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母親への恐怖の克服~開かれていく心

2015/01/10(Sat) Category : 存在不安
母親が亡くなったときに、その亡骸に向かって「愛してるよ」と言い続けていた方がいました。その記憶は、その方にとって、母親は自分を愛してくれなかったが、自分はこんなにも母を愛していたのに・・・ということを証明するかのような記憶でした。

けれど、エンプティチェアをして真実が見えました。
気持ちは「心のコップ」の中に重層的に折り重なっています。気持ちを言うことで上澄みの気持ちが出ていくと、その下にある気持ちが順番に出てくるのです。

「愛してる」から始まった、その時の場面。
その気持ちを言い続けているうちに、段々と別の気持ちが出てき始めました。
そして・・・なんと最後は、絶叫になっていました。

最後に出てきたもの―
それは、恐怖の悲鳴だったのです。



長年のカウンセリングで、その方が動けない根底に、母親に対する恐怖があることは本人もわかっていました。
母親への恐怖=人間に対する恐怖であり、
自分が人間になること=母親の道具であることをやめるという裏切りであり、
人と繋がること=母親一神教に背くことになりますから、
二重三重にがんじがらめになって、どんなに能力や実力があっても社会に出ることが出来ませんでした。

加えて、それがどんな母親であっても母親が大好きという子供の思い、母親を救いたい、変えたいというエゴ、母親に認められたいという欲求・・・そういう思いも相まって、命をかけて「脳内母親」と向き合っていたわけです。外に向かうエネルギーが残るはずもありませんでした。

しかし、長年のカウンセリングを通じて背骨が形成されていき、出来た背骨の分だけ気持ちを受け止めていき、さらに背骨が形成され・・・やがて自分がインナーチャイルドの気持ちを受け止めていくことで、自らが「母」になっていきました。

そして、ついに、その方の人生の根底にあった感情が出てきたわけです。それは、恐怖を抱え怯えた小さいちゃん。その方の人生は、「恐怖」という土台の上に築かれていました。

その恐怖の姿が最も象徴的だったのが、母親の亡骸に向かって「愛してるよ」と言い続けていた姿だったのです。

こんなにも怖かったのか・・・と。
祟りを怖れる人間の心性を見た思いがしました。




王権争いで血塗られた古代日本。
人々は祟りを怖れて、謀殺した人々を神として祀り上げていきました。いったん祀り上げた後は「触らぬ神に祟りなし」とばかりに、絶対禁忌として近寄りません。まるで、脳内親に対する扱いそのものですね~。

その恐怖の根っこにあるのは「目」です。
「目は口ほどにものを言い」と言いますが、目に込められた“念”が、相手を射すくめ支配してしまいます。その目の存在に気づきたくないほど怖いのでその目は記憶の奥に封印されます。なので表層意識には登りませんが、無意識には完全に支配されているわけです。祀り上げながら支配される構造もよく似ています。

目に込められた“念”とは、嫉妬、憎しみ、悔しさ、怒り、殺意―それらが入り交じったもの。本来それは、その人の親に向けられるべきものです。が、それを目の前の対象―特に配偶者や子供に向けてしまうのです。

その時、睨まれた相手は、まるで蛇に睨まれた蛙のように射すくめられて身動きができなくなってしまいます。もし相手がそのような状態になったとしたら、あなたは相手の脳に自分のくさびを打ち込んだことになります。それは、あなたが死んでも相手を支配します。だから、どこかでそれを解除する必要があります。それは、その時の気持ちを正直にいい、相手を自分の代理親にしていたことを謝ることです。

逆に、身動き取れない方は、自分の努力が足りないせいでも、自分が怠け者だからでも、なにかが足りないからでもなく、脳内母親が怖いこと、だからこそ全力で脳内母親と向き合っていてエネルギーがそれで浪費されていることにお気づきください。そして、その脳内母親は自分が創り上げた虚像であることも。




