ゴミ屋敷になる4つの心理的要因と解決策
2016/02/04(Thu) Category : 存在不安
本日発売の「女性セブン」(2月18日号)で「汚屋敷」の記事があり、その中で一部中尾眞智子がコメントしています。いい機会ですので、「なぜ片付けられないのか」「なぜ汚部屋になるのか」「ゴミ屋敷の心理とは何か」について、まとめておきましょう。

ゴミ屋敷に向かう動因として、およそ3つの心理的要因があり、それは誰もが持っているものです。ただ、その現れ方が異なってくるだけで、ゴミ屋敷に向かう可能性は誰にもあるでしょう。
3つの心理的要因とは次のものです。
①不安からの逃走
②人生脚本の実行
③自己存在の確認
それでは、順に説明して参りましょう。
ゴミ屋敷を作るような人間として生まれてくるわけではないのに、何が道を分けるのか? そう、赤ちゃんの生まれてくる“環境”が、それぞれ異なりますよね。
では、赤ちゃんにとっての“環境”とはなんでしょうか.
生まれる前は、「子宮」ですね。
生まれた後は、衣食住の全てを兼ね備える「母親」です。
(それ以外の環境は二義的になります。ただし、母親を安心させるという意味で、とても重要なものです)
たとえばカウンセリングの過程で、子宮の中にいたときの記憶を思い出す人もいます。また、エンプティチェアなどで赤ちゃん時代の“実感”を思い出した人もいます。それを思い出すまでは、自分の不安感や生き苦しさの原因がわからなかったのが、そのことを実感した途端に「あーっ」と全てのことが氷解していったりします。
それらの事例からわかることは、赤ちゃんは感じて思っているということ。ハイハイしている時期に死ぬこと(自殺)を考えていた方もいらっしゃいましたし、1歳になる頃には家族の権力構造をわかっているなぁという事例もありました。赤ちゃんはちゃんとわかっています。
<①不安からの逃走>----------------------------------------
生まれたばかりの赤ちゃんは、全身が感覚器官であり感情表現器官です。五感で感じたことを、そのままに表現しようとします。親がその表現に応えることでコミュニケーションが生まれ、愛着関係が形成され、安定して自由な人格形成がなされていくわけですね。
ここで、母親が気持ちを閉じて生きている場合、赤ちゃんは五感でそれを感知しています。「気持ちで行動する=人間」であるはずなのに、気持ちが伴わない行動をする母親に赤ちゃんは戸惑い、違和感を感じ、得体の知れない不気味さを感じ、押しつけてくることに嫌悪を感じ・・・そして、気持ちこそが自分自身ですから、気持ちの交流がない=存在を受け止めてもらえないことで、「存在不安」が芽生えるわけです。
けれど、母親なしでは生きられない立場であること、母親への希望を失いたくないことから、それらの感情は封印され、それらの感情を見ないように生きていくことになります。
<②人生脚本の実行>---------------------------------------
次に、誰しも母親から認めてもらいたいし、母親とつながりたいので、気持ちでつながれない母親とどうつながればいいのかを探って「人生脚本」を形成していくことになります。
たとえば、病気の時に優しくされたと感じたら病弱な人生になったり、お金を与えられて育てられれば、お金を得るために使い果たす=浪費家やギャンブラー、借金地獄、定職に就かない等々、いろいろな形でお金がない人生を演出します。
あるいは、母親が姑で苦労する姿を見せていれば、それ以上に大変な姑のいる家に嫁いだり、母親の母親役として育てば、その役割を続けるために手のかかる子供役の人間を探して生きるようになります(ダメンズウォーカーなど)。
このように人生脚本とは、幼い頃の家族関係の中で思い込みで作られるものですが、一旦作られると「脳内母親」にその姿を見せるための日々を送るようになります。
<③自己存在の確認>-----------------------------------------
上記の生き方は、自分の感情(インナーチャイルド)を殺して役割(脚本)だけで突っ走る生き方ですから、自分という存在がないままに生きているわけです(感情こそが自分自身ですから)。
ある方はそれを「生首だけで生きていた」と表現されました。気持ちを実感されたときに五感が戻り、五感が戻って五体を感じ、五体を感じて現実感を実感されました。それまでは、思考で埋め尽くされた虚構空間を生きていたわけです。
このように自分を失ったまま生きていると、自分の存在を確認したいという衝動が常に自分の裏に張り付いていますので、ストローク(存在を認める働きかけ)を得るためのゲームを仕掛けて生きるようになるわけです。
・「ストローク飢餓」に陥った人は「ゲーム」を仕掛ける
こうして人は、主に次の3つを深層の動因として生きていくことになります(他にもありますが割愛)。
①不安からの逃走:自分の中にある不安を見たくない
