表層意識―下意識―無意識―深層心理~自分の構造
2015/06/29(Mon) Category : 心理学
人は、日々選択して生きています。
その選択の連続を振り返ると「人生」になっているわけです。
その人生を振り返ったときに、「我が人生に悔いなし」と言えるかどうか。それはひとえに、自分の気持ちで選択してきたかどうかにかかっているのでしょう。
けれど、自分の気持ちのままに選択し、その選択に悔いなしと思っていても、それが脚本ちゃんの思いであって、本当は自分の人生を生きていなかったりします。
そのことがわかる事例が、今回の「スリーテン」の中でありました。
「スリーテン」とは、「10人の中から3人を選ぶ」というテーマです。
たとえば、心臓移植が必要な10人の待機者の中から3人を選べという課題が与えられたとします。けれどその10人は、性別、年齢、性格、職業など一部わかっている人もいれば肩書き以外はわからない人もいますので、結局、個々人が自分の中にある思いや価値に照らして選ぶしかありません。
その課題を前に、人は皆自分の気持ちで意見を述べているつもりでいますが、その意見の背景にあるものに気づくことが「自分の構造」を知ることになります。
さて、講座後のカウンセリングで「自分の構造」が明らかになってきた方(Aさんとしましょう)がいらっしゃいますが、『自分の体験が自律に向かって歩いている人のお役に少しでも立てるのなら嬉しいです』とのことで、ありがたく掲載させていただきます(煩雑な部分を捨象し、わかりやすくしてあります)。
自分がどのように人生を歩いているのか、皆様が気づくきっかけになれば幸いです。
◆表層意識---------------------------------------------------------
選ぶということは絞り込んでいくことですが、Aさんは最初から考慮もせず、まるでいないかのように外した人が2名いました。だから、8名から選ぶことになります。
そこから選別が始まりますが、Aさんの表層意識での第一基準は「年齢」でした。年齢がはっきりしていたのは5名―その内「ニュースキャスター 45歳」は上記のスルーした中に入っており、「大学教授(医学)60歳」は年齢的に外されますから、3名―小1、16歳、26歳―つまり、年齢が基準ならばこれで決まるはずです。
にもかかわらず最初に選んだのは年齢不詳の「銀行の出納係の妻(妊娠6ヶ月)」でした。なぜか?
それはその女性自身を選んだのではなく、お腹にいる赤ちゃんを選んだからでした。赤ちゃんはゼロ歳―だから、年齢基準で選べば躊躇なく選べたのです。
次に選んだのは「小学校1年生」―これで2人。
残る2人のうち、次に選ぶとすれば「16歳の知能指数の低い少女」になります。ここでハタと迷われました。年齢が自分の中での絶対基準ならば迷わないはずです。けれど迷いました。
その次には「26歳の司法修習生」が控えていますから、年齢以外の理由でそちらを選びたいのかと言えばそうでもなく、結局残る一人は「プロ野球選手」を選びました。
つまり、Aさんの表層意識は「年齢の若い順と決めていた」わけですが、実際に選んだ結果は次の通り。
・銀行の出納係の妻(妊娠6ヶ月)
・小学校1年生
・プロ野球選手
選ぶ際には、それなりにいろいろと理屈が付いているのですが、その奥にはどのような心理が隠れていたのでしょうか。
◆下意識---------------------------------------------------------
そもそも「若い順」と年齢を基準に置いた理由はなんだったのでしょうか。
そこを探っていくと、お母さんの言葉が思い出されました。
「若く見られたい」「年を取りたくない」「この年でこの体型を維持している人はいない」などと、いつも年齢と形を気にしている人でした。その母親の言葉(価値観)が、若さを第一基準にさせていたわけです。
Aさんの中には「年をとることが許せない」という意識までありました。このように禁止令は「許せない」という思いまで引き起こしますから、禁止されていることは自分ができないだけではなく、それをしている人を見ると攻撃したくなってしまいます。
にもかかわらず妊婦さんを真っ先に選んだ理由を探っていくと、「赤ちゃんは守られるべき存在だ」という思いがありました。親から守られなかったかわいそうな自分―その自分が赤ちゃんを救いたいと強く思った部分もあったのでしょう(自己投影)。
