嫉妬し恐怖支配する神―「母親一神教」からの解放
Aさんは、大きな川の夢、海の夢、水があふれ出てくる夢、水に流される怖い夢を何度も何度も見ていました。そして、汚い便器の夢もたくさん見ていました。けれど、それが何を意味しているのか、調べても調べてもわかりませんでした。
しかし、前記事の覚醒の連鎖の中で、気づいてきました。
夫が怖い→金が怖い→世間が怖い・・「夫が」「人が」「世間が」「普通は」とか、「人の目」「世間の目」などと言っているとき、無意識は「母が」であり「母の目」を言っています。
そのように脳内母親をカムフラージュすると言うよりも、母親の胎内世界に棲んでいますから、当然そうなると言いましょうか・・・母親が「世界」ですから、その中に棲んでいる人が使う一般名詞は必然的に母親を指し、一般論は母親から体得した価値観を指しているのです。
Aさんはその「世界」に棲みながら、「世の中お金だけど、人生はお金じゃない」と表層意識は頑張っていたわけですが、それは「母親はお金だけど、人生はお金じゃない」と言っているのと同じこと。
しかしどう頑張っても、「母親(金)の世界」に棲んでいるわけですから、津波のように呑み込まれてしまうわけです。そのどうしようもなさに怖くて泣き叫んでいたんだということに気づかれました。
また、自分が受け皿どころか、誰も掃除などせず、誰も近寄らない孤独な便器だったことにも気づかれました。『母の怒りや不安の垂れ流し場所』だった・・・。頼まれもしないのに、自ら『便器女』をしていたことへの気づきと傷つき。
「自分を大切にしよう」と人に言っていたことは、実は自分(チャイルド)が自分に言いたかったことだったんだ、という気づき。自分が自分を粗末にしていた悲しみ。
たとえばAさんは、母から送られてくるサプリを飲み続けていました。小さいちゃんに我慢させ、IPはそれを「愛情」と変換し、あまつさえ送ってもらうことに申し訳なさや罪悪感さえ植え付けながら、サプリに形を変えたお母さんを飲み込み続けたのです。小さいちゃんにとっては終わりなき地獄だったでしょう。
『便器女』とは凄い表現ですが、そう自覚してしまうほどの半生はどのように始まったのでしょうか。
◆2.「生かされているだけでありがたいと思え」--------------
Aさんの母親Bさんは、「怒っている顔しか思い出さない」くらいいつもキレている母親でした。決まりが多く、従わなければパンパン!と往復ビンタ。1日2,3回のビンタは当たり前。「クソ婆ぁ」と言ったときはヤマンバのように追いかけられ、風呂でブクブクと溺れさせられそうになりました。
なぜBさんは、こんなにも情け容赦なかったのでしょうか。
Bさんは生後まもなく養母に引き取られた人でした。そこにどういう事情があろうとも、子の立場から見るとBさんは実母に捨てられたわけです。
親に捨てられたということは“いらない”ということですから、存在価値がゼロではなくマイナスです。ですから、存在不安どころか、常に自分の存在を確認しなければ生きていけないくらいの崖っぷちで生きていくことになります。ほんのわずかでも、自分について否定的なことをいわれてしまったら崖からどん底に落ちてしまう―そういうギリギリの切迫感の中で生きています。
これほどの崖っぷちに立たされていますと、我が子からの口答えや意見を言われることさえも、「親がなめられた」どころではなく「自分の存在が否定された」ところまで感じてしまうのです。
すると、それをきっかけに不安が噴出しようとしますが、その不安は“絶対に”見たくない。その不安のきっかけを最も作るのは日常的に傍にいる我が子ですから、我が子が自分に“絶対に”口答えしないよう、逆らわないよう支配することが至上命題となり、その手段として相手の身体に恐怖をたたき込みます。
最初の子を恐怖で支配すれば、後の子どもは怖くて勝手に支配されていきますから、最初の子には徹底的にやります。決まりを多く作ったのは怒るチャンスを増やすため、そして、そのチャンスをつかんでは容赦なく往復ビンタをして「絶対服従」を身体に教え込んだわけです。
「くそばばぁ」などは明確な否定ですから、崖っぷちにしがみついているBさんを突き落としたことになります。ですから、命を奪う勢いで恐怖を叩きこむのです。
ビンタで足りないときに他を利用しますが、それがピアノなどの習い事の先生や歯医者など第三者の場合もあります。このような母親は自分の意に沿う相手を本能的に見つけますが、Bさんの場合は長期にわたって麻酔なしで歯の治療をさせ、Aさんは歯科医に対して過呼吸を起こすほどのトラウマを植え付けられました。
