プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
01 ≪│2017/02│≫ 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

鳴くのなら、殺してしまえホトトギス

2015/04/07(Tue) Category : 脳内親vs小さいちゃん
【脳内親vs小さいちゃん】

【発声】-----------------------------------------

親から自律禁止令を受けている子供は、まず自分の才能をつぶします。
というのも、その道を「選択できるのに選択してはいけない」という状況はとても辛く、「才能がないので、最初から選択する余地がない」と思い込んでいた方があきらめがつくからです。

ですから、「だから私はそれをやってはいけないんだ」と思えるようなきっかけをつかもうと日々チャンスを狙っています。そして、そのきっかけが来たときに、強引に自分にねじ込むわけです。所詮自己洗脳ですから、そのチャンスは些細なものでかまいません。

たとえば、子供時分に運動神経がいいと人気者になったりします。すると、「母親以外とつながるな」という脳内親を裏切ることになりますから、無意識にきっかけを作るわけです。たとえば、壮大に転んでみたり。その瞬間に自分にすり込みます―「私(僕)は、走っていて転ぶくらいだから運動神経がない。だから、外で遊ばず本を読もう」と、それをきっかけに休み時間は一人本を読み、友人と遊ばなくなるわけです。

そしてその後の人生も、自分に「運動音痴」というレッテルを貼り続けて生きるわけですが、長い人生体を動かすときだってあります。「この時はできてるよね」と言うと、「あ!」と気づきつつも、あれこれ理屈をつけて脳(内親)が抵抗するわけですが、その時の状況や実感、その他の場面など思い出していくと、その「事実」の前に自分が「運動が得意である」ことが否定できなくなっていくわけです。

このように、自分の才能を自らつぶして生きている方がなんと多いことか・・・
作文

習字

楽器
スポーツ

もったいない、と何度思ったことか。
その方々がのびのびと自分を表現することで、どれほど周りの人が幸せになり、社会が豊かになるか・・・

ほんとに、人間とは、自分の可能性を自らつぶして生きている悲しい存在だと思います。それは逆に、脳内親の呪縛から解放されたら、人類社会は可能性に満ち溢れたすばらしい社会になるということです。

さて、ここでは「歌」について―





歌うときには朗々と声が通るAさん。しかし、高音になるとわざわざ顎を引いて喉を狭くして、眉間にしわを寄せて苦しそうに歌うのです。

音「痴」ではないのですが、
音「楽」ではなく、
音「苦」でした。

幼児期、孤独に放置されたベランダで夕陽を見ながら一人歌を歌っていたAさん。それはネグレクトされた魂の叫びでしたが、いきなり登場した母親に抱えられ、薄暗い部屋の中に連れ戻されました。その迫力と怒りの波動を浴びて固まったAさんは、再び部屋に放置されたまま呆然とするばかり。刻まれたのは、歌を歌ってはいけないという印象でした。

けれど、ある事情から低音を出すことは「許可」が下りていたのです。しかし、高音をのびのび歌うことはダメだったんですね。あの顔は苦しそうな顔ではなく、母親がいつ何時襲いかかってくるのかを恐れる顔、今にも怒ってきそうな脳内母親に首をすくめている顔だったのかもしれません。



-----------------------------------------------------------
気持ちを表現することがどういうことかわからなかったBさん。まずは背骨作りに一人カラオケから始めてみることに。おずおずと2時間。これが楽しい。歌が好きだった自分を記憶の底から思い出し、思い切って「1万人の第九」に応募。見事当選。

練習の度に、後頭部から肩までの激痛、肩の重み、目の奥や喉の痛みと、IPの大逆襲に遭ってヨレヨレになりながら、第九を成し遂げる頃には子供達にも変化が。

そして合唱団入団。そこでも頭痛や胸苦しさ、胃痛に身動きとれなくなりながらも、歌を歌う自分を愛せなければ、人(夫や子)も愛せないことに気づきます。

合唱団では、「頭で考えない!」「身体で」「意識の外から」「にっこり笑って、お腹をつかって、(目線と声は)放物線」などと指導されるそうです。まるでカウンセリングですね。

でも言っていることがわからない。「わからない」と言うときは、ICはわかっていて、IPがわからせたくないときに出てくる言葉だなぁと、つくづく感じます。わかってしまうと自律につながるので、脳(内親)が全力で拒絶しているんですね。

やがて、人について歌うときはうまく歌えて、一人で歌うときはうまく歌えないことに気づかれます。モデリングしながら歌うときは、「これは人について歌っているからできるんだよ、お母さん」と、脳内母親に言い訳しながらやっているからこうなるんですね。

つまり、やっと好きなものにたどり着いても、その場さえも脚本は利用します。どう指導されても、「わからない」「難しい」と思っているときは、その「思い」自体が「苦労」の脚本人生を歩いていることの“証拠物件”であり、苦心惨憺する様子を「苦労する姿を見せたい脚本ちゃん」が脳内母親に見せています。