「小学校1年生」は年齢基準で順当。
次に選ばれるはずの「16歳の知能指数の低い少女」を選べなかった理由を探っていくと、その奥にはやはり頭の悪い人を評価しない母親の言動がありました。だから選べなかったのでした。そして、その価値観を表に出すことははばかられて、あれこれとIP(思考)は理由探しをしていました。
では、その次に若い「26歳の司法修習生」を選ばなかった理由は何か。頭の悪い人を評価しない母親の影響で16歳の少女を選べなかったのであれば、その次に若くかつ司法修習生というなら、これで決まりそうなものです。けれど選べなかった。もう一人同じような理由で選ばない人がいました。「売り出し中の歌手の卵」でした。
この2人に共通するものは何かを探っていくと―「結果を出していない」でした。Aさんの母親はプロセスを見ず、結果だけを見る人でした。そこにどのようなプロセスがあろうと一切無視。成果を上げなければ認めてくれない人だったのです。
実は、歌手の卵も「売り出し中」というところに少し引っかかったようです。有名ならば「結果を出している」基準に合致する可能性があるからです。けれど、「歌謡曲は嫌い」と言っていた母親の言葉が却下の決め手でした。
残るは5人中から1人。
その内、「大学教授(医学)60歳」は年齢基準から外されていますから4人。
そして、「ニュースキャスター 45歳」と「日本画芸術院会員」は、最初から意識に上りませんでした。(←ここは後で触れます)
すると残るは2人。
最初に引っかかったのは「プロ野球の選手」です。
プロということは「結果を出している」ということ。それに、母親は「運動できない人は好きにならない」とも言っていました。けれど、一方で「野球は嫌い」とも言っていたのです。
もう一人は「ボーイスカウトの隊長」。
このとき、Aさんは「ボーイスカウトの隊長だから10代」と思い込んでいました。“リーダー”であれば10代という線もあるかもしれませんが、“隊長”となると年配者を想定する方もいらっしゃるでしょう。そこには、「ボーイスカウトの隊長」を10代と思い込みたかったAさんの背景があります。
さて、Aさんのなかでは2人とも若く、運動ができ、結果を出しています。加えて、「野球は嫌い」という母親の声があるのであれば、迷うことなく「ボーイスカウトの隊長」を選んだでしょう。けれど、この2人でAさんは葛藤し、その挙げ句「プロ野球の選手」を選びました。なぜそうなったのでしょうか。
まずおさらいしてみましょう。
母親の要求は次のようなものでしたした。
・若いこと
・頭がいいこと
・運動神経がいいこと
・結果を出すこと
この中で、「若いこと」より「頭がいいこと」が優先順位が上でした。
次に、「頭がいいこと」より「結果を出すこと」が優先順位が上でした。
このようにして8人が選別され、残る2人の内1人を選ぶところまで来ました。
ここでもし「ボーイスカウトの隊長」を選んでいれば、運動神経がよく結果を出していても、母親が嫌いな野球選手は選ばなかったということになり、その場合の優先順位は次のようになるでしょう。
若い<頭がいい&運動神経がいい<結果を出す<母親の好き嫌い
つまり、「個」の能力をどんなに高めかつ成果を上げたとしても、最終的には母親の好き嫌いだけで決まってしまうということです。けれど、葛藤して「プロ野球の選手」を選んだところにAさんの変化が見られるように思いました。
最近のAさんは、ゴルフをするようになりました。これまで「あんなのスポーツじゃない」と言っていた母親の禁止令に逆らえずにしてきませんでしたが、「好きじゃないけど付き合いで」とIP(脳内母親)に言い訳しつつ、やっています。
なぜできるようになってきたかというと、母親が嫌うものは「Aさんが人とつながることになるものごと」だということがわかったからです。たとえば、テニスは母親がするからOKなのですが、うまくなってはいけません。母親の相手をする分にはOKなのですが、それ以上にうまくなって他人とプレーをすることは許されません―そういう感じだったのです。
それがわかってきたので勇気を出してゴルフを始め、やってみると「面白いな」と感じています。つまり、「好きじゃないけど付き合いで」と脳内母親に言い訳しつつも、やってみると面白いという手応えをつかんでいるわけです。この手応えがAさんに勇気を与えたのでしょう。