②人生脚本の実行:家族の中で母に求められた自分の役割の実行
③自己存在の確認:自分という存在を自己確認したい
なお、人は不安(感情)を見たくないとき、無意識に2つのことをします。
1つは、感情(インナーチャイルド)が出てこないような工夫。
1つは、意識が感情(自分の中)をキャッチしないように、常に意識を(自分の外)に向ける工夫。
この2つを分けた方がわかりやすいと思いますので、次の4つの観点からゴミ屋敷を見てみましょう。
1.感情を封印するためのゴミ屋敷
2.意識を散らすためのゴミ屋敷
3.人生脚本を実行するためのゴミ屋敷
4.自己存在を確認するためのゴミ屋敷
1.感情を封印するためのゴミ屋敷--------------------------
感情封印に使われるのが、地域、家の構造、内装、家具調度、衣類やアクセサリーにいたる全般です。日用品が母親カラーのアイテムだったり、時計や長いコードもIPの代わりとなります。
それらを、部屋の4隅や自分が立つ位置(台所など)の上下・前後・左右に置いたり、カーペット、テーブル、カーテン、布団などを母親カラーにして自分を封印(インナーチャイルドにとっては封印ですが、脚本ちゃんにとっては子宮です)します。
床の邪魔なところにおいてあったり、カゴや棚や引き出しからはみ出していたり、上からバサッと置かれていたり、吊されていたり・・・それらは一見片付いていないように見えますが、そうではなく、感情を閉じ込めるために“監視役の母親”をそのように置いているわけです。
たとえば、カゴの中に化粧品やアイテム類が乱雑に置かれているように見えて、よく見るとその“矛先”(ノズルやキャップなど)が本人を狙っています。コード類や観葉植物などのはみ出させ方も、手を伸ばしてくるような感じです。
これらを、自分が無意識でやっているわけですから、人間ってすごいなぁと思いますが、つまりは、片付けていないのではなく、“そのように配置している”のです。
それらをきちんと整理し、整頓してあるべき所に収めることで、モノはモノに還元され、暗示効果は消え、気持ちが自由になってくるわけです。(その代わり、不安感情も出てきますので、その時は「不安だ」と声に出してください。声に出すことで実感し、実感すれば、その感情は去ってくれます)
自分を封印する事例は下記をご参照ください。
・「存在不安が強い人の家の結界」
・「ウェアラブル結界」と「携帯結界」
2.意識を散らすためのゴミ屋敷------------------------------
意識を外に向けるためには五感を使います。
五感が常に何かを感じていることで、意識を外に向けさせ続けているわけです。
脳は思考を続けます(思考依存)。
・「考える」という病
・「考える」という病の回避方法
目には、上記1に関わるモノや、下記3,4に関わるモノを見せます。
鼻には臭いをかがせます。
お金があれば化粧品や芳香剤、お金がなければ髪や体を洗わないで臭わせたり、残飯を腐らせたり。
耳には音を聞かせます。
電車や車、飛行機などの騒音の多い地域を選んだり、家の中ではテレビやラジオのつけっぱなし、エアコンその他電源を入れっぱなし。ヘッドホンも御用達。ペットがいれば、犬は吠えさせ、鳥は鳴かせます。最近の電子機器は、電子音であれこれ警告してくれるし、しゃべってくれもしますので、そういう機能を全てオンにして不意に音がなるように仕向けています。
口にはモノを詰め込みます。
この時、自分に心地いいものは口にしません。リラックスしたときに気持ちが出てくるので、不快なもを口にするわけです。作るものが雑になったり、常にどこか“変”な味付けになったり、冷たかったり・・・。
皮膚には暑すぎたり寒すぎたりさせます。
室内が暑すぎるか寒すぎるか、あるいは寒い中薄着でいるか。いずれにせよ、自分を快適にはしません。筋肉が緊張していると気持ちが出てきませんので、寒さの力で常時筋肉を緊張させて感情を抑え込んでいるわけです。(カウンセリング中に気持ちが出始めて、それまで感じなかった寒さを不意に感じたりする人もいます)
こうしてみると、臭いや音など近隣トラブルになる「元」は、そのトラブルメーカーの方が「意識を散らすため」にやっていることに原因があるかもしれません。
なお、存在不安からゴミ屋敷になっていく過程は、下記に詳しく書いておりますのでお読みください。
・ゴミ屋敷になる過程と心理~存在不安者の子宮
3.人生脚本を実行するためのゴミ屋敷-----------------------
脚本人生を歩いている人は、その姿を日々脳内母親に見せなければなりません。同時に、脚本人生は所詮虚構ですから“証拠”をほしがります。
上記の例で、お金をくれる母親の子供は、その母親とつながるためにお金を浪費する人生を歩きますが、お金と交換にモノがたまっていくことが浪費の証拠となります。その人の場合、モノは「私は、お金を浪費するという脚本人生を歩いているよ、お母さん」と脳内母親に見せるための「証拠物件」なのです。
