「言霊の幸ふ国」で流行っている「おつかれさま」
2016/01/11(Mon) Category : 世相・社会
1872年(明治5年)、ジュール・ヴェルヌが「八十日間世界一周」を発表。
1889年、ニューヨーク・ワールド紙は、世界一周最短記録を樹立すべくネリー・ブライを東回りの世界旅行に派遣。72日で地球一周を終え、日本に魅了され「愛と美と詩と清潔の国」と綴る。
同紙に対抗したコスモポリタン誌は、エリザベス・ビスランドを西回りの世界旅行に派遣。76日で地球一周を終える。
ラフカディオ・ハーンはビスランドから、『いかに日本は清潔で美しく人々も文明社会に汚染されていない夢のような国であったか』を聞き、日本に行くことを決意。
そして、1890年(明治23年)にハーンは英語教師として松江に着任。
そのハーン(小泉八雲/1850-1904)が出雲の地で見た毎朝の光景―
早朝の川岸から、柏手を4つ打つ音。
対岸でも、顔と手を洗い、口をすすいで朝日に向かって柏手を4つ。
橋の上からもこだまのように柏手の音。
三日月のような華奢な軽舟に立つ漁師も―
『パンパンと鳴るその音はまるで一続きの一斉射撃かと思われるほどに』
『こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられませ。世の中を美しくなさいますお光り千万有難う存じまする』という心の声をハーンは聞いていたようです。
―これが、世界で初めて一周を成し遂げた2人の女性を魅了し、ハーンが帰化を決意した日本(出雲)の毎朝の風景でした。
清々しい朝、その静寂を破って一斉に響く柏手の音―邪気が払われるような素晴らしい光景ですね。まるで、毎朝元旦のようです。あるいは、その生活の場そのものが“神社”のようです。
そう、神は神社にいるのではなく身近にいる(国土が神域)。
だから、神域である身の回りを綺麗にする。
それが、世界を巡った2人の女性がともに魅了された「清潔」でした。
それを、日々新たに、維持していく・・・
(残念ながら、2011年に国土が放射能汚染域となってしまいましたが)
「魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)」(280年頃)に、『人々は物ごしがやわらかで、人をみると手を搏(う)って拝んであいさつをした』とあるそうです。
日を拝み、手を打つ
人を拝み、手を打つ
ハーンが見た日本の風景は、少なくともハーンが来日する1600年以上前から連綿と続いている光景でした。“日々新たに、維持していく・・・”そのことを、おそらく何千年も日本人は続けてきたのでしょう。
--------------------------------------------------
今でも来日する外国人が感動するのは、日本人の礼儀正しさやサービス精神と、その背景にある他者への尊敬の念です。そのことが、土地を資源としか見なさず、我欲を原動力とする現代文明の中で、日本を特別視し、リスペクトする要因になっているようです。
一般に、“宗教がない”と思われている国日本で、なぜそのように高いモラルが維持されているのか不思議なようですが、自然(環境)と人間が協力しなければモラルは維持できません(生命体は環境の囚人ですから)。
自然の側も、三保の松原に見るように日々更新することであの清浄な白砂海岸が保たれていたように、日々の営みが大切です。
人間側でモラルを維持する装置の一つが日々使う言葉。
日本は、「言霊の幸ふ国(ことだまのさきわうくに)」でした。
「日本」―「日は本」=太陽が元
人は「日身(カミ)」=太陽の体
人は「命(ミコト)」=太陽の命(男女共にミコトと呼びますね)
男は「日子(ヒコ)」=太陽の子
女は「日女(ヒメ)」=太陽の娘
元気=元の気=太陽の気(太陽エネルギー)
「今日様」=太陽様
「御陰様」=太陰様?