また、Aさんは太っていないのに「太っている」と母親に洗脳された幼少期がありました。その洗脳は布石であり、太っている「から~」がくっつきます。たとえば、「太っているから走るのが遅い」「太っているから運動できない」―つまり、母親は「運動できない人は好きにならない」と言って聞かせながら、「運動ができるようになるな」という禁止令を発動していたわけです。
本当は選択できるのに選択してはいけない立場に置かれたとき、そこに妬みや嫉妬心や憧れなどの感情がわき起こります。Aさんにもスポーツや運動神経に対しての強い憧れがありました。その思いが「プロ野球の選手」を選ばせたのかもしれません。
図式的に整理しますと、「ボーイスカウトの隊長」を10代と思い込ませたのは、脚本ちゃんでしょう。そう自分に思い込ませれば、あとは年齢基準で選択されるはずです。「プロ野球の選手」を選択する道は、「野球は嫌い」と言う脳内母親がブロックしてくれています。
けれど、自分の思いで行動し始めているAさんは、「野球をしたい」というIC(小さいちゃん)の思いをとりました。ここでは「脳内母親+脚本連合」とのバトルに打ち勝ったわけです。とはいえ、バトルをしていること自体、まだ自由ではないということですし、わざわざ「野球は好きではないですが」と先に言うことで脳内母親に言い訳をしながら選んでいますが。
こうしてみますと、
1人目は、自己投影。
2人目は、脳内母親の基準。
3人目は、インナーチャイルドの思いで決めているようです。
◆無意識---------------------------------------------------------
ところで、「ニュースキャスター 45歳」と「日本画芸術院会員」は、最初から意識に上りませんでしたね。その背景を探っていくと、
ニュースキャスターから出てきたキーワードは「コミュニケーション」。
日本画芸術院会員から出てきたキーワードは「感情表現」。
Aさんは人とつながることも気持ちを表現することも禁じられていました。母親の道具でなければならなかったので、自分の気持ちや意志を表現してはいけなかったのです。それを表現することは「人間」になることであり、それは脳内母親を裏切ることになります。ですから、それにつながるこの二人は、最初から考慮にも入れない―その姿を脳内母親に見せていたわけです。
下意識は、「母親の言っていたこと」が子に内在化した基準(価値観)でした。言っていたこと=「明示的」な部分ですね。それに従って人選していたわけです。
3人目はそこを乗り越えて自分の思いで選びましたが、自分の中心にあるのは母親の明示的な価値基準でした。
「下意識」とは、「意識されていないが、思い出す努力によって意識化できる精神の領域」のことを言います。意識化したときに葛藤も生まれるでしょう。
ところが、最初からスルーした上記2人は、葛藤さえ生まれませんでした。
葛藤さえも起こってはいけない絶対不可侵領域―なのでこの層を「無意識」としましたが、ここは母親が姿勢や表情や態度や言葉の端々で示す「暗示的」な部分です。
母親が決して表では言えないこと、自分にさえも意識上に上ってはいけないこと。けれど、母親の奥底にある子供に対する本心の望み―それは、「子がいつまでも自律できずに母親だけを見続ける存在(=代理母親)になること」。
これが子の脚本の根底にあると、誰ともつながれないまま、最終的には心身のいずれかあるいはいずれもが植物人間状態に向かっていくことになります。ですから、決して自分に認識させてはいけないタブー(絶対不可侵領域)となるのです。
整理しますと、
下意識の基準:明示的。選択の対象になる
無意識の基準:暗示的。選択の対象にさえしない
◆暗示の内在化-----------------------------------------------
ではどのように、子はこの暗示を内在化させていくのでしょうか。
上記で「運動できない人は好きにならない」と言いつつ、「野球は嫌い」と言っている母親がいましたね。子供は「なんで?」と思いますよね。この「なんで?」の部分に母親の本当の望み=「我が子を代理母親にしたい」が隠されています。
日常の中にちりばめられている母親の言動を探っていくと、お母さんが嫌うのは野球などのチームでやるスポーツやゴルフなど社交でやるスポーツであり、お母さんがするテニスはOKでした。
また、太ってないのに太っていると言われたり、足が遅くないのに遅いと言われて実際遅くなったり・・・そういう日々の体験の中で、子供は母親の奥底にある本当の望みを感知していきます。
