「生まれてきてくれて、ありがとう」
その日、現家族はそれぞれ外出したので、両親と3人で食事に出かけました。そこで父の子どもの頃の話を聴きました。父(83)は今、自伝らしきものを書いていますが、それは主に会社時代のいわゆる武勇伝のようで、これは書くつもりがないという部分を話してくれたわけです。
時代背景―
父の父は20歳の時、日露戦争(1904)に従軍。
父が生まれる前年に満洲事変が勃発し、以降中国と交戦状態に。
父が4歳の時、2.26事件が起こって日本は大日本帝国となり、
父が5歳の時、8年間にわたる日中戦争が始まりました。
父が9歳(小3)の年の12月8日、真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まりました。
・太平洋戦争開戦月(昭和16年12月)の「主婦之友」
父より23歳上の長男は、南洋へ。
父より16歳上の次男は、大陸(中国)で通信兵。
父より11歳上の三男は、予科練の特攻隊の教官。
11人兄弟の内、戦争に関わった兄弟は上記3名―それぞれ陸海空に別れたわけです。
長男はフィリピン沖で船が沈没。山の民故泳げず、溺れそうになった波間に娘の顔が浮かんでその後救われ、捕虜となり、終戦となって帰国後実家の田畑を担いますが、胃がんになって亡くなります。老衰で寝たきりになった父親と枕を並べ、長男としての気力で父親の死を看取ったすぐ後に亡くなったそうです。
次男からは時折帰国したときに、大陸で日本人が何をやったかを父も聞かされています。三男が大陸に渡り将校と2人で歩いているときに、ある分かれ道でこちらに行こうと三男が主張。途中で何かに躓いて転び、なんとそれが戦死していた次男でした。
・父の話(1)-「戦争の世紀」の親と兄弟
長男は娘(生霊)の導きがあり、三男は次男(死霊)の導きがありました。
水木しげるが南洋の断崖絶壁にしがみついていたとき、はるか東京の両親の声がしげるの耳に届き、しげるを支えたエピソードもありますが、思い(念)というのは時空を越えて伝わるものだと思います。
ところで、それがどういう時代だったのか。
『「ニッポンの嘘」を撮り続けた阿修羅―福島菊次郎』さんは、三男と同い年。彼は小学生のとき、中国人50人は殺さないと、と思っていたそうです。小学生が人を殺すことを当たり前に考える―そういう時代でした。父は、命を命とも思わない環境の中に生まれてきたわけです。まさに「弾」として―
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そういう時代の山中の村―
かわいい女の子が居て、幼児には遠い道を遊びに来ていたそうです。
時は移り、その子は大陸から帰国した兄に嬉しくて飛びつきました。けれど兄は結核にかかっており、それが妹にもうつってしまいました。当時結核は死の病。妹は、父と話をしたくて追ってきます。父は怖くて足早に先を急ぎます。そして、かけっこのようになり・・・
やがて、この兄妹は、それぞれ山中に掘っ立て小屋を建てて、そこに一人づつ置かれました。兄は山のこちら、妹は昼間は遠い畑に通う人がいても、夜は獣しかいない山向こうの谷間(たにあい)です。毎日、おにぎりを持ってくる親以外は、誰も近寄りません。
風のざわめきや獣の声しか聞こえない山中の暗闇の夜を、たった一人、救われようのない絶望の中で、一体どう過ごしたのか・・・私の中に悲しみが押し寄せてきました。
やがて、二人は亡くなり、それぞれ小屋ごと燃やされました。
他にも、そこに関わっている人々は感じていない日常ですが、父と親との関係の中で、私が悲しいと感じるエピソードもありました。それは戦争とは直接関係ありませんが、気持ちを生かしては生きられなかった時代。まさしく命が道具であることを感じる話で、父に痛ましさを感じました。
自分を大事にしない姿を脳内親に見せ続けて生きている両親・・・その姿を見るのは、子どもとして悲しいですが、そして、その目に私自身が映っていないことも寂しいですが、これまでも感じてきたように、これで精一杯なのだと思いました。
どんな理由であれ、戦争(人殺し)は絶対にやってはいけない。
悲しみの連鎖を断ちきらなければなりません。
・水木しげる、ジョー・オダネル、吉田堅治-3人の人生から感じたこと
・20代の心の病~戦争後遺症という視点
そういう話を聴いて帰ってPCをあけると、ある方からメールが届いていました。それは、その方が見た夢の話でした。それを読んだときに、首にナイフを当てられる瞬間までカメラを真っ直ぐに見すえていたという後藤健二さんの姿が脳裏に浮かびました。
なすすべのない中で、カメラを通して何らかの思いを彼は伝えたかったはずです。その方が夢で聞いた言葉は後藤健二さんの言葉だと感じました。彼は、その方を通じて、彼を心配してくれた日本人全員に彼の思いを伝えたかったのだろうと感じました。
では、その夢の話をその方が私に伝えてきた―その意味は何か。
今度は、その方と先ほどの父がダブりました。
父に語らせたのは、結核で亡くなった幼馴染みでしょう。
その方に夢を見させたのは、後藤健二さんでしょう。
幼馴染みは、戦争のむごさ理不尽さを訴え、
後藤健二さんも、戦争の理不尽さ、無意味さを伝えるために命をかけていました。