*ちょっと脱線---「影」と「陰」
「影」は“かたち”→撮影=“かたち”を撮る。
光だけの世界に影はなく、モノがなければ影は出来ない。
光あってこそ影形を見ることが出来、モノあってこそ光の存在を知ることが出来る。光はモノを照らし、モノは光の存在を証明する。
光―モノ―影は、三位一体。
・日影―日の光
・月影―月の光
・面影―顔や姿
・物影―物の姿
「陰」は日が当たらないところ、見えないところ。
・日陰―日光が当たらない所。
・物陰―物に隠れて見えない所。
昼は太陽が見守り、
夜は太陰(月)が見守る。
太陽からも月からも見えない陰でも見守る存在はいるし、
陰ながらの在り方が自分自身に跳ね返ってくる。
「今日は、よいお天気ですね」
→今日様(太陽さん)は、いいお天道様の気(エネルギー)ですね。
「今日は、お元気ですか」
→今日さん(太陽の子であるあなた)は、太陽エネルギーをお持ちですか。
「はい、おかげ様で元気です」
→“御陰様”(自然エネルギーと自身の営み)で、太陽エネルギーにあふれています。
「さようなら、ごきげんよう」
→そうであるなら、ご機嫌(気分)はよろしいですね(お元気でお過ごし下さい)。
日常の挨拶の中に、
人が太陽に生かされていること
人が太陽の子であること
だから一人一人が大切であること
その一人一人の環境への配慮が皆を生かしていること
―これらの智慧が込められています。
『夢のような国』日本は、
人と自然のたゆまぬ相互作用で形作られています。
その相互作用の叡智を忘れ、
自然の龍脈を断ち、
天気(天の気)もわからないくらい穴蔵の中であくせくと働かされ、
元気を失っている現代人・・・
膨大な時間の中でさえ「忙しい」が口癖の父、
効率を求めて動こうとしている私たち、
バランスを失った社会に忙殺される子供達や甥姪、
その下で親と十分にコミュニケーション取る時間のない孫・・・
この4世代に連鎖し、
アンバランスになってまでなお突き動かしているもの
その根底にあるのは、不安や孤独
上が下を見守るのではなく、
下が上を見守るという倒置した世界―
正月早々、4世代の皆に
そして、赤ちゃんにまで
「おつかれさま」と言いたくなりました。
決意して変えていこう、
この転倒した社会
そのために、まずは自分に
「おつかれさま」
と言おう。
そして、ゆっくりと
その土俵からおりていこう
【斉藤和義「おつかれさまの国」】
1889年、ニューヨーク・ワールド紙は、世界一周最短記録を樹立すべくネリー・ブライを東回りの世界旅行に派遣。72日で地球一周を終え、日本に魅了され「愛と美と詩と清潔の国」と綴る。
同紙に対抗したコスモポリタン誌は、エリザベス・ビスランドを西回りの世界旅行に派遣。76日で地球一周を終える。
ラフカディオ・ハーンはビスランドから、『いかに日本は清潔で美しく人々も文明社会に汚染されていない夢のような国であったか』を聞き、日本に行くことを決意。
そして、1890年(明治23年)にハーンは英語教師として松江に着任。
そのハーン(小泉八雲/1850-1904)が出雲の地で見た毎朝の光景―
早朝の川岸から、柏手を4つ打つ音。
対岸でも、顔と手を洗い、口をすすいで朝日に向かって柏手を4つ。
橋の上からもこだまのように柏手の音。
三日月のような華奢な軽舟に立つ漁師も―
『パンパンと鳴るその音はまるで一続きの一斉射撃かと思われるほどに』
『こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられませ。世の中を美しくなさいますお光り千万有難う存じまする』という心の声をハーンは聞いていたようです。
―これが、世界で初めて一周を成し遂げた2人の女性を魅了し、ハーンが帰化を決意した日本(出雲)の毎朝の風景でした。
清々しい朝、その静寂を破って一斉に響く柏手の音―邪気が払われるような素晴らしい光景ですね。まるで、毎朝元旦のようです。あるいは、その生活の場そのものが“神社”のようです。
そう、神は神社にいるのではなく身近にいる(国土が神域)。
だから、神域である身の回りを綺麗にする。
それが、世界を巡った2人の女性がともに魅了された「清潔」でした。
それを、日々新たに、維持していく・・・