そして、口先では「運動できない人は好きにならない」とお母さんは言っているけど、僕に運動ができてほしくないんだなということや、お母さんが「嫌い」のという中には「人とつながるな」という禁止令が隠されていることがわかってくるわけです。
これらが積み重なって、たとえば「なにもせずにそこにいろ」という脚本になっていくわけです。
◆下意識(脚本)と無意識(存在不安)----------------------------
整理してみましょう。
表層意識:母親の価値観の内公的に使いやすいもの(外に見せる自分)
下意識 :上記以外の母親の価値観(公的に使いにくいもの)
無意識 :母親の根底にある欲求(意識化されてはならないもの)
表層意識:年齢基準
下意識 :頭がいい、運動神経がいい、結果を出す
無意識 :母親以外とつながるな、自律するな
この下意識と無意識の部分をAさんの世代間連鎖に照らしてみますと、
下意識の欲求は、Aさんの母親が祖母に見せたい部分。
無意識の欲求は、Aさんの母親の存在不安から出てきた欲求と言っていいかもしれません。
すべての人は、日々の姿を脳内母親に見せながら生きています。
Aさんの母親もまた自分の姿を「脳内母親(祖母)」に見せて生きており、子供を道具にして脳内母親の望むことを子供を使ってしようとするわけです。ですから、下意識の部分は、母親が「脳内母親」に見せる部分(母親のための人生脚本)とみていいでしょう。
けれど、脳内母親に見せればいいのは“形”だけでいいことを本人が無意識に知っています。優秀になって自律されては困る―それが本音です。その背景にあるのは、「存在不安から逃げるために意識を向け続けるネタであれ」という欲求と、それと並立ですが「自分だけを見る代理母親であれ」という欲求です。
この存在不安(もしくはストローク飢餓)がらみの2つの欲求は、配偶者や子供達に分散することもあれば同一人に集中することもあります。いずれにせよ、図式的ですが次のように見るとわかりやすいかもしれません。
下意識 :母親の脚本を内在化した部分
無意識 :母親の存在不安に呼応した部分
◆深層心理------------------------------------------------
さて、Aさんは「下意識の欲求」(母親の脚本)に従って個別の能力を高めようと努力してきました。けれど、どんなに高めてもポカをしたりミスったりトラブルを起こしたりして、自分を振り出しに戻してきました。「無意識の欲求」(母親の存在不安)に従うためです。
ですから、自分の能力を認める人がいたりすると、うれしい半面とても居心地が悪くなり、自分を否定する人を探そうとします。あるいは、そういう人がいなさそうな場であれば、自分から「場違いな行動」を仕掛けて「拒否」を受け取り、それでやっと「これでいいんだ」と落ち着きます。
そのようなゲームを続けながら、かんまんに「自律せずに人と繋がらず、母親だけを見る生き人形」へと至る道を歩き続けていたわけです。そのゴールの一つの形が、たとえば「寝たきり人生」でしょう。
すごいですね。子供は親の望むあらゆる側面(たとえば文武両道の優秀な人間)をかなえつつ、最終的には親が心底望んでいる願望(生き人形)実現に向かって突っ走ります。
努力してはその自分を突き落とし、人と近しくなったらその人を突き放し・・・大変ですね~。
この無限ループから抜け出るためには、まずこの「自分の構造」に気づくこと。すると、上記のように脚本ちゃんが突っ走ろうとする世界と小さいちゃんが望む2つの世界が自分の中にあり、それが矛盾しているどころか相容れないことがわかってくるでしょう。そこから少しづつ選択の変化が現れ、その一つずつが人生を変えていきます。
次に、無意識のさらに深層に閉じ込めている感情たちを発掘・発見し、それを声に出して表現していくことです。
ここで厄介なのが、「不安感情」と向き合うこと。それが嫌さにみんな脚本人生を突っ走っているわけですから、それがどれほど嫌かわかろうというもの。けれど、そこから逃げ続けているとどうなるのか―それは、皆様のご両親が教えてくれています。
あとは、それこそ、決意と選択の問題です。
これまでと方向を変える。
そして、歩き始める。
あとは、一歩ずつでいいんです。
ふと気づいたときに、前の世界とはずいぶんと違うところにいることがわかるでしょう。
