プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
02 ≪│2017/03│≫ 04
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

「orange-オレンジ-」~どうか、大切な自分を救ってください

2016/03/15(Tue) Category : 映画
タイムマシンがあったとして、あなたはどちらに行きたいですか?

「過去―後悔を消したい」

そう答えた翔(かける)。


それを聞いたとき、
「あなたは何も悪くないよ」
私の心は、そう伝えたがっていた。


あなたは何も悪くない。
それどころか、懸命に背負ってきたじゃないか。

なのに、自分を責め・・・

葛藤の挙げ句、
死を選んでしまった。

その苦しみに、けなげさに、悔しさに、
何度も涙があふれた。



------------------------------------------------
意思表示をしない菜緒。
人の隠している気持ちに気づく翔。

母親の受け皿となって生きる少女と
母親を支えて生きてきた少年
―似た者同士が引き合うよね。

けれど、
菜緒は気持ちを言うことができなかった。
言えば人間になるから。一人自分の部屋で膝を抱えるだけ。

翔は自分の気持ちを優先することができなかった。
安全基地(母親)が倒れれば自分の人生どころではない。気遣う第一優先は常に心配な母―そうやって生きてきた。



翔の母親は、翔が生まれたときから翔を無意識に“母親”にして過ごしてきただろう。それは翔が生まれる前から無意識が決めていたことだから、どうにもしようがない。

そのように育てられた翔は、意識しないままに母子が逆転している。自分が自律することが親の喜びだという感覚を持てるどころか、自分(親)が出て行くことは母親(子)を見捨てることになって「罪悪感」さえ芽生える。

その「罪悪感」はダミーなんだよ・・・。
あなたが“母親”役を演じている脚本人生劇場の舞台の上では“ホンモノ”の感情に思えるかもしれないけど、それは演出感情であって本当じゃない。舞台を降りて、あなたが「母の母親」でなはく「母の子」であるという現実に立ってごらん。その罪悪感はニセモノだとわかるだろう。

罪悪感は人をむしばみ、人を弱くし、人をコントロールしやすくしていく。裁判員制度もそう。そしてこの母親も(無意識に)息子へ罪悪感を植え付けていく・・・。





以下は、ある類型の一般論ですが―

たとえば女手で苦労しつつ娘Bを育てた母親Aがいたとします。けれどその本質は、母Aは生活に追われて子Bをかまう余裕はなく、Bは「見捨てられ不安」の中でAを見守る日々―つまり、母子逆転だったとします。

その生活の中で、娘Bは、母以上の「不幸」(“苦労”と“孤独”など)になって見せなければ母Aに認めてもらえないと思い、「不幸の人生脚本」を作ったとします(脚本は、母親がその姿を子に“見せつけている”=“そこに価値を置いている行為”に沿って作られます)。

たとえば、母親が夫や姑で苦労したならそれ以上に苦労する夫や姑を選んだり、母親が夫と死に別れたら自分は生き別れする状況になったり(逆もあり)、母親が離婚したら自分は一家離散の状況にまでなったり・・・いずれにせよバージョンアップすることで認められようとする方向があります。

すると、娘Bにとっての結婚は、「不幸」(“苦労”と“孤独”)になるための手段ですから、夫には“苦労する人”を選びます。“苦労を見せる脚本”なら夫婦で喧嘩したり愚痴を言い続ける一生を送りますが、“孤独”も見せなければなりませんので、家族といる時もポツンとしている演出をするだけではなく、やがて離婚します。

子供は、自分が脚本人生を歩いていることの“証人”です(脚本人生は虚構だからこそ“証人”が必要なのです)。父親に苦労する姿、ポツンと孤独にいる姿を子に見せ、暗い顔をしている自分を見る我が子の心配そうな目が“証拠”になるのです。無意識を翻訳すれば、「お母さん、私は“苦労”と“孤独”の脚本を歩いているよ。その証拠に、ほら子供が心配そうな目で私を見ているでしょ、お母さん」となるでしょうか。

また、辛さ、苦しさ、惨めさ、わびしさ、寂しさ、孤独、空しさ、不安・・そういう気持ちを感じることが、「不幸」脚本で生きていることの“証拠”になりますから、そういう感情を手放すことはありません。

それらの感情もダミーなのですが、小さい頃に感じていた感情ともリンクしますので、迫真の演出感情になるわけです。(その感情が脚本ちゃんのダミー感情なのか、小さいちゃんの感情なのかは、悲しいなら「悲しい」と声に出してみればわかるようになります)

一方で、存在不安から逃れるためと“証人”確保(←自分だけを見てもらわなければなりませんから、証人=代理母でもあります)のため、我が子が人とつながらないよう、あの手この手を駆使します。