つまり、商品自体がほしいのではなく、“お金を浪費している証拠”としてモノを増やしているので、その「証拠物件」を捨てるわけにはいきませんから、モノがどんどん増えていくことになります。
(なお、使い道がわからない金を浪費するという脚本の方もいます。その方は証拠を残しません)
「親のはけ口」「親の器」として生きる脚本の中に、「親のゴミ箱」として自分を位置づける人がいます。その人は自分の目にゴミだらけの部屋を見せることで、その目を通して脳内母親に「ほら私はゴミの受け皿となっているよ」と見せています。その方の場合は、モノではなくゴミでなければならないのです。
また、親の操り人形として生きることは人間になってはいけない=感情や意志を持ってはいけませんので、好き嫌いを言わない、決断しない、責任を取らない、人にさせる、人のせいにする生き方になります。
これも、ただ無責任な人間ということではなく、その言動を脳内母親に見せて、忠誠を尽くしているわけです。
その“人ではない証”として蓋付きの空き瓶などをため込む人がいます。空き瓶の中に入っているモノは透明=目に見えないもの→「感情」のメタファーですね。蓋をしてしまうことで、感情を外に出さない暗示を自分にかけています。たまりにたまった空き瓶の量が、封印された数多の感情を表しているかのようです。
4.自己存在を確認するためのゴミ屋敷------------------------
自分の存在を常に自己確認しなければ生きていけませんので、自分が作ったモノ、買ったモノ、関わったモノ、一切捨てません。親から(心理的に)存在を認めてもらっておらず、自分もインナーチャイルドを無視しています(=存在を認めていない)から、モノに自分の存在を仮託するわけです。
あっちにもこっちにも自分に関連するモノを置き、それを目に入れることで瞬間瞬間自己確認して生きていると言っていいでしょう。あちこちにやたらと鏡を置いて、自分の姿が自分の目に入るようにしている方もいます。
冷蔵庫などは比較的わかりやすい事例でしょう。たとえば、冷蔵庫を開けた正面に飲みかけや食べ残し、あるいは買ってきて袋から出さないままのモノがあったり、干からびた食材があったり。
それは、誰もが開ける冷蔵庫に「モノに仮託した自分」を置き、皆に見てもらうことをしているわけですね。皆がそれを見ることを想定していますから、それをセットする時点で、既にストローク(存在を認める働きかけ)を得ているわけです。
片付ける=そこに自分がいた痕跡がなくなるので、片付けることはしません。逆に、“散らかす”ことをします。水道の水を洗面所に飛び散らかしたり、コーヒーやお茶の葉をテーブルの上に散らかしたり、新聞や雑誌などを広げっぱなしで置いていたり、脱ぎ散らかしたり・・・それらも、自分の痕跡を自己確認するためであり、同時にそれを見て家人などが騒ぐことでストロークを得ているわけです。
また、乱雑に散らかった部屋を眺めていると、その中に自己存在を確認するためのアイテムと母親カラーのアイテムが混在していて、「あぁお母さんにいだかれたいんだなぁ」というチャイルドの健気な願いが伝わってきたりします。
けれどね・・・そのチャイルドを抱きしめることが出来るのは、あなた自身なのです。
「子宮」vs「惚け逃げ」------------------------------------
以上、いくつか事例を挙げさせて頂きました。
なお、不安感情は、年が行くにつれて激しくなっていきます。と言うのも、不安感情の側(不安ちゃん)も“本人”が死ぬ前に感じてほしい(不安ちゃんの存在を認めてほしい)からです。
感情はその感情が出るに相応しいチャンスを狙って出てこようとしますが、強まってくる不安感情はちょっとしたチャンスにも出てこようとするため、若い頃は気にならなかったことで過剰に不安になっていきます。
なので、強まってくる不安圧力から逃げるために、ゴミ屋敷はどんどん深刻化していくことになり、自分の寝るスペース以外は全てゴミで埋める=「子宮」の完成を目指すことになります。
脳内母親を懸命に守りつつ脚本人生を邁進し、自分は不安感情及び母親にまつわる“実感”を感じないよう感情を封印し続け、最後は、出てこようとする不安と逃げ切ろうとする自分とのデッドヒート―その自分を守る砦であり子宮―それがゴミ屋敷です。
ですから、闇雲に片付けようとすると精神的な危機が訪れる可能性があります。かつて、ボランティアの方が当人と話し合って許可を得た上でゴミ屋敷を片付け、その時は当人も喜んだものの、翌日自殺されていたという事件を聞いたことがあります。ゴミ屋敷の背景には、上記のような心の問題があること―全て人の行動には、それをすべき理由があると認識しておくことが大事です。
さて、子宮を作っても逃げ切れないときにはどうするか。
不安が出てきても、意識がそれを認識しなければいいわけですね。こうして、最後の手段「惚け逃げ」に入っていきます。
