11-8)それでも却下された底なしの絶望(2005.09.30)
2015/02/28(Sat) Category : 渋谷夫バラバラ殺人事件
【「渋谷夫バラバラ殺人事件」の考察】
>【11.脚本人生劇場第二幕(2005.06~2005.秋)】
8)それでも却下された底なしの絶望(2005.09.30)
「自律せずに金を浪費し、男性に束縛され暴力で支配されて我慢しつつ、都心にマンションを得る」という脚本のすべてが、第一幕を上回る形で揃いました。
・『月々30万円を一生涯にわたって払い続ける』という公正証書。これは、「自律せずに金を浪費」することと、「ハラッサー男性に一生に渡って支配され」るということを証明するものです。(歌織の虚構世界の中では)
・渋谷での狂言は『男性に束縛され暴力で支配され』ている姿が第一幕よりもバージョンアップしたものです。
・そしてついに、「渋谷にマンションを得る」ことができました。
これで文句はないだろう。「耳はそろえた。さぁ、取引だ」というところでしょうか。ここでようやく、歌織は母親に連絡しています。
検察側「(歌織被告が)シェルターに入ったのを知ったのはいつか」
母親 「平成17年9月29日」
検察側「どうやって知ったのか」
母親 「本人から電話が入った」
検察側「それで、どうしたのか」
母親 「翌日、主人と主人の姉と上京した」
検察側「被告とはいつ会ったのか」
母親 「翌日ごろと記憶している」
検察側「被告はどういう話をしたのか」
母親 「離婚したいという気持ちを言っていた」
検察側「すぐ離婚とはならなかったが」
母親 「そのときは結局(祐輔さんのところに)戻ってしまった」
検察側「被告が祐輔さんのところに戻るのは心配ではなかったのか」
母親 「心配だった」
検察側「なぜ、新潟の実家に戻さなかったのか」
母親 「シェルターに保護されたときに、最初、目黒署で事情を聞かれたが、そのとき刑事さんに『お母さん、DV(配偶者間暴力)って知っているか』と言われた。私も主人もそのときは知らず、(刑事からは)『無理やり連れて帰ってきても、自殺する可能性が高いので十分気をつけなさい』と言われた」
検察側「その結論が祐輔さんのところに戻るということなのか」
母親 「それは決してない。離婚を求める話し合いをつけるため、戻って行った」
この母親の態度に、歌織が深く深く絶望したことは想像に難くありません。
歌織は、「これでいいでしょ、お母さん。もうこれで限界なの。これで精一杯なの。もう無理。もうこんな苦しい脚本もう降りたいの(=祐輔と離婚したいの)。もういいでしょ。これで認めてよ」と、言いに行ったのです。
けれど母親は、刑事から言われたことを盾にうんと言いませんでした。
またも、
ダメだったのです。
しかも、刑事は『無理やり連れて帰ってきても』と言っているのであって、歌織は自ら「離婚したい」と言っているわけですから、この言い訳は成り立ちません。子どもが聞いても成り立たない理屈で逃げているわけで、とても情けない母親の姿ですが、母親にしてみれば父親がダメなら刑事を盾に使ってでも歌織を拒絶したかったのでしょう。
歌織にとっては、これほどの絶望があるでしょうか。
・・・もう何度絶望してきたことでしょう。
幼少期のトイレ事件に始まって数え切れない絶望があったでしょう。
祐輔との結婚後でも、
・堕胎した後に殴られ母に電話した時(2003.04)、
・性生活を拒んだ後で殴られたりけられたりして母に電話した時(2003.05)、
・暴力をふるわれ犬を連れて実家に帰った時(2004.02)、
・祐輔と共に実家に帰った時(2004.05)、
・その後暴力の度に母に電話した時(2004.05~)、
・離婚を決意して一人で実家に帰った時(2004.05)、
・そしてシェルターに入ったことを告げた時(2005.09)
・・・歌織は既に7回もトライを重ね、7度絶望を深めているのです。
その間に、堕胎したのみならず、
肉体的に過酷な暴力を受け、
鼻を折られ、
人としての尊厳まで傷つけられ・・・
どれほど心身に深手を負ったことでしょう。
(それがすべて事実かどうかは問いません。虚構を生きている人にとってはすべて事実です)
このトライは、どこまで達成したら母親は歌織の脚本人生を認めるのかというトライ(脚本ちゃん)であり、同時にどこまで酷い目に遭ったら母親は自分のことを心配してくれるのかという愛情確認のトライ(謎解きちゃん)でもあります。だから、どんどん事態は酷くなっていき、かつ終わることが出来ません。
そして、ついに都心のマンションを得ることが出来たにもかかわらず、母は認めてくれませんでした。つまり脚本のゴールを達成したにもかかわらず、母は「まだダメ」と言ったのです。
どれほどの絶望が襲ったことでしょうか。
そして、この後歌織はどこへ行くのでしょうか・・・。
弁護側「直接会えたのは17年の10月ごろというが、被告のいとこと一緒に会ったのか」
母親 「はい」
弁護側「当時、いとこにはどんな世話をしてもらっていたのか」
母親 「泊めてもらったり教会に連れて行っってもらっていた」
弁護側「新潟に帰ることについては」
母親 「『帰らない』と」
次に会ったときには、歌織の方から『帰らない』と言ったようです。
既に、母親の意を汲んで“次”に向かって走り始めたのでしょうか。
その場合、さらなるバージョンアップをしなければならないわけです。