【神原駿河(沢城みゆき) 「ambivalent world」】
その選択の連続を振り返ると「人生」になっているわけです。
その人生を振り返ったときに、「我が人生に悔いなし」と言えるかどうか。それはひとえに、自分の気持ちで選択してきたかどうかにかかっているのでしょう。
けれど、自分の気持ちのままに選択し、その選択に悔いなしと思っていても、それが脚本ちゃんの思いであって、本当は自分の人生を生きていなかったりします。
そのことがわかる事例が、今回の「スリーテン」の中でありました。
「スリーテン」とは、「10人の中から3人を選ぶ」というテーマです。
たとえば、心臓移植が必要な10人の待機者の中から3人を選べという課題が与えられたとします。けれどその10人は、性別、年齢、性格、職業など一部わかっている人もいれば肩書き以外はわからない人もいますので、結局、個々人が自分の中にある思いや価値に照らして選ぶしかありません。
その課題を前に、人は皆自分の気持ちで意見を述べているつもりでいますが、その意見の背景にあるものに気づくことが「自分の構造」を知ることになります。
さて、講座後のカウンセリングで「自分の構造」が明らかになってきた方(Aさんとしましょう)がいらっしゃいますが、『自分の体験が自律に向かって歩いている人のお役に少しでも立てるのなら嬉しいです』とのことで、ありがたく掲載させていただきます(煩雑な部分を捨象し、わかりやすくしてあります)。
自分がどのように人生を歩いているのか、皆様が気づくきっかけになれば幸いです。
◆表層意識---------------------------------------------------------
選ぶということは絞り込んでいくことですが、Aさんは最初から考慮もせず、まるでいないかのように外した人が2名いました。だから、8名から選ぶことになります。
そこから選別が始まりますが、Aさんの表層意識での第一基準は「年齢」でした。年齢がはっきりしていたのは5名―その内「ニュースキャスター 45歳」は上記のスルーした中に入っており、「大学教授(医学)60歳」は年齢的に外されますから、3名―小1、16歳、26歳―つまり、年齢が基準ならばこれで決まるはずです。
にもかかわらず最初に選んだのは年齢不詳の「銀行の出納係の妻(妊娠6ヶ月)」でした。なぜか?
それはその女性自身を選んだのではなく、お腹にいる赤ちゃんを選んだからでした。赤ちゃんはゼロ歳―だから、年齢基準で選べば躊躇なく選べたのです。
次に選んだのは「小学校1年生」―これで2人。
残る2人のうち、次に選ぶとすれば「16歳の知能指数の低い少女」になります。ここでハタと迷われました。年齢が自分の中での絶対基準ならば迷わないはずです。けれど迷いました。
その次には「26歳の司法修習生」が控えていますから、年齢以外の理由でそちらを選びたいのかと言えばそうでもなく、結局残る一人は「プロ野球選手」を選びました。
つまり、Aさんの表層意識は「年齢の若い順と決めていた」わけですが、実際に選んだ結果は次の通り。
・銀行の出納係の妻(妊娠6ヶ月)
・小学校1年生
・プロ野球選手
選ぶ際には、それなりにいろいろと理屈が付いているのですが、その奥にはどのような心理が隠れていたのでしょうか。
◆下意識---------------------------------------------------------
そもそも「若い順」と年齢を基準に置いた理由はなんだったのでしょうか。
そこを探っていくと、お母さんの言葉が思い出されました。
「若く見られたい」「年を取りたくない」「この年でこの体型を維持している人はいない」などと、いつも年齢と形を気にしている人でした。その母親の言葉(価値観)が、若さを第一基準にさせていたわけです。
Aさんの中には「年をとることが許せない」という意識までありました。このように禁止令は「許せない」という思いまで引き起こしますから、禁止されていることは自分ができないだけではなく、それをしている人を見ると攻撃したくなってしまいます。
にもかかわらず妊婦さんを真っ先に選んだ理由を探っていくと、「赤ちゃんは守られるべき存在だ」という思いがありました。親から守られなかったかわいそうな自分―その自分が赤ちゃんを救いたいと強く思った部分もあったのでしょう(自己投影)。
「小学校1年生」は年齢基準で順当。