また、このように恐怖でがんじがらめになった人は、その苦しさからあがきます。同時に、これ以上の恐怖に合わないために、常に人より上に立とうとします。その立ち方は、
徹底的に相手を打ち負かす理屈でもいいし、
相手よりも異常に振る舞ったり激情を示したりでもいいし、
相手を怖れさせる威圧感ややくざのごとき言動を身につけることでもいいし、
百獣に負けないように身体を鍛え上げたり、
格闘術や武器を身につけることでもいいのです。

思考、感情、行動、身体、武器、スキル、カネ・・・自分の得意分野、および脚本に合致したやり方で「強さ」を身にまとおうとします。つまり、ハラッサーの道を邁進することになります。それらを複数身につけた母親が全力で幼い子供を睨んだとき、その子に恐怖が植え付けられることは、分かりすぎるくらいに分かると思います。



国も同じ。親(イギリス)の虐待から逃げた人々が先住民族を虐殺して開いた米国は、存在不安と恐怖が根底にある国ですから銃を手放さないのも頷けます。恐怖が根底にあるので、上記のハラスメントスキルを懸命に身につけようとしますし、ドル札に仕込まれた「プロビデンスの目」の“暗示”が効くわけです(あぁそうなんだと分かれば、暗示の効果は消えます)。常にIPに睨まれているような生活なわけですね。

そして、内なる恐怖が常に自分を追いかけてきますから、常に自分が強いことを確認し続けなければ不安で仕方がありません。そのために、回りに紛争を仕掛け続けます。また、そうやって回りとドンパチやっているときに、自分の存在を自己確認できるのでしょう。


喧嘩の絶えない夫婦にも、次のような場合があります。

・まず、母親と似た要素を持つ相手を配偶者に選びます(それが夫であっても代理母親です)。
・その相手に我慢することで、脳内母親に自分が受け皿である姿を見せます
・相手に助けを求めず自分がすべて背負うことも、脳内母親に認めてもらうためであり、同時に「母親以外とはつながらない」「現家族とはつながらない」という姿を見せるためです。
・また、自分を怒ったり怒鳴ったりした母親を庇うためには、そうするのは母親だけではなく第三者もそうだよと言うことを見せなければなりませんから、怒りを抱えた相手と結婚するか、相手から怒りを引き出そうと仕掛けます。
・それらの我慢の蓄積が十分に終わったとき(相手に文句を言えるネタが揃ったとき)、怒りを吐き出すためのゲームが始まります。その時に相手に言っている文句は、親に言いたいことそのまんまです(代償行為)。
・相手がそのゲームに気づいて降りようとしても降ろしません。最終的には言っている中身ではなく、「言い方に傷ついた」という問題にしてしまえば、相手がどういう言い方をしようとも、いくらでも相手を攻撃できます。
・相手を攻撃するのは、代償行為で怒りを吐き出す側面もありますが、もう一つは相手との間に常に緊張状態を維持するためです。親が自分に優しくしてくれなかったので、その親を庇い続けるためには、第三者に優しくされては絶対にダメなのです。
・しかも、自分は優しさを望んでいるのに相手が優しくないという状況でなければ、「我慢」という虚構が成立しませんので、そこにリアリティを持たせるために、相手が自分にやさしく出来ないように巧妙に仕向け続けていきます。



上記には、脚本人生、謎解き人生、怒りの吐き出しゲーム人生―いろいろと混在していますが、これら「虚構人生」のすべてが「恐怖と不安」という土台の上に構築されています。

まぁ、個々人レベルでも国家レベルでも、やっていることは同じですね。そして、それが本当の人生でないことはお読みになって分かると思います。これらの事を延々と続けていても空しいだけですね。せっかく肉体を持って生まれてきたのに、現実を生きないで虚構を生きるのはもったいないことです。



虚構から抜け出すためには、自分が虚構にしがみついている理由―その土台に不安と恐怖があることを認識すること。そして、その不安と恐怖を実感することで、それらの感情は解放され、自分の背骨になっていきます。

