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家族ロールプレイ(20151114)の感想3

2016/05/12(Thu) Category : 家族心理・子育て講座
【家族ロールプレイ(20151114)の感想】

中尾先生、眞智子さん、先日は大変お世話になりました。
ロールプレイ当日は「今日は楽しかったー!」という気持ちだけでベッドに入ったはずなのに、翌日目が覚めると、あの懐かしい感覚が…

「私、はしゃぎすぎてたよね」
「皆さんに迷惑かけてたんじゃない?」
「いや、かけてたに違いないよ」
「皆は優しいから許してくれただけだよ」
「本当は心の中で嫌な顔してたに決まってるよ」
「それを一人で調子にのってさ」
「みっともないなぁ」
「こんななら行かなきゃよかったのに」
「時間の無駄だったね」
「大失敗だよ」

久し振りにやってきたIPの逆襲です。
何故久し振りかと言うと、それは私がずっとIPを退けてこられたから……ではありません。

この数ヶ月、脚本ちゃんとドップリガッツリで、IPが逆襲する必要なんか全然ない生活をしていたからなんです。わかっているのにそこから抜け出せずにいて、今回参加を決めたのは、半分は皆さんからパワーをいただくためでした。

その結果、見事にIPが躍起になっています。
今すっごく辛いです!
本当に有難うございます!
(本心ですよ。自棄とか嫌味とかではないですよ)

というような状態なので、
「書きた~い、伝えた~い」と言う子と
「書きたくなーい、面倒くさーい」と言う子がせめぎ合っていて感想がまとまらないのですが。



「あそこに行けば『人』に会える」
これは、私が講座に申し込む時にいつも思う事です。

初めてまほろば講座に参加した動機が「『人』に会いたい」でした。
ずっとこれを単なる人恋しさから出た言葉だと思っていましたが、今はちょっと違う解釈です。


今回、午前中のRPで事例提供された方のご家族を演じる中でビシバシ感じたのですが、事例をそのまま演じる最初のRPでは、そこにいる全員が機械で動く人形に見えました。
温もりの感じられない冷たい世界で、そこには「人」がいませんでした。

私はその場にはいない役柄だったので、家族を外部から客観的に観察できたのですが「ああ、この中に混ざりたくない。この場にいなかったご本人もきっとそうだったんだろうな」と心底思いました。

しかし、大人ならばそうやって逃げ出す事ができますが、子供はその場で生きていくしかありません。眺めていると、子供達が硬直しているのがよくわかりました。

体が固まったように動かない子もいれば、心を閉ざして閉じこもる子もいる。元気よく遊んでいるように見える子も、自分が止まるわけにはいかないという強迫観念から動き続けているだけ。

人形劇の舞台の中に放り込まれた子供は、その舞台の上で、自分の役を自分で作り出していくのだなぁ…
「人生脚本」とは本当に上手く言ったものだと感心してしまいます。



けれど、その後の受け止め合うRPでは、ほんのちょっとのきっかけから、まるで魔法が解けたかのように全員が「人」として動き出しました。
妹が姉に抱きついたり、夫が妻に涙ながらに話したり。

たったそれだけの事です。
ちょっと心を揺らせばできるはずなんです。

本当にそれだけなのに、
目の前でそれが実現されているのに、
自分に当てはめてみると、なんと遠い景色なことか…

なかったなぁ、これ。
うちにはこれがなかったんだなぁ。

家族も私も、ずっと人形劇やってたんだなぁ。
ちょっとでも心を揺さぶる事はタブーだったんだよなぁ。
でもそれって、本当はタブーじゃなかったんだよなぁ…
あ~あ…悲しいなぁ…



講座に参加されているのは、もちろんそれぞれステージや立場の異なる方々の集まりなのですが、それでも多分、皆さん共通の意識があるのではないかと思うんです。
それは「ここでは自分(人)として存在していいんだ」という安心感ではないかな、と。少なくとも私はそういう風に感じています。



ロールプレイの最中に、固い表情が崩れて突然ボロボロと涙をこぼした人。
カラオケを一曲歌い切った後に、子供のように屈託のない笑顔を浮かべた人。
別れ際にすっ飛んで来て、ぎゅっと抱きしめてくれた人。
そしてそんなこんなを「あったかいなぁ」と感じられた私も含めて、あの場に集まってくるのは人形ではなくて「人」なんですよね。

その場に安心感があるかないかで、人は人になったり人形になったりするんだろうな。
そしてその安心感って、他でもない自分が作り出せるものなんだよなぁと、RPの後にしみじみと感じました。



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あ、書いてたらなんだか心が素直にフラットになってきました。
なので、ついでに続けて書いておきます。


私、今回すごくびっくりした事があるんです。
いや、今となると、自分がそれにびっくりした事にびっくりしちゃうんですが。

講座やワークショップに何度か参加していると、他の参加者さんと顔見知りになるじゃないですか。会場入ってそういう方と目が合うと、「あら、どうも~」って感じで会釈したり。当然のように私もそうしていました。

「あ、前回もお会いしたな」
「あ、懇親会で隣に座ってた方だな」
「あ、この人とはあんなお話をしたな」って。

なのにそうやって会釈した方から「前回の感想、読みましたよ~」と言われると

「えっ!?この人、なんで私を知ってるの!?」
「なんで私があの感想書いたって知ってるの!?」
となってしまうんですね。

当たり前じゃないですか。だって私が書いた感想には、前回参加していたその方との会話がそのまま書いてあったりしたわけですから。
それなのに私は「バレてない」と思ってたんです。

前回参加してお互い見知っているという事は、自分でもわかっているんです。だけど感想は匿名で掲載されてるんだから、私が書いたとはバレてないと思い込んでいたんです。

普通に考えて絶対そんなわけないのに…どうしてそんな思い込みをしていたんだろう?

なんとなくですが、会場を離れてから私を覚えている人がいるわけない、だから会場にいた私とブログに掲載された感想とが誰かの中で結びつくわけがない、と思っていたような気がします。

うーん…なんでしょうか。
私も人なんですね…透明人間ではないんだなぁ…

まだそんな風になる自分がいたという事にとてもびっくりしました。



講座やワークショップに参加すると、そういうちょっとしたところで思わぬ自分を発見したりするので面白いですね。

私、これまた何故か「今回で参加するのは最後」と強固に決めていたんですけど、もし次回があったら、どうするかはその時の気分に任せようと今は思っています。
色々と有難うございました。





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