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「日本のいちばん長い日」~昭和天皇、鈴木貫太郎、阿南惟幾三傑の提示したもの

2015/08/15(Sat) Category : 戦争
映画「日本のいちばん長い日」を見て、昭和天皇、鈴木貫太郎首相、阿南惟幾陸相の三傑を知った。この3人が揃わなかったら、今の日本はなかった―つくづくとそう実感した。


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昭和18年7月 イタリアは分裂し、同胞相撃つ内戦に陥った。
昭和20年4月 ムッソリーニは処刑され、ヒトラーは自殺。ドイツは無政府状態となり、東西に分割された。 

イタリアもドイツも国民の心が割れる、国が割れるという悲惨な状況に堕とされた。日本は・・・

昭和20年―
3月 B29が東京大空襲。10万人が亡くなり沖縄が戦場となった。
4月 戦艦大和撃沈―海軍は終止符を打たれた。
6月 沖縄陥落(死者20万人)。米軍は中小都市を空襲し始めた。

こうしてみると、もう詰んでいることがわかる。
けれど、600万の兵が残る陸軍は血気盛んだった。


当時中1の父は、電車の中で、捕まっている敵兵に竹刀を打ち下ろしている学生を見ている。本当のことを知らされていない若者も血気盛んだった。

上空を飛んでいく飛行機の編隊に向かって友人たちと「万歳」と叫んだこともあった。けれど間もなくその飛んでいった先から爆弾の音が聞こえてきて、それが敵機だと知った。日本の上空を我が物顔に敵機が飛ぶなど思いも寄らなかった。

天皇の詔勅があった8/15も、父は山畑の開墾にかり出されていた。帰り際、通りにいた老人が「日本は負けた」と言うと、友人が「デタラメ言うと殺すぞ!」と凄い剣幕で怒鳴った。
が、帰宅したときに“空気”が違うのを感じた。戦地に出ている兄達が帰ってくる―そういう母の期待を感じ、戦争が終わったことを知った・・・。

国民にとって玉音放送は、まさに唐突だったのだ。
しかも、それまで神として祀られていた人の肉声がラジオから直接聞けるのだから、それだけで一大事であることが伝わっただろう。



歴史を知っている現代から見れば昭和20年は戦争が終わった年だが、大本営発表しか知らない当時の国民は、まだ戦争は続くと思っていたし、負けるとも思っていなかった。女子は学徒動員で軍需工場で働き、男子は軍人を目指していた時代である。

『戦争をはじめることはある意味で簡単であるが、終えることは本当に難しい。』―「日本のいちばん長い日」を書いたノンフィクション作家半藤一利氏の言葉だが、それを実感する映画だった。

体制ができればそれに向かって行動しはじめる。戦時体制と簡単に言うが、一旦それができあがってしまえばそれに向かって行動し始める。原発体制も同じ。

「体制」という言葉の下には、そこに向かって行動する多くの人間がいるわけで、一度そちらに向けて発破をかけて歩かせながら、いきなり「解散!」と言われたときにどれほどの反発や混乱が巻き起こるか・・・

「我慢は美徳」「ほしがりません勝つまでは」に始まり、殴られ踏みにじられ、理不尽な思いを呑み込み、先祖伝来の武具刀剣を供出し、我が子を提供し・・・一体どれほどの犠牲を払ったと思っている! 今更、解散とは何事だ!!―という思いも湧こう。急にせき止められたエネルギーは渦を巻く。

イタリアのように戦争継続派と降伏派に別れて内戦となっても不思議ではなかっただろう。果てはドイツのように無統制となって国が分割される憂き目に遭っていたかもしれない。

なんとしても一枚岩で終わらせなければならなかった。
それが「国体護持」という言葉に表されている。

この重責を担うに当たり、「余人はいない」という昭和天皇のたっての希望で4月に首相になったのが鈴木貫太郎だった。




◆鈴木貫太郎-----------------------------------------

鈴木貫太郎は、日清(M27)、日露(M37)に従軍―日露では「鬼貫太郎」と呼ばれ、東郷平八郎に認められた。やがて海軍トップに上りつめ連合艦隊司令長官となる歴戦の勇者だ。

私心なく仕えることから侍従長(天皇側近)に推挙され、我が子と同い年の昭和天皇のお世話をすることになり、昭和天皇から「親代わり」と見なされるほどの信頼を勝ち得る。

また、貫太郎の妻たかは昭和天皇の乳母だったので、鈴木夫妻はまさに昭和天皇の「親代わり」だったのだろう。

けれど、「君側の忠」たる貫太郎は、血気盛んな青年将校から見れば天皇を惑わす「君側の奸」にしか見えなかった。


昭和12年2月26日の夜、若い軍人たちが押しかけてきた。
たか婦人は、「人の家に土足で入るとは何事ですか。帝国陸軍の軍人として恥ずかしくないのですか」と一喝。慌てて靴を脱いだそうだ。
貫太郎は「少し待て」と言って、刀を取りに奥に入った。切れるだけ切ってやるつもりだったが刀が見つからない。たまたま前の晩にたか婦人が倉にしまっていたのだ。

後れを取るのも名折れなので、素手で戻ってきて「話したらいいじゃないか」という貫太郎に、安藤輝三は「ヒマ(時間)がありませんから撃ちます」と4発。眉間、心臓横、腹、肩に命中し、倒れた貫太郎から血がドクドク流れ出したそうだ。

それでも息をしているのを見て「とどめ、とどめ」と声が飛ぶのを、たか婦人は「とどめだけは、どうか待ってください」と止めた。兵隊たちは最敬礼して去った。

これで助かったのは奇跡としかいいようがないが、たか婦人に心得があったらしい。傷口に手を当てていると2,30分で出血が少なくなったそうだ。
貫太郎の8歳下に石井常造という陸軍少将がいる。彼が生気自強療法を編み出しているので、その手ほどきを受けたのかもしれない。


事件の2年前に貫太郎と安藤が会って話をしており、方向は違えど安藤が貫太郎に敬服していたこと。虫の知らせか、たか婦人が日本刀を隠していたこと(もし日本刀を持っていたら蜂の巣になっていただろう)。また後輩に生気術を編みだした者がおり婦人にその心得があったこと―これらのことが貫太郎を生かした。神ばかりと言うほかはない。

なお、タクシーで病人に運び込まれた貫太郎は心臓も停止したが、奇跡的に息を吹き返したという。眉間の弾丸は貫通して耳の後ろから出たことと胸部の弾丸は心臓からわずかにそれていたことが幸いした。


昭和天皇は激怒した。
「朕が最も信頼せる老臣を悉く倒すは、真綿にて朕が首を締むるに等しき行為なり」―軍服に着替え、大元帥として反乱軍を鎮圧された。

これを機に貫太郎は侍従長を退任するが、貫太郎の下で4年ほど侍従武官を務めたのが阿南惟幾(あなみこれちか)だった。




◆陸軍という逆風の中での鈴木首相の誕生--------------------

このまま戦争が継続すれば日本民族は滅ぶという危機感を持ったのは天皇である。温度差のあるこの難局を終戦に向けて舵を切りたい。方針が定まったときに大切なことは適任者を選ぶことだ。事の成否の根っこは人選にある。

本土決戦派の東條英機は、陸軍大将(畑俊六)を高圧的に推そうとしたが、重臣会議のメンバーは天皇の御心を知っており鈴木貫太郎に決定した。
去った老兵(なんと77歳―最高齢の首相就任)であり、「軍人が政治に関与せざるべし」という信念を持ち固持する貫太郎に、その信念を曲げてでもやってくれ、余人はいないと天皇は総理就任を依頼した。こうして、最高の人選はなされた。

こうして4/7から8/15に玉音放送が流れて終戦が決定し内閣総辞職するまでのわずか4ヶ月間、天皇の御心を実現するため一命を賭しての『最後のご奉公』が始まった。


就任間もない4/12、ルーズベルトが脳卒中で急死。鈴木首相は哀悼の意を表すと共に『我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います』という談話を発表し世界を感動させた。トーマス・マンは鈴木首相の武士道精神にいたく感動し、ドイツ人も見習えという声明を発表している。

ドイツ政府の遺憾の意を聞いておしかけてきた青年将校に対して貫太郎は次のように言ったそうだ。
『古来より、日本精神の一つに、敵を愛す、ということがある。私もまた、その日本精神に則ったまでです』

精神に則った行動をする―ここに貫太郎の私心のなさが現れているが、もう一つ、国の内外に「強く闘う」姿勢を示すこと―これを示すに最高の舞台でもあったのだろう。

と言うのも、本土決戦派から見て鈴木内閣は終戦に向けての内閣と見られていたので、そのようにレッテルを貼られていては何を言っても色眼鏡で見られてしまうし、風当たりは強いだろう。
そのため内閣スタート時に「強く闘う姿勢」を示したことで無用な暴走を未然に防いだかもしれない。これも二・二六事件の体験から直感的に得た知恵だったのかもしれない。