このように日常的に理不尽な痛みを与え、かつ生殺与奪の権を持つ恐怖支配は、「生かされているだけでありがたいと思え」という言葉に実態を与えます。生きているだけでありがたいと思わなければならないわけですから、親がすることはどんな些細なことでも「ありがとう」と言うことになり、そう言われることはBさんの存在証明となります。
つまりBさんは、自分が「存在不安」を見たくないために体罰で子どもを恐怖支配し、自分の「存在証明」がほしいためにありがとうを言わせたのです。命(存在)をかけた「やらずぶったくり」でした。
◆3.命を奪う「母親」への恐怖----------------------------------
加えて、母親Bさん(以下「母親」とも記す)は猫殺しをしていました。
自由を奪い、ケージの中に拘束し、ストレス死。
自由になったネコは、行方不明になったり、頭から血を流して死んでいたり、首輪が引っかかって首つりのようになっていたり・・・。
それは、「死んだらもうこれ以上苦しまなくていいね」と、ホッとするくらいのむごたらしさでした。この思いにもいろいろな気持ちがあることでしょう。
・猫と同じように檻に閉じ込められている自分
・猫と違ってまだ生かされている自分
・しかし、生きていることで苦しみ続ける自分
「生かされているだけでありがたいと思え」という言葉に実態があると言いましたが、まさに目の前で(アクシデントですが)見せしめのように猫は殺されていたのです。
自分に無慈悲な痛みを与えるだけではなく、本当に動物の命を奪ってしまう鬼神のように怖い存在―それが「母親」でした。
その「母親」の行為の裏に、Aさんは自分への嫉妬を感じました。
それは、「あんたは(私という)親がいるだけでマシ」という嫉妬です。Bさんには実母がいない、Aさんには実母がいる―絶対に覆せない条件です。
そこを盾に、
「だから私以上に不幸な奴はいない」
「私の怒りはこんなもんじゃない」
「だから私は何をしてもいい」
「だから私だけを見ろ」
と迫ってくるわけです。
するとAさんは、無意識に好きなものを遠ざけるようになります。
自分が好きなものは嫉妬する「母親」に殺されるからです。
「弟は女の子」でした。
男性とつながってはいけませんから、弟とつながっておくためには、弟は「女の子」のカテゴリーに入れておかなければならなかったわけです。
「父親はわからない人」でした。
父親を好きにならないためには、理解してはいけなかったのです。
友人を作ると友人を殺されますから、友人を作れません。
そして友人ができないように、赤面恐怖になり、どもりになりました。
夫と仲良くなると夫を殺されますから、仲良く出来ません。
むしろ夫は、代理母親として育てていきました。
このように孤立無援で認知さえも歪んだ中、Aさんは脳内母親に常に命乞いして生きるようになっていきます。
自分の意見や意志を持ったら殺されるわけですから、「好き嫌い」や「楽しい楽しくない」で行動してはいけません(つまり、人間になってはいけません)。ここから「我慢する脚本」ができてきます。
また、自分が行動を選択するときに、それは「他人の誰かの意見を元に行動しているのであって私の意志じゃないよ」と、脳内母親に言い訳をしなければなりません。あるいは、自分で決定せず、他人に言わせたり、他人が決定するように仕向けなければなりません。ここから、「人のせいにする七面倒くさい生き方」ができてきます。
◆4.我慢する脚本--------------------------------
「生かされているだけでありがたい」わけですから、欲求はすべて贅沢になってしまいます。たとえばファッション。
安物買いをする「母親」が買う洋服は、タンスの中にたくさん詰め込まれていましたが、ほんとに着たい服は2,3しかありませんでした。
けれど、Aさんはその服を手に取りながら、見て絵に描くだけ。あるいは、手にとってはたたみ、悶々と着ているところを想像してすごしながら、着ることはしませんでした。
つまり、その姿を日々、脳内母親に見せていたわけです。葛藤も羨望もねたみも恨みもあきらめも悲しみも、それらの感情を感じているときが、脳内母親に忠誠を誓っている“証”だったのです。それらの感情は“ホンモノ”ではありますが、脚本人生劇場の上でのホンモノ=つまり、ニセモノ感情です。
いわば、「私はあなたの言いつけ通り着ないでいるよ。その証拠にこんな思いまでして、こんなことまでして、でも着てないよ」と証明するためのダミー感情が、それらの感情でした。