次に選ばれるはずの「16歳の知能指数の低い少女」を選べなかった理由を探っていくと、その奥にはやはり頭の悪い人を評価しない母親の言動がありました。だから選べなかったのでした。そして、その価値観を表に出すことははばかられて、あれこれとIP(思考)は理由探しをしていました。
では、その次に若い「26歳の司法修習生」を選ばなかった理由は何か。頭の悪い人を評価しない母親の影響で16歳の少女を選べなかったのであれば、その次に若くかつ司法修習生というなら、これで決まりそうなものです。けれど選べなかった。もう一人同じような理由で選ばない人がいました。「売り出し中の歌手の卵」でした。
この2人に共通するものは何かを探っていくと―「結果を出していない」でした。Aさんの母親はプロセスを見ず、結果だけを見る人でした。そこにどのようなプロセスがあろうと一切無視。成果を上げなければ認めてくれない人だったのです。
実は、歌手の卵も「売り出し中」というところに少し引っかかったようです。有名ならば「結果を出している」基準に合致する可能性があるからです。けれど、「歌謡曲は嫌い」と言っていた母親の言葉が却下の決め手でした。
残るは5人中から1人。
その内、「大学教授(医学)60歳」は年齢基準から外されていますから4人。
そして、「ニュースキャスター 45歳」と「日本画芸術院会員」は、最初から意識に上りませんでした。(←ここは後で触れます)
すると残るは2人。
最初に引っかかったのは「プロ野球の選手」です。
プロということは「結果を出している」ということ。それに、母親は「運動できない人は好きにならない」とも言っていました。けれど、一方で「野球は嫌い」とも言っていたのです。
もう一人は「ボーイスカウトの隊長」。
このとき、Aさんは「ボーイスカウトの隊長だから10代」と思い込んでいました。“リーダー”であれば10代という線もあるかもしれませんが、“隊長”となると年配者を想定する方もいらっしゃるでしょう。そこには、「ボーイスカウトの隊長」を10代と思い込みたかったAさんの背景があります。
さて、Aさんのなかでは2人とも若く、運動ができ、結果を出しています。加えて、「野球は嫌い」という母親の声があるのであれば、迷うことなく「ボーイスカウトの隊長」を選んだでしょう。けれど、この2人でAさんは葛藤し、その挙げ句「プロ野球の選手」を選びました。なぜそうなったのでしょうか。
まずおさらいしてみましょう。
母親の要求は次のようなものでしたした。
・若いこと
・頭がいいこと
・運動神経がいいこと
・結果を出すこと
この中で、「若いこと」より「頭がいいこと」が優先順位が上でした。
次に、「頭がいいこと」より「結果を出すこと」が優先順位が上でした。
このようにして8人が選別され、残る2人の内1人を選ぶところまで来ました。
ここでもし「ボーイスカウトの隊長」を選んでいれば、運動神経がよく結果を出していても、母親が嫌いな野球選手は選ばなかったということになり、その場合の優先順位は次のようになるでしょう。
若い<頭がいい&運動神経がいい<結果を出す<母親の好き嫌い
つまり、「個」の能力をどんなに高めかつ成果を上げたとしても、最終的には母親の好き嫌いだけで決まってしまうということです。けれど、葛藤して「プロ野球の選手」を選んだところにAさんの変化が見られるように思いました。
最近のAさんは、ゴルフをするようになりました。これまで「あんなのスポーツじゃない」と言っていた母親の禁止令に逆らえずにしてきませんでしたが、「好きじゃないけど付き合いで」とIP(脳内母親)に言い訳しつつ、やっています。
なぜできるようになってきたかというと、母親が嫌うものは「Aさんが人とつながることになるものごと」だということがわかったからです。たとえば、テニスは母親がするからOKなのですが、うまくなってはいけません。母親の相手をする分にはOKなのですが、それ以上にうまくなって他人とプレーをすることは許されません―そういう感じだったのです。
それがわかってきたので勇気を出してゴルフを始め、やってみると「面白いな」と感じています。つまり、「好きじゃないけど付き合いで」と脳内母親に言い訳しつつも、やってみると面白いという手応えをつかんでいるわけです。この手応えがAさんに勇気を与えたのでしょう。