◆終戦に向けての体制------------------------------------

天皇の意志を実現するには、「体制」を作らなければならない。それこそが首相の成すべきことだ。組閣に際して鈴木首相が真っ先に行ったのが、 阿南を陸軍大臣にすることだった。
終戦に向けての鍵は陸軍。そこを暴走させずにどう鎮めていくか―その難しい役ができるのは兵士からの人望も篤く天皇からの信頼もある阿南惟幾しかいなかった。

阿南もまた、二・二六事件の時、「農民の救済を唱え、政治の改革を叫ばんとする者は、まず軍服を脱ぎ、しかる後に行え」と叛乱将校を厳しく批判しており、貫太郎と同じく「軍人が政治に関与せざるべし」という信念を持つ私心なき人だった。

こうして、天皇(終戦への意志)―鈴木首相(その意志の政治的統一:前海軍大将)―阿南陸軍大臣(その意志を持って軍の解体:現陸軍大将)という三位一体の布陣が整った。この三位一体なかりせば、日本はどうなっていたかわからない。この三者の出逢いも神仕組みのように思う。




【日本のいちばん長い日】





◆会議を踊らせた理由-----------------------------------

映画で会議の様子を見ていて感じたこと。
以前、『終戦 なぜ早く決められなかったのか』(NHKスペシャル)を見たときには、責任逃れのために会議が踊っている印象しかなかった。

けれど違う。
貫太郎は、わざと会議を踊らせたのだなぁ、と感じた。


議員は国民の感情の代弁者。大臣はその代表である。
その大臣が思いを言い尽くさなければ、大臣自らがその下―議員、ひいては国民に対して、説得力ある行動を示せるはずもない。

国民の中の相克するエネルギーのぶつかり合いは、6人の重臣によってなされることになった。イタリアにおける内戦が、日本ではこの6人によってなされていたと言ってもいいかもしれない。


そして、腹の底を割らせるためには、一つの「壁」が必要である。
その「壁」の役割をしたのが阿南陸相だった。

壁になり続けることで、双方から余分なものがそぎ落とされていき、最後にただ一つ守るべきものが残る。それが、イタリアやドイツのようにならないよう「国体護持」だった。




◆ご聖断----------------------------------------------

一方、連合国側では2月のヤルタ会談で、「千島・樺太の領有を認める代わりに、ドイツ降伏後90日以内に日本との戦争を始める」という米ソ密約ができていた。

トルーマンは、日本に和平の準備があることを知っていたが、ポツダム宣言原案から天皇制容認条項を削除し、日本を硬化させた。目的は、原爆の投下であろう。世界(特にソ連)に対してアメリカの破壊力の強さを見せつけんがために原爆投下前に終戦させるわけにはいかなかったのだろう。

8/06 広島に原爆投下(死者12万人)
8/09 ソ連参戦
8/09 長崎に原爆投下(死者7万人)

この状況の中、
8/10 午前零時から御前会議が開催され、「国体護持」について連合側に問うた。

8/12 連合側から回答の中の「subject to」(制限の下)という文言に対して「国体の根本的破壊なり」と阿南陸相が抵抗。陸軍も色めき立った。
これに対し、鈴木首相は言った。
「今日を外したら、ソ連が満洲、朝鮮、樺太ばかりでなく、北海道にもくるだろう。ドイツ同様に分割される。そうなれば日本の土台を壊してしまう。相手がアメリカであるうちに始末をつけねばならんのです。」

その間も米軍はビラをまき、そこには日本が連合軍の管理下に置かれることが書かれていた。それが知れ渡ればクーデターが起きる可能性が高いので決定を急がなければならない。そこで、

8/14 11:00am 再度御前会議が招集された。
国体の護持とは、つまるところ天皇を守ることである。
しかし、その天皇は国民を守ることを考えていた。

そして、天皇の次の一言で無条件降伏を決することになる。
「戦争を継続することは結局国体の護持もできずただ玉砕に終わるのみ」

ご聖断は下った。




◆クーデーター勃発vs軍事体制終結-----------------------

天皇は速やかに玉音放送の録音をし、それを侍従長が保管した。

ところがその深夜、天皇を守るべき近衛師団からクーデターが起こる。降伏阻止のため、玉音テープの捜索を行うと同時に、決起を促す放送をしようとしたが、放送局の女子職員が電源を落としたためにできなかった。
8/15 朝クーデーターは鎮圧された。(宮城事件)

同じく
8/15 朝5:30 阿南惟幾は「一死以て大罪を謝し奉る」と割腹自決。昭和天皇から拝領した純白のワイシャツを身につけ、介錯を拒んで約2時間弱も苦しんだ後、絶命した。