<ゴミ屋敷の世代間連鎖>--------------------------------------
ゴミ屋敷は現代社会で顕在化して見えますが、第1世代の家(70代~90代の祖父母の家)がモノだらけというのは、よく聞くところです。
現代の列島に生きる日本人の第1世代は戦争を経験し、「産めよ増やせよ」で死ぬために生まれてきた世代も多いです。生まれながらに“道具”として生み出されていますから、その世代の根底には怒りや虚無感、存在不安が強くあります。
その第1世代に育てられた私たち第2世代(40代~60代)も、当然不安の連鎖を引き継ぎますが、その不安は「24時間働く」ことや「列島をコンクリートにしていく」ことなどで埋め合わせていきました。
戦争やパンデミックは循環を断絶させます。親が子を見守り、その親子を祖父母が見守る―この当たり前の生命循環が断ち切られ、視線が逆転します。親は祖父母を見、子は親を見る、第3世代が第1&2世代を背負う―そういう逆サイクルで動き始め、結果として不安が連鎖し、ゴミ屋敷が生み出されていくわけです。
この連鎖に気づいた一人一人が、自分の所で連鎖を断ち切っていかなければなりません。
ご参考までに下記記事をお読みください。
・時代が世代間連鎖に与える影響-日本全国版
・20代の心の病~戦争後遺症という視点
<解決のために~個人編>--------------------------------------
さて、解決のためにはどうすればいいでしょうか。
1.上記に見て参りました通り、人がやっている行為には全て意味がありますので、その意味を本人も周囲も理解すること。
2.対象が親であれ子であれ、人であれモノであれ、自分が執着する“対象”があるのは、その対象にまつわる表現されていない感情があることを理解すること。
3.その感情を声に出して表現し、自分が実感したときに、その感情は去ってその対象に対する執着も消えていきます。その時にようやく、モノを手放せるのです。手放せないモノは、そのモノをきっかけに出てきたい感情があるわけですから、気持ちを吐き出すまでは無理に処分する必要はないでしょう。
4.仮にその対象(人や物)がいなくても、その感情は対象に向かって言う必要はなく、自分自身が心から実感すればいいことを知ること。(感情を無視してきたのは自分であり、感情は、その“自分”にわかってもらいたいのですから)
ということなのですが、簡単なようで簡単ではありません。
感情を殺して生きてきた人(脚本人生の操り人形)は背骨(内骨格)が育っていません。ですから、上記に書いたような外骨格で自分を覆っているわけです。
その人から、いきなり外骨格を取ってしまうと死んでしまうでしょう。まずは、その人の背骨作りから始めなければなりません。それは、「イヤなことはイヤ」と言い、「嬉しいことは嬉しい」と言う―そのように気持ちを言い、実行する生活をすることです。
けれどそれを邪魔するのが脳(内親)ですから、そこから自分との闘いが始まります。
<解決のために~社会編>--------------------------------------
ゴミ屋敷にいたる心理的要因として母子関係が重要であることがわかると思います。
私も、カウンセリングの仕事をする以前は、父母の子に対する影響は対等だろうと思っていましたが、母親は子の“創造主”であること、及び子は胎児の時から母親のことを感じていますから、本人の意向はともかく、母親は圧倒的に大きな影響力を持つなぁと感じています。
男も女も母親から生まれてきます。そして、存在不安を持つ母親に全ての男女は支配されているわけです。
だからこそ、母親が安心できる社会を作る必要があります。
「かか」は太陽。
「とと」は尊い人。
なぜ父親が尊いのか。
それは、母親が安心できる家庭、地域、社会を作っていくからだと私は感じています。
全ての政策が、「母親が安心できるかどうか」を基準に作られている地域があれば、その地は繁栄するでしょう。
・世代間連鎖を断ち、モノを捨て、ハラスメント界から離れる「断捨離」~「断」の章
・「捨」の章:モノに宿る餓鬼というもののけ(物の怪)
・「離」の章:親への執着を手放しハラスメント界から離れる時、生きる意味が見えてくる
・二世帯同居の留意点~断捨離

ゴミ屋敷に向かう動因として、およそ3つの心理的要因があり、それは誰もが持っているものです。ただ、その現れ方が異なってくるだけで、ゴミ屋敷に向かう可能性は誰にもあるでしょう。
3つの心理的要因とは次のものです。
①不安からの逃走
②人生脚本の実行
③自己存在の確認
それでは、順に説明して参りましょう。
ゴミ屋敷を作るような人間として生まれてくるわけではないのに、何が道を分けるのか? そう、赤ちゃんの生まれてくる“環境”が、それぞれ異なりますよね。
では、赤ちゃんにとっての“環境”とはなんでしょうか.