そうこう格闘する日々を経る中で、オペラの合唱の一般公募が目にとまり応募。なんとオーディション1週間前に風邪を引き声が出なくなるというIPの大妨害に遭いつつも、かろうじて声が出せるところまで回復し、なんと見事に合格。
歌が好きだった記憶さえなかった方が、IP大妨害の茨の道を一歩一歩這い上がっています。



-----------------------------------------------------------
Cさんは、自分が歌が下手なのは、自分に絶対音感があるせいだと思っていました。音を正確に聞き分けることができるので歌の正確さにこだわってしまう。だから、自分の歌は聴けない―こういう感じです。

けれどよく話を伺うと、ある演歌は自由にのびのびと歌っていることに気づかれました。普段は旋律の正確さにこだわっている自分が、なぜかその曲だけはこだわらずに歌えていることに気づいたのです。なぜか。

それは、その演歌が母親の父(祖父)の持ち歌だったからです。祖父は神(脳内母親)の上にいる存在―つまり、神の支配が及びませんので、そこは「歌を自由に歌うな」という禁止令が及んでいません。だから、脳内母親に遠慮することなく歌えたんですね。

実は歌がうまかったCさん。そのCさんから歌を奪うために、母親が仕掛けた仕掛けが、「正確さ」にこだわらせることでした。






感情を見たくない親のために、
子供を自律させたくない親のために、
「歌を忘れたカナリア」たちがたくさんいます。




すごい歌詞ですね。
けれど、存在不安者たちは上とは逆で、歌うなら、捨てるぞ、埋けるぞ、鞭打つぞ・・・

「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」ではありません。
「鳴くのなら、殺してしまえホトトギス」と言わんばかりに迫ってきますから、それが深刻なトラウマとなって、自分が殺されないために、見捨てられないために、大好きな歌を葬ってしまいます。

自分の最高の表現を封じられる。
とても悲しいことです。

あなたが従う神は自分が作り上げた脳内母親です。
自分が創作した虚像に自分が縛られる―バカバカしいですね。

一人芝居は終わりにして、自分を解き放ちましょう。

あなたが「小さいちゃん」の味方になる決意をして。
あなたを支え、見守る「小さいちゃん」の力を借りて―







平原綾香「LOVE STORY ベートーヴェン交響曲第9番第3楽章」



そう すべては愛の中 光と影はいつも背中合わせ
しあわせは いつでも 自分の心が決める
そう あなたを見つめたい 私は 歌いたい







「悩んでた事が嘘みたいね だってもう自由よ 何でもできる♪」






関連記事
 
Comment4  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 

模写はできてもオリジナルの絵が書けない
友人の書く小説や漫画にアドバイスはできても自分の文章が書けない

小学生の時から感想文や詩が苦手なのではなく、まったく思いうかばず、絵も恐怖でした

真っ白な紙に向かったときになにも思い浮かばないあの瞬間が怖くて怖くて、私はずっと真っ白な紙に向かうことを避けていました

たとえかいても人に見せるのが怖い

でも最近やっとかけるようになってきました
作品もちゃんと形になる
人にも見せたりします

私は絵をかくのも好きで文を書くのもすきなんです

はじめたら夢中になって時間を忘れる

苦しいのも楽しい

でもまだやろうとするといろいろ考えてストップがかかってしまうんですが

ただ、このまま自分の内にあるものが形にならず、誰の目にも触れられることなく終わってしまうことのほうが怖いです

久しぶりにblogをみに来てこの記事をみつけて、今の気持ちとリンクしてたのでコメントしました!

 

最近、村田英雄に凝っています。

「祖父の持ち歌なら、のびのび歌える」という箇所に共感しました。

ある日、村田英雄さんの「皆の衆」という歌が記憶の中から蘇りました。

歌が好きな父か祖父の持ち歌でした。

そこから昔の演歌を購入して、景気付けにいつも聴いています。

小さい頃の無邪気な自分も一緒に戻ってくるようです。

 

私もカウンセリングを受けてからまた歌えるようになった一人です。
昔は「歌上手いね」と褒められる事もありましたが、段々と声が出なくなり、音程が取れなくなり…
振り返ってみると、IPが特に強くなり始めた時期と歌えなくなった時期とはぴたりと重なります。

歌えなくなったのを煙草や歳のせいにして納得していましたが、またこうして歌えるようになってみると

そんなもん、ひとっっっっつも関係なかったじゃんよおおおおお!!!!

騙したのも自分、騙されたのも自分。悔しいったらありゃしません。
でもそうやって地団駄踏んでいる私を、チャイルドはケラケラ笑ってる気がします。
「やっと気付いたの?遅いったら!私は知ってたもんね!」って感じで。
これまで私の代わりに地団駄踏んでたチャイルドを、これからはいっぱい笑わせてあげようと思います。

 

できると困るのは私にもあてはまって、やれたことすら忘れていて記憶になくて困ったことがありました。高校入試の一週間前に声が出ないこともありました。顔がひきつり笑顔が返せなかったり、返事をしようとして咳き込んだり。
母以外と繋がらないようになっているようです。表面上は困った!だけど脚本では絶好調なんですね!悔しい!

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
わが子を守るために
記事
写真/動画集はこちら↓
 
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード