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生まれ故郷への旅

2015/07/21(Tue) Category : 旅行記
明日22日から四国―松山、宇和島に妻と旅行に出かけますので、26日まで連絡が取れませんがよろしくお願いいたします。


◆生誕の地―宇和島----------------------------------------

宇和島は私が生まれた地。

父は興人パルプに勤め、若い頃は木材購入のため九州各地の山林を歩き回っていました。小学校に通うために毎日何時間も山林を歩いていた父。山々を歩き回るのは苦ではなかったでしょう。木の育ち具合や山全体の様子を見て購入金額を決めるようですが、その目は肥えていたようです。
(孫(妹の子)が本格的に山歩きをしていますが、面白いですね。サバイバルの時は、その子に聞けば生き残れそうです)

昭和30年代のことで、まだまだ山地は不便。軌道(作業に使うトロッコ用の線路)を道路に変えた狭い崖道もあり、そこを馬に引かせて材木を搬出する際、馬がカーブなどで後ずさりしたときに荷車が道路から外れ、馬もろとも崖下に転落―そういう話があったそうです。そのような狭い道から材木を搬出するために、細長い材木運搬車を特注で作ったこともあったそう。

南九州の方では、山又山を越えた入り江に平家の末裔の集落があったそうです。


母と知り合ったのは宮崎の事務所にいた頃。そこから鹿児島市の下荒田に転勤して間もない秋に結婚します。当時の会社の制度では、寮から社宅に移るのは転勤がきっかけとなるようで、翌春、奄美大島を歩いた父は離島時に家を見つけ、そこに住むつもりで下荒田に母を呼んだようです。

けれど、新婚で奄美大島は大変だろうとの会社の判断で、夫婦で住める“離れ”がある宇和島に赴任することになったそうです。下荒田で同居した1ヶ月程度の間に方向が変わったようですね。

下荒田も桜島を眼前に眺める港湾地区ですが、両親が住んだ宇和島の築地地区も海が眼前に見える港湾地区。私が生まれて間もなく九州を転々とすることになるので、宇和島にいたのは1年足らず。まるで私を産むために宇和島に行ったかのようで、宇和島には何かのご縁があるのかもしれません。


さて、生まれたとは言え、生後1度も宇和島を訪れたことがありませんでした。高校の時2週間の自転車旅行をしたときも、佐伯(大分)→宿毛(高知)に渡り、四国の南側海岸線を辿って徳島から神戸→北陸→富山→高山というルートを辿りましたし、20歳の時に1年間ヒッチハイクしたときもつかまえた車任せの行き先でしたので、瀬戸内側は通りませんでした。
というわけで、生まれて後初めての宇和島訪問となります。




和霊神社-------------------------------------------------

この時期にしたのは、和霊(われい)神社のお祭り和霊大祭うわじま牛鬼まつりがあるから。かつては、祭りの期間中は大漁旗を立てた漁船が近郊からもやってきて、港は満艦飾の船でびっしりと埋まって壮観だったそうです。

和霊神社は私の「お宮参り」となった神社ですが、自らの足を運んだことがありませんでしたので、いつか御礼参りしようと思っていました。

和霊神社は菅原道真を祀る太宰府天満宮と同じく、いわゆる怨霊鎮めの神社です。祀られているのは、山家清兵衛公頼(やんべせいべえきんより)(米沢出身1579-1620)。

旧領主の悪政により疲弊していた宇和島に伊達政宗の長男・秀宗が送り込まれます。その時政宗がつけた筆頭家老が山家清兵衛でした。清兵衛の改革により宇和島は息を吹き返しますが、その人気に嫉妬したのが秀宗。桜田玄蕃と謀略して山家一族を皆殺しにしますが、その後玄蕃をはじめとする関係者が変死したため祟りと怖れられ、秀宗が清兵衛の霊を鎮魂するために1653年に清兵衛邸跡に建てた小祠が和霊神社の始まりだそうです。(和霊騒動)

私の好きな上杉鷹山(1751-1822)も、米沢藩立て直しの際に殺されかけましたね。私も組織改革を体験しているので、改革には外(外様)の力が必要であることも、それを抹殺しようとする反対勢力があることも、よくわかります。



ついでに・・1762年、坂本八郎兵衛直益が大衆の守護神とし信仰されていた和霊神社の由来を知り、坂本家の屋敷神として勧請し、高知の水谷山に和霊神社を建立しました。
4代の後の1862年、坂本龍馬はその和霊神社で脱藩の決意をしたそうです。そして、ここの和霊神社では毎年3月に龍馬脱藩祭を開催しているようです。

和霊神社って、庶民の見方であり、かつ変革に関わる神社のようですね。




◆産土神-------------------------------------------------

ところで、両親が住んでいた近くには弁天様が祀られています。弁天というと、元の神様は何だったのだろうと考えてしまいますが、私の産土神(うぶすながみ:土(すな)=万物を産み出す神)はどこなのかなぁ、と。

人間は、父+母+産土神のムスビ(産す霊)で生まれてくるそうです。産土神とは、霊魂を送り届ける神、受け取る神、霊魂を両親と結ぶ神の総称。

どの親元に生まれるかという子の魂と
その土地に住む親の魂を結びつけるのが産土神。

父と母から肉体と遺伝情報をもらって「人」となり、
産土神に魂を橋渡ししてもらって「霊止」(ひと)になるようです。

インナーチャイルドとつながって生きることが霊止の道の入り口なのでしょう。そして、霊止という意識を持ってはじめて「一十」(ひと→霊長)になることができるのでしょう。

霊長とは支配者ではなく、大自然を効果的に守り活かす「庭師」です。(そのモデルの1人が木村秋則さん)


さて、産土神をその土地に祀られている神と単純に考えれば、私は2月生まれなので、4月に宇和島に転勤していれば弁天様。4月に鹿児島市の下荒田にいたのであれば荒田八幡宮。両親共に記憶が遠く判然としませんが、わざわざ母を下荒田に呼んだことや、夏前に引っ越した、という言い方が気になります。

けれど、本当の産土神は地縁ではなく神縁でつながっていて、同じ所で生まれていても産土神はそれぞれ違うそうです。全く違う所にある産土神とつながっていることもあるようなので、いずれ自分の本当の産土神を探してみたいと思います。

ともあれ、どこの神社でも、きちんと御礼してこようと思います。





次のように記事を掲載しております。

【松山・宇和島心の旅】
<松山編>
1.道後温泉~坊ちゃん列車
2.松山城
3.湯神社
4.伊佐爾波神社~八幡神社の謎
5.椿神社(伊豫豆比古命神社)の秘密は「愛媛」の秘密


<宇和島編>
1 終着駅宇和島―そこは折り返しの始発駅
2 「牛鬼」の謎
3 宇和島港で見た両親の姿
4 鳶とカラスが乱舞する宇和島港
5 伊達400年祭準備をする宇和島城
6 壮麗!宇和島海上打ち上げ花火2015
7 「ぐるり宇和海」―高速船あさかぜ島巡り 
8 多賀神社~性の博物館―凸凹神堂
9 民の守護神、和霊神社へ
10 宇和島闘牛 和霊大祭場所千秋楽 重量級チャンピオン戦 天龍若力vs牙狼
11 牛鬼パレードと和霊神社の神輿
12 「昭和」が残る和霊大祭の宵~美しい滝花火
13 熱気!和霊大祭クライマックス 走り込み
14 祭りの後
松山・宇和島心の旅終章―二人の旅立ち



*まとめ
「和霊大祭・うわじま牛鬼まつり」満喫の旅






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