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古代日本の転換点8-東大寺(盧舎那仏)と宇佐神宮(比売大神)の神仏習合の意味

2016/06/30(Thu) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

「神道vs仏教」に見えていた闘いの本質は、「藤原神道システム」vs「東大寺仏教システム」の闘いでした。その下に伏流していたのは「藤原神道」vs「物部神道」であり、物部神道が袈裟の衣を着ていたわけです。

その勢力を結集しようとしたのが聖武天皇であり、国分寺造営とその総本山としての東大寺造営は反藤原の拠点作りであると同時に、藤原神道システムを形骸化させるものでした。

さらに聖武は、神道の中でも反攻をかけていきます。


記事1、5の主な登場人物。
阿倍仲麻呂(698-770)
吉備真備 (695-775)(下道氏or加茂氏)
玄昉   (?―746)(阿刀氏)
鑑真    (688-763)

記事2の主な登場人物。
持統天皇  (645-703)(41代 690-697 天智の娘・鸕野讃良)
藤原不比等 (659-720)(天智の子?)
元明天皇  (661-721)(43代 707-715 天智の娘・阿部皇女)
草壁皇子  (662-689)(母・持統天皇、妻・阿部皇女)<早世>
県犬養三千代(665-733)(天武の忠臣の娘、708~橘三千代)
文武天皇  (683-707)(母・元明天皇)
橘諸兄    (684-757)(敏達天皇末裔美努王の子/母・県犬養三千代)
聖武天皇  (701-756)(45代 724-749)
光明皇后  (701-760)(不比等の長女)
藤原仲麻呂 (706-764)(不比等の長男武智麻呂の子/南家)
橘奈良麻呂 (721-757)(橘諸兄の子)

記事3、4、5の主な登場人物。
鸕野皇后(645-703)(41代 690-697 天智の娘)
草壁皇子(662-689/鸕野讃良 天智の娘・妹)<早世>
大津皇子(663-686/大田皇女 天智の娘・姉)<謀反の罪で自害>
高市皇子(654-696/尼子娘)(長屋王の父)
葛野王 (669-706)(天智の子・大友皇子の長男)

記事6の主な登場人物。
聖武天皇、光明皇后、橘諸兄、吉備真備、玄昉
長屋王  (684-729)(高市皇子の子)

記事7,8の主な登場人物。
聖武天皇





聖武が天皇に即位して最初にしたこと-----------------------------------

聖武は仏教だけではなく、藤原神道の外にある神を頼りにしました。
前記事で見たとおり、物部神道は国津神系、藤原神道は天津神系ですから、国津神系の神社を頼りにしたはずです。

それが持統&不比等が整備した日本書紀に出てこない神であり神社―宇佐神宮でした。宇佐神宮での拝礼の作法は、「二礼、四拍手、一礼」―これは、出雲大社と宇佐神宮だけだそうです。ということは、宇佐神宮も国津神ということでしょう。

聖武は、即位の翌年725年に宇佐神宮一之御殿の造営をしています。さらにその8年後には二之御殿を造営しています。(三之御殿は約100年後の823年ですから、聖武は宇佐神宮の祭神は二柱と考えていたことがわかります)

即位して最初に行った事業ですから、聖武にとっていの一番にすべきとても重要な事業だったことがわかりますが、現在は一之御殿は「八幡大神」(応神天皇)、二之御殿は「比売大神」となっています。


UZ060073-1
UZ060073-1 posted by (C)UZOU

では、聖武が頼ったこの二柱とは?・・・




宇佐神宮の比売大神は瀬織津姫-----------------------------------

ここでヒントになるのは、まさに聖武が生きたこの時代に持統によって消された神がいたということです。持統が消した神の代表と言えば、アマテル(ニギハヤヒ)と瀬織津姫。神社が決して名を表すことが出来なかった女神が瀬織津姫でしたね。

「比売」というのは一般名詞でもありますから、一見わかりにくいのですが、当時「比売」と言って誰もに通じたのが「瀬織津姫」でしょう。愛媛(愛比売)で訪れた椿神社の祭神・伊予比売命も瀬織津姫でしたね。
松山心の旅5.椿神社(伊豫豆比古命神社)の秘密は「愛媛」の秘密

何より、「大祓詞」に次のようにあります。
『高山の末 短山(ひきやま)の末より 佐久那太理(さくなだり)に落ち多岐(たぎ)つ速川の瀬に坐す瀬織津比売と言う神、大海原に持ち出でなむ』
「大祓詞」からの異名

大祓詞から消そうと思っても消せなかったのは、あらゆるものを祓ってくれる大神だからです。この大神がいないとどうしても困りますので、さしもの持統も大祓詞からは消すことができませんでした。

