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おわりに~裁判のあり方について

2015/05/01(Fri) Category : 渋谷夫バラバラ殺人事件
【「渋谷夫バラバラ殺人事件」の考察】


<おわりに>

父親にぶたれ続けた記憶から始まり、
夫をぶち続けて幕を閉じた歌織の脚本人生。

まるで、復讐というゴールを目指して、
それを正当化するためのシナリオを構築して突き進んだように見えます。

しかし、その水面下にあったのは、
隠れて見えない母親を自分の前に登場させたいという歌織の執念でした。

そして、祐輔を「消去」した後も、
「母親と暮らす」ための脚本で動き続けました。



殺意は、父親にぶたれ続けたときに生まれ、
その父親をなき者にして母親と暮らすという脚本も生まれ、

その脚本に沿ってやってきたことごとくのことが、
無駄であったとはっきりとわかった時に、
虚無と絶望の闇の中で殺意は実行されました。

けれど、それでゼロリセットし、
歌織は再び脚本を自動実行し始めたのです。

捕まるまで―




----------------------------------------------------
裁判とは、
何なのでしょうか?

被告人は、自分の人生脚本を知らないままに脚本ストーリーを語り続けます。そもそも脚本(虚構)を現実化して生きていますから、虚実ない交ぜです。その上、脚本に沿わない事実は記憶から消し、あるいは改ざんし、あるいは創作して自己洗脳していきます。加えて、事件から1年もあれば、十分にストーリーを構築できることもわかりました。


検察側は、罰するための事実を拾い上げ、それに基づきストーリーを構築し、そこに落とし込もうとします。
弁護側は、罪を軽くするための事実を拾い上げ、それに基づきストーリーを構築し、そこに導こうとします。

それぞれ、不都合な事実は公判には出しません。
質問も恣意的、誘導的なものになり、深層に迫ろうとするものではありません。また、それぞれの観点に上らないことは質問にさえなりません。


かり出された証人は、自分の保身および、検察側、弁護側それぞれのベクトルに応じた証言をするため、言うことと言わないことが出てきます。それに、そもそも証人が被告と接している時点で演出された言動や虚言を見せられており、それを“証言”するわけです。



鑑定人は、残念ながら歌織の脚本の証人となってしまいました。私も以前歌織の証言を主体に記事を書いたことがありますので、その危険性はよくわかります。本人の両親の証言や本人の生育歴を見て、本人の世代間連鎖および人生脚本を把握していかなければ真実にたどり着くことはできません。

特に過酷な体験や感動的体験を聴いた場合、人はそれに耳目を奪われ全面的に信じてしまうことがあります。たとえば、我が身を顧みず寝ずの看病をして体を壊した―という献身的事例を見たりすると「これはホンモノの愛だ」と思ってしまったりします。

けれど、我が身を捨てている場合、そこに「ん?確かに凄いかもしれないけど、何か変だぞ」という常識を働かせてください。我が身を犠牲にできるということは、人の身も犠牲にできるということです。脚本人生を突っ走っている(=自分を道具にしている)からこそ、文字通り身を捨て、身を削ることができるのです。その行為を脳内母親に見せているわけで、そのときこそが「見せ場」、脚本ちゃんは絶好調なのです。そこが見えていなければ、いいように利用されてしまうことになります。

脚本ちゃんは命を道具にしていますから、こういう事例は多々あります。
見抜くためには、「問題の当事者だけを見ないこと」です。

たとえば、子供にとって「問題の当事者」は両親であり、なぜそれほどまで父親の愚痴を言うなら母親はそんな奴と結婚したんだと思ったとします。けれど母親は必要があってその夫を選んでいます。愚痴は子供に聞かせているようでいて、脳内母親に聞かせています。

つまり、脳内母親に認めてもらうための「苦労の脚本人生」を現実化するためにその夫を選び、「愚痴を言うこと」が「脚本人生を歩いている証拠」であり、それを聞いている子供は「脚本人生の証人」なのです。なので、日々愚痴を言っているということは、日々絶好調で生きているということです。

そして、その苦労脚本の証人としてカウンセラーなどが選ばれることもよくあり、苦労話に共感してもらってますます脚本人生を突っ走ったりします。本件の鑑定人も、歌織の脚本にうまく利用されたのではないでしょうか。

結局、本人の人生脚本が明らかにならない限り、被告本人からも、検察官からも、弁護人からも、証人からも、鑑定人からも、真実は出てこないわけです。



裁判とは、何なのでしょうか?