また、Aさんは太っていないのに「太っている」と母親に洗脳された幼少期がありました。その洗脳は布石であり、太っている「から~」がくっつきます。たとえば、「太っているから走るのが遅い」「太っているから運動できない」―つまり、母親は「運動できない人は好きにならない」と言って聞かせながら、「運動ができるようになるな」という禁止令を発動していたわけです。
本当は選択できるのに選択してはいけない立場に置かれたとき、そこに妬みや嫉妬心や憧れなどの感情がわき起こります。Aさんにもスポーツや運動神経に対しての強い憧れがありました。その思いが「プロ野球の選手」を選ばせたのかもしれません。
図式的に整理しますと、「ボーイスカウトの隊長」を10代と思い込ませたのは、脚本ちゃんでしょう。そう自分に思い込ませれば、あとは年齢基準で選択されるはずです。「プロ野球の選手」を選択する道は、「野球は嫌い」と言う脳内母親がブロックしてくれています。
けれど、自分の思いで行動し始めているAさんは、「野球をしたい」というIC(小さいちゃん)の思いをとりました。ここでは「脳内母親+脚本連合」とのバトルに打ち勝ったわけです。とはいえ、バトルをしていること自体、まだ自由ではないということですし、わざわざ「野球は好きではないですが」と先に言うことで脳内母親に言い訳をしながら選んでいますが。
こうしてみますと、
1人目は、自己投影。
2人目は、脳内母親の基準。
3人目は、インナーチャイルドの思いで決めているようです。
◆無意識---------------------------------------------------------
ところで、「ニュースキャスター 45歳」と「日本画芸術院会員」は、最初から意識に上りませんでしたね。その背景を探っていくと、
ニュースキャスターから出てきたキーワードは「コミュニケーション」。
日本画芸術院会員から出てきたキーワードは「感情表現」。
Aさんは人とつながることも気持ちを表現することも禁じられていました。母親の道具でなければならなかったので、自分の気持ちや意志を表現してはいけなかったのです。それを表現することは「人間」になることであり、それは脳内母親を裏切ることになります。ですから、それにつながるこの二人は、最初から考慮にも入れない―その姿を脳内母親に見せていたわけです。
下意識は、「母親の言っていたこと」が子に内在化した基準(価値観)でした。言っていたこと=「明示的」な部分ですね。それに従って人選していたわけです。
3人目はそこを乗り越えて自分の思いで選びましたが、自分の中心にあるのは母親の明示的な価値基準でした。
「下意識」とは、「意識されていないが、思い出す努力によって意識化できる精神の領域」のことを言います。意識化したときに葛藤も生まれるでしょう。
ところが、最初からスルーした上記2人は、葛藤さえ生まれませんでした。
葛藤さえも起こってはいけない絶対不可侵領域―なのでこの層を「無意識」としましたが、ここは母親が姿勢や表情や態度や言葉の端々で示す「暗示的」な部分です。
母親が決して表では言えないこと、自分にさえも意識上に上ってはいけないこと。けれど、母親の奥底にある子供に対する本心の望み―それは、「子がいつまでも自律できずに母親だけを見続ける存在(=代理母親)になること」。
これが子の脚本の根底にあると、誰ともつながれないまま、最終的には心身のいずれかあるいはいずれもが植物人間状態に向かっていくことになります。ですから、決して自分に認識させてはいけないタブー(絶対不可侵領域)となるのです。
整理しますと、
下意識の基準:明示的。選択の対象になる
無意識の基準:暗示的。選択の対象にさえしない
◆暗示の内在化-----------------------------------------------
ではどのように、子はこの暗示を内在化させていくのでしょうか。
上記で「運動できない人は好きにならない」と言いつつ、「野球は嫌い」と言っている母親がいましたね。子供は「なんで?」と思いますよね。この「なんで?」の部分に母親の本当の望み=「我が子を代理母親にしたい」が隠されています。
日常の中にちりばめられている母親の言動を探っていくと、お母さんが嫌うのは野球などのチームでやるスポーツやゴルフなど社交でやるスポーツであり、お母さんがするテニスはOKでした。
また、太ってないのに太っていると言われたり、足が遅くないのに遅いと言われて実際遅くなったり・・・そういう日々の体験の中で、子供は母親の奥底にある本当の望みを感知していきます。