(残念ながら、2011年に国土が放射能汚染域となってしまいましたが)
「魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)」(280年頃)に、『人々は物ごしがやわらかで、人をみると手を搏(う)って拝んであいさつをした』とあるそうです。
日を拝み、手を打つ
人を拝み、手を打つ
ハーンが見た日本の風景は、少なくともハーンが来日する1600年以上前から連綿と続いている光景でした。“日々新たに、維持していく・・・”そのことを、おそらく何千年も日本人は続けてきたのでしょう。
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今でも来日する外国人が感動するのは、日本人の礼儀正しさやサービス精神と、その背景にある他者への尊敬の念です。そのことが、土地を資源としか見なさず、我欲を原動力とする現代文明の中で、日本を特別視し、リスペクトする要因になっているようです。
一般に、“宗教がない”と思われている国日本で、なぜそのように高いモラルが維持されているのか不思議なようですが、自然(環境)と人間が協力しなければモラルは維持できません(生命体は環境の囚人ですから)。
自然の側も、三保の松原に見るように日々更新することであの清浄な白砂海岸が保たれていたように、日々の営みが大切です。
人間側でモラルを維持する装置の一つが日々使う言葉。
日本は、「言霊の幸ふ国(ことだまのさきわうくに)」でした。
「日本」―「日は本」=太陽が元
人は「日身(カミ)」=太陽の体
人は「命(ミコト)」=太陽の命(男女共にミコトと呼びますね)
男は「日子(ヒコ)」=太陽の子
女は「日女(ヒメ)」=太陽の娘
元気=元の気=太陽の気(太陽エネルギー)
「今日様」=太陽様
「御陰様」=太陰様?
*ちょっと脱線---「影」と「陰」
「影」は“かたち”→撮影=“かたち”を撮る。
光だけの世界に影はなく、モノがなければ影は出来ない。
光あってこそ影形を見ることが出来、モノあってこそ光の存在を知ることが出来る。光はモノを照らし、モノは光の存在を証明する。
光―モノ―影は、三位一体。
・日影―日の光
・月影―月の光
・面影―顔や姿
・物影―物の姿
「陰」は日が当たらないところ、見えないところ。
・日陰―日光が当たらない所。
・物陰―物に隠れて見えない所。
昼は太陽が見守り、
夜は太陰(月)が見守る。
太陽からも月からも見えない陰でも見守る存在はいるし、
陰ながらの在り方が自分自身に跳ね返ってくる。
「今日は、よいお天気ですね」
→今日様(太陽さん)は、いいお天道様の気(エネルギー)ですね。
「今日は、お元気ですか」
→今日さん(太陽の子であるあなた)は、太陽エネルギーをお持ちですか。
「はい、おかげ様で元気です」
→“御陰様”(自然エネルギーと自身の営み)で、太陽エネルギーにあふれています。
「さようなら、ごきげんよう」
→そうであるなら、ご機嫌(気分)はよろしいですね(お元気でお過ごし下さい)。
日常の挨拶の中に、
人が太陽に生かされていること
人が太陽の子であること
だから一人一人が大切であること
その一人一人の環境への配慮が皆を生かしていること
―これらの智慧が込められています。
『夢のような国』日本は、
人と自然のたゆまぬ相互作用で形作られています。
その相互作用の叡智を忘れ、
自然の龍脈を断ち、
天気(天の気)もわからないくらい穴蔵の中であくせくと働かされ、
元気を失っている現代人・・・
膨大な時間の中でさえ「忙しい」が口癖の父、
効率を求めて動こうとしている私たち、
バランスを失った社会に忙殺される子供達や甥姪、
その下で親と十分にコミュニケーション取る時間のない孫・・・
この4世代に連鎖し、
アンバランスになってまでなお突き動かしているもの
その根底にあるのは、不安や孤独
上が下を見守るのではなく、
下が上を見守るという倒置した世界―
正月早々、4世代の皆に
そして、赤ちゃんにまで
「おつかれさま」と言いたくなりました。
決意して変えていこう、
この転倒した社会
そのために、まずは自分に
「おつかれさま」
と言おう。
そして、ゆっくりと
その土俵からおりていこう
【斉藤和義「おつかれさまの国」】