犠牲者が望んでいるのは、真実です。
そして、被告本人も、真実がわからない限り、同じことを繰り返し続けることになりますので、何より本人自身が真実を求めているでしょう。

被告人が「自分自身の真実」に気づいたとき、初めて自分のしてきたことを理解し、相手にしたことへの心からの謝罪がなされ、もう二度としないという決意が生まれるでしょう。

そのようにして社会に安心を取り戻すだけではなく、社会に知恵を蓄積することで社会のあり方を変え、人を成長させていくことが裁判の役割ではないでしょうか。






犯人に自分のやったことの意味をを気づかせる過程は、カウンセリングの過程と同じだと思います。
たとえば、我が子が引きこもったり、病気になったり、暴力的になったり・・・それを心配したり嘆いたりする親は、それが自分が子供に酷いことをした結果だということがわかっていません。

けれど、親が自分の「不安」と「脚本」に気づいたとき、自分の人生がなんだったのかがストンと見えてきます。

見えたときに「絶望」がおそいます。
親への絶望。そして、自分自身への絶望が。

「私はなんて一人よがりで無駄なことをしてきたんだ」
ということを思い知る絶望です。

歌織と同じく、やってきたことごとくのことが無駄であったとはっきりわかってしまうのです。

自分が命をかけて懸命にやってきたことが「一人芝居」であったことを知る空しさ。悔しさ。誰にぶつけていいのかわからない怒り。情けなさ。


必死に逃げ続けた挙げ句、この絶望に直面したときには、歌織のように理不尽な怒りに呑み込まれてしまうかもしれません。

けれど、長年自分から逃げずに、自分と向き合い続けてその絶望にたどり着いたとき、「小さいちゃん、ごめんね~」と、自分自身に対する心からの謝罪がわいてくるのです。同時に、「脚本ちゃん、よくやったね~」と脚本の一途さけなげさに対する畏敬も生まれてきます。

そして、自分自身が「小さいちゃん」も「脚本ちゃん」も無視して生きてきたことに気づきます。この二人を自分が受け止めたとき、「小さいちゃん」も「脚本ちゃん」も自分に統合され、三位一体で自在に生きる自分になります。


さらに、自分が「小さいちゃん」を無視していたことに気づいた瞬間、子供達を無視していたことに気づかれます。そして、酷いことをしてきたことにも気づき、心から「ごめんなさい」が言えるのです。

順番は、まず自分に対する「ごめんなさい」。
その次が、犠牲者に対する「ごめんなさい」です。

そうなったとき、その人は、その後の人生で自分が何をしていくかが、自ずと見えてくるでしょう。






「事件」は、生まれてからそこに至るまでのプロセスの「結果」です。
犯罪を犯すために生まれてくる赤ちゃんはいません。生まれてから犯罪に至る生育環境にすべての根があります。

事件が起こったときになすべきことは、その罪の重さを裁くのではなく、そこに至るまでの本人の人生脚本を、本人とともに解き明かしていくことではないでしょうか。

その「知」が社会に広がっていけば、人間にとっていかに「身近な自然(人間にとっての環境)」+「親という環境」が大事なのかがわかるでしょう。すると、自然や家庭を大切にする社会体制に向かっていくでしょう。

裁判を含め、すべての社会システムは、本来その方向に向かうはずのものではないでしょうか。


裁判のあり方は、変えるべき時に来ていると思います。
被告人に対してまず必要なのは、事情聴取や精神鑑定ではなく、カウンセリングマインドで被告人から話を聴くこと。そして、世代間連鎖から被告人の人生脚本を発見し、その脚本に沿って生きていた本人を正気に戻すことでしょう。

