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古代日本の転換点:天武政権からいかにして藤原氏が政権を奪取できたのか?

2016/06/20(Mon) Category : 神社・寺・城・歴史
「百人一首」随想で、藤原定家(1162-1241)の「百人一首」を元に、天智・持統父娘に始まり、後鳥羽・順徳父子に至る、約600年にわたる(天智生年626~順徳没年1242)「藤原の時代」を眺めてきました。

ここで、以前からモヤモヤとしたままであるいくつかのことが、改めて気になりました。たとえば、中高の頃は
中大兄皇子がなんとなくいい人な感じだったり、
持統はすごそうだったり、
聖武は弱そうだったり、
道鏡は怪僧ラスプーチンのようで、
孝謙はそれに騙されたお馬鹿な女、
和気清麻呂は傾国の危機を救った英雄
・・・のようなイメージがあったのですが(←教育って怖いよね~)、歴史に興味を持ち始めてみると、あれ、どうやら違うようだぞ、と。

そして、「百人一首」のように調べてみると面白い事実が出てくるわけで、なんだよ「天智(中大兄皇子)」って、その名に反して血気盛んそうな上にむちゃくちゃ視野が狭いじゃん。その上唐にこてんぱんにやられて進駐され、唐の属国化するところだった日本の危機を天武が救ったんじゃん! なんで、教科書はそういうこと教えないの?と疑問が出てきたわけです。

まぁ、教科書が偏向しているのは日本書紀が「正史」とされているため、それに沿って教えているからで、つまるところ日本書紀が偏向しているからです。とはいえ、歴史というものは勝者が自分に都合がいいように書いていることまで含めて教えなければ教育とは言えません。

ただ日本書紀の巧妙なところは、それを天武が書かせたと思わせているところです。対外危機に際して日本国内をまとめ上げるために天武が指示した(681年)のは間違いありませんが、完成は720年、天武の死後34年も経ってからです。

しかも、天智の娘である持統天皇以降、文武-元明-元正と持統&藤原不比等による傀儡政権下での成立でした。成立までに不可解な時間がかかったのも、数多いる天武の優秀な皇子たちを退けるために、持統(祖母)から文武(孫)へ皇位継承するという策謀がリアルタイムで進行しており、それを裏付けるための天孫降臨神話を用意したり、そのためにそれ以前の歴史の辻褄合わせをしたりしていたからでした。

完成までに約40年も費やしているわけですから、膨大なエネルギーが注がれていることがわかります。その書が、その後の日本を縛るのも無理からぬ事だったかもしれません。



けれど、騙されたままでは無意識に虚構を維持し続けることになります。上記のようにちょっと調べただけで唖然としてしまうわけで、ショックを受けるとモヤモヤを放置しておけません。そこで火がついてしまったのが、なんともわかりにくいあの時代―そう、天武政権からいかにして藤原氏が政権を奪取できたのか?

強力な天皇親政だったはずが、蓋を開けてみれば天智・持統父娘に始まる藤原の時代が600年も続いたわけで、「百人一首」はその証拠のようなものですが、それにしても一体どのようにして転換はなされたのか?
 
―そこのモヤモヤを、いい加減モヤモヤのままにせずスッキリさせようよ、と思ったわけです。やり方は、私たちのカウンセリングの仕方と同じで、事実や言葉をつぶさに見ていきます。

相談者の方は自己のストーリーを語られますが、そこで語られるのは脳が取捨選択し理屈付けしたストーリー。脳は、支配者である脳内母親にとって不都合な記憶は消し、使える事実は改ざんし、欲しい事実は創り出して本人を自己洗脳しています。全く歴史書と同じ事を人は自分にしているのです(と言いますか、そのようなことをしているので歴史書にも同じようにするのでしょう)。

けれど、思考がどのように辻褄をつけても、その事実に落とし込んでいるのは脳内母親のために生きる人生脚本です。その人生脚本は外からは見えにくいですが、言葉に惑わされず、事実(因)と事実(果)の間の因果関係をつぶさに見ていくと、脚本が浮かび上がってきます。

歴史も同じ。書かれたものは勝者のストーリーですから、事実を見て、その裏に潜む脚本ストーリーを発見していく必要があります。幸いなことにネット社会、その気になればある程度の事実を拾うことが出来ます。

と言って、私は歴史家ではありませんので、限りある時間の中で主にWikiなどを元に事実を眺めていきました。すると、あぁこうだったんだねー、というようなことが私なりに見えてきましたので、一里塚として書いておこうと思います。

まずはプロローグとして、遣唐使のお話から。
以下、順に記載していきます。





【古代日本の転換点】
01.遣唐使秘話―阿倍仲麻呂、吉備真備、鑑真
・「八色の姓」(やくさのかばね)
・伴造(とものみやつこ)
・品部(しなべ)
・遣唐使(630-836)
・<阿倍仲麻呂>
・<吉備真備、玄昉>
・<鑑真(がんじん)>

02.不比等の野望~県犬養三千代と結婚した理由
・県犬養三千代関連年表
・天武を継ぐ草壁皇子を排除した母・持統天皇(天智の娘)
・草壁を継ぐ文武天皇を排除した母・元明天皇(天智の娘/持統の妹)
・「満6歳の法則」
・天智の子、持統&不比等の野望
・不比等が県犬養三千代と結婚したわけ
・あわや藤原王朝を阻止した聖武天皇
・橘三千代の息子(橘諸兄)vs橘三千代の娘(光明皇后)

03.鸕野讃良に葬られた天武系皇子たち
・天孫降臨のニニギ=文武天皇
・封印された天武の皇子たち
・天武の異次元に長い殯期間(2年2か月)
・鸕野讃良に葬られたナンバー1大津皇子(686)
・鸕野讃良に葬られたナンバー2草壁皇子(689)
・持統天皇に葬られたナンバー3高市皇子(696)
・鸕野讃良が天皇になった理由

04.持統天皇(アマテラス)vs瀬織津姫
・存在不安からの逃走
・「安心できる子宮」と「自分だけを見る目」
・持統天皇(アマテラス)vs瀬織津姫
・神になれる女性、ラスボスは母親
・存在不安からの解放

05.「吉野の盟約」で封印された6皇子
・679年「吉野の盟約」概要
・草壁を皇太子にすることを周知させる会議ではなかった
・「相互協力」を「相互監視」に変えた鸕野讃良
・自分を責めるパターンをすり込んだ宣言
・序列を決定した言葉(暗示)
・鸕野讃良が6皇子を「絶対服従」させた盟約
・鸕野讚良の「復讐の始まりの地」―それが吉野

06.「物部神道」vs「藤原神道」(国津神vs天津神)
・聖武の即位が遅くなった理由と持統・不比等の野望
・旧権力ナンバー1物部氏を旧都に封印したナンバー2藤原不比等
・長屋王一族の滅亡と藤原系皇后の誕生
・「四面藤歌」の中、仏教勢力に託した聖武天皇
・「物部神道」vs「藤原神道」

07.「藤原神道システム」vs「東大寺仏教システム」
・動き出した「藤原神道システム」
・聖武天皇が東大寺大仏鋳造に邁進した意味
・「国分寺建立の詔」(741)
・「7」による「藤原神道システム」の克服
・「大仏造立の詔」(743)
・「天平感宝」に込められた意味

08.東大寺(盧舎那仏)と宇佐神宮(比売大神)の神仏習合の意味
・聖武が天皇に即位して最初にしたこと
・宇佐神宮の比売大神は瀬織津姫
・宇佐神宮の八幡大神はアマテル(ニギハヤヒ)
・宇佐神宮が天皇の宗廟となり、天皇が伊勢神宮に参らないわけ
・八幡大神を東大寺の守護神としたわけ
・八幡大神が瀬織津姫である証拠
・アマテル(東大寺)とセオリツヒメ(宇佐神宮)の習合
・ヒルコの秘密:ヒルコが海に流されたわけ

09.聖武&孝謙天皇(父娘)vs光明皇后&藤原仲麻呂(不比等の子と孫)
・724 辛巳事件/長屋王が防御した藤原の布石
・729 長屋王vs光明子を立后したい藤原4兄弟(長屋王の変)
・744 安積親王を守れなかった聖武の悔い
・749 紫微中台設置。光明=仲麻呂体制で橘諸兄を圧倒
・757 道祖王廃太子と子飼いの大炊王の立太子
・757 橘奈良麻呂疑獄事件/旧勢力の一掃
・758 淳仁天皇擁立、恵美押勝として独裁
・761 淳仁天皇と孝謙上皇を保良宮に幽閉
・764 藤原仲麻呂の乱

10.称徳(孝謙)天皇の道鏡事件の本質
・元号でわかる聖武から孝謙へ譲位した裏事情
・孝謙天皇(娘)vs光明皇后(母)
・橘奈良麻呂(孝謙)vs藤原仲麻呂(光明)
・称徳天皇の道鏡事件の本質
・「和氏(やまとうじ)」和気清麻呂(733-799)の野望

11.聖武天皇と光明皇后の時代年表

12.光明皇后が鎮魂したのは長屋王ではなく聖徳太子
・安宿媛を皇后にするため長屋王一族を葬る
・異常気象、天変地異と法隆寺

13.聖徳太子の遺志を継ぐ聖武天皇と光明皇后
・聖武&光明―仏教関連年表
・聖徳太子の遺志を継ぐ聖武と光明
・十一面観音はアマテルと瀬織津姫の合体もしくは瀬織津姫

14.「光明」という通称に込められた安宿媛の悲願
・安宿媛の「不安」と「宿命」
・安宿媛が「光明」を名乗った理由

15.光明皇后が恐れ憎んだ聖徳太子の正体
・無残に打ち砕かれた安宿媛の夢、失われた現実との絆
・不気味な聖徳太子等身像(救世観音像)
・光明皇后が恐れ憎んだ聖徳太子
・聖徳太子の正体

16.書かれた時代と書かれたものでわかる「いろは歌」の秘密
・暗示と継承の国―日本
・「いろは歌」の暗示
・「咎なくて死す」が示していること
・「いろは歌」の書かれた時代:白河天皇
・藤原vs反藤原の代理抗争

17.道が分かれた聖武天皇と光明皇后
・分水嶺中の分水嶺―738年
・聖徳太子から大炊王に乗り換えた光明皇后
・「難波の夢」を葬った光明皇后

18.楽毅論」~「光明」を捨て「藤三娘」に込めた決意
・光明皇后が「楽毅論」に見出した救い
・「楽毅論」の臨書に見える光明の決意
・「光明」を捨て、「藤三娘」に込めた意味


19.桓武天皇が早良親王の御霊を恐れたわけ
・「国家神道」vs「国家仏教」
・桓武天皇(兄)vs早良親王(弟)

20.桓武天皇と最澄
・最澄の出自
・最澄の方向性を桓武がバックアップしていた?
・最澄の理想を利用した桓武天皇
・最澄の執念が実らせた:「国家仏教」から「宗派仏教」の時代へ







asatsuyu1.jpg
あちらへこちらへと、それぞれの方向に駆け抜けていった者たち・・・





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