生まれる前は、「子宮」ですね。
生まれた後は、衣食住の全てを兼ね備える「母親」です。
(それ以外の環境は二義的になります。ただし、母親を安心させるという意味で、とても重要なものです)
たとえばカウンセリングの過程で、子宮の中にいたときの記憶を思い出す人もいます。また、エンプティチェアなどで赤ちゃん時代の“実感”を思い出した人もいます。それを思い出すまでは、自分の不安感や生き苦しさの原因がわからなかったのが、そのことを実感した途端に「あーっ」と全てのことが氷解していったりします。
それらの事例からわかることは、赤ちゃんは感じて思っているということ。ハイハイしている時期に死ぬこと(自殺)を考えていた方もいらっしゃいましたし、1歳になる頃には家族の権力構造をわかっているなぁという事例もありました。赤ちゃんはちゃんとわかっています。
<①不安からの逃走>----------------------------------------
生まれたばかりの赤ちゃんは、全身が感覚器官であり感情表現器官です。五感で感じたことを、そのままに表現しようとします。親がその表現に応えることでコミュニケーションが生まれ、愛着関係が形成され、安定して自由な人格形成がなされていくわけですね。
ここで、母親が気持ちを閉じて生きている場合、赤ちゃんは五感でそれを感知しています。「気持ちで行動する=人間」であるはずなのに、気持ちが伴わない行動をする母親に赤ちゃんは戸惑い、違和感を感じ、得体の知れない不気味さを感じ、押しつけてくることに嫌悪を感じ・・・そして、気持ちこそが自分自身ですから、気持ちの交流がない=存在を受け止めてもらえないことで、「存在不安」が芽生えるわけです。
けれど、母親なしでは生きられない立場であること、母親への希望を失いたくないことから、それらの感情は封印され、それらの感情を見ないように生きていくことになります。
<②人生脚本の実行>---------------------------------------
次に、誰しも母親から認めてもらいたいし、母親とつながりたいので、気持ちでつながれない母親とどうつながればいいのかを探って「人生脚本」を形成していくことになります。
たとえば、病気の時に優しくされたと感じたら病弱な人生になったり、お金を与えられて育てられれば、お金を得るために使い果たす=浪費家やギャンブラー、借金地獄、定職に就かない等々、いろいろな形でお金がない人生を演出します。
あるいは、母親が姑で苦労する姿を見せていれば、それ以上に大変な姑のいる家に嫁いだり、母親の母親役として育てば、その役割を続けるために手のかかる子供役の人間を探して生きるようになります(ダメンズウォーカーなど)。
このように人生脚本とは、幼い頃の家族関係の中で思い込みで作られるものですが、一旦作られると「脳内母親」にその姿を見せるための日々を送るようになります。
<③自己存在の確認>-----------------------------------------
上記の生き方は、自分の感情(インナーチャイルド)を殺して役割(脚本)だけで突っ走る生き方ですから、自分という存在がないままに生きているわけです(感情こそが自分自身ですから)。
ある方はそれを「生首だけで生きていた」と表現されました。気持ちを実感されたときに五感が戻り、五感が戻って五体を感じ、五体を感じて現実感を実感されました。それまでは、思考で埋め尽くされた虚構空間を生きていたわけです。
このように自分を失ったまま生きていると、自分の存在を確認したいという衝動が常に自分の裏に張り付いていますので、ストローク(存在を認める働きかけ)を得るためのゲームを仕掛けて生きるようになるわけです。
・「ストローク飢餓」に陥った人は「ゲーム」を仕掛ける
こうして人は、主に次の3つを深層の動因として生きていくことになります(他にもありますが割愛)。
①不安からの逃走:自分の中にある不安を見たくない
②人生脚本の実行:家族の中で母に求められた自分の役割の実行
③自己存在の確認:自分という存在を自己確認したい
なお、人は不安(感情)を見たくないとき、無意識に2つのことをします。
1つは、感情(インナーチャイルド)が出てこないような工夫。
1つは、意識が感情(自分の中)をキャッチしないように、常に意識を(自分の外)に向ける工夫。
この2つを分けた方がわかりやすいと思いますので、次の4つの観点からゴミ屋敷を見てみましょう。
1.感情を封印するためのゴミ屋敷
2.意識を散らすためのゴミ屋敷