歌織が、祐輔殺害後も、まるで自動実行の人形のように脚本を遂行しようとしていたことを見てもわかるとおり、操り人形をまず人間としなければ、虚構なき証言を得ることもできず、また責任もとれないでしょう。


歌織と母親の関係を見てわかるとおり、母親は母親で自分の脚本を生きているだけでした。歌織がどんなに関わろうとしても脚本(虚構)を生きている人に関わることはできません。その人自身が、脳内母親以外を見ていないからです。

歌織も同じく、親、夫、友人など、彼女の周りに登場する人間を誰も見ておらず、利用しているだけでした。ただ、思い込みで創った人生脚本上を一人で勝手に突っ走っていただけです。歌織もまた虚構を生きる生き方を母親から受け継いだのです。




大変だったね。
でも、自分勝手な思い込みだったね。

お母さんと関わりたかったね。
でも、最初から関われない人だったね。

私がいないと駄目と思ってたね。
でも、向こうは平気。執着していたのは自分だったね。

全力で生きてきたね。
でも、間違った方向にエネルギーを注ぎ続けたね。

寂しかったね。
でも、自分を孤独に放置したのは自分だったね・・・





こういうことが腑に落ちたとき、自分が自分に無責任であったことに気づきます。それを認識したときに、自分に対する責任、人生に対する主体意識が蘇り、自分に対する謝罪と感謝、関わってきた人に対する謝罪と感謝が生まれるのです。

ただし、そこに至るまでにはずいぶん時間がかかると思います。操り人形が人間となるためには背骨を作らなければなりませんから、大まかに見て7年以上の時間がかかるでしょう。

(脱洗脳には洗脳された期間と同じ期間がかかると言われています。そもそも洗脳に巻き込まれることになるのも、人生脚本+不安の問題であり、その脚本は自己洗脳ですから、より深いわけです。7年という数字を見て長いと思われる方もいらっしゃるでしょうが、あっという間に過ぎていきます)


なお、本当に犯罪を減らしていきたいなら、小学校で世代間連鎖や心のコップのメカニズム、気持ちを声に出すことの大切さを教えるといいと思います。子供達は柔軟でキャパも大きいので、本能的に吸収するでしょう。

その子供達のパワーが、硬直した大人社会を変えていくでしょう。気持ちでぶつかってくる子供は、つまらぬ理屈をぶっ飛ばしていきますからね。







この歌は、2008年にこの事件のことを書いたときに掲載した歌です。


倒れそうになるのを
この鎖が 許さない

―この鎖とは、脚本
もっと言えば、自分の母親に対する執着の鎖です。
自分が自分を縛っていることに気づいてください。





【鬼束ちひろ 「月光」】




最後になど手を伸ばさないで
貴方なら救い出して
私を 静寂から


「謎解きちゃん」
「自己否定ちゃん」
「夢見ちゃん」
「脚本ちゃん」
「復讐ちゃん」
「存在不安ちゃん」
「小さいちゃん」
7人のインナーチャイルドを静寂から救い出すことができるのは、

あなた自身しかいません。













昨年11月からの半年間に及ぶ連載をお読みいただいた皆様、ありがとうございました。

心から感謝申し上げます。








ありがとう。












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自分のこととして読む

連載ありがとうございました。
数ヶ月前から中尾先生のブログを拝読させていただくようになりましたが、「これは私のパートナーにはあてはまるけれど、私には当てはまらない」と思っておりました。
しかし、実は私自身にあてはまることでした。
このシリーズも当初、私は歌織とは違うと思って読んおりましたが、実は、歌織と同じように人生脚本まっしぐらの人生だったと気がつきました。
自分のこととして読むことで、多くの気づきがあるんだな〜と思いました。
これからも、ブログ楽しみにしております。
ありがとうございました。

 

中尾先生の連載は
★私の、ご褒美タイム★
いつも ありがとうございます!


対人関係、仕事etc..
疲労でメンタルに余裕がない時は
拝読が消極的な自分がいます..