その祓戸「大神」(はらえどのおおかみ)が瀬織津「比売」。
つまり、「比売大神」とは瀬織津姫のことでしょう。

しかも、その大神はあらゆるものを祓う大神。
藤原氏を祓いたい聖武天皇にとって、藤原氏に封印された因縁を持つこの神以上に匹敵する神はいなかったでしょう。

先天八卦では、1・2=乾・兌=国常立神と瀬織津姫
後天八卦では、1・2=乾・坤=国常立神と瀬織津姫
いずれも国常立神と瀬織津姫でワンツーフィニッシュです。だから、一之御殿は「国常立神」、二之御殿は「瀬織津姫」。

つまり、聖武は、持統&不比等が「日本書記」で葬り去った二柱の神を、不比等の死後わずか5年で蘇らせたのです。
弱冠24歳。一之御殿を造営するということは、藤原一族に対して宣戦布告したということ。この迅速さは、おそらく即位したら最初にやることに決めていたのだろうと思いますが、「聖武ってスゲー!」と惚れ込んでしまいました。


*国常立神とアマテル(ニギハヤヒ)の関係については、下記をご参照ください。
「国常立神―アマテル―天御中主神」




宇佐神宮の八幡大神の正体-----------------------------

そして、造りを見れば二之御殿が主殿となっていますので、瀬織津姫が主祭神となっていることがわかります。
けれど、一之御殿は応神天皇を祀り、応神を「八幡大神」と呼んでいますね。これは、藤原政権に対する隠れ蓑なのでしょう。

縄文古来のものは封印しなければ殺されることさえあった粛正の時代、庶民は古来の神や風習を存続させるために、大陸由来でカムフラージュして名を変えて藤原政権に対抗しました。【「縄文古来」は「大陸由来」へ

宇佐神宮も、元は瀬織津姫を祀っており、カムフラージュするために八幡大神を名乗らせ、その実聖武天皇は二之御殿でしっかりと瀬織津姫を祀ったのでしょう。つまり、表名は八幡大神ですが本体は比売大神―つまり、八幡大神も瀬織津姫なのだと思います。

藤原政権から外された縄文の女神は宇佐神宮と共に復活したわけです。八幡大神(国常立神/アマテル)は新羅の神なども習合していますが、八幡大神の本体が比売大神(瀬織津姫)とわかれば、新羅と習合するのもわかります。「新羅」=白菊(倭菊)=瀬織津姫だからです。

八幡神社がダントツ1位で日本に広まった理由も、その大本が縄文の女神・瀬織津姫だったからでしょう。




宇佐神宮が天皇の宗廟となり、天皇が伊勢神宮に参らないわけ

聖武天皇は、藤原神道のアマテラスに対して、物部神道のセオリツヒメをぶつけました。というか、藤原神道が封印した縄文の太陽神(アマテル)と月神・水神(セオリツヒメ)を蘇らせました。

宇佐神宮が反藤原になるのも当然だったわけです。
藤原広嗣の乱に際しては、将軍大野東人が宇佐神宮で戦勝祈願をしていますし、743年には宇佐神宮が大仏建立費を東大寺に送るだけでなく、鋳造にも関わっています。

さらに、聖武は宇佐神宮から勧請した神を東大寺の守護神として大仏殿の東正面に据えました。宇佐神宮と聖武天皇の結びつきがとても密接であることを示しています。

この時代から、宇佐神宮が天皇鎮護の神→天皇の宗廟となっていくわけです。なるほど、天皇が伊勢神宮に参らなかったのは、そこが藤原神道により作られた聖地だったから。逆に、天皇が宇佐神宮に参ったのは、藤原政権から天皇を守ったからです。合点がいきました。

その宇佐八幡大菩薩が、反藤原の武家集団に広まり、武士の守護神となっていったのも当然のように思います。

【ご参考:聖武天皇の仏教立国~】




八幡大神を東大寺の守護神としたわけ------------------------------

ところで、宇佐神宮から勧請した神を大仏殿の東正面に据えたということは、西に大仏、東に二柱一体神(国常立神&瀬織津姫)ということ。

TamukeyamaHatchimangu.jpg

ここではたと気づきました。

一つは、東に置くことで、この神こそが本当の太陽神であることを示したのでは? アマテラスは二柱一体神を別の形で表しましたが、本当の太陽神はアマテルであることを、この位置関係で暗示したのではないでしょうか。

聖武は、即位当初は宇佐神宮とともに持統&不比等が封印した神を復活させることで、藤原神道システムに対抗しようとしたのかもしれません。けれど、それだけでは抗しきれないと感じた時、すでに見ましたように民衆に浸透している仏教を利用することを思いついたのかもしれません。

それは、神道では偶像を用いませんが、仏教では仏像という偶像を用いること。「形」はインパクトがあり、大衆にわかりやすい。そこで、この仏像という「形」を利用しようとしたのでしょう。その利用の目的は何か?