そのお二人が、同じ日に私にメッセージを伝えてきた。私は、2.26事件のクーデター側の兵士だった方の話を聴いた時のことを思い出しました。私が入院しなければ出会うことのなかった老人。しかも、入院中のたった1日の奇跡。この時聞いた話も、やはり伝えるべきと感じ、8年後にブログ記事にしました。
・2.26事件生き証人の語った戦争
掲載許可をいただいたメールで、私のチャイルドが揺れた意味が分かりました。上記でいろいろと勝手な意味づけや関連づけをしていますが、そうではなく、チャイルドが書きたい理由が分かったのです。記事にすることにしました。
【夢:後藤健二さんからののメッセージ】----------------------------------------
昨夜、夢の中にある人が出てきました。(知らない人です)
その人がスピーチをする番になり
初めはにこやかに冗談などを言っていたのですが
急に真剣な顔になり、深刻な顔になり、こう言いました。
「ここにいるすべての人、ありがとう。
出会った全ての人、ありがとう。
生まれてきてくれて、ありがとう」
何故か、その人は、私の顔をまっすぐ見ながら。
そして、私は何故か、泣きながら目が覚めました。
とても胸がいっぱいだった。
そして、何故かイスラム国に拉致されている後藤健二さんのことが浮かんできて
「どうか無事でありますように」
と、心から祈っていました。
それが、夜の12時半頃でした。
今朝起きて、ニュースを見て、ショックを受けました。
後藤さん殺害のニュース
あの夢はなんだったのだろうか。
後藤さんだったのだろうか。
お別れを言われたのだろうか。
あの夢はなんだったのだろうか。
それにしても、なんというタイミングなのだろう。
胸がいっぱいです。
殺害だなんて、そんな!!
信じたくない。哀しい気持ちでいっぱいです。
哀しいです。
無事でいてほしかった!!
哀しくてたまりません。
【夢のメッセージ2】---------------------------------------------------
私は、あの夢で、自分自身がものすごく動揺してしまった。
ものすごい大切なメッセージを受け取ってしまった、という衝撃。
そして、「生まれてきてくれてありがとう」と言われたことへのうれしさ。
でも、私は母からどんなにこの言葉をもらいたかったことか。
それでも、母からではない人からこの言葉をもらったことの、うれしさ、哀しさ。
うれしい。でも、哀しい。
母に言われたかった自分を発見。
それでも、なんという温かい言葉なんだろう、と感動した。
なんという、大きな言葉なんだろう、と思った。
そういうのが混ざっていました。
(略)
「生まれてきてくれて、ありがとう」
そう、この言葉だ。
この言葉に私のチャイルドも揺れたんだ、と気づきました。
本当に、
なんと、大きな言葉だろう。
なんと、温かい言葉だろう。
そして、なんと嬉しい言葉だろう。
大きな大きな愛に包まれたようです。
私のチャイルドが揺れた理由が分かりました。
この言葉を言われたことがない私と、
父のチャイルド、母のチャイルドが、シンクロしたのです。
父にも、母にも、言ってあげたい。
妻にも、娘にも、息子にも、きちんと言いたい。
この地上の人々みんなが欲している言葉。
世界中の人が、このように生まれてきた。
世界中の人が、この言葉をかみしめるといい。
世界中の人が、心から自分にこの言葉を言うといい。
「ありがとう。」
「生まれてきてくれて、ありがとう。」
この言葉がみんなの胸の中にあれば、戦争など起きるはずがないでしょう。
みんな、みんな、「生まれてきてくれて、ありがとう」の子ども達なのです。
あなたも私も、親も子も、他の国の人々も、みんな、
「生まれてきてくれて、ありがとう」の子ども達なのです。
この大きな言霊を、
あの究極の場から、
後藤健二さんは命に代えて贈ってくれたのです。
この言霊を伝えたい。
だから、記事を書こうと思いました。
偶然にも、この記事を書くことになったのが私の誕生日でした。
そして、この記事を掲載するのが「建国記念日」
この日は、大日本帝国憲法が公布された日でもあります。
「国」とは、なんでしょうか。
すべての人の胸に届きますように―
「生まれてきてくれて、ありがとう」
【追記】
「この世に生まれて来てくれてありがとう」の言葉を後藤健二さんがツイートしているというメールをいただき、検索してみましたら、2010年4月12日のツイッターにありました。
『え!?高津さんお誕生日。何も言わなかったから、、、っていう歳でもないか。でも「この世に生まれて来てくれてありがとう」です、やはり。パレスチナ・ガザでは、母親を一番に敬えと言われましたよ。あの子たちにも等しく親の愛がいつも与えられますように。』
https://twitter.com/kenjigotoip/status/12087790678
夢は、やはり後藤健二さんからのメッセージだったんですね。
『母親を一番に敬え』-その通り。
女性を、子を支配する神や、子を食らう鬼子母神にしないために。
すべての『子たちにも等しく親の愛がいつも与えられ』るような世の中にしていきたいと思います。
天よりお見守りください。
★「生まれてきてくれて、ありがとう」の過去記事
・生活に必要なもの
・「短大生遺体切断事件」 4.亜澄さんの夢