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「百人一首」随想1:百人一首に秘された藤原定家の思い

2016/05/30(Mon) Category : 神社・寺・城・歴史
百人一首といえば、昭和49年発行の「解説 百人一首」を今も大事に取ってあります。

hyakuninnissyu.jpg

永井文明さんの想像力豊かで味のあるイラストが好きで、手放せませんでした。久々に取り出してみると、解説はあの橋本武先生だったんですね~。(今更ですが ^^;)


「ちはやふる」の世界(漫画&映画)にすっかりはまってしまい、その勢いで3つも感想を書いてしまいました。(まだ上下共に上映されているのがすごいですね)
映画「ちはやふる」感想(上)
「ちはやふる」感想(中)―千早と新と太一
「ちはやふる」感想(下)―若宮詩暢

が、今再び百人一首が脚光を浴びているのはなぜだろうと、ふと思うわけです。百人一首というと秀歌撰というよりもかるた競技としてのイメージの方が強いですね。

そもそも秀歌撰はいろいろとあるわけですが、藤原定家(1162-1241)が小倉山荘で選んだ百歌が「小倉百人一首」として定着しました。けれど、意図的に選ばれてない歌人もあり(36歌仙中11名が選ばれてないなど)、また歌人の代表作や秀歌が載っているわけでもなく、正岡子規は「悪歌の巣窟」と言っているくらいです。

にもかかわらず、なぜ定家の選集が流布されたのか? 
そしてなぜ、かるた競技になったのか? 
という2つの疑問があります。



■「歌織物」-----------------------------------------------

ここに、「並べる」という行為に着目して、合せ言葉を鍵にタテ10首、ヨコ10首に並べ替えると、そこに山紫水明の美しい景色が浮き出すことを発見された方がいらっしゃいます。林直道さんという経済学者で、氏が発見した説は「歌織物説」と呼ばれています。

その図(景色)が下記。
歌織物・合わせ言葉表

そして、現れた景色は後鳥羽上皇の水無瀬離宮が営まれた水無瀬の里。
水無瀬の里

すごいねー。水無瀬の里は、後鳥羽上皇の愛顧を受けた定家がたびたび訪れた地。そして、定家が百人一首を編んだ当時、鎌倉幕府を倒そうとして承久の乱を起こした上皇は流刑の身でした。

そのため、同じく定家が完成させた「新勅撰和歌集」では、幕府に配慮した摂政九条道家から、後鳥羽上皇とその子順徳天皇の歌全てを切り捨てることを要求されてそうしていますが、百人一首ではこの二人をあえて入れてあります。

上図で、中央を貫く水無瀬川。元々は「水のない川」=“表面には流れは見えないが、地下に水が伏流している川”を意味する普通名詞だったそうで、表に現れぬ思いから、一般には忍ぶ恋を象徴していたようです。
どうやら、藤原定家の後鳥羽上皇(後鳥羽院)への思いが隠されているようですね。一体どういう思いなのでしょう。



■「百人一首年表」--------------------------------------------

その思いをはかる前に、ご参考までに「百人一首年表」なるものがあります。ありがたいですね。

これを見ると百人一首の並び順はトップ3が
01天智天皇
02持統天皇
03柿本人麿

最後の方は、定家本人を含めて次のようになっています。
97藤原定家
98藤原家隆
99後鳥羽院
100順徳院(後鳥羽院の子)

660年代~1240年代まで、約600年間の歌から100首集めているわけですね。幕開けが天智・持統の父娘。そしてラストが後鳥羽・順徳の父子です。意味ありげな親子2人―一体、この600年間はどういう時代だったのでしょうか。

それは、この百首の間に散りばめられた藤原の名に如実に表れていますね。飛鳥―奈良―平安にまたがる600年は、簡単に言えば「藤原の時代」でした。



■百済と藤原氏--------------------------------------------

藤原氏(中臣鎌足)は天智天皇(38代:在位668-672)と結託して物部氏や蘇我氏といった旧支配豪族を駆逐し、天皇に后を提供する摂関家となり、鎌倉時代には藤原から派生した五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)が天皇を裏から操る摂関政治を確立することで日本の実権を握りました。

史上に唐突に現れた中臣鎌足は、百済王子の豊璋という説がありますね。中大兄皇子(天智天皇)は660年に滅ぼされた百済復興のために日本に住んでいた豊璋とともに朝鮮に出兵しますが、白村江の戦い(663年)で唐・新羅連合軍に惨敗し、数万の亡命者を連れてきました。

その百済人の住んだ中心地が百人一首の聖地近江神宮のある近江です。おそらく百済の王族及び職人、技能集団が住んだのでしょう。中大兄皇子は667年に近江に宮を作り、そこで天皇として翌年即位しています。豊璋を筆頭とする百済人の上に立ったのが天智天皇と言えるでしょうか。

