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人類は、シンゴジラ(地球の化身でありテーマ)にどう向き合うのか?

2016/08/28(Sun) Category : 映画
【私は映画を見る際に事前に調べていかないので、純粋な発見や驚きがあります。この記事はネタバレ内容が含まれていますので、ご覧になっていない方は見られた後に読まれた方がいいでしょう】


『シン・ゴジラ』予告




地球の化身―ゴジラ------------------------------------

おっ、あの背びれはゴジラ
と思いきや、なんなんだこいつは?!

ゴジラと思わせておいて肩すかしを食らわせて
この変なやつとゴジラが闘うの・・・か?

にしては役不足。
もっと同時多発テロのように怪獣が出てきて
最後に巨大ラスボス登場
「ハカイジュウ」のような展開になるのか?

それともモスラのように変態して
あの間抜け面が凶悪怪獣化いくのか?

などと思っていたら、
なんと、あれが・・・変態していくのか!

あの両生類のようにブヨブヨの体が、
溶岩の塊のようなゴツゴツした体に―


そして・・・


ゴジラの顔を正面から見た時、
「あっ!」と身を乗り出した。


キノコ雲だ―


あの頭は、長崎に落とされた原爆ファットマンでありキノコ雲だ。
あの首は、大地から立ち上がるように見えるダウンバーストだ。

岩盤のような胸から下
その胸から隔絶したように柔軟に立ち上がる首

首から上がキノコ雲
首から下が焼けただれた大地であり、人間だ



今回、初めて気づいた
これまでのゴジラとは違う
あのモクモク雲が固まったかのような顔のビジュアルを見て

ゴジラは、
原爆の化身であり
原爆で亡くなった人々を含むすべての生命、焼けただれた大地であり、
マグマ

そう、その美しい体を2000回も原爆実験で破壊され、毒を空に大地に海にまかれ、怒り持て立ち上がった「地球の化身」なのだ、と。






私は・・・3つのことを思い出していた。




スサノオ・艮の金神・不動明王------------------------------

1つは、メルトダウンし、今この時もなお地中深く彷徨っているであろう溶解した放射性物質。溶岩のように土中を溶かし進んでいった放射性物質(汚れ:けがれ)はどうなるのか。祓戸四神の流れで見ると次のようになる。

瀬織津姫(せおりつひめ)が地下水脈から海へ流し、
速開都姫(はやあきつひめ)が海の底でそれを飲み込み、
気吹戸主(いぶきどぬし)がそれをマグマで焼いて浄化し、
速佐須良姫(はやさすらひめ)がマントル対流でそれを霧消させ汚れを祓う。

瀬織津姫と速開都姫が水
気吹戸主と速佐須良姫が火
火水(かみ)による浄化と循環。無と再生。

速佐須良姫とは、「根之堅州國」(ねのかたすくに)/「底根國」(そこつねのくに)に住むことになったスサノオのことである。なぜ、女性になるかというと、地球の生命を育んでいるのは太陽の光と地球のマグマだからだ。マグマは生命を育むから女性性なのだろう。

(エジプトでは男根を失ったオシリスが冥界の王となりますが、オシリス=スサノオですね。神に近づく程、無極になっていくのでしょう)

それに、何より直接生み出すものがある。近年、誰もが目にしたまれに見る奇跡―西之島の誕生だ。そう、マントル対流は生命の基盤である大地を産み出す。速佐須良姫は、そのマントル対流―地球のコアだ。

つまり、メルトダウンした放射性物質が、地球のコア(マグマ)と結びつき、怒れる神となって地上に再臨した―
ゴジラは、怒れるスサノオだ。
(だからゴジラはオスでもメスでもありません。無極です)