3.人生脚本を実行するためのゴミ屋敷
4.自己存在を確認するためのゴミ屋敷
1.感情を封印するためのゴミ屋敷--------------------------
感情封印に使われるのが、地域、家の構造、内装、家具調度、衣類やアクセサリーにいたる全般です。日用品が母親カラーのアイテムだったり、時計や長いコードもIPの代わりとなります。
それらを、部屋の4隅や自分が立つ位置(台所など)の上下・前後・左右に置いたり、カーペット、テーブル、カーテン、布団などを母親カラーにして自分を封印(インナーチャイルドにとっては封印ですが、脚本ちゃんにとっては子宮です)します。
床の邪魔なところにおいてあったり、カゴや棚や引き出しからはみ出していたり、上からバサッと置かれていたり、吊されていたり・・・それらは一見片付いていないように見えますが、そうではなく、感情を閉じ込めるために“監視役の母親”をそのように置いているわけです。
たとえば、カゴの中に化粧品やアイテム類が乱雑に置かれているように見えて、よく見るとその“矛先”(ノズルやキャップなど)が本人を狙っています。コード類や観葉植物などのはみ出させ方も、手を伸ばしてくるような感じです。
これらを、自分が無意識でやっているわけですから、人間ってすごいなぁと思いますが、つまりは、片付けていないのではなく、“そのように配置している”のです。
それらをきちんと整理し、整頓してあるべき所に収めることで、モノはモノに還元され、暗示効果は消え、気持ちが自由になってくるわけです。(その代わり、不安感情も出てきますので、その時は「不安だ」と声に出してください。声に出すことで実感し、実感すれば、その感情は去ってくれます)
自分を封印する事例は下記をご参照ください。
・「存在不安が強い人の家の結界」
・「ウェアラブル結界」と「携帯結界」
2.意識を散らすためのゴミ屋敷------------------------------
意識を外に向けるためには五感を使います。
五感が常に何かを感じていることで、意識を外に向けさせ続けているわけです。
脳は思考を続けます(思考依存)。
・「考える」という病
・「考える」という病の回避方法
目には、上記1に関わるモノや、下記3,4に関わるモノを見せます。
鼻には臭いをかがせます。
お金があれば化粧品や芳香剤、お金がなければ髪や体を洗わないで臭わせたり、残飯を腐らせたり。
耳には音を聞かせます。
電車や車、飛行機などの騒音の多い地域を選んだり、家の中ではテレビやラジオのつけっぱなし、エアコンその他電源を入れっぱなし。ヘッドホンも御用達。ペットがいれば、犬は吠えさせ、鳥は鳴かせます。最近の電子機器は、電子音であれこれ警告してくれるし、しゃべってくれもしますので、そういう機能を全てオンにして不意に音がなるように仕向けています。
口にはモノを詰め込みます。
この時、自分に心地いいものは口にしません。リラックスしたときに気持ちが出てくるので、不快なもを口にするわけです。作るものが雑になったり、常にどこか“変”な味付けになったり、冷たかったり・・・。
皮膚には暑すぎたり寒すぎたりさせます。
室内が暑すぎるか寒すぎるか、あるいは寒い中薄着でいるか。いずれにせよ、自分を快適にはしません。筋肉が緊張していると気持ちが出てきませんので、寒さの力で常時筋肉を緊張させて感情を抑え込んでいるわけです。(カウンセリング中に気持ちが出始めて、それまで感じなかった寒さを不意に感じたりする人もいます)
こうしてみると、臭いや音など近隣トラブルになる「元」は、そのトラブルメーカーの方が「意識を散らすため」にやっていることに原因があるかもしれません。
なお、存在不安からゴミ屋敷になっていく過程は、下記に詳しく書いておりますのでお読みください。
・ゴミ屋敷になる過程と心理~存在不安者の子宮
3.人生脚本を実行するためのゴミ屋敷-----------------------
脚本人生を歩いている人は、その姿を日々脳内母親に見せなければなりません。同時に、脚本人生は所詮虚構ですから“証拠”をほしがります。
上記の例で、お金をくれる母親の子供は、その母親とつながるためにお金を浪費する人生を歩きますが、お金と交換にモノがたまっていくことが浪費の証拠となります。その人の場合、モノは「私は、お金を浪費するという脚本人生を歩いているよ、お母さん」と脳内母親に見せるための「証拠物件」なのです。
つまり、商品自体がほしいのではなく、“お金を浪費している証拠”としてモノを増やしているので、その「証拠物件」を捨てるわけにはいきませんから、モノがどんどん増えていくことになります。
