松山・宇和島心の旅終章―二人の旅立ち
2015/11/21(Sat) Category : 旅行記
【松山・宇和島心の旅】
生まれ故郷宇和島への旅。
それは、生まれて半世紀以上たっての初めての旅でした。
そこで、
湯神社(オオナムヂとスクナヒコナ)、
伊佐爾波神社(八幡神、宗像三女神、スサノオ、武内宿禰と神功皇后)、
多賀神社(イザナギとイザナミ、淡島神)、
弁天神社(宗像三女神のイツクシマヒメ)、
和霊神社(山家清兵衛)、そして
椿神社(ニギハヤヒと愛比売→天照大神と瀬織津姫)と巡ってきました。
神社を巡ると、時空を巡りますね。
それにしても、父が豊の国で母が日向の国、その両親が宇和島→佐伯→大隅海岸沿い→鹿屋→飛騨高山と歩いているわけです。(さらに北海道→千葉→静岡→千葉ですから、縄文の地ですね~)
もしかすると、二人は私を縄文の地域を導き歩いているのかもしれないなぁと思ったりすることもあります。そして、その役割はちゃんと果たしているのかもしれません。
そう思うのも、相談者の方々の世代間連鎖を見ていて、本人も無意識にある使命を帯びて生きていたんだなぁと思えることがよくあるからです。
たとえば祖父が飲んだくれで山を売り、父は偏屈で親戚付き合いを断ち切り、その2名が一族の嫌われ者だったとします。けれど、その2名が過去から連綿と続く連鎖を、結果として見事に断ち切っていたんだなぁと思えることもあるわけです。
それは当事者の妻子にしてみれば、とんでもない夫であり親だったでしょう。けれどその二人が徹底してそれをしなければ断ち切れなかったとすれば、それ以上の余裕はなかっただろうなぁとも思えます。このようにその人一代の人生を見ても、その人の価値がわからない場合もあるのです。
もちろん、夫婦親子関係でいろいろな思いを経験するでしょう。けれど、それは学びです。その他に、その一生(行動)を通してのメッセージがあるのだとすれば、私はそのメッセージをきちんと受け止めたいと思います。
いずれ、高山への行き帰りによく立ち寄った諏訪、そして飛騨王朝のことも書くことになるのでしょう。
母の現世的な流浪の原点であり、私の始まりの地。
懐かしき昭和が残る宇和島への旅は終わりました。
「外に出るのがばからしい」と言った母にとって、宇和島に出た時点で人生終わっていたのです。終着駅宇和島は、ついに始発駅にはなりませんでした。
母が何も見なかった宇和島から、私はたくさんのものをもらいました。
それが、私のパワーとなることを感じています。
確かなものを得て、自分の足で、始発駅宇和島から
私は新たに旅立ちました。
これは、私の「死と再生」の旅だったのでしょう。
だから、その後、高野山にも向かったのでしょう。
私の原点を見つめる旅
それは、母親ワールドから「外」へ生まれ出ていく旅でもありました
その旅の間中、傍に居て見守ってくれた妻に感謝です。
これから、新たな旅が始まります。
ネオ縄文に向かって
眞智子と二人で
なんと、我が家の椿が、早くも咲き始めました。
二つ並んで咲いてますね~(下記写真は11/6に撮ったもの)。
びっくりぽん!(^^)

我が家の椿 posted by (C)Hide
生まれ故郷宇和島への旅。
それは、生まれて半世紀以上たっての初めての旅でした。
そこで、
湯神社(オオナムヂとスクナヒコナ)、
伊佐爾波神社(八幡神、宗像三女神、スサノオ、武内宿禰と神功皇后)、
多賀神社(イザナギとイザナミ、淡島神)、
弁天神社(宗像三女神のイツクシマヒメ)、
和霊神社(山家清兵衛)、そして
椿神社(ニギハヤヒと愛比売→天照大神と瀬織津姫)と巡ってきました。
神社を巡ると、時空を巡りますね。
それにしても、父が豊の国で母が日向の国、その両親が宇和島→佐伯→大隅海岸沿い→鹿屋→飛騨高山と歩いているわけです。(さらに北海道→千葉→静岡→千葉ですから、縄文の地ですね~)
もしかすると、二人は私を縄文の地域を導き歩いているのかもしれないなぁと思ったりすることもあります。そして、その役割はちゃんと果たしているのかもしれません。
そう思うのも、相談者の方々の世代間連鎖を見ていて、本人も無意識にある使命を帯びて生きていたんだなぁと思えることがよくあるからです。
たとえば祖父が飲んだくれで山を売り、父は偏屈で親戚付き合いを断ち切り、その2名が一族の嫌われ者だったとします。けれど、その2名が過去から連綿と続く連鎖を、結果として見事に断ち切っていたんだなぁと思えることもあるわけです。
それは当事者の妻子にしてみれば、とんでもない夫であり親だったでしょう。けれどその二人が徹底してそれをしなければ断ち切れなかったとすれば、それ以上の余裕はなかっただろうなぁとも思えます。このようにその人一代の人生を見ても、その人の価値がわからない場合もあるのです。
もちろん、夫婦親子関係でいろいろな思いを経験するでしょう。けれど、それは学びです。その他に、その一生(行動)を通してのメッセージがあるのだとすれば、私はそのメッセージをきちんと受け止めたいと思います。
いずれ、高山への行き帰りによく立ち寄った諏訪、そして飛騨王朝のことも書くことになるのでしょう。
母の現世的な流浪の原点であり、私の始まりの地。
懐かしき昭和が残る宇和島への旅は終わりました。
「外に出るのがばからしい」と言った母にとって、宇和島に出た時点で人生終わっていたのです。終着駅宇和島は、ついに始発駅にはなりませんでした。
母が何も見なかった宇和島から、私はたくさんのものをもらいました。
それが、私のパワーとなることを感じています。
確かなものを得て、自分の足で、始発駅宇和島から
私は新たに旅立ちました。
これは、私の「死と再生」の旅だったのでしょう。
だから、その後、高野山にも向かったのでしょう。
私の原点を見つめる旅
それは、母親ワールドから「外」へ生まれ出ていく旅でもありました
その旅の間中、傍に居て見守ってくれた妻に感謝です。
これから、新たな旅が始まります。
ネオ縄文に向かって
眞智子と二人で
なんと、我が家の椿が、早くも咲き始めました。
二つ並んで咲いてますね~(下記写真は11/6に撮ったもの)。
びっくりぽん!(^^)

我が家の椿 posted by (C)Hide