苦しみながら死んだその死に様―陸軍大将が将兵の苦しみをその全身で受け止めたのだ―そう受け止めたものもいただろう。阿南陸相自らが陸軍を鎮めたのである。

ここに軍事体制は終結した。

軍事体制を終結させるための内閣の役割も終わった。
4月からの「長い4ヶ月」は、玉音放送を以て終わりを告げた。
8/15 内閣は総辞職した。


ある目的を持って結成されたプロジェクトチームは、その目的が達成されたならば解散する―これが極意である。そのプロジェクトが成功したからと言って欲をかき、そのメンバーのまま他の目標に進み始めると道を誤る。

(たとえば自衛隊と軍では設立の目的が違う。目的が違えば体制も異なり、細部まで異なってくるため、機能し得ていたものが機能できなくなったりすることもある。そういうことを理解しなければ臍をかむことになる。)




◆鈴木貫太郎と徳川慶喜、阿南惟幾と西郷隆盛-------------------

ところで、鈴木貫太郎と阿南惟幾は、徳川慶喜と西郷隆盛に似ている。
慶喜は時代の枠組みを閉じ、西郷はその枠組みがなくなることで憂き目に遭うサムライの様々な感情を自らに集結させ、最後に一花咲かせて散った。
この二人の協力で、サムライの時代(体制)の終結は成ったのである。

同様に、貫太郎は戦争という時代(体制)の枠組みを閉じ、阿南はその枠組みがなくなることで憂き目に遭う兵士達の様々な感情を一身に集め、その身を閉じることによって封印した。

時代の変わり目には、このような役目が必要なのである。
(プラス鷹山や龍馬のように始める役が必要。 家族の連鎖を止める場合も同じ。閉じる役と始める役がいます)

昭和天皇は、終戦が成ったことに対して次のように語られている。
「私と肝胆相照らした鈴木であったからこそ、このことができたのだ」




◆「永遠の平和。永遠の平和」-----------------------------

日清・日露・二二六・太平洋戦争と、戦争の時代を戦い抜いた鈴木貫太郎。
軍人として生き抜いた鈴木貫太郎。

軍人として生ききった最後のお役目は、軍をなくすことだった。

軍人は軍という組織がなければ生きられない。
その「ザ・軍人」が、軍はいらないと言ったのだ。

彼は、その身を以て、日本においていち早く「戦争の世紀」の幕引きをしたのだと思う。だからこそ日本は、次の世紀に向けていち早くスタートを切れたのではないだろうか。



鈴木貫太郎は死の直前、はっきりした声で二度繰り返したという。

「永遠の平和。永遠の平和」

鈴木貫太郎の言葉であるが故に、重い。



これは、玉音放送で語られた天皇の思いそのものだろうと思う。
『朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス』

『私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。』
【終戦の詔勅】より

昭和天皇が臥薪嘗胆の思いで言われた「万世の太平」―この天皇の痛切な思いを「永遠の平和」という言葉に込めたのではないか。天皇と肝胆相照らした鈴木貫太郎が、最期の最後に私たちに託した言葉―それは、「永遠に平け和せ」ということではなかったか。


ポツダム宣言を読んだことがないという安倍首相は、その宣言の背後にこれだけの人柱があったことを、どれほどの思いで知っているのだろうか。

昭和天皇の身を切られる思いがあったことに、どれほど思いをいたしているだろうか。

自衛隊と集団的自衛権を行使できる軍は異なるだろう。
軍という「体制」ができることが、その後何がどのように波及していくことになるのか検討したのだろうか。




◆日本人のポリシー--------------------------------------

鈴木貫太郎は、軍人である前に『敵を愛す』日本人だった。
「和を以て貴しとなす」―それが「大いなる和」を民族名とする大和民族のポリシー(魂)ではないか。

日本は、平け和す(ことむけやわす)やり方を徹底して追究し、提示していく国であること―その決意と覚悟が憲法9条なのではないか。

それは、大変な道のりだ。
武力に訴えたくもなろう。

けれどそれは、天皇が最も嫌う道である。
『もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。』【前出「終戦の詔勅」より】

そして、半藤一利氏の言葉をもう一度記す。
『戦争をはじめることはある意味で簡単であるが、終えることは本当に難しい。』

この難しさを実際に経てこられたからこそ、決意を以て天皇は国民に語られたのだ。
『ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。』
【同上】


その道を行くための姿勢をも鈴木貫太郎は簡潔に示している。

『正直に、腹を立てずに、撓(たわ)まず励め』

大変なことだが肝に銘じたいと思う。









【ご参考】


【歴史秘話ヒストリア 名作選「天皇のそばにいた男 鈴木貫太郎」】



【「日本のいちばん長い日」公開記念特番】






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