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松山心の旅5.椿神社(伊豫豆比古命神社)の秘密は「愛媛」の秘密

2015/11/20(Fri) Category : 神社・寺・城・歴史
【松山・宇和島心の旅】

3泊4日の松山・宇和島の旅の最終日。
特急宇和海に乗って、再び松山へ。

飛行機まで時間があるので、「お椿さん」に行くことにしていました。
松山駅→(約20分)→椿神社→(約20分)→松山空港という経路なので、タクシーに待って頂き、ぐるっと一回りしました。

平成24年(2012年)には御鎮座2300年祭が行われた古社、椿神社。調べてみると興味深いですね~。


●椿神社は津脇神社------------------------------------------

椿神社は、「津脇神社」―津(海)の傍にある神社―がなまったものという説があるそうで、さもありなんという思いです。宇佐神宮のある山も、かつては船でたどり着いた宇佐島という島でしたからね(もちろん、縄張りという意味のシマでもあるのでしょうが)。

縄文海進の頃は、下図の椿神社のあたりまで海だったのでしょう。縄文海洋民族との関わりがありそうですね。

椿神社位置図
椿神社位置図 posted by (C)Hide


縄文海進時の関東が下図のような感じですから、類推できますね。房総半島は、半島というよりも、ほぼ島ですね。(出展『日本史の謎は「地形」で解ける』)

縄文海進時の関東

仮に椿神社が2300年前に建てられたとして、2300年前までは、あのあたりまで海だったということです。



●わずが400年前まで海と湖沼、干潟の国だった日本---------------------

また、過去の地形がどうだったかというのは、縄文海進だけではなく、地球膨張、地殻変動、気候変動による影響(日本が亜熱帯だった頃は高地及び東北が住みやすかった)も考えなければなりません。地質学者によれば、地球の表面はとても柔らかいようですから。

1274年蒙古襲来の折、なぜ大陸を制覇したモンゴル軍が負けたのか?それは、福岡が泥湿地で世界に誇る牛戦車軍団が機能しなかったからだそうです(上記本より)。

1601~20年代に設置された東海道五十三次。宮と桑名の間が海路になっているのは、泥の濃尾平野を越えられなかったからだそうです(いずれも上記本より)。現在大都市を形成している平野はわずか400年前まで泥湿地、それ以前は海の底だったわけですね。

神社や貝塚の位置、津や崎などの地名の他に和歌も傍証となります。

「あり通ふ難波の宮は海近み海人娘子らが乗れる舟見ゆ」
(通っている難波宮は海が近いので、そこから海人族の子女らが乗る船が見える)

645年に造営された難波宮は海の傍だった=大阪市街はほとんど海や沼だったと言うことです。

法隆寺(607年創建)も奈良湖のほとりに建てられたようです。
これで謎が解けました。
聖徳太子は、外国から来た使者が船上から整然たる都市と大伽藍を見たときに、「日出ずる国」の威信を見せるべく法隆寺を設計したようですが、それは海→川→奈良湖というルートを辿ってくることを前提としていたわけですね。

つまり、わずか1400年前に奈良盆地は湖で、藤原京や平城京など奈良の都は湖畔に造営されていたということですね。
【参考:地球膨張論と古代近畿の水系の謎①




●伊予之二名島-------------------------------------------

さて、古事記によれば、イザナギとイザナミは最初、オノゴロ島に降り立ち、水蛭子(ヒルコ)と淡島(アワシマ)を産みます。その後、八つの島―大八島国(オオヤシマノクニ)を産んでいきます。順にいえば、

1.淡路島:淡道之穂之狭別島(アワジノホノサワケノシマ)
2.四国:伊予之二名島(イヨノフタナノシマ)
3.隠岐島:隠伎之三子島(オキノミツゴノシマ)
4.九州:筑紫島(ツクシノシマ)
5.壱岐島:伊岐島(イキノシマ)
6.対馬:津島(ツシマ)
7.佐渡島:佐渡島(サドノシマ)
8.本州:大倭豊秋津島(オオヤマトトヨアキヅシマ)