(なお、使い道がわからない金を浪費するという脚本の方もいます。その方は証拠を残しません)
「親のはけ口」「親の器」として生きる脚本の中に、「親のゴミ箱」として自分を位置づける人がいます。その人は自分の目にゴミだらけの部屋を見せることで、その目を通して脳内母親に「ほら私はゴミの受け皿となっているよ」と見せています。その方の場合は、モノではなくゴミでなければならないのです。
また、親の操り人形として生きることは人間になってはいけない=感情や意志を持ってはいけませんので、好き嫌いを言わない、決断しない、責任を取らない、人にさせる、人のせいにする生き方になります。
これも、ただ無責任な人間ということではなく、その言動を脳内母親に見せて、忠誠を尽くしているわけです。
その“人ではない証”として蓋付きの空き瓶などをため込む人がいます。空き瓶の中に入っているモノは透明=目に見えないもの→「感情」のメタファーですね。蓋をしてしまうことで、感情を外に出さない暗示を自分にかけています。たまりにたまった空き瓶の量が、封印された数多の感情を表しているかのようです。
4.自己存在を確認するためのゴミ屋敷------------------------
自分の存在を常に自己確認しなければ生きていけませんので、自分が作ったモノ、買ったモノ、関わったモノ、一切捨てません。親から(心理的に)存在を認めてもらっておらず、自分もインナーチャイルドを無視しています(=存在を認めていない)から、モノに自分の存在を仮託するわけです。
あっちにもこっちにも自分に関連するモノを置き、それを目に入れることで瞬間瞬間自己確認して生きていると言っていいでしょう。あちこちにやたらと鏡を置いて、自分の姿が自分の目に入るようにしている方もいます。
冷蔵庫などは比較的わかりやすい事例でしょう。たとえば、冷蔵庫を開けた正面に飲みかけや食べ残し、あるいは買ってきて袋から出さないままのモノがあったり、干からびた食材があったり。
それは、誰もが開ける冷蔵庫に「モノに仮託した自分」を置き、皆に見てもらうことをしているわけですね。皆がそれを見ることを想定していますから、それをセットする時点で、既にストローク(存在を認める働きかけ)を得ているわけです。
片付ける=そこに自分がいた痕跡がなくなるので、片付けることはしません。逆に、“散らかす”ことをします。水道の水を洗面所に飛び散らかしたり、コーヒーやお茶の葉をテーブルの上に散らかしたり、新聞や雑誌などを広げっぱなしで置いていたり、脱ぎ散らかしたり・・・それらも、自分の痕跡を自己確認するためであり、同時にそれを見て家人などが騒ぐことでストロークを得ているわけです。
また、乱雑に散らかった部屋を眺めていると、その中に自己存在を確認するためのアイテムと母親カラーのアイテムが混在していて、「あぁお母さんにいだかれたいんだなぁ」というチャイルドの健気な願いが伝わってきたりします。
けれどね・・・そのチャイルドを抱きしめることが出来るのは、あなた自身なのです。
「子宮」vs「惚け逃げ」------------------------------------
以上、いくつか事例を挙げさせて頂きました。
なお、不安感情は、年が行くにつれて激しくなっていきます。と言うのも、不安感情の側(不安ちゃん)も“本人”が死ぬ前に感じてほしい(不安ちゃんの存在を認めてほしい)からです。
感情はその感情が出るに相応しいチャンスを狙って出てこようとしますが、強まってくる不安感情はちょっとしたチャンスにも出てこようとするため、若い頃は気にならなかったことで過剰に不安になっていきます。
なので、強まってくる不安圧力から逃げるために、ゴミ屋敷はどんどん深刻化していくことになり、自分の寝るスペース以外は全てゴミで埋める=「子宮」の完成を目指すことになります。
脳内母親を懸命に守りつつ脚本人生を邁進し、自分は不安感情及び母親にまつわる“実感”を感じないよう感情を封印し続け、最後は、出てこようとする不安と逃げ切ろうとする自分とのデッドヒート―その自分を守る砦であり子宮―それがゴミ屋敷です。
ですから、闇雲に片付けようとすると精神的な危機が訪れる可能性があります。かつて、ボランティアの方が当人と話し合って許可を得た上でゴミ屋敷を片付け、その時は当人も喜んだものの、翌日自殺されていたという事件を聞いたことがあります。ゴミ屋敷の背景には、上記のような心の問題があること―全て人の行動には、それをすべき理由があると認識しておくことが大事です。
