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古代日本の転換点11-聖武天皇と光明皇后の時代年表

2016/09/12(Mon) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

このシリーズの前記事から2ヶ月ぶりのご無沙汰です。
「天武政権からいかにして藤原氏が政権を奪取できたのか?」というテーマで綴っているわけですが、これまでは主に持統&不比等、及びその後を継いだ聖武&光明がどのようなことをしてきたのかを見て参りました。

その中で、不比等と橘三千代の子、安宿媛(あすかべひめ:通称、光明子)の行動が不可解なのです。

父・不比等は天智派(百済系天皇擁立派)。その第一段階として妹の安宿媛を皇后にすることを画策し、その後は天皇の後継を断ち、藤原一族から天皇を立てれば母系天皇が成るわけです。

(不比等が天智の子とすれば天智朝が継続することになり、絶えるかに見えた天智の血をかろうじてつないだと言うことで、「持統」と名付けられた意味も浮かび上がってきます)

母・三千代は天武派(県犬飼氏は天武の忠臣)
異母姉・藤原宮子も天武派(宮子の母・賀茂比売は天武系豪族)。

母・三千代の子橘諸兄(異父兄)は兄たちの敵です。
姉・宮子は、夫・聖武の母ですから、異母姉であり姑という複雑な関係(年齢差は16歳くらいか)。

安宿媛は、
父&兄(4兄弟)達の側に立つのか、
母&姉の側に立つのか、
はたしてどちらなんでしょうか?


まずは、聖武・光明の時代の年表を挙げておきます。




<聖武天皇(701-756)、光明皇后(701-760)の時代年表>
(参考:光明皇后関連年表

701 大宝律令制定。首皇子(聖武)&安宿媛誕生。
702 持統崩御。薩摩国・多禰国を置く

707 文武天皇崩御→元明天皇即位----------------------------
708 不比等右大臣(49)。県犬養三千代→橘三千代(43)。
709 巨勢麻呂・佐伯石湯、蝦夷を平定
710 平城京に遷都 <藤原神道システムの開始>
710 山背国山階陶原(やましろのくにやましなすえはら)の山階寺(やましなでら/藤原鎌足創建)を平城京に移し、興福寺と称す(藤原氏の氏寺の移設)
712 「古事記」完成
713 丹後国・美作国・大隅国を設ける

715 元明→元正天皇即位------------------------------------
715 首皇子初めて拝朝
716 吉備真備・玄昉ら入唐。安宿媛、首皇子の皇太子妃となる。
718 首皇子に阿倍皇女(孝謙)誕生。能登・安房・石城・石背国設置。
720 「日本書記」完成。不比等薨去。隼人の乱に大伴旅人(征夷大将軍)を派遣。興福寺を国営とする(造興福寺仏殿司という役所創設)
721 長屋王右大臣。藤原房前を内臣とする(元明の遺詔)。
722 元明一周忌に法隆寺に施入(財物を献上)
723 興福寺に施薬院、悲田院を建てる。

724 元正→聖武天皇即位------------------------------------
724 陸奥国に多賀城を築く
724 長屋王、左大臣。安宿媛が夫人となったのを機に、宮子を大夫人となし、初めて中宮識が設けられる。(→辛巳事件)
725 宇佐神宮一之御殿(アマテル)を造営
727 聖武に基皇子誕生(→皇后宮:元藤原邸で生むが1歳前に死去)
728 聖武に安積親王誕生(母は県犬養広刀自)。金光明経を諸国に配布
729 長屋王の変(一族滅亡)→武智麻呂、大納言。安宿媛、皇后となる。
729 厭魅呪詛する者は斬首。妖術妖言の書を持つ者は自首せよ
730 日照り、神祇官庁舎に落雷。諸国に盗賊。
730 皇后宮職に施薬院・悲田院をおく。興福寺に五重塔を建てる(皇后臨御)
731 皇后宮(旧不比等邸)の隅に角寺(海竜王寺)を建立
732 日照り
733 各地で飢饉。疫病。橘三千代薨去。皇后不予(不快、病)。興福寺維摩会復興。
733 宇佐神宮二之御殿(瀬織津姫)を造営。
734 大地震。皇后、法隆寺に施入(長屋王の鎮魂)(~736)
734 興福寺の東金堂に対面する西金堂を造営(母・三千代の弔い)
735 凶作、天然痘流行る。阿倍内親王「法華経」購読
735 吉備真備・玄昉ら帰国
736 皇后、行信による法華経講読の法会。法隆寺に施入。玄昉が持ち帰った五千余巻の経論の書写始まる(~749)
737 藤原四兄弟死去。皇后、法隆寺に経函四合を奉納
737 玄昉により宮子覚醒。皇后の館で夫・聖武と姉・宮子が会う

738 橘諸兄、右大臣。藤原房前一周忌に法隆寺に施入
738 阿倍内親王(後の孝謙・称徳天皇)が異例の女性皇太子として立太子
739 皇后不予。法隆寺の東院を造らせた(聖徳太子一族の斑鳩宮跡)。
740 藤原広嗣の乱。聖武、関東行幸(恭仁京遷都)
740 「一切経」の書写供養を発願「五月一日経」
740 国ごとに法華経十部を写して七重塔を建てさせる
741 国分寺建立の詔
741 藤原不比等の封戸三千戸を国分寺に施入
742 近江紫香楽に離宮を造営(聖武の大仏造営予定地)
743 橘諸兄左大臣
743 大仏造立の詔 (宇佐神宮が大仏建立費を東大寺に送る)
743 「一切経」の書写供養を発願

744 安積親王薨去(1/11 藤原仲麻呂に毒殺されたという説)
744 『楽毅論』を臨書(書写)。その奥書に「藤三娘」の署名
744 難波京に遷都(天武が双京の都とした地)。
745 平城京に都を復す。玄昉、筑紫に左遷。天皇不予
747 東大寺大仏鋳造開始。皇后、新薬師寺を建て7仏薬師像を造る。
748 元正太上天皇崩御
749 天皇・皇后、東大寺礼仏。「三宝の奴」の詔

749 聖武→孝謙天皇即位------------------------------------
749 大仏鋳造完成。仲麻呂紫微令(紫微中台長官)
750 吉備真備、築紫に左降
752 大仏開眼供養
753 皇后不予
756 聖武崩御。夫の死後四十九日に遺品を収めるために正倉院が創設
757 橘諸兄薨去。橘奈良麻呂の変(旧勢力一掃)

758 孝謙→淳仁天皇即位---------------------------------------
759 淳仁の宣命:太保(恵美押勝)は「朕が父」、その子等は「朕が同胞」
760 光明皇后薨去。恵美押勝(仲麻呂)、大師(太政大臣)となる
764 恵美押勝の乱。淳仁→称徳天皇即位。






聖武・光明関連年表



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