ただ、記紀は大和王朝(に隠れた勢力)を正当とするために、それ以前の王朝を封印していますから、ここでいう国産みとは、大和王朝の支配権拡大の順番なのかもしれません。

さて、伊予之二名島と筑紫島には、既にそれぞれ4つの顔がありました。ここでは四国のみ記します。

<伊予之二名島(四国)>
1.愛媛県(伊豫):愛比売(エヒメ)♀
2.香川県(讃岐):飯依比古(イイヨリヒコ)♂  →讃岐男(渇水/米)
3.徳島県(阿波):大宜都比売(オオゲツヒメ)♀→阿波女(洪水/藍)
4.高知県(土佐):建依別(タケヨリワケ)♂

「伊予之二名島」とは、「“伊”と“予”の2つの名がある島」ということのようです。愛媛県は「予州」と呼ばれ(伊予銀行の前身は予州銀行など)、徳島県が「伊の国」だったようですね。
【参考:古い阿波は、「イの国」といっていた




●「伊の国」(混血縄文系)と「豫の国」(土着縄文系)---------------------

ところで、飯依比古の名のごとく米所だった讃岐は、「河原あっても河はなし」という水不足の地(意外)。だから、溜池の密度日本一。なぜか?四国三郎吉野川が、香川だけ通っていないから。

一方、吉野川が荒れ狂った徳島は洪水の地。なので水田をあきらめ、台風による氾濫を避けるべく8月に収穫が終わる藍作に向かい、藍商人は阿波大尽と呼ばれるほどの大成功。

面白いね~。
川のない渇水の地が米所となり、
水が豊富な地に米は作らず藍染めの地になった。
そして、
田植え時には阿波女が讃岐に手伝いに行き、
藍の収穫時には讃岐男が阿波に出稼ぎに来た。
この2つの地域には密接な交流があったことがうかがわれますね。
【参考:讃岐男に阿波女

そういうつながりを見ると、讃岐と阿波が「伊州」、伊豫と土佐が「予州」と呼ばれていただろうと想定されます。

引き続き面白い記事がありました。
四国が伊予之二名島と呼ばれる理由とは?
伊予の語源を考える。伊豫に隠された「伊の国」「豫の国」

上記によれば、先に「豫の国」があり、新興勢力が「伊の国」を作ったということになります。なるほどこれも面白い。ところで新興勢力とは、何でしょうか。

実は、阿波や讃岐は、ヤマトタケルが東国から連れてきた蝦夷達を移配した地です。東国の縄文人が四国の縄文人と混血した―それが、阿波と讃岐なのでしょう。

縄文人は気候風土を見て自然を活かしますし、行動範囲が広い交易民族ですから、讃岐と阿波にその縄文人の特徴がよく現れている気がします。




●伊豫豆比売命=愛比売命=瀬織津姫----------------------------------

さて、この遠回りな前触れが一体、椿神社にどうつながるのでしょうか?

椿神社のご祭神は、4柱。
伊豫豆比古命(イヨズヒコノミコト)
伊豫豆比売命(イヨズヒメノミコト)
伊与主命(イヨヌシノミコト)
愛比売命(エヒメノミコト)

とされていますが、伊豫豆比古命と伊与主命は同一であるという説もあって2柱なのかもしれません。つまり、伊豫豆比古とは「伊与主」(伊予の王の男)のことだよ、伊豫豆比売はその妻「愛比売」だよ、ということをそれとなく示しているのかもしれません。

では、伊豫豆比古&伊豫豆比売って、誰?ということになります。
ここに面白い記事がありました。
ご神体に導かれ「日尾八幡神社・龍神社」

松山市の日尾八幡神社には多くの神が祭られていますが、その中玉殿に次の二柱が祭られているそうです。
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
伊予比売命(イヨズヒメノカミ)

ニギハヤヒは、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(アマテルクニテルヒコ・アメノホアカリ・クシタマ・ニギハヤヒノミコト)といい、いわゆる天照大神(アマテルオオカミ)です。