(例)
・近所に同年齢の子が居ないところに住む。
・外に出ると危険なところに住む。
・ドアを重くしたり、玄関を暗くしたりする。
・近所に子共が居れば、悪口を言って牽制する。
・近所で幼なじみができそうであれば引っ越す。
・友人が近づかないよう、風呂に入れない、歯磨きを教えない(←いずれも臭わせる)、汚い格好、変な格好をさせる。
・コミュニケーションできないよう歯列矯正しない(その他、口を開けることに抵抗を感じるようにさせる)
・友人付き合いができないよう、遠方の園・小・中・高に通わせる。
・友人付き合いができないよう、日々を習い事で埋め尽くす。
・家の中でも、手伝いや宿題、練習などの課題を与える。
・ペットの面倒、弟妹の面倒、爺婆の面倒を見させる。
・帰宅時刻他のルールをたくさん作り、意識をルールに向かわせる。
・小遣いを与えない(友人と放課後つるめない)
・自分が行くところに連れて行く。
・夏休みなどの長期休みは実家などに“疎開”させる。
・子供に意地悪をしてくる家族に近づく。
・金を与える(働くなという禁止令)
・夫婦の間に問題を起こし続ける。
・ご近所トラブルや親族間トラブルを起こして心配させる。
・無理をしたり、自分の体を悪くして心配させ続ける。
等々・・・


転校の時に“仕掛ける”親も多々います。転校して友人ができてしまったらこれまでの苦労が水の泡なので、友人ができないよう、むしろ虐められるように“仕組む”わけです。

たとえば、方言や生活習慣が全く異なる地に転校させることは、まま見られます。また、終業式の日に無理矢理にねじ込むなどの力業を使うこともあります。始業式に来るならすんなり入れますが、みんなの思い出の締めくくりとなる終業式に、いきなり何の脈絡もなく登場する闖入者になってしまい、かつ話題をさらってしまうわけですから、それを面白くなく感じる人はいるでしょう。つまり、そうやって虐めのきっかけを母親が作っていたわけです。

以上は、これまでの体験から類型化して書いたものですが、翔の母親も「不幸」に向かう脚本で生きていたのでしょう。






この映画も、転校の初日から物語は始まります。

初日、クラスメートに誘われて歩く翔に、母親からメールが届きました。不安が強い人は約束をしたがり、その約束の時刻に遅れるだけで不安がわき出しますが、この母親も相当に不安の強い人でしょう。

また、子にしがみついて生きている母親はとても敏感です。子は、自分の人生を支える道具ですから、異変の兆しは時空を超えて敏感にキャッチします。

「邪魔するな」

母親を第一優先にしてきた翔が、“自分”を第一優先にした―これは衝撃だったことでしょう。母親のこれまでの努力は一瞬にして崩壊しました。一方、「不幸」の脚本ちゃんは見せ場のチャンスをつかんだわけです。

冷静に考えれば、これで自殺などあり得ない話ですが、この母親を動かしているのは、存在不安を見たくない自分と、その自分がしがみついている脚本ちゃんです。その脚本ちゃんは、常に「不幸の見せ場作り」をしようと狙っており、そこに最大の見せ場が転がり込んできたわけです。

母親は、「私をとるのか、友人をとるのか」という勝負をかけ、「邪魔するな」という返信を見て、脳はここぞとばかりに誇大妄想のストーリーを作ったことでしょう―たとえば、「息子に見放された母親」―自己洗脳の世界に住んでいますので、脚本に沿ったストーリーを脳は作ってくれます。

「不安」を感じたくないソワソワした衝動を脚本ちゃんは利用し、夫とも別れ息子にも見捨てられた母親として、最大の「不幸」を演じるために母親は突っ走りました・・・。



----------------------------------------------------------
では、もし誰かが発見して母親が助かっていたらその後はどうなるでしょうか。

残念ながら、同じ事を繰り返していくことになります。
母親にとって「自殺未遂」は“不幸な存在”としての勲章(証)となり、一方でますます強く子は縛られることでしょう。そして、さらに次を目指すことになります。

子を事故等で失う、追い詰められた子が犯罪を犯す、自分か子が植物人間になる―「不幸」(“苦労”と“孤独”)に至る道はまだまだいろいろと残されています。自分の脚本に気づくまで、終生終わりなきゴールを目指して歩き続けるのです。ですから、仮にこのときお母さんが助かったとしても、翔の地獄が続くだけだったでしょう。

この母親は、どこかでそれを感じていたかもしれません。そして、“苦労”と“孤独”を感じ続けるという脚本人生を歩くことに疲れ果てていたかもしれません。けれど不安から逃げるためにはその脚本を歩き続けるしかありません。不安から逃げ続ける疲れと、脚本を歩き続ける疲れ―この2つの疲れをどっと感じたとき、もう休みたい―そう思ったのかもしれません。