なぜそこまでしたのでしょうか。
ただ“着ない”だけでは、好き嫌いで着ないのかもしれませんよね。嫌いだから着ないことは誰でも出来るし、それは「我慢」したことになりません。大事なことは「我慢していることを見せること」です。
我慢していることを見せるためには、感情を募らせなければなりません。眺めて感情を募らせ、着る以外のことをする(たたむ、絵を描くなど)ことで、「我慢の演出」をすることが出来ます。こうしてドラマチックになっていくのが脚本人生劇場なのです。
好きなモノは好きと言い、嫌いなモノは嫌いと言う。
手に入れたいモノは我慢せずに手に入れ、不要なモノは受け取らない。
このようにしていればドラマの起こりようがありません。
そこにドラマチックなものがある場合、脳内母親に見せるための演出があると思ってもいいかもしれません。
◆5.人のせいにしなければならない面倒くさい生き方------------
「人のせいにする七面倒くさい生き方」の事例を一つあげましょう。
真冬の寒い時期にエアコンが壊れました(コタツもストーブもありません)。
かねてからコタツがほしかった「小さいちゃん」はチャンス到来。Aさんにとって、コタツで眠るということが小さい頃からの長年の夢だったのです。
けれど、チャンスは小さいちゃんだけに来たのではなく、我慢する「脚本ちゃん」にとっても「見せ場」の到来でした。しかも、自分の意志で行動すると天罰が下るのが怖い「恐がりちゃん」がいますから、「小さいちゃん」の思いで行動するわけにはいきません。そこで、次のように段取りを踏みました。
・まず家の中で白い息を吐くほど我慢してみせた
・子どものために買うという理由を創り上げるために子ども達にも我慢させた
・子どもにコタツがほしいと言わせた
・自分はストーブを推して夫と喧嘩をし、コタツ派の夫にコタツがほしいと言わせた
・その状況を人に伝えて、第三者からも背を押してもらった
実にこれだけの状況を整え、子ども、夫、第三者の言質を取って、ようやくコタツを買うところへたどり着きます。
しかも、買う時も、「たまたまネットを見ていたら、コタツを“発見”しちゃった」という偶発を装います。「偶発だから仕方ないよね」という親への状況的言い訳です。
さらに、コタツ布団は買いません。なぜならコタツ布団があってこそ、コタツはコタツになるからです。「これはコタツではないよ」と、どこまでも逃げを打っているわけです。
いやはや凄まじいですね・・・。
「コタツがほしい」→「買う」―ただそれだけで終わることです。それもエアコンの故障がなくとも、いつでもできたことです。
自分の思いで行動する
―ただそれだけのシンプルなことができないのです。
1日で終わることが、何十年もかけて、これだけの理屈をつけて、状況を利用し、人を巻き込み、やっと「コタツで眠る」という些細な夢を実現出来たのです。
どれほどのエネルギーを使うことでしょう。
どれほど貴重な人生が無駄になり、また他人の人生をも無駄にさせることでしょう。
悔しいですね。
このように恐怖の大魔王が、日常生活の一挙一動までを縛っていたわけです。が、その恐怖の大魔王は自分が作り上げたもの。人を巻き込んで壮大な「一人芝居」をしていたわけです。
そうなってしまった背景に、母親に対する得体の知れない恐怖があったわけですが、その現れの一つとして猫殺しがありましたね。では、なぜ「母親」はネコ殺しをしていたのでしょうか。
◆6.なぜ「母親」はネコ殺しをしていたのか------------------------
捨てられた子は、無意識に養父母に対しては絶対服従となります。そこで見放されたら天涯孤独になってしまうからです。つまり、自分を無意識に閉じ込め、我慢して生きることになります。
絶対服従=「そこに所属すること」になりますから、「我慢」している気持ちを感じているときが、「安心感」とリンクしてしまいます。つまり、不安から逃げ、安心を得たいときに、「我慢」を求めるようになるわけです。
ケージに入れた猫は、心を殺した自分の姿そのものでしょう。その猫の姿を自分の目を通して脳内養母に見せ続けているのでしょう。
さらに、猫を殺すということ、また、死んだ猫を自分の目に見せるということは、自分が実母から殺されたこと(生後すぐに捨てられた=死)を示しているように思いますが、ここに複雑な心境があるように思います。
自分は捨てられたけど生きていて、ネコは自分に殺されているわけです。
なぜ、自分のシンボルであるような猫を殺すのか?