さて、子宮を作っても逃げ切れないときにはどうするか。
不安が出てきても、意識がそれを認識しなければいいわけですね。こうして、最後の手段「惚け逃げ」に入っていきます。
<ゴミ屋敷の世代間連鎖>--------------------------------------
ゴミ屋敷は現代社会で顕在化して見えますが、第1世代の家(70代~90代の祖父母の家)がモノだらけというのは、よく聞くところです。
現代の列島に生きる日本人の第1世代は戦争を経験し、「産めよ増やせよ」で死ぬために生まれてきた世代も多いです。生まれながらに“道具”として生み出されていますから、その世代の根底には怒りや虚無感、存在不安が強くあります。
その第1世代に育てられた私たち第2世代(40代~60代)も、当然不安の連鎖を引き継ぎますが、その不安は「24時間働く」ことや「列島をコンクリートにしていく」ことなどで埋め合わせていきました。
戦争やパンデミックは循環を断絶させます。親が子を見守り、その親子を祖父母が見守る―この当たり前の生命循環が断ち切られ、視線が逆転します。親は祖父母を見、子は親を見る、第3世代が第1&2世代を背負う―そういう逆サイクルで動き始め、結果として不安が連鎖し、ゴミ屋敷が生み出されていくわけです。
この連鎖に気づいた一人一人が、自分の所で連鎖を断ち切っていかなければなりません。
ご参考までに下記記事をお読みください。
・時代が世代間連鎖に与える影響-日本全国版
・20代の心の病~戦争後遺症という視点
<解決のために~個人編>--------------------------------------
さて、解決のためにはどうすればいいでしょうか。
1.上記に見て参りました通り、人がやっている行為には全て意味がありますので、その意味を本人も周囲も理解すること。
2.対象が親であれ子であれ、人であれモノであれ、自分が執着する“対象”があるのは、その対象にまつわる表現されていない感情があることを理解すること。
3.その感情を声に出して表現し、自分が実感したときに、その感情は去ってその対象に対する執着も消えていきます。その時にようやく、モノを手放せるのです。手放せないモノは、そのモノをきっかけに出てきたい感情があるわけですから、気持ちを吐き出すまでは無理に処分する必要はないでしょう。
4.仮にその対象(人や物)がいなくても、その感情は対象に向かって言う必要はなく、自分自身が心から実感すればいいことを知ること。(感情を無視してきたのは自分であり、感情は、その“自分”にわかってもらいたいのですから)
ということなのですが、簡単なようで簡単ではありません。
感情を殺して生きてきた人(脚本人生の操り人形)は背骨(内骨格)が育っていません。ですから、上記に書いたような外骨格で自分を覆っているわけです。
その人から、いきなり外骨格を取ってしまうと死んでしまうでしょう。まずは、その人の背骨作りから始めなければなりません。それは、「イヤなことはイヤ」と言い、「嬉しいことは嬉しい」と言う―そのように気持ちを言い、実行する生活をすることです。
けれどそれを邪魔するのが脳(内親)ですから、そこから自分との闘いが始まります。
<解決のために~社会編>--------------------------------------
ゴミ屋敷にいたる心理的要因として母子関係が重要であることがわかると思います。
私も、カウンセリングの仕事をする以前は、父母の子に対する影響は対等だろうと思っていましたが、母親は子の“創造主”であること、及び子は胎児の時から母親のことを感じていますから、本人の意向はともかく、母親は圧倒的に大きな影響力を持つなぁと感じています。
男も女も母親から生まれてきます。そして、存在不安を持つ母親に全ての男女は支配されているわけです。
だからこそ、母親が安心できる社会を作る必要があります。
「かか」は太陽。
「とと」は尊い人。
なぜ父親が尊いのか。
それは、母親が安心できる家庭、地域、社会を作っていくからだと私は感じています。
全ての政策が、「母親が安心できるかどうか」を基準に作られている地域があれば、その地は繁栄するでしょう。
・世代間連鎖を断ち、モノを捨て、ハラスメント界から離れる「断捨離」~「断」の章
・「捨」の章:モノに宿る餓鬼というもののけ(物の怪)
・「離」の章:親への執着を手放しハラスメント界から離れる時、生きる意味が見えてくる
・二世帯同居の留意点~断捨離