大津市錦織地区に近江宮の跡が発見されました。そこに大津京と言われるほどの都市が造営されたかどうかは定かではありませんが、穴太廃寺跡(あのうはいじ)、崇福寺、南滋賀町廃寺跡、そして園城寺(おんじょうじ)が建立されたようですから、その範囲内が都だったのでしょう。園城寺(→三井寺)以外は廃寺となっています。

その後天武天皇が反旗を翻す壬申の乱(672)があり、わずか5年で都は飛鳥に戻されました。



脱藤原→白川院政が促した公家から武家への移行-----------

天武天皇(40代:在位673-686)による天皇親政は、天智の娘であり天武の后となった持統天皇&藤原不比等コンビによって覆されます(平安時代には、不比等は天智の子と信じられていました→例:不比等がモデルである「かぐや姫」の車持“皇子”。となると姉弟コンビですね)。

そして、アマテラス神話(天孫降臨)が創設され、持統を正統とする天皇系列ができあがり、藤原支配体制は盤石になっていきます。
(ご参考)瀬織津姫物語(セオリツヒメ)

しかし、藤原道長の死後、天皇は復権し始め、白河天皇(72代:在位1072-1086)が院政を敷くことによって、外戚(藤原氏)に代わって上皇が天皇を操る体制ができあがりました。

この時、院の権力を強くするために軍事組織(北面の武士)を作ったことから武士の台頭が始まり、やがて源平騒乱の時代になります。

そして、平氏(平清盛)が権力を握り、源頼朝は北条氏に監視を任されます。その片方の武士の総大将という肩書きを利用したのが北条氏。平氏を破って頼朝に鎌倉幕府を開かせた後、頼朝、頼家、実朝と暗殺し、北条氏が実権を握ります。

この公家から武家への時代の変化に伴い、かつて藤原氏が握っていた外戚の地位を武家が握ろうと、源平それぞれが天皇に后を送る工作をしたり、上皇派と天皇派が対立するなど入り乱れます。



■後鳥羽天皇と武家政権の確立------------------------------

この動きを利用したのが、文武両道の後鳥羽天皇(82代:在位1183-1198)でした。後鳥羽は自ら名を与えた源実朝に、自ら選んだ縁戚の娘と結婚させ、幕府を牛耳ろうとしました。

が、権力を握りたい北条氏に実朝は暗殺され、内裏(天皇の御所)も放火された後鳥羽は鎌倉幕府討伐の兵を挙げます(1221承久の乱)。けれど、幕府に封土(恩給として与えられた土地)を守られている御家人は“朝敵”を守りました。後鳥羽は破れ、子供達(土御門天皇、順徳天皇)も、それぞれ隠岐・佐渡・土佐へ流されました。

幕府は出家していた後鳥羽の兄を院に据え、その子を天皇(後堀河天皇)にし、さらに朝廷を監視する六波羅探題を置くことで朝廷を抑えました。また、後鳥羽から取り上げた西日本の所領3000ヶ所を御家人に与えることによって、西日本へも勢力を拡大しました。



■後醍醐天皇と南北朝(公武対立)----------------------------

この後、幕府は皇位継承にも口を出すようになり、それを不満に思う後醍醐天皇(96代:在位1318-1339)は不屈の信念で倒幕をすすめます。権力を専横する北条に不満を持つ足利尊氏は後醍醐側に付き、ついに鎌倉幕府を滅ぼします。

けれど、摂関政(公家)、幕政(武家)、院政(上皇)の全てを廃して天皇親政に戻ろうとする後醍醐は尊氏を冷遇し、武士の反感を買いました。尊氏は楠木正成を討ち、持明院統の天皇を立てて室町幕府を開きます。が、後醍醐は吉野に逃れて南朝を樹立。ここから60年にわたる前代未聞の天皇2人体制が始まります(南北朝時代)。

圧倒的軍事力を持つ室町幕府側が南朝をすぐに滅ぼさなかったのは、尊氏の後醍醐天皇への思いがあったのでしょうか。



■百人一首、最後の十首----------------------------------

時代背景をざっと眺めて参りましたが、百人一首に選ばれている歌は天智天皇(38代)に始まり順徳天皇(84代)に至る600年間―藤原政権時代の歌でした。そして、後鳥羽・順徳親子による天皇親政という目論見とは別に、公家政権は武家政権へと代わっていくことになります。