その妻は、龍神、瀬織津姫。つまり、ニギハヤヒと夫婦神として祭られているイヨズヒメの正体は瀬織津姫ではないでしょうか。その証拠に、ここでは伊予比売命と書きながら“命”を「カミ」と読ませていますね。

持統天皇が太陽神を女性に変えた時に消された神が、饒速日(本当の太陽神)と瀬織津姫でした。
瀬織津姫物語(セオリツヒメ)

予州(豫の国)として縄文勢力が残った国。
そして、廃藩置県の時、都道府県名に唯一、神名を冠した国。

その国の名、「愛媛」―それは、縄文の女神、瀬織津姫を表していたのかもしれません。




●伊豫豆比古命神社----------------------------------------

朱塗りの鳥居に十六弁八重表菊のご神紋です。
これって、いわゆる皇室の「菊のご紋」?
それに、「赤地に十六八重表菊」は天皇旗だそうですが、朱塗りに菊のご紋もそれを表している?

椿神社01 鳥居―赤地に十六八重表菊は天皇旗?
椿神社01 鳥居―赤地に十六八重表菊は天皇旗? posted by (C)Hide


左大臣・右大臣を配した楼門です。
香取神宮の左大臣・右大臣は、竹内宿祢と藤原鎌足だそうですが、こちらはどなたなんでしょう。

椿神社02 楼門―左大臣・右大臣は誰?
椿神社02 楼門―左大臣・右大臣は誰? posted by (C)Hide


ご神紋は「菊のご紋」そのままですね~。
左に見えるのが、御倉神社。
その奥、階段手前にあるのが伊豫豆比古命・伊豫豆比売命の二柱の神様が船で着いた舟山と、その時にお迎えした潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ)を祭る奏者社。

椿神社03 境内
椿神社03 境内 posted by (C)Hide


鋏魂碑(きょうこんひ)と筆魂碑(ひっこんひ)。
針供養と同じく、ハサミと筆の供養ですね。モノに対する敬意と万物に魂が宿る日本人の宇宙観を感じます。

椿神社04 鋏魂碑と筆魂碑
椿神社04 鋏魂碑と筆魂碑 posted by (C)Hide


御倉神社は、宇迦之御霊神(ウカノミタマノカミ)。

椿神社05 御倉神社(宇迦之御霊神)
椿神社05 御倉神社(宇迦之御霊神) posted by (C)Hide


勝軍八幡神社(かちいくさはちまんじんじゃ)は、蒙古襲来の時に宇佐八幡から勧進した神社ですが、祭神は誉田別命(ホンダワケノミコト)と天照大日霊命(アマテラスオオヒルメノミコト)。

椿神社06 勝軍八幡神社
椿神社06 勝軍八幡神社 posted by (C)Hide

面白いですね~。ここでは、天照大神(アマテラスオオミカミ)の元の名―「オオヒルメ」が出ていますし、神格も「命」です。椿神社の主神との関係性が出ているのかもしれません。


一段上がったところに拝殿が造営されていますね。
これは、ここの祭神がオオヒルメよりも上であることを示していそうです。

椿神社07 拝殿
椿神社07 拝殿 posted by (C)Hide

場所の高低は意図されていると思います。黄泉に向かう出雲大社は下り参道ですし、高野山の奥の院に向かう時も下りがありました。伊佐爾波神社の素鵞社も階段の下でしたね。江戸城も高低差を利用した造営をしています。

「環境の心理に与える影響」を熟知していたのは昔の人だけではなく、今も見られます。ある相談者のお住まいに向かう時、地域全体がその人にとってIC封印の結界になっていることに気づきました。

川を渡ると下り坂、そして狭い道に入って奥へと辿り、着いたところは時の止まったかのような場所でした。つまり、川は三途の川、そこから先はいわゆる黄泉国です(←現実の話ですが、心理世界の観点で見ています)。

また、子供を封印するために、子供部屋が地下室であったり、宙ぶらりんな中二階であったり、子供部屋に入る時に一段下がっていたり、という仕掛けはよく見られます。(そういう観点から見ると、下り参道で下った上に高殿で中空に置かれたかのような古代の出雲大社は、いろんな思いが湧きますね)