一体どういうことになるのでしょうか・・・
これから、わずか1年3ヶ月後に事件は起きるのです。
>【11.脚本人生劇場第二幕(2005.06~2005.秋)】
8)それでも却下された底なしの絶望(2005.09.30)
「自律せずに金を浪費し、男性に束縛され暴力で支配されて我慢しつつ、都心にマンションを得る」という脚本のすべてが、第一幕を上回る形で揃いました。
・『月々30万円を一生涯にわたって払い続ける』という公正証書。これは、「自律せずに金を浪費」することと、「ハラッサー男性に一生に渡って支配され」るということを証明するものです。(歌織の虚構世界の中では)
・渋谷での狂言は『男性に束縛され暴力で支配され』ている姿が第一幕よりもバージョンアップしたものです。
・そしてついに、「渋谷にマンションを得る」ことができました。
これで文句はないだろう。「耳はそろえた。さぁ、取引だ」というところでしょうか。ここでようやく、歌織は母親に連絡しています。
検察側「(歌織被告が)シェルターに入ったのを知ったのはいつか」
母親 「平成17年9月29日」
検察側「どうやって知ったのか」
母親 「本人から電話が入った」
検察側「それで、どうしたのか」
母親 「翌日、主人と主人の姉と上京した」
検察側「被告とはいつ会ったのか」
母親 「翌日ごろと記憶している」
検察側「被告はどういう話をしたのか」
母親 「離婚したいという気持ちを言っていた」
検察側「すぐ離婚とはならなかったが」
母親 「そのときは結局(祐輔さんのところに)戻ってしまった」
検察側「被告が祐輔さんのところに戻るのは心配ではなかったのか」
母親 「心配だった」
検察側「なぜ、新潟の実家に戻さなかったのか」
母親 「シェルターに保護されたときに、最初、目黒署で事情を聞かれたが、そのとき刑事さんに『お母さん、DV(配偶者間暴力)って知っているか』と言われた。私も主人もそのときは知らず、(刑事からは)『無理やり連れて帰ってきても、自殺する可能性が高いので十分気をつけなさい』と言われた」
検察側「その結論が祐輔さんのところに戻るということなのか」
母親 「それは決してない。離婚を求める話し合いをつけるため、戻って行った」
この母親の態度に、歌織が深く深く絶望したことは想像に難くありません。
歌織は、「これでいいでしょ、お母さん。もうこれで限界なの。これで精一杯なの。もう無理。もうこんな苦しい脚本もう降りたいの(=祐輔と離婚したいの)。もういいでしょ。これで認めてよ」と、言いに行ったのです。
けれど母親は、刑事から言われたことを盾にうんと言いませんでした。
またも、
ダメだったのです。
しかも、刑事は『無理やり連れて帰ってきても』と言っているのであって、歌織は自ら「離婚したい」と言っているわけですから、この言い訳は成り立ちません。子どもが聞いても成り立たない理屈で逃げているわけで、とても情けない母親の姿ですが、母親にしてみれば父親がダメなら刑事を盾に使ってでも歌織を拒絶したかったのでしょう。
歌織にとっては、これほどの絶望があるでしょうか。
・・・もう何度絶望してきたことでしょう。
幼少期のトイレ事件に始まって数え切れない絶望があったでしょう。
祐輔との結婚後でも、
・堕胎した後に殴られ母に電話した時(2003.04)、
・性生活を拒んだ後で殴られたりけられたりして母に電話した時(2003.05)、
・暴力をふるわれ犬を連れて実家に帰った時(2004.02)、
・祐輔と共に実家に帰った時(2004.05)、
・その後暴力の度に母に電話した時(2004.05~)、
・離婚を決意して一人で実家に帰った時(2004.05)、
・そしてシェルターに入ったことを告げた時(2005.09)
・・・歌織は既に7回もトライを重ね、7度絶望を深めているのです。
その間に、堕胎したのみならず、
肉体的に過酷な暴力を受け、
鼻を折られ、
人としての尊厳まで傷つけられ・・・
どれほど心身に深手を負ったことでしょう。
(それがすべて事実かどうかは問いません。虚構を生きている人にとってはすべて事実です)
このトライは、どこまで達成したら母親は歌織の脚本人生を認めるのかというトライ(脚本ちゃん)であり、同時にどこまで酷い目に遭ったら母親は自分のことを心配してくれるのかという愛情確認のトライ(謎解きちゃん)でもあります。だから、どんどん事態は酷くなっていき、かつ終わることが出来ません。
そして、ついに都心のマンションを得ることが出来たにもかかわらず、母は認めてくれませんでした。つまり脚本のゴールを達成したにもかかわらず、母は「まだダメ」と言ったのです。
どれほどの絶望が襲ったことでしょうか。
そして、この後歌織はどこへ行くのでしょうか・・・。
弁護側「直接会えたのは17年の10月ごろというが、被告のいとこと一緒に会ったのか」
母親 「はい」
弁護側「当時、いとこにはどんな世話をしてもらっていたのか」
母親 「泊めてもらったり教会に連れて行っってもらっていた」
弁護側「新潟に帰ることについては」
母親 「『帰らない』と」
次に会ったときには、歌織の方から『帰らない』と言ったようです。
既に、母親の意を汲んで“次”に向かって走り始めたのでしょうか。
その場合、さらなるバージョンアップをしなければならないわけです。
一体どういうことになるのでしょうか・・・
これから、わずか1年3ヶ月後に事件は起きるのです。