同時に
ゴジラは、艮の金神、大金龍、国常立大神(国底立神)だ。

あるいは、
大日如来の化身―怒れる不動明王だ。

そして、背中からビームを照射する姿は
千手観音だ。

あの尻尾の先は、瀬織津姫の化身でもある
十一面観音だ。

不動明王(大日如来)と十一面観音(瀬織津姫)は対であり、両者一体となって地球が成り立つ。

つまり、ゴジラは
怒れる「地球の化身」―そう感じた。



<ご参考>
伊雑宮と佐美長神社~国之常立神とスサノオ
熊野本宮大社と出雲の熊野大社~祀られている本当の神
奇勝 橋杭岩ライトアップと昇るオリオン




「被爆者が描いた絵」--------------------------------------

次に、ゴジラになる前の怪獣が、歩くたびに大量の赤い体液をまき散らす映像を見た瞬間に思い出したこと。それは・・・「被爆者が描いた絵」だった。

全身水ぶくれで黒く焼け放心状態で歩く人
焼け垂れ下がった皮膚で彷徨う人
焼けただれた背に刺さる瓦礫
歩くたびに大量に噴き出す血
飛び出た目
阿修羅のごとき形相で空を睨んだままの赤い死体
赤く染まった海

あの第2形態は、被爆した人々の「怨念」だ。
―そう、感じた。

水を求めて歩き、息絶えた。

書いているだけで、胸が詰まる―




放射能死の熱い遺体-----------------------------------------

その第2形態からゴジラとなって登場した時、赤と黒の体を見て思い出すものがあった。

放射線を浴びて亡くなった方の遺体が、
死後数日経つのに「熱かった」ということ。
遺体が熱くて運ぶ手が汗にまみれたということ。

運動して発生するはずの熱が、
動かなくなって冷たくなるはずの遺体から出ているということ。

生命活動のないはずの遺骸の中で、分子が動いている。
何かが熱運動させている。
エントロピーは増大し続けている・・・

これが、放射能か・・・!!!

と、慄然とした思い。
【冷たいはずの遺体が熱い~「放射能を浴びたX年後」】


ゴジラも、熱かろう。苦しかろう。
いや、それも含めてあらゆる感情をマグマの中に溶かし込んで無表情でそこに居る。




「仏の顔も三度まで」----------------------------------------

黒と赤の姿が、被爆者の遺体の黒と赤に重なる。
何度も立ち上がる「無念」の思い。

現代兵器のすべてに全く動じない
「無念」の思い。

その平然とした姿は圧巻!
まさに不動明王のごとしだった。

「二度と戦争はならぬ」

その覚悟が鋼の装甲となって、すべての銃弾を跳ね返しているように見えた。


その「無念の思い」と「覚悟」に対して、
残された唯一の手段―「核」を使うのか?

生きて動く「核」には「核」を―か?

東京大空襲、そして広島、長崎―無辜の人々を大量虐殺した。
あの負のカルマを、人類はまた積み上げるのか?

広島、長崎、福島―そして第4の核を東京に落とすのか?

「仏の顔も三度まで」と言うに―




「ニッポン対ゴジラ」----------------------------------------

国連は原爆の使用を承認。
おまけに首相以下政治家首脳が司令部移動の際に瞬殺され、日本は国の頭まで失ってしまった。

万事休すとなったニッポン。


自衛隊の場面もリアリティがあって面白かったが、さらにここからが面白かった。

ブルドーザー、高所放水車、新幹線、電車群、おまけに高層ビル群や石油化学プラント・・・それらが、“武器”としても活躍する。

このアイディア!
自衛隊の戦闘場面も凄かったが、それ以上にワクワク感が止まらない。

これ、「働く自動車」大好き坊やも、鉄男・鉄女の鉄道マニアも、「工場萌え」の面々も、みんなワクワクするんじゃないだろうか。

ゴジラは歩くたびに大地震を引き起こしているようなものだから、上記の作戦は、日本のインフラが耐震設計でよほどしっかりしていなければ取り得ない作戦だった。この映画は、日本の社会的インフラがしっかりしていることを余すところなく見せつけた。

また、360万人の地方移住など、利他の精神や集団行動への慣れがなければ、そもそもできない相談だ。

可能性としてであれ、これらのことを描けることが痛快だった。
米国映画にありがちな、有能なヒーローがほぼ単独の力で、あるいはみんなを率いて勝利をもたらす映画ではない。

残された政治家や研究者のみならず、協力し合う企業や国、武力攻撃が無駄と知って住民の避難に向かう自衛隊、避難先で支え合う人々―各持ち場で頑張る人々全員がヒーローでありヒロインである映画だった。

日本のインフラと日本人の創造力及び協調精神がゴジラを“止めた”のだ。

なるほど、「ニッポン対ゴジラ」だ―




「人」-----------------------------------------------

映画の中の言葉にあったように、ニューヨークに現れていたとしても国連は核を落とす決議をしたのだろう。それで失うものは何か?