ポジティブな時は
ワクワクしながらブログを開き
幾度も読み返し

過去との対決
他者との対面
自己との対話

ギフトとして
与えていただいています★


蓋をして
闇に葬ることができる自分を
美化してきましたが..


ちっとも自分らしくない
ちっとも美しくない
時間を刻んできました。


己の闇に
光を放つのは
自分にしかできない!


中尾先生のメッセージを拝読し
涙がとまらない時は..
痛いハズなのに..
心地よさ&安堵感を味わえています。


中尾先生は
メンターです。


今後とも
~宜しくお願い致します~

 

連載の途中から、歌織さんのインナーチャイルドたちを、よしよししてあげたいなぁって感じながら読んでいました。
同時に、自分のインナーチャイルドたちの様々な叫び声に改めて気づき、あぁ、まだこんなに抱えていた想いがある、ということにも気づかせていただきました。
中尾さん、ありがとうございます。
歌織さんの最終意見陳述に、希望をかんじます。どうか、かすかな声でも、自分の本当の叫びに気がつき、インナーチャイルドちゃんたちとつながっていけますように…。

 

長い間、連載ありがとうございます
毎日欠かさず読んでいました

みんな、懸命にもがいているんだと思いました
被害者でもあり、加害者。
過去と向き合うのは辛いです
逃げたくなる気持ちも分かるけど
逃げちゃいけない。子供いるなら特にね。
私にも、両親に殺意があるけど
他人に吐き出しちゃダメですよね

 

ありがとうございました。
毎朝、興味深く読ませて頂いてました。人間って、誰もが加害者であり被害者でもあるのかもしれないな~と思いました。

どうやったら自分を磨くことが出来るのか、いつも考えて来ましたが、とても素晴らしい指針となりました。感情の解放、、これからしばらくは、そこにポイントを置いてやってみようと思うことが出来ました。

 

連載ありがとうございました。
私も香織と同じように、必死に
脳内親に見せる脚本人生を生きてきました。
全ての人たちは道具でした。
特に夫は無くてはならない道具でした。
暴力をふるわれ苦労している時が絶好調でした。
不幸を望む人生でした。
うさんくさい演技(無意識に)してきました。
殺したいと思いました。
子供ははけ口でした。

新たな人生を歩みたいと思います。
自分の脚本や小さいちゃんについて考えていきます。

 

この半年間、毎朝このブログを読むのを楽しみにしていました。ちょっとしたブログ中毒だったかも。

すっと心に入ってくる回もあれば、読んでいてよく分からない回もあったけど、それが今の自分のいる位置なのかなと思いました。

母親への執着の鎖は太く固く、、人を代理母親にしては俺を分かってくれ〜!!と今は行動しちまっている気がします。

今日は淡路島に1人で行って、ビーチを歩いてきました。裸足で踏みしめる砂は気持ちよく、海に足を入れたら水の冷たさが感じられました。
なんだか幸せ。
やっぱ、海は好きだなぁ。

 

自分に重なる部分を感じて読んでいました。
最終で自分の今実感していることが書かれていて、そうなんだよね~と自分の中でストンと落ちる感じがありました。
今は気付きがあるたびに絶望して、多少浮上して、また絶望するの繰返しです。
でも、ブログを読んでいたことで、なんにも知識がないよりショックが少ない気はします。
執着してたのは私。そうなんですよね。

 

連載、ありがとうございました!

中尾先生、長い間の連載、ありがとうございました。
毎日、楽しみにして拝読してきました。
心の世界の話を、ここまで詳細にかつ論理的に書き綴られる方はなかなかいらっしゃらないと思います。

脚本を軸として、こうしてまるで小説のような物語が展開されていくことに本当に驚きましたが、
これは多くの人に当てはまることなんですね。

私自身も、あるカウンセラーの先生のセミナーに参加するまでずっと脚本人生を歩んでいました。
それから5年、ときどきくらつきながらも、だいぶ背骨ができてきたと思います。

中尾先生の数年前の記事も、そのときにはよくわからなかったことが、今読むと心で感じられるようにもなってきました。本当にありがたいです。

ブログ、これからも楽しみにしています。

 
    
 
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