男性の太陽神がいることをハッキリと目に見せて知らせること。それが、巨大な仏像として建立する意味だったのでしょう。
大宇宙の中心であり、神々しい黄金の太陽である盧舎那仏―だからこそ、巨大で、かつ黄金である必要があったわけです。

さらに、八幡大神を東大寺の守護神として東に置いたということ。すると―
東から昇る太陽、
その太陽を神格化したアマテル、
そのアマテルを具象化した盧舎那仏
が一直線に並ぶわけです。

凄い構想力ですね。
聖武はこの配置で、本当の太陽神を暗示し、藤原神道の骨抜きを狙ったわけです。




八幡大神が瀬織津姫である証拠-------------------------------

上記で二柱一体神と書きましたが、八幡大神の本体が瀬織津姫というのは上記の地図を見るとよくわかります。

まず、手向山八幡宮という名前。
赤鬼・青鬼、前鬼・後鬼、毘沙門天に観音、金玉2つ、両手、両袖など、対になっているものは対で瀬織津姫を表します。両脇から真ん中の本体(一柱)を支えるイメージ。もちろん、一柱とは国常立神(アマテル)。つまり、
「手」が瀬織津姫。
「向」も、向津媛命=瀬織津姫。
「山」も、「大祓詞」からの異名にあったとおり、瀬織津姫です。「山の神」とは瀬織津姫です。
というわけで、「手向山」八幡宮=「瀬織津姫」八幡宮と言っているのと同じ。

それに「八」も、先天八卦で「坤」のナンバーですね。

その前後にある「観音院」と「不動堂」。
観音も不動明王も瀬織津姫ですね。

「法華堂」―法華経は藤原神道のバイブル「日本書紀」に対する、東大寺仏教システム(=二柱復活システム)のバイブル。また、「華」は「花」で、花=女神を表し、女神といえば瀬織津姫です。

その法華堂は三月堂と呼ばれています。「三」は瀬織津姫ナンバー。
「二月堂」の「二」も瀬織津姫ナンバー。(ニッパチ)

こう見てくると、八幡大神=瀬織津姫であるのは間違いないと思われます。

ではなぜ、東においたのか。
それは、瀬織津姫が「玉兎」=「卯」=東→「東天王」とも呼ばれているからでしょう。【大将軍神社の謎―2)岡崎神社はなぜウサギ神社なのか】




アマテル(東大寺)とセオリツヒメ(宇佐神宮)の習合-----

そして、もう一つ―
東大寺の盧舎那仏は大日如来→太陽神です。
宇佐神宮の比売大神→瀬織津姫。

ということは、アマテルとセオリツヒメ!!

盧舎那仏(アマテル)と比売大神(セオリツヒメ)が並び立つことになる!
おーっ、聖武スッゲー!!(と再び感動 ^^)

太陽を神格化したアマテル、そのアマテルを具象化した盧舎那仏が一直線に並ぶだけでなく、アマテル(盧舎那仏)とセオリツヒメ(比売大神)も揃うわけです。この配置と構想が凄い。つくづく聖武って「スッゲーなー」です。

だから東大寺と宇佐神宮が結びつくわけだー。
日本って、ほんっっっと面白いね~。


神仏習合がなぜ起こったのか?
しかも、なぜ宇佐神宮から起こったのか?

それは、元々の夫婦神であるアマテルとセオリツヒメが、それぞれ東大寺と宇佐神宮に祀られたからなんですね~~~。
(にしても、男性が仏で女性が神―この関係が意味深で面白いね~)

持統&不比等は新権力を正当化するために一大宗教改革を成し遂げましたが、それをなし崩しにするために、ミラクル聖武はそれを超える大宗教改革=神仏習合を成し遂げました。いやはや凄いと思います。




ヒルコの秘密:ヒルコが海に流されたわけ----------------------

ところで、アマテラスは元々「大日孁貴」(おおひるめむち)。尊称を取れば「ひるめ」。
「ひるこ」は日る子(太陽の子)、
「ひるめ」は日る女(太陽の女)
→それが、「ひこ」「ひめ」となっていきます。

ヒルコと言えば、国産み神話で最初に生まれたけれど出来損なって流された赤ちゃん。

暗示の書「日本書紀」は、「ひるこ」(太陽神)は流され、残っているのは「ひるめ」だよ、だから太陽神は本来男だけど女しかいないんだから太陽神が女神でも仕方ないよね―と布石を打ったのかもしれません。

日本書紀って、人が暗示に縛られて生きていることを熟知した上で、周到に布石を張り巡らし、読む人を自然にある方向に誘う暗示に充ち満ちた書なんだなぁと思います。

日本書紀が実に長きにわたって人を洗脳できてきた理由は、そこにあるのでしょう。




<続く>





国宝宇佐神宮






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