ごく普通の人々が、自分で無意識にそういう場を選んだり設計したりしているわけですから、人間って、本能的にそういうことを実は知っているんだなぁと、つくづく感じます。どの方もそれは見事な結界を張っていますからね~(^^;)。


天井は椿だらけでした。
椿神社08 天井は椿だらけ
椿神社08 天井は椿だらけ posted by (C)Hide


2人で感謝を捧げました。
椿神社09
椿神社09 posted by (C)Hide


高校生の美術部お見事。
椿神社10
椿神社10 posted by (C)Hide


絵馬の代わりの富久椿
椿神社11 冨久椿
椿神社11 冨久椿 posted by (C)Hide


さても見事だなぁ、と思います(↓)。
椿神社12 見事な形状「産す」造り
椿神社12 見事な形状「産す」造り posted by (C)Hide

あの屋根の下をくぐって、あの紐を操って、奥の院に向かって鐘をカンカンと突く(あるいは鈴を鳴らす)のです。
そして願い事をし、奥におわす神がそれを形にする―それは「結ぶ」「産すぶ」ということ。産す(創造する)ためには、そういうシステムにしなければならないのは当然。
宇和島の多賀神社で学んできましたからね~。神社の形状は見事というほかありません。

ただ、今の私は、お参りする時は、お願いではなく形(色)にしてくれたことへの感謝です。それは、当然私を産んでくれた両親への感謝につながります(両親がどのような両親であろうとも)。そして、両親を産んでくれた先祖への感謝につながります。



緑が美しかった~。
椿神社13 海藻の森で遊ぶ魚群のよう
椿神社13 海藻の森で遊ぶ魚群のよう posted by (C)Hide

海の中、海藻の森で遊んでいる魚群のようです。

影があるから、光が美しく映えますね。


児守神社(こもりじんじゃ)
椿神社14 児守神社
椿神社14 児守神社 posted by (C)Hide

祭神は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、天之水分命(アメノミクマリノミコト)。
コノハナサクヤヒメはニニギに貞操を疑われたので、火を放った産屋の中で出産し、無事三人の皇子を産みました。
水分(ミクマリ)とは「水を配る」意で、水源地などに祀られ、それが山の神と結びつき、ミクマリ→「御子守(みこもり)」と解されることで多産、安産、子の守り神と見なされるようになったそうです。

宇和島で会った弁天さん(イツクシマ姫)、そしてここで出逢ったコノハナサクヤ姫―子を守る神様があちらにもこちらにも居ますね。嬉しいですね。



---------------------------------------------------------
旅の終わりに面白い神社でした。

いえ、終わりは宇和島だったのでしょう。
両親と共にあった私の虚構世界は、私が両親の世界(舞台)に生まれた彼の地の現実を見ることで消えました。

架空の宇和島が現実の宇和島になった時、
宇和島は新たな私の人生の始発駅となりました。

両親は今も虚構の中に棲み、私の前に二つの世界が並行して在ります。
父は今もなお、自分史という終わりなき神話(虚構)を作り続けており、
母は脚本のゴールに向かって邁進しています。

父や母の話から理屈(辻褄合わせ)を取り去り事実を拾い上げることで、本当の姿が浮かび上がってきます。日本神話も、見直される時に来ているのでしょう。(そう言えば、日中韓首脳会談も「事実を直視する」ことを共有しましたね)

そして、訪れた椿神社。
そこは、記紀が隠している日本神道の姿を構造的に現していました。

新たなスタートの第一歩がここに記されたのかもしれません。


なんだか、伊豫豆比古命が右手を挙げてニコニコと手を振っているように見えます。

椿神社15 おや、ニコニコと手を振っている?
椿神社15 おや、ニコニコと手を振っている? posted by (C)Hide

バイバイ、お椿さん。

おかげさまで、抽象的だけど方向性が決まってきたかも。

ありがとう。

またね。







<その他ご参考>
松山の椿の秘密に迫る!『椿神社』で有名な『伊豫豆比古命神社』
椿神社(伊豫豆比古命神社)







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