母親は、最高の見せ場で、自作自演の舞台の幕を閉じたのです。



----------------------------------------------------------
翔は、それを自分のせいと思いました。
その気持ちはよくわかります。

けれど母親は自己完結して生きていました。
彼女は、脳内母親(あの実家の母親)以外は誰も見ていず、誰ともつながっていませんでした。

だからこそ、「自分のせい」と思いたい。
母親と全くつながっていなかったなんて思いたくない。
それを認めることはあまりにも空しすぎる。

「自分という存在」の影響があって、母親が死んだ―母親と自分は“関わりがあった”そう思いたいのです。母が死ぬまで、自分という存在は無視され続けていた―そう思いたくないのです。だから、その証として自分を責めました。



----------------------------------------------------------
しかし一方、虚構界に住む翔に現実界から友情の手が伸びてきました。
封印していた気持ち(小さいちゃん)が引き出されます。
小さいちゃんはすべてを知っています。
「実感」が、それが本当か嘘かを教えてくれるのです。
小さいちゃんとつながれば、お母さんの本当の姿も見えてくるでしょう。

しかし、本当の姿がわかるということは、母親が自分を道具にして生きていたことを知ること―それは絶望です。

翔は2つの世界に引き裂かれました。
外には、小さいちゃんが生きたいクラスメートとの世界。
しかし、家に帰ればオレンジ色の部屋が待っています。
オレンジは、赤ちゃんが胎内から外を見たときの色―お母さんの胎内に居たい脚本ちゃんの世界です。

そして・・・その胎内世界で、母親の最後のビデオメッセージを発見し、
「お母さんに謝らなきゃ」と翔は出て行き・・・。


“謝る”とは、関係を紡ぎ直す行為。
なぜ、“謝る”のでしょうか。

それは、「母親以外とつながるな」という掟を破ったからです(これを「母親一神教」と私は呼んでいますが)。友人とつながり、自分(小さいちゃん)とつながろうとしました。ビデオを見て、お母さんを疑った自分を責めたのでしょう。

また、お母さんの本当の姿を知りたくない自分もいたでしょう。ビデオを見た時、「お母さんの自分への愛」を信じるためには、それが虚構であることに気づく前に、自分を殺さなければなりませんでした。だから、「謝る」行為が死に直結してしまったのでしょう。



----------------------------------------------------------
翔を救えなかった無念。
それは、「心」を救えなかった無念です。

心を救うには、心を伝えるしかありません。
それは気持ちを言葉にすること。

それを痛感した奈緒は、「気持ちを言葉と行動にする努力」をします。
それをすることは脳内親への裏切りであり、自分の中で強い抵抗があったでしょう。けれど命がかかっている。だから、大げさなようですが命をかけて声に出し、行動に移していったのです。

それは、奈緒にとっても自分が自分(小さいちゃん)を救うことでした。片方の世界では、自分が自分を救えなかったから翔も救えなかったのです。このように自分が自分を救うことが、自分の周囲の人を救うことに直結しています。

気持ちを言い、気持ちのままに行動することで、自分と小さいちゃんの信頼が戻り、背骨ができます。同時に、周囲の人に「気持ちを言ってよい許可、気持ちのままに行動してよい許可」を与え、その人の周りの空気が伸び伸びと自由になっていきます。

仲間の協力も心憎いばかり。みんな素直に気持ちを出し合って、パラレルワールドの翔はどんどん背骨が作られていきます。あの仲間たちは、翔と奈緒という“みなしご”をとりまく天使たちに見えました。



そして・・・あの場面です。
こういうことってあるんですよね。

自律に向かうときに“追っ手”がかかりますが、自律にいたる直前に、ドカンと大きな追っ手がやってきます。それがあのビデオ―ラスボス“母親”の登場でした。

まさにあの場面は、母親一神教の「神」降臨―

胎内世界にとどまるのか、
不安を乗り越え勇気を振り絞って自律界に飛び出すのか
―お試しがきました。

ここは、翔が一人で決断しなければなりません。

片方の世界では背骨が育ちきらず、翔は胎内世界(冥界)を選びました。
しかし、こちらの世界では、小さいちゃんとつながって背骨ができ、仲間とつながった翔がいました。




・・・・













【コブクロ「未来」】



なぜ・・・

こんなにも涙があふれる

言葉が、歌が、いろいろな思いが、迫ってくる

涙がボタボタ落ちる

私のチャイルドが反応している



親を背負うけなげな、やさしいい人々

どうか、大切な自分を救ってください

こんなにも、余計な解説をしたのも

ただ、気づいてほしいから



どうか、

大切な自分を救ってください








関連記事
 
Comment0  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
わが子を守るために
記事
写真/動画集はこちら↓
 
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード