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古代日本の転換点5-「吉野の盟約」で封印された6皇子

2016/06/27(Mon) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】 (まず前記事をお読みください。理解が深まります)

天武と優秀な皇子たちの平和への誓い。ところがそれにもかかわらず、まるで盟約に反しでもしたかのように次々と非業の死を遂げていく皇子たち。

こういうときに、私は事実(因)と事実(果)を見ます。
「密約」の中身を部外者が知るはずもありませんが、「日本書紀」は、それをまるで見てきたように書いています。実際はどうあれ、天智王朝(藤原王朝)を築き上げる意図を持って書かれている「日本書紀」が、この吉野の会合という事実をどのように利用しているのか。書かれていることを見れば、自ずとその意図も見えてくるでしょう。

記事1の主な登場人物。
阿倍仲麻呂(698-770)
吉備真備 (695-775)
玄昉    (?-746)
鑑真    (688-763)

記事2の主な登場人物。
持統天皇  (645-703)(41代 690-697 天智の娘・鸕野讃良)
藤原不比等 (659-720)(天智の子?)
元明天皇  (661-721)(43代 707-715 天智の娘・阿部皇女)
草壁皇子  (662-689)(母・持統天皇、妻・阿部皇女)<早世>
県犬養三千代(665-733)(天武の忠臣の娘、708~橘三千代)
文武天皇  (683-707)(母・元明天皇)
橘諸兄    (684-757)(敏達天皇末裔美努王の子/母・県犬養三千代)
聖武天皇  (701-756)(45代 724-749)
光明皇后  (701-760)(不比等の長女)
藤原仲麻呂 (706-764)(不比等の長男武智麻呂の子/南家)
橘奈良麻呂 (721-757)(橘諸兄の子)

記事3、4&本記事の主な登場人物。
鸕野皇后(645-703)(41代 690-697 天智の娘)
草壁皇子(662-689/鸕野讃良 天智の娘・妹)<早世>
大津皇子(663-686/大田皇女 天智の娘・姉)<謀反の罪で自害>
高市皇子(654-696/尼子娘)(長屋王の父)
葛野王 (669-706)(天智の子・大友皇子の長男)





679年「吉野の盟約」概要-----------------------------------------------

天武は『千歳之後、欲無事、奈之何』―「千年の後まで無事な世(事なき平和な世)を築きたいと望むが、どうだ」と問い、
草壁が『倶随天皇勅、而相扶無忤』―「天皇の勅(みことのり)の随(まま)に、相(あひ)扶(たす)けて忤(さか)らいません」と約束します。

さらに、『若自今以後、不如此盟者、身命亡之、子孫絶之。非忘非失矣』―「もし今後この誓いに背いた場合には命を落とし子孫も絶えるでしょう。忘れず、失(あやま)たじ―間違いません」とまで言っています。

その後天武は、『朕男等各異腹而生。然今如一母同産慈之』―「朕(わ)が男等(こども)、各異腹にして生れたけれども、今は一母同産(ひとつおもはらから)の如くにいとおしい」と言って、6皇子を抱きしめます。

さらに、『若違玆盟忽亡朕身』―「若し玆(こ)の盟に違(たが)はば、忽(たちまち)に朕(わ)が身を亡(うしな)はむ」―この約束を守らなければ、自分も滅びるだろうと言っているわけです。

最後は、『皇后之盟、且如天皇』―「皇后の盟(ちか)ひたまふこと、且(また)天皇の如し」で吉野の盟約は締めくくられています。
【参考「吉野の盟約」



草壁を皇太子にすることを周知させる会議ではなかった-------------

まず、日本書紀は下記のように皇子名を記しています。
1.草壁皇子(662-689/鸕野讃良 天智の娘・妹)<早世>
2.大津皇子(663-686/大田皇女 天智の娘・姉)<謀反の罪で自害>
3.高市皇子(654-696/尼子娘)(長屋王の父) <毒殺?>
4.川島皇子(657-691/忍海色夫古娘)(天智皇子)
5.忍壁皇子(?―705/かじ媛娘)       <公職追放>
6.志貴皇子(?―716/越道君伊羅都売)(天智皇子)

姉の大田皇女亡き後、鸕野讃良(うののさらら)が672年に皇后となっていますから、その子草壁が第一であってもおかしくはありませんが、本来なら大津が第一、軍功で言うなら高市が第一です。
けれど、鸕野讃良が皇后であること、日本書紀の書き順、天武の問いかけに対して草壁が第一に答えていることなどから、日本書紀の読者はすんなりと草壁が皇太子候補であるとすり込まれてしまいます。

しかも、草壁が第一に答えたことに天武も鸕野讃良も異を唱えていないので、この場で草壁が筆頭であることを天武が黙認したことになります。この点をつかまえて、天武と鸕野讃良が草壁を皇太子にすることを6皇子に周知させ、草壁に協力するよう要請した会議と見なす向きもあるでしょう。
けれどそうならば、後に天武が大津皇子を抜擢することも、天武没後に鸕野讃良が草壁を天皇にしなかったことも説明がつきません。

この時点で草壁が皇太子となる密約が出来ていたのならば、15歳の文武は天皇にした鸕野讃良が、天武崩御時に24歳だった草壁を天皇にしなかったのは全く腑に落ちません。優秀な皇子たちがここで協力体制を敷いたのならなおのこと、草壁が天皇になっていても何らおかしくなかったのです。

つまり、草壁を皇太子にすることを周知させる会議ではなかったわけです。


(なお、681年に草壁を立太子していることになっていますが、ならば天武崩御後に天皇になっていたでしょう。実際は前記事で見ましたように、天武と大津が亡くなって初めて草壁を皇太子にすることができた→皇太子にさせたので草壁を殯の主として勤めさせることができ、それによって初めて草壁が皇太子であることを内外に明らかにした、という流れではないでしょうか)




「相互協力」を「相互監視」に変えた鸕野讃良-----------------------------

また、天武は「奈之何(いかに)」と問うたわけですが、それに対する草壁の回答がおかしいですね。『相(あひ)扶(たす)けて』はわかりますが、助け合ってどうするのか。「天皇には逆らわない」―天皇に恭順するだけで千年の無事が達成されるはずもありません。

普通ならば、その回答を聞いてガッカリするところですが・・・次のように考えれば、草壁が第一に答えたことを天武が黙認したことも、草壁の変な回答にも辻褄が合ってきます。

前記事で見たように天武は、天皇は人物が重要であると考えていたでしょうし、器に足る大津皇子もいました。こちらが本来の皇太子候補ですから周囲の異存もないでしょうが、ただ1つ心配があるとすれば権力欲を持つ鸕野讃良と草壁母子の反発だったでしょう。そこで、内々に大津を立太子するつもりであることを天武が鸕野讃良に告げたとします。

そこで、鸕野讃良が草壁に「天皇は皇子たちの内紛を心配されている」「天皇が何か言ったら、天皇に従う意をいの一番に示せ」と含ませ、天武には「天皇の決定したことには逆らわないことを、皆の前で草壁に誓わせる」と段取りを付けておけば、この天武と草壁の会話は成り立つのです。天武は高市や大津にそのことを前もって含ませておけばいいでしょう。

天武の心配とは裏腹に、我が子草壁も含めて皇子たちを天皇にする気がない鸕野讃良にとっては、そこはどうでもいいところでした。これを利用して鸕野讃良が欲しかったのは、「天皇には逆らわない」という誓いでした。皇子達を抑えて、やがて自分が天皇になる腹づもりがあったからこそ、「天皇には逆らわない」という布石を打っておきたかったのでしょう。

しかも、それを6皇子全員にいわせることで、皇子たちは天皇の決定に従わない者はいないかと「相互監視」をすることになり、皇子たちの行動に制限がかかります。
実際、事実かどうか知りませんが、大津の謀反を密告したのは川島皇子ということになっています(川島皇子は天智系ですからあり得ますが)。ところで、なぜ相互監視システムになったのか?それは、次項で見るとおり命をかけさせた=脅したからです。




自分を責めるパターンをすり込んだ宣言-----------------------------

草壁は余計なことを付け加えました。『この誓いに背いた場合には命を落とし子孫も絶える』と言ったのです。おそらく、「天武に忠誠を尽くす姿勢を示すためにそこまで言え」と鸕野讃良に言われていたのかもしれません。

ここで「脅し」が入りましたね。このような脅しが入る場合、それは本物ではありません。必ず、支配と服従のハラスメント関係が内包されます。

草壁は実際に命を落とすわけですが、これを自ら宣言していますから、自分に何らかの責があったと思う方向に自己洗脳していきがちになります。他の皇子も全員宣言していますから、この時全員に「天皇には従う。従わなければ命はない」という支配の網(暗示)がかかったわけです。

その上、書紀を読む読者も、命を落とした皇子は本人に非があったのだろうと考える方に無意識に誘導されます。

おまけに日本書紀の狡猾なところは、『子孫絶之』(子孫も絶える)とまで書いたことです。『身命亡之』(命を落とす)だけで十分脅迫です。『子孫絶之』と書いた部分は、読者への暗示でしょう。この後、天武系皇子を根絶やしにしていくわけですが、そうなったのはこの盟約を違えたからだという暗示を植え付けています。

また、この時皇子全員が同じ言葉を言ったこと、及び『非忘非失矣』を「忘れず失いません」ととれば、宣誓が書かれた紙が配られ、それを読ませたのだろうという推測もあります。もしそうであれば、「絶対服従」+「相互監視」の儀式そのものですね。


こうしてみると、鸕野讃良と草壁の母子関係は、問題ある家庭の母子関係によく見られるパターンの一つですね。
すなわち、母の言いたいことを手足となった子どもが自ら言い、自分で自分を縛って身動きできずに苦しむパターンです。そして何かあったとしても、自分を責めて母親は守られます。世間的に見ても母親はアリバイを持っていて、子どもだけが責められるパターンです。(太古の昔から変わりませんね~ --;)




序列を決定した言葉(暗示)----------------------------------------------

その後、天武は「一人の母親から生まれたかのようにいとおしい」と、6皇子を抱きしめるわけですが、この展開も唐突で違和感があります(書紀の創作かもしれませんが)。

仮に天武がそういうことをしたとすれば、ここには天智の皇子もいましたので、過去の確執は捨てて天智系も天武系もなく協力してほしいという願いでしょう。特に、大津を排除しないように鸕野讃良に対するメッセージがあったかもしれません。

けれど皇子たちの側から言えば、ここで言う「一人の母親」とは当然鸕野讃良を暗示することになりますから、「鸕野讃良から生まれたかのようにいとおしい」となりますね。つまり、天皇(天武)は鸕野讃良を愛し、鸕野讃良から生まれたと見なしていとおしい―いとおしさの根源は、まるで鸕野讃良にあるかのようです。

このようして、書紀は鸕野讃良が6皇子の上に来るということを暗示したのではないでしょうか。ここで、天皇と6皇子の間に鸕野讃良が位置づけられました。つまり、天皇の“次”は鸕野讃良であるという序列が、この時に確定したのです。

すると、鸕野讃良の子草壁が、当然皇子の中でナンバー1ということに(暗黙の内に)なります。その草壁の上に鸕野讃良が来て、その上に天武―つまり、この会議で鸕野讃良は自分を天皇に次ぐ位置に置き、自分以下の序列まで決定したのです。




鸕野讃良が6皇子を「絶対服従」させた盟約-----------------------------

最後に、書紀はさらりととどめをさしました。
とどめの1つは、天武が、『若違玆盟忽亡朕身』―「もしこの盟約を守らなければ、たちまち自分も滅びるだろう」と言ったこと。