人とチームだ。
そして、人とチームが積み上げてきた歴史であり、その集積としてのインフラだ。

ゴジラを止めたインフラは、職業的責任を持ってそれぞれの持ち場をしっかり守る、日々の地道なメンテナンスによって支えられている。
日本の紹介番組に必ず出てくるのが、その優れた商品なりサービスを支えるこの道数十年という“おばちゃんたち”など職人気質の人々。最終的には、機械ではなく五感によって品質や精度を維持している人々。世界に誇る技術は、一人一人の体感覚の中に織り込まれている。その人々なくして継承できるものはないのだ。

実際、若冲や明治職人の超絶技巧は、未だに現代技術で再現できていない。人を失い、継承を失うとはそういうことだ。

リオ五輪閉会式で世界に注目された日本のコンテンツ力。首相がマリオのコスプレをする―かつては考えられなかったことだ。そこに至るまでにパイオニアは常に肩身の狭い思いをし、それを見るものは“女子供のもの”とあざけられる歴史の蓄積があった。

漢文→かな交じり文→小説→漫画→アニメ→ゲーム・・・漢文より後の一つ一つが、社会に承認されるまでは馬鹿にされる存在だった。その時々の社会の圧力に負けず、本当にそれが好きな人々の膨大な努力の蓄積によって現代のコンテンツ大国ができあがったのだ。

たとえば、戦争体験がある次のような方々が、もし戦争により亡くなっていたら、今の日本や世界はどうなっていただろうか?

水木しげる、手塚治虫、白土三平、藤子不二雄、横山光輝、赤塚不二夫、桑田二郎、楳図かずお、さいとう・たかを、つげ義春、モンキー・パンチ、石ノ森章太郎、松本零士、ちばてつや、やなせたかし、中沢啓治、宮崎駿・・・・等々

彼らが生きて描いてくれたからこそ、現在の漫画大国がある。さらに、その漫画が世界をつなげて世界意識を変えている。たとえば、フランスは「かわいい」などもってのほか、子供じみたことを蔑視する大人文化の最右翼だっただろう。そのフランスが変わりつつある。「セーラームーン」は、世界の女子をつなぐことができる“神話”となり得るだろう。

人を殺すということは、人類の将来を殺すということだ。




「チーム」-----------------------------------------------

そして、チーム。一人一人が、上記のように様々な才能を体現していたとしても、一人では完結できない。

映画でも、ラインから外れた個性あふれるはみ出し者達がチームを組み、創発的な「場」が生まれた。人々がチームを組むことによって力をもらい合い、持てる以上の力を発揮し、それらの才能がコラボすることで想像以上の結果を産み出していく。

リオ五輪もそうだった。卓球男女、体操、水泳、陸上400、バドミントン、7人ラグビー、女子レスリング、柔道、テニス、重量挙げ、競歩、カヌー・・・

体操やレスリングや柔道をはじめとする個人競技においてさえ、個々人を支えているのはチームだ。素晴らしい選手が同時代にそこに居ることのありがたさ。そのモデルと切磋琢磨する中で、ニューパワーが立ち上がってくる。これも継承なくしてはあり得ない。

その日本選手団が見せたチームへの求心力は素晴らしかった。自分を信じ、仲間を信じ、個人としてより何よりチームとしてメダルを取りたいという思い。怪我や不調など互いのことを知っているだけに、それを支え合いアドバイスし合ってともに乗り越えてきただけに、「後輩のためにメダルを取りたい」「先輩をメダルなしでは帰らせられない」―その熱い思いが伝わり、涙ぐむ場面がたくさんあった。

そして、その思いを世界に知らしめたのが陸上400mリレーだっただろう。なんと、日本は2位でゴールを駆け抜けた!!