その、時代が移り変わっていくとき、定家にはどのような思いがあったのか。最後の10首に選ばれている人々を見てみましょう。これらの人々は、皆同時代の人です。

91藤原良経(九条良経):後鳥羽院の信任を得て摂政。娘が順徳院の后(関白藤原忠通の孫。慈円は叔父)
92二条院讃岐:二条天皇、後鳥羽院、順徳院に仕える(源頼政の娘)
93源実朝:後鳥羽院が取り込もうとした鎌倉三代将軍(母は北条政子)
94藤原雅経:後鳥羽院の蹴鞠の師。実朝と親交。定家と実朝の仲を持つ。
95慈円:平氏滅亡後、源頼朝と意気投合。公武の融和と摂政制を理想
96藤原公経(西園寺公経):鎌倉幕府と姻戚。良経・定家とも姻戚。後鳥羽天皇の蔵人頭(秘書)。後鳥羽院の倒幕計画を鎌倉方に牒報。

97藤原定家:良経・慈円らと交流。後鳥羽院の愛顧を受ける。順徳天皇の内裏歌壇でも重鎮。が、1220年、内裏歌会に提出した歌が後鳥羽院の怒りに触れ出禁。1221年、承久の乱が勃発し後鳥羽院は隠岐に流される。1239年、後鳥羽院が隠岐で崩御した2年後80歳で薨去(1241)。

98藤原家隆:承久の変後も後鳥羽院との間で音信を絶やさず
99後鳥羽院:(1180-1239)
100順徳院:後鳥羽天皇の第三皇子。佐渡に配流され21年後、46歳で崩御(1242)。絶食の果ての自殺と伝わる。

上記を見てわかるとおり、皆後鳥羽天皇と縁の深い方ばかりですね。



■藤原定家の思い--------------------------------------

この時代、歌会が盛んに開かれていますが、武士騒乱の時代に国政を預かる貴族がのんきに歌遊びしていたわけではありません。どのように国を立て直すのか、歌に仮託して情報交換、意見交換をしていました。歌は符牒の宝庫でした(日本は昔から高度情報化社会です)。

貴族による摂関政治、武士による幕政、その幕府を裏から動かそうとする執権政治、そして天皇親政―日本という国の統治の在り方を巡って、四つ巴の闘いが繰り広げられていた不安定な時代が定家の時代でした。そして、天皇だけでは、それがどんなに有能な天皇であっても、台頭する武士を抑えられないことを定家は感じていたでしょう。

慈円らと共に天智天皇に始まる摂関政治を理想としていた定家は、武士を制するために有能な後鳥羽院と組んで藤原復権を目指したかったのでしょう。そこで、決死の思いで歌会で後鳥羽院に意見したのかもしれません。

けれど、後鳥羽院の怒りに触れ、遠ざけられることになります。その後、定家の願いも空しく、承久の乱を起こして島流しされた後鳥羽院への思いはいかばかりだったでしょうか。

その思いが百人一首という歌織物に編まれている気がします。

それは、後鳥羽・順徳親子への哀切の思い
そして、崩れゆく貴族政治の時代への鎮魂歌だったのかもしれません。






【さだまさし 「玻璃草子(がらすぞうし)」】


あえなく壊れてしまったガラス細工のような後鳥羽院の夢。
一人で山を越えることはできないのです。






【「百人一首」随想】
1.百人一首に秘された藤原定家の思い (本稿)
・「歌織物」
・「百人一首年表」
・百済と藤原氏
・脱藤原→白川院政が促した公家から武家への移行
・後鳥羽天皇と武家政権の確立
・後醍醐天皇と南北朝(公武対立)
・百人一首、最後の十首
・藤原定家の思い

2.高麗・百済・新羅・加羅と倭人
・<高麗(高句麗)・百済>
・<新羅>
・<加羅(伽耶)>

3.百済派vs新羅派の権力闘争
・神功皇后の三韓征伐とは
・仁徳天皇と秦氏
・渡来民族
・百済派vs新羅派

4.唐の属国化を回避した天武~百済系桓武に至る時代の激動
・倭国→日本成立時の大陸情勢
・唐(大陸)を後ろ盾にした天智vs海人が支えた天武
・孝謙(天武系)vs藤原仲麻呂(天智系)
・諱(いみな)に意味あり漢風諡号

5.「詩経」(儒教)を元に国の和を図りたかった定家
・公家の盛衰
・孔子
・<詩経概要>
・<有心体>
・「詩経」

6.百人一首の「秘伝」とは何か
・「来ぬ人」は後鳥羽天皇
・世阿弥
・金春禅竹
・「風姿花伝」
・信長―秀吉―家康
・細川幽斎
・貞徳―季吟―芭蕉
・百首=「六十四卦」+「三十六計」
・芭蕉と「六十四卦」
・信長と「三十六計」








【ご参考】





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