配偶者の脚本を知る
2015/09/28(Mon) Category : 二世帯同居・介護
【親の介護をする前に】
3.配偶者の脚本を知る-----------------------------------
さて、自分の心の棚卸しをし、両親の在り方(脚本や存在不安からの逃げ方)を知る―「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」ですが、もう一人知っておかなければならない相手がいます。配偶者ですね。
生まれながらに自律している人はいませんから(というよりも生まれた時が一番自律していて、その後劣化していくと考えた方がしっくりきますが)、結婚は共依存から始まります。ごく大まかに言うと、存在不安が同程度であり、脚本が互いにかみ合う人同士が結びつくわけです。
そしてその結びつきは、目の前の相手だけではなく、その後ろにいる母親を目当てにしている場合もあります。たとえば、実母に面倒を見てもらえなかったので、とても世話焼きの義母に惹かれるとか、実母が姑で苦労したので、それ以上に苦労しそうな姑のいる相手を選ぶとか・・・。
上記の内、前者は「母親がほしいチャイルド」の欲求が強く、後者は「母親のための人生脚本」の欲求が強いと言ってもいいでしょうか(前者においても,そういうチャイルドの欲求を利用する脚本があるわけですが)。
このように、自分の中にいる様々なチャイルドの欲求が、最も身近な存在である配偶者に対して向けられます。
・親に自分のことを見てほしいチャイルド(承認欲求)
・親に文句を言いたいチャイルド(代償行為)
・理想の親を求めるチャイルド(鋳型成形)
・脚本の役を演じてほしいチャイルド(操り人形)
・謎解きしつつ母親を庇うチャイルド(ゲーム)
・・・
これらのエネルギーを相互にぶつけ合うわけですから、かみ合っていなければ大変です。かみ合うあらこそ結婚できるのであり、その時、互いの存在が互いの脚本の証人役になることで、その関係性は安定します。そして、それらのことをしながら生涯存在不安から逃げおおせることができるわけです。
この関係を維持するためには、相手が変化しては困ります。その相手だからこそ鍵と鍵穴がかみ合ったのに、そのどちらかが変形されては困るのです。
逆に言えば、2人の関係が同じパターンの繰り返しで、変わりたくても変われない状況にある時は、それは相手に問題があるのではなく、自分の中に変わりたくない無意識(脚本)があるかも、と考えてみてください。
さて、どの夫婦も上記のような共依存で生きているわけですが、そのまま無自覚でいると、その影響をまず子供が受けることになります。たとえば次のように。
・苦しくないのに苦しい顔をしたわけ~脳内親に見せるための脚本ちゃんの表情
・顔に張り付いた表情―自分の顔に責任を持つということ
上記は、苦労や悲しみなど「不幸に向かう脚本」の事例ですが、「不幸に向かう脚本」は関わる全ての人をネタとして採用します。親兄弟、友人、配偶者、子供、義父母等々、「不幸を見せる」ために使えるキャラはもれなく使います。
そういう脚本の人にとって二世帯同居は、表層意識はどうあれ脚本は大喜びしているわけで、些細なことが大げさなことになったり、トラブルが頻発していったりすることになります。3世代を巻き込んだ脚本大劇場になったりするなら、その背景にはとてもよくかみ合っている夫婦の脚本があることに気づくといいと思います。
配偶者の脚本を知るということは自分の脚本を知るということにもつながります。お互い合わせ鏡ですからね。
夫婦がお互いのことをよく知ること。
そして、共依存ではなく夫婦連合を作る努力をすること。
そうすれば、共依存で無意識に互いの背中を押しつつ転がってくる老夫婦に対して、夫婦連合でその動きを止めることができるでしょう。
・人生脚本の見せ場としての人間関係
3.配偶者の脚本を知る-----------------------------------
さて、自分の心の棚卸しをし、両親の在り方(脚本や存在不安からの逃げ方)を知る―「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」ですが、もう一人知っておかなければならない相手がいます。配偶者ですね。
生まれながらに自律している人はいませんから(というよりも生まれた時が一番自律していて、その後劣化していくと考えた方がしっくりきますが)、結婚は共依存から始まります。ごく大まかに言うと、存在不安が同程度であり、脚本が互いにかみ合う人同士が結びつくわけです。
そしてその結びつきは、目の前の相手だけではなく、その後ろにいる母親を目当てにしている場合もあります。たとえば、実母に面倒を見てもらえなかったので、とても世話焼きの義母に惹かれるとか、実母が姑で苦労したので、それ以上に苦労しそうな姑のいる相手を選ぶとか・・・。
上記の内、前者は「母親がほしいチャイルド」の欲求が強く、後者は「母親のための人生脚本」の欲求が強いと言ってもいいでしょうか(前者においても,そういうチャイルドの欲求を利用する脚本があるわけですが)。
このように、自分の中にいる様々なチャイルドの欲求が、最も身近な存在である配偶者に対して向けられます。
・親に自分のことを見てほしいチャイルド(承認欲求)
・親に文句を言いたいチャイルド(代償行為)
・理想の親を求めるチャイルド(鋳型成形)
・脚本の役を演じてほしいチャイルド(操り人形)
・謎解きしつつ母親を庇うチャイルド(ゲーム)
・・・
これらのエネルギーを相互にぶつけ合うわけですから、かみ合っていなければ大変です。かみ合うあらこそ結婚できるのであり、その時、互いの存在が互いの脚本の証人役になることで、その関係性は安定します。そして、それらのことをしながら生涯存在不安から逃げおおせることができるわけです。
この関係を維持するためには、相手が変化しては困ります。その相手だからこそ鍵と鍵穴がかみ合ったのに、そのどちらかが変形されては困るのです。
逆に言えば、2人の関係が同じパターンの繰り返しで、変わりたくても変われない状況にある時は、それは相手に問題があるのではなく、自分の中に変わりたくない無意識(脚本)があるかも、と考えてみてください。
さて、どの夫婦も上記のような共依存で生きているわけですが、そのまま無自覚でいると、その影響をまず子供が受けることになります。たとえば次のように。
・苦しくないのに苦しい顔をしたわけ~脳内親に見せるための脚本ちゃんの表情
・顔に張り付いた表情―自分の顔に責任を持つということ
上記は、苦労や悲しみなど「不幸に向かう脚本」の事例ですが、「不幸に向かう脚本」は関わる全ての人をネタとして採用します。親兄弟、友人、配偶者、子供、義父母等々、「不幸を見せる」ために使えるキャラはもれなく使います。
そういう脚本の人にとって二世帯同居は、表層意識はどうあれ脚本は大喜びしているわけで、些細なことが大げさなことになったり、トラブルが頻発していったりすることになります。3世代を巻き込んだ脚本大劇場になったりするなら、その背景にはとてもよくかみ合っている夫婦の脚本があることに気づくといいと思います。
配偶者の脚本を知るということは自分の脚本を知るということにもつながります。お互い合わせ鏡ですからね。
夫婦がお互いのことをよく知ること。
そして、共依存ではなく夫婦連合を作る努力をすること。
そうすれば、共依存で無意識に互いの背中を押しつつ転がってくる老夫婦に対して、夫婦連合でその動きを止めることができるでしょう。
・人生脚本の見せ場としての人間関係