「家庭内暴力猫」と「虐待犬」
1つは、猫が凶暴化しているというもの。猫がやりたいことをやれなかったり、飼い主に怒られたり、そういうストレスが溜まってある日突然凶暴化するという。飼い主にかみついたりひっかいたり、はては道行く人にまで襲いかかる。
もう一つは、沢山の犬を飼い(?)、腹を空かせて共食いをするなど悲惨な状況に放置しながら、「自分は虐待しているとは思っていない」と強弁する男性の話。動物愛護団体によれば、このようにやたらと動物をhold(持つ)したがる人のことをホルダーと呼んで警戒している。
あぁ、ペットの世界にまで身勝手な人間による被害が及ぶようになったか、との思いが募った。
事件として目に見えるようになったということは、受難ペットが沢山いるということだ。
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まるで人の子どもと同じである。
子どもがやりたいことをやれなかったり、親から怒られたり、そういうストレスが心のコップに溜まり続けてコップの余裕がなくなっていくにつれ、イライラそわそわし始める。そして危険水域を越えると怒りっぽくなり、やがて表面張力ギリギリのところでヒリヒリとした日常を送るようになる。
そこへ落ちてきた小さな一滴―日常の中のほんの些細な出来事で、溜まりに溜まったコップのストレスは一挙にあふれ、キレる。このときは、ため込んできたあらゆる感情が爆発的にあふれ出してくるので自分を止められない。
外から見ると、なんでもないことである日突然凶暴化し、親に暴力をふるったり、通り魔になったりするように見える。
愛されずに愛情飢餓となり、発育不全のまま放置されている子ども、親の愛を奪い合って兄弟が争っているにも関わらず虐待しているとは思っていない親も沢山いる。
「少年A」も親から「心理的ネグレクト」を受け、空洞となった心の中に「酒鬼薔薇」が育っていた。が、親は虐待していたとはついぞ思っていない。
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猫と犬、そして人の子どもの共通点は一つ。
気持ちを聴いてもらえないことである。
これでも、家庭内暴力をふるう子どもが悪くて、虐待していないという親の方を更生させずに放置しておくのだろうか。
猫と犬、そして人の子どもを救う道は一つ。
気持ちを聴き、心を通い合わせることである。
改正動物愛護法が成立した。
人の子供愛護法を作りますか?
そして、愛護対策の第一番に「気持ちを聴く訓練」を入れますか?
ホームページ作成方法
最近はブログを始めるって人が多いけど、普通のホームページも結構手軽に作れちゃいますよ。デザイン面は多少考えないといけない部分もあるけど、好き勝手に作れるのが一番の利点。探せば説明もたくさんあるので、コピペしてれば何気に良いページが出来上がったりするのれす ...