そして、口先では「運動できない人は好きにならない」とお母さんは言っているけど、僕に運動ができてほしくないんだなということや、お母さんが「嫌い」のという中には「人とつながるな」という禁止令が隠されていることがわかってくるわけです。
これらが積み重なって、たとえば「なにもせずにそこにいろ」という脚本になっていくわけです。
◆下意識(脚本)と無意識(存在不安)----------------------------
整理してみましょう。
表層意識:母親の価値観の内公的に使いやすいもの(外に見せる自分)
下意識 :上記以外の母親の価値観(公的に使いにくいもの)
無意識 :母親の根底にある欲求(意識化されてはならないもの)
表層意識:年齢基準
下意識 :頭がいい、運動神経がいい、結果を出す
無意識 :母親以外とつながるな、自律するな
この下意識と無意識の部分をAさんの世代間連鎖に照らしてみますと、
下意識の欲求は、Aさんの母親が祖母に見せたい部分。
無意識の欲求は、Aさんの母親の存在不安から出てきた欲求と言っていいかもしれません。
すべての人は、日々の姿を脳内母親に見せながら生きています。
Aさんの母親もまた自分の姿を「脳内母親(祖母)」に見せて生きており、子供を道具にして脳内母親の望むことを子供を使ってしようとするわけです。ですから、下意識の部分は、母親が「脳内母親」に見せる部分(母親のための人生脚本)とみていいでしょう。
けれど、脳内母親に見せればいいのは“形”だけでいいことを本人が無意識に知っています。優秀になって自律されては困る―それが本音です。その背景にあるのは、「存在不安から逃げるために意識を向け続けるネタであれ」という欲求と、それと並立ですが「自分だけを見る代理母親であれ」という欲求です。
この存在不安(もしくはストローク飢餓)がらみの2つの欲求は、配偶者や子供達に分散することもあれば同一人に集中することもあります。いずれにせよ、図式的ですが次のように見るとわかりやすいかもしれません。
下意識 :母親の脚本を内在化した部分
無意識 :母親の存在不安に呼応した部分
◆深層心理------------------------------------------------
さて、Aさんは「下意識の欲求」(母親の脚本)に従って個別の能力を高めようと努力してきました。けれど、どんなに高めてもポカをしたりミスったりトラブルを起こしたりして、自分を振り出しに戻してきました。「無意識の欲求」(母親の存在不安)に従うためです。
ですから、自分の能力を認める人がいたりすると、うれしい半面とても居心地が悪くなり、自分を否定する人を探そうとします。あるいは、そういう人がいなさそうな場であれば、自分から「場違いな行動」を仕掛けて「拒否」を受け取り、それでやっと「これでいいんだ」と落ち着きます。
そのようなゲームを続けながら、かんまんに「自律せずに人と繋がらず、母親だけを見る生き人形」へと至る道を歩き続けていたわけです。そのゴールの一つの形が、たとえば「寝たきり人生」でしょう。
すごいですね。子供は親の望むあらゆる側面(たとえば文武両道の優秀な人間)をかなえつつ、最終的には親が心底望んでいる願望(生き人形)実現に向かって突っ走ります。
努力してはその自分を突き落とし、人と近しくなったらその人を突き放し・・・大変ですね~。
この無限ループから抜け出るためには、まずこの「自分の構造」に気づくこと。すると、上記のように脚本ちゃんが突っ走ろうとする世界と小さいちゃんが望む2つの世界が自分の中にあり、それが矛盾しているどころか相容れないことがわかってくるでしょう。そこから少しづつ選択の変化が現れ、その一つずつが人生を変えていきます。
次に、無意識のさらに深層に閉じ込めている感情たちを発掘・発見し、それを声に出して表現していくことです。
ここで厄介なのが、「不安感情」と向き合うこと。それが嫌さにみんな脚本人生を突っ走っているわけですから、それがどれほど嫌かわかろうというもの。けれど、そこから逃げ続けているとどうなるのか―それは、皆様のご両親が教えてくれています。
あとは、それこそ、決意と選択の問題です。
これまでと方向を変える。
そして、歩き始める。
あとは、一歩ずつでいいんです。
ふと気づいたときに、前の世界とはずいぶんと違うところにいることがわかるでしょう。
【神原駿河(沢城みゆき) 「ambivalent world」】