それは、自分が猫を殺し続けることで、「実母は私を殺さなかった」ということを証明し続けたかったのかもしれません。
Bさんにとって実母をかばえるとしたら、「自分が生きている」という一点以外にないのでしょう。ですから、「実母は私を捨てたけど、私の命は奪わなかったね」と実母をかばうために、それを実証してみせるために(自己洗脳のために)、猫を殺し続けていたのかもしれません。
◆7.ただ生きる「母親」のさらに下-----------------------------
また、自分を大事にすることは、自分を大事にしてくれなかった実母を恨むことになりますから、自分を大事にしてはいけません。ですから、自分を大事にしたり贅沢や快適に繋がる「お金」も遠ざけました。気持ちが明るくなったり、華やかになったり、優しくなったりする物事もダメ。楽しい嬉しいなんてもってのほか―そういう人生をBさんは送ります。
自分で自分をディスカウントしながら、ただ生きていく―それが脳内実母に見せる脚本です。自分がそうであるためには、自分の子どももそうでなければなりません。自分がそうしていても子どもがそうでなければリアリティがないからです。
ということは、子どもはこの「母親」のさらに下ということになります。「ただ生きている人」の受け皿―どんな人も生きていれば排泄だけはしますから、だから「便器」だったのでしょう。
そして、そういう役割を買って出ているので、周りの人はことさらAさんに露悪的になるでしょう。Aさんに対しては糞尿を出さなければならないわけですから。そういう言動を周囲から引き出しているとき、Aさんの脚本ちゃんは絶好調だったわけです。
こうしてAさんは、這いつくばって生きてきました。
実際ご自宅には、本人は無意識でしたが、気持ちを閉じ込める「インナーチャイルドの祭壇」があり、神(脳内母親)に捧げ物をする「生け贄の祭壇」もあり、そこに生け贄用の大きな玩具が置かれていました。
そして、全空間を睥睨するかのように時計(母親のシンボル)が上から見下ろし、子供達(外在化したインナーチャイルド)は、その時計から隠れる物陰で遊んでいました。
恐怖の「母親一神教」に傅く修道女―これが、Aさんの半生でした。
◆8.「母親」という神からの解放---------------------------
上記のような自分が生きてきた構造への理解が認識を変えていきますが、本当の解放は、「心のコップ」の中の感情を吐き出していかなければなされません。同時にそれは、母親の本当の姿を知る過程であり、脳内母親を神から人間に戻す過程でした。
たくさんのエンプティチェアがありました。
その都度気づきがあり、その都度解放がありました。
このエンプティチェアの体験過程こそが、母を知り、小さいちゃんを知り、脚本ちゃんを知り、不安ちゃんを知り、自分と関わった人を知る過程であり、自分を洗脳と呪縛から解放していく過程でした。
そして、気持ちが解き放たれて軽くなると同時に、それらは背骨となって自分の中心軸を形成していき、一方、絶対的君臨者だった母親は相対化されてちっぽけな人間になっていきました。
そう、これらの積み重なった体験の上に、前記事のような覚醒の連鎖があったわけです。
「不安と恐怖」という土台の上に作られた身動きできない便器―というあり方(我慢の脚本人生)。
その姿を嫉妬と恐怖の神(脳内母親)に見せ続けるために、家族を操り続けた「気持ちの悪い自分」。
好きなものは遠ざけ、人からディスカウントを受けることを仕掛け続けてきた歪んだ自分。
それらからの、解放の時が来ました。
もちろん、癖は出るでしょう。
けれど、それもやがて消えていくでしょう。
何より違うのは、これまで同じところをぐるぐると回っていたのが、これからスパイラルを描くように深まっていき、自己成長していく過程に入ったことです。
終わりなき旅が、
これから、始まります・・・・
【絢香 「にじいろ」】