「SASUKE」が世界的にヒットしたのも、人を蹴落とす競争ではなく、みんながともに乗り越えていこうとするその連帯感や精神性に惹かれたのだと思う。

その「大いなる和」に至ったのも、かつて血で血を洗う抗争の悲劇が繰り返されたからだろう。聖徳太子がわざわざ憲法に「和をもって貴しとなす」と記したのは、それができていなかったから。それから1400年という歴史の蓄積がある。

戦争(破壊)は、それらすべての歴史を断ち切る。




土地に折りたたまれた歴史------------------------------------

映画でも、「スクラップ&ビルド」と言う言葉が出てきたが、簡単に言うなかれ。

今日見る大東京となったのも、泥湿地帯を徳川家康が大地に変え、結界都市にし・・・というこの400年の営みの蓄積の上にある。かつての運河が、現在の高速になっているように、歴史の積み重ねの上に社会的インフラはできあがっている。土地そのものの中に歴史が折りたたまれているのだ。

日本に来る外国人が魅了されるのは、新旧+自然が渾然一体となった「場」の魅力である。これまでの歴史が作り上げた風土自体が魅力と創発を生む場となっている。


百人一首の記事でも書いたが、飛鳥―奈良―平安にまたがる600年の中から百首集め、しかもその中に隠された秘伝を伝授された者は芸を極め政治を極め、一方で庶民の生活の一部となり文化を形成しているわけだ。600年の蓄積がなければ、「百人一首」の秘伝は生まれなかったのである。

その京都も空襲の対象となっていた。もし京都が空襲で灰燼に帰していたら、現在の中国人が感動してやまない唐文化の痕跡を、この地球上で見ることはできなかっただろう。

戦争(破壊)は、ただ人類を未開に返すだけだ。




戦争後遺症で崩壊していく社会-----------------------------

戦争(破壊)は、ただ過去からの叡智の蓄積を断ち切るだけではない。その後将来にわたって社会を破壊し続ける。

戦争を経験した第1世代は、人(命)を道具にする環境の中で不安や恐怖を内在化させていく。感情(=自己存在の本体)を封印するためにストローク飢餓が深まり、自己確認のために人を使うようになり、第2世代になるとハラスメント社会が急速にできあがっていく。

そして、上2世代が、まるで前でとうせんぼする“砂かけばばぁ”&後ろからおぶさってくる“子泣きじじぃ”のようにおんぶにだっこしてくると、逃げ場のない第3世代は地獄を見る。
【参考:20代の心の病~戦争後遺症という視点

これは民族を問わない。相談者の方の中には国際結婚されている方もいらっしゃるが、戦争にせよパンデミックにせよ社会的に大量死を体験した国や地域はそうなっていくなぁと感じた。

戦争を体験し、自分を大事にすることができない両親の元で育った私も同じだった。しわ寄せは子供に向かった。子が産まれたから父親になったのではない。父としてどうあるべきか、試行錯誤と反省と実行の中でようやく父親になっていったのだ。父親になるという簡単に見えることでさえ、社会がきちんとしていなければ、かくも四苦八苦することになってしまう。

戦争(破壊)は、その国の未来も奪うのである。




天皇が守る「憲法九条」-------------------------------------------

その戦争の痛みを最も感じておられるのが、天皇だろう。
首相や大統領のように、任期を終えたらそこで責任終了ではない。終生、日本や地球の平和のために祈り、行動し続ける―凄いことだと思う。

8月8日に天皇はおことばを述べられた。




前置きの後、真っ先に述べられたのは次のことだ。
『即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。』

そして、中段主要部。
『天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。』

最後は次の言葉で締めくくられている。
『象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。』


天皇家に生まれたから天皇なのではない。今上天皇は象徴天皇としてどうあるべきかを考え続け、実行し続けた。そして平和のために行動し続けた。その姿勢こそが「天皇」たらしめている。

『皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。』
―この言葉は、体を張って実践した来たからこその自負と感じた。そして、『幸せ』と言っている。

つまり、象徴天皇とは何かを模索し続けた今上天皇は、その実体験から「象徴天皇」のあり方がよいと肯定されている。いや、今上天皇が自らの行為で「象徴天皇」のありようを作ったのである。そして、このありようが将来も続けよと願っておられる。

天皇を「象徴」としたのは現日本国憲法である。
つまり、自分が懸命に守ってきた日本国憲法を、国民も守れと言っているのだ。その守れとは、単なる文言ではない。自らが範を示したように、行動で示せと言っているのである。


天皇が述べられた『日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。』の中の、「旅」とは、魂を込め全霊で行われている慰霊の旅に他ならない。

その天皇の日々の願いと努力が、ひとたび戦争になってしまえば水泡に帰してしまう。生涯をかけて非戦のための旅を続けておられる天皇にとって、戦争は断じて許してはならないことだろう。

そのことを自分の行為を通してよく知っているからこそ、行為を伴わない「形だけの天皇」を宮内庁から勧められた時、「そうじゃないんだ」と断られた。素晴らしい方だと思う。

今上天皇は憲法九条(戦争放棄)を体を張って守っておられると感じた。


*なお、「行動で示せ」とは、自分のなすべきことをする―そのためには、心と繋がって心がしたいことをする―ただ、それだけ。そういう人は、ただありのままに生きているだけで周りの人を勝手に自由にしていく。そういう人が増えれば、「支配」することの空しさ、馬鹿馬鹿しさがわかり、ハラスメント界は勝手に縮小していくでしょう。




平成28年8月8日---------------------------------------------

天皇がお言葉を述べられた日。
「8」は、大自然と一体となって進めということ。
「88」は、富士山とも関係する、無限へと続く崇高な数霊。
「888」は、永久に栄えていく弥栄の世界。弥勒の世。

この日に述べられたことに天皇の意志が示されていると思う。
自然と調和して進めということだ。

戦争や開発競争は、富を求めて起こる。
その結果どうなっているだろうか。

干ばつは、『1950年代頃に突然現れた災害』だそうで、現代文明による人災である。そして、史上最悪の干ばつが進行中で、それは7つの国と地域に始まり、現在も拡大している。インドで6月に記録された48.5度というのは、もはや死の大地だ。

南極では、氷河を堰き止めている棚氷が崩壊の危機。CO2濃度が400万年ぶりに400PPMを超え、危険ラインを超えたとのこと。氷河が海に流れ出せば海水面上昇となって平野が沈む。そのうち民族大移動が起こるかもしれない。

ロシアでも永久凍土のヴィゼ島(北極圏)で海岸線が急速に浸食されており、気象台が崖から落ちそうになっている。

さらに今年は、NASAが名付けた史上最強と言われるゴジラ・エルニーニョの年。その故か、韓国の養殖場では海水温がなんと30度前後まで上昇して魚が全滅。おまけに人災も加わって、アオコの発生した韓国の川も不気味な緑色に染まって魚全滅。生命を活かす水の中に命が住めなくなっている。

―もういいだろう。
経済競争が人を気象を狂わせている。その競争の行き着く先が人を退化させる戦争だ。




「現実対虚構」-------------------------------------------

金を求めて行き着く先が、「ONE PIECE FILM GOLD」の世界だろうか。




どんなに「金」を手にしても、その手は誰の手とも繋がっていなかった。
誰とも繋がらないために邁進したことに、テゾーロが気づくことができていれば・・・

金や資源、領土などの富に向かう原動力は、欲というより「不安と恐怖」だろう。それが人を追い立てる。「不安と恐怖」を見たくないとしがみつくのが、金や資源、領土だ。追い立てられた人は、虚構(脚本)を現実化するためにひたすら走り続ける―それが虚構であり、自作自演の一人芝居とも知らずに。それが競争や戦争となっていき、核まで産み出した。

