だったのでしょう。
既に「父親役割」をする限界を超えていた父親にとって、携帯電話を壊す=娘とのコミュニケーションを取らないという意思表示であり、それによって娘に直接向かおうとする代償行為を止めようとしたのかもしれません。
ところで、歌織が帰省した目的は「男性に束縛され暴力で支配されて我慢しつつ、都心にマンションを得る」という脚本の“実績”を母親の目に見せるためと、もう一つは母親の反応を見るためだったでしょう。
相談者の事例にもよくあることですが、自分がどこまで酷い目に遭ったらこの母親は心配してくれるのか?ということを探るために、どんどん酷い目に遭ったり、大きな事故になっていったりする例があります。
その場合、我慢に我慢を重ねてかなり酷い目に遭って実家に戻ったりするわけですが、母親の反応を見て、「このくらいじゃまだダメなんだ」とまた舞い戻るわけです。そして、それ以上の酷い目にあって、母親の反応を見るということを繰り返します。
こうして酷さがバージョンアップしたり、スケールアップしたりしていくわけですが、そのアップの仕方は、前と同じカテゴリーのリスクレベルでは通用しないと思っているので、3、4回目くらいには命をかけるか、家族や人生を失うくらいの出来事になって行くことは先に書いたとおりです。
歌織は「母の手先」である父親の言うことは最初から重視していません。裏の支配者は母親であり、その母親の意向がすべてです。おそらく母親から、「まだまだ」というメッセージを歌織は受け取ったのでしょう。
もちろん、母親が意図的にそういうメッセージを出しているわけではありません。飢えている母親は「満ちる(足るを知る)」ことがないので、その存在自体が「まだまだ」「もっとくれ」というメッセージを発し続けているのです。こちらの努力や頑張りが足りないとかそういうことではなく、母親という存在の在り方がそういう在り方なんだということに歌織が気づくことが出来ていれば、と思いますが・・・。
結局、歌織もまた、より酷い暴力を受けるべく舞い戻ることになりました。