このプロセスは、小さいちゃんの気持ちを今の自分が受け止めるプロセス。この過程で、自分が自分(IC)の親となり、「子の親」となることが出来ます。また、自分(IC)が自分を信頼するため、「自信」ができてきます。

すると、それ以降は、怖いものを「怖い」と平気で言えるようになるのです。
これまで言えなかったのは、「怖いと言うこと」が「怖い気持ち」に出てきていいよという“許可”になるので、恐怖を見たくないために言うことさえ出来なかったからです。

怖いものを「怖い」と言えるようになれば、もう怖いものはありません。



多くの方が、母親一神教の修道女として心は引きこもって暮らしておられますが、その度合いが強い方は、表面的にはそう見えなくとも、また本人が全く無自覚でも、その根底には「お母さんを裏切ると怖い」という思いがあります。

一神教の背景にあるのは、この神への恐怖だと思います(外在神ヤハウェも嫉妬する神ですね)。その怖い神に罰を受けるくらいなら、残虐なこともするのです。

恐怖を与え、罰する神は、「守りに入っている神」です。
おそらく、奪われたトラウマを持った神なのでしょう。



日本も一神教なのですが、多神教の形を取っているのは万物に神が内在することを知っているからです。神を外在化させるのではなく、神を内在化させる―そこが神道のすごいところです。

この方も、恐怖を乗り越え、ついにインナーチャイルドとしっかりつながりましたので、そこからハイアーセルフ→内在神へと繋がるゲートが開くのでしょう。それは、あるがままの自分にもどって行くことであり、そして、外に向かって開いて行くことになるでしょう。





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子棄て子殺しを命じても従ったアブラハムの信仰を義として、現世での富と死後の安楽と子孫の繁栄と救済を約束した嫉む神を信じる宗教が、アブラハムの宗教。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を併せてアブラハムの宗教と呼びます。
信心深く裕福な砂漠の遊牧民の族長でしたが子に恵まれず、妻は自分の女奴隷に夫の子を産むように命じ、女奴隷は男の子を一人産みます。その後、妻も男の子を一人産み、女奴隷とその子を追い出すように夫に要求します。神は妻の要求に従うよう命じ、アブラハムは従います。女奴隷とその子は荒野に追い出され、女奴隷が母子の死を覚悟した時、井戸を発見し、生き延びた母子の男系子孫のアラブ人の宗教がイスラム教。
その後、神は、妻が産んだ息子を生贄に捧げるよう命じ、アブラハムが刃物を息子に振り下ろそうとした時、神が止め、アブラハムの信仰を義と認めます。助かった息子の男系子孫が、神の選民イスラエルで、後のユダヤ人。神はイスラエル人にパレスチナの地を与えると契約し、イスラエル人が守ると契約した律法が、ユダヤ教の戒律。神はパレスチナの征服を命じ、征服支配、やがて王国を作るが、王子と王が戦死し、救国の新王となったのがダビデ、息子ソロモンの代が頂点で、蔑ろにした神の嫉みによって、やがてイスラエルは国を失い、神の選民イスラエルを救うダビデの男系子孫の救世主を待望する。イエス・キリスを救世主と信じ、救いのための律法と救世主であり、ユダヤ教律法の生活規範に従わなくても、救世主を信じる事により、神の救済対象の選民イスラエルとなれると教え、ハルマゲドンとキリストの再臨による理想の千年王国の後の裁きで義とされ、永遠の命を約束されるとするのがキリスト教。

キリストをイスラエルの救世主と認めず、律法戒律に従う生活を守りながら救世主を待っているのがユダヤ教

 

何か読んでいてわかるなぁと感じました。
昨日、自分の気持ちで動けて、凄く嬉しかったけど、今になって、たまらなく不安で怖くて、落ち着かなくなってきたので、記事を読みにきました。
怖い!怖い!と独り言を言うことにします。
あ~本当に怖いよ!!




 
    
 
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