核こそ、疑心暗鬼の不安が生み出した虚構(脚本)の産物だ。
ゴジラと同じである。

映画のコピー「現実対虚構」―よく言ったものだ。

けれど、虚構により生み出されたハラッサーはいる。
そういう人々は浸食してくる。
だから、撃退するために武力を持つ必要はあるだろう。
不意も突いてくるので、緊急対応の法整備も必要だろう。
けれど、それは専守防衛の「憲法九条」を変えることなくできることだろう。




「核は止めろ」-------------------------------------------

また、虚構により生み出された「核」(原爆、原発)もそこにある。
映画では、凍結することで止めた。
これも、「311」の経験が参考になっているのかもしれない。

赤い髪の桜木花道―「赤は止まれ」だった。
赤く熱したゴジラ(原爆かつ原発)―「赤は止めろ」だ。

映画が示した「核」への向き合い方。
「核は止めろ」だ。


しかし、凍結し続けなければならない。
凍結が溶けたら、“そこ”にモニュメントのように立つゴジラは、再び動き始めるだろう。

そのときゴジラは「ただ歩いているだけ」だ。
けれど、「核」が動く―それだけで、人類、いやすべての生物にとって危機なのだ。

映画で道は示された。「核は凍結しろ」
(鬱を押して引き受け、それを乗り越えて作っていただいた庵野秀明監督に感謝)

天皇も道を示された。「自然とともに歩め」

今や世界一となった日本のウイスキー。それを作っているのは、その「場」その樽にしか住んでいない「菌」だ。
優れておいしい和菓子を作っていたのは「水」だった。
この2つを産み出し、その場に定着させたのは歴史だ。

「核」は、その2つ―「水」と「菌」を殺し、「場」は永遠に失われる。




ゴジラ(核)を止められるのは日本しかない-------------------------------

相次いで再稼働を始めた原発。
凍結していたゴジラを再び動かしてしまったのは、私たちの政府だ。

人類は、「核」(原爆、原発)にどのように向き合うのか?

その道を示すのは、もう4度目はない私たち日本人ではないのか。


このままでは、やがて再び赤い奔流となって日本を襲うだろう。
けれど、赤い奔流を止めた者がいた。

「ナウシカ」だ。

怒れる王蟲の赤い濁流を止めたのは、ナウシカの命に対する姿勢だった。


世界ではイスラム教徒のキリスト教徒に対する憎悪が深まり、
米国では黒人の白人に対する憎悪が増大している。

その根にあるのは、「不安と恐怖」だ。
さらに、その底にあるのは「自然と人間」の関係だ。

人を育む自然だからこそ生まれた八百万神。
日本人は、自然から人を疎外しなかった。
だからこそモノにも妖怪にも魂が宿り、ロボットやポケモンも生まれた。

私たちの豊かさは、この龍体列島そのものが与えてくれたのだ。
物理的には、森と海で循環する水によるエントロピー低減システムが文明のゴミ(熱)を廃棄してくれた。
心理的には、人の心に住まう「不安と恐怖」を受け止め慰撫してくれた。

私たちは、この龍体に守られ、救われている。

「不安と恐怖」を封じるために怒りに変えた人々を包み込むのは、
この慰撫と優しさだ。

この龍体列島に育まれた私たち一人一人が、自分を育んでくれた風土(里山、川、海)に感謝し、その循環を取り戻し、世界に冠たるリサイクル文明だった江戸のように低エントロピーの文明を提示していくこと。そして、低エネルギーでも豊かな生活ができることを示していくこと。そして、ふたたび「笑顔の国」になったとき、世界は勝手に日本のまねをし始めるだろう。

私たち一人一人が、自分に対して誠実に生きる。
遠回りのようだけれど、それが核なき世界へ通じる道なのだろうと思う。








【参考】「日本のいちばん長い日」~昭和天皇、鈴木貫太郎、阿南惟幾三傑の提示したもの

シン・ゴジラ|映画情報のぴあ映画生活
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