天武が盟約を自分の上に置きましたね。天皇に従うはずの盟約が、天皇をも滅ぼす盟約にここで変質しました。なんか変ですね~。

たとえば嘘をつかないで生きている親は、わざわざ子どもに「嘘をつくな」と言いません。親の背を見て、勝手に嘘をつかない大人に育っていくからです。けれど、「嘘だけはつくなよ」などと強調したり、繰り返し言って育てる親の子どもは嘘つきになります。なぜでしょうか。

言わずもがなのことを言うのは、そこに意図があるからです。その意図の背景には親の脚本があるのですが、親は無意識でも子どもはキャッチします。結果、親の脚本に協力すべく、子どもは嘘つきになってしまうのです。

私が言いたいのは、千年の平和を目指して行動しようとしている天武自身が、この誓いを言う必要はどこにもないということです。なので、おそらく日本書紀が、わざわざ書いたのでしょう。では、その意図は何か。

この一文が来るまでは、吉野の盟約は天武に対する忠誠を誓う盟約でした。けれど、天武が盟約を自分をも滅ぼすものとして自分の上に置き、皇子たちと同じように自分を縛ったことで、皇子たちと同じ地平に立ったのです。その上で次の一文をもって締めました。

『皇后之盟、且如天皇』―「皇后の盟(ちか)ひたまふこと、且(また)天皇の如し」

皇后も天皇と同様に誓った―盟約の前に2人は“同等”になった。この時、鸕野讃良は天武と同じ権威を持ったのでした。しかも書き方が『如天皇』です。鸕野讃良は「天皇のよう」と書いているわけですね。いろいろと書き方はあると思われますが、いやはや日本書紀はさらっと暗示を刷り込んできますね~。

そして、この「盟約」とは、それまでの経過を全て含みますから、当然、「草壁が皇子の中でナンバー1という序列を守れ」という暗示と、「鸕野讃良は天武と同じ権威を持つ」という暗示、そして「天皇には従う。従わなければ命はない」という暗示の全てが含まれます。

つまるところ、「鸕野讃良に従わなければ命はない」という精神的結界(暗示)を6皇子全員にかけたのが、この「吉野の盟約」でした。鸕野讚良は6皇子全員を「絶対服従」させたのです。鸕野讃良は、自らが天皇となる布石をこの時に置いたのでした。




鸕野讚良の「復讐の始まりの地」―それが吉野----------------------

あぁ・・と、思ってしまいます。
野望を持った母親に、いとも簡単に父親は利用されてしまいます。そして、子供達はこの一部始終を黙ってみている母親に支配されていくのです。

母親は子供達の手足を巧みに奪っていきますが、ここでもそれをやられたなぁ―そういう思いが湧きます。相談事例を見ていて、人間はつくづく暗示に縛られ、暗示で動かされていると実感しているからです。

目、表情、佇まい、声のトーン、言葉、仕草、習慣、様式、臭い、色、肌触り、温度、飲食物、着るもの、持ち物、住まい、地域、風土・・・あらゆるもので暗示をかけ、自他を閉じ込めて生きています。その暗示を本人に悟られないように脳が理屈を付けるため、殆どの人が自分が暗示で生きているとは思っていませんが、実際は脳に理屈を付けられて暗示の通りに生きているのです。


一見美談に見える「吉野の盟約」。
それは、6皇子を無力にする魔法をかけた魔方陣のようなものでした。

その本質は、「鸕野讃良への絶対服従」
だからこそ、皇子たちは鸕野讃良に抵抗できず、相互監視して身動き取れなくなっていったのではないでしょうか。

壬申の乱で勝利した天武にとっては「始まりの地」、
鸕野讚良にとっては父が討たれた「復讐の始まりの地」。

それが、吉野でした。




<続く>





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