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古代日本の転換点19-桓武天皇が早良親王の御霊を恐れたわけ

2016/09/23(Fri) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

さて、「楽毅論」で理論武装して「鬼」となった安宿媛は、自らを「積善藤家」を背負う第一人者となし、「藤三娘」と名乗って藤原仲麻呂を新パートナーとして抜擢し、藤原独裁に走りました。その母(光明皇后)対娘(孝謙→称徳天皇)闘いは、「9-聖武&孝謙天皇(父娘)vs光明皇后&藤原仲麻呂(不比等の子と孫)」「10-称徳(孝謙)天皇の道鏡事件の本質」で見たとおりです。

結婚を禁じられて子がなかった称徳天皇は、神武以前の大和の王ニギハヤヒの末裔である弓削道鏡(物部氏)を天皇にしようと画策しますが、和気清麻呂に阻まれ、無念の内に亡くなります。

後継争いは吉備真備vs藤原百川にゆだねられましたが、藤原氏が称徳の遺詔に細工して天智の孫が光仁天皇となりました。その光仁天皇と高野新笠(百済人末裔)との間に生まれたのが桓武天皇(737-806/在位781-806)です。

かくして、藤原鎌足(百済王子の豊璋?600年代)から始まった百済派の天皇擁立作戦は、およそ100年後、ついに天皇自身に百済系を登場させたのでした。

時は、桓武天皇の時代に移ります・・・



「国家神道」vs「国家仏教」----------------------------------

さて、東大寺の大仏=盧舎那仏(アマテル)の完成(752年大仏開眼供養)は、反藤原の拠点の完成でした。アマテラスを頂点とする藤原神道に対して、日本の本当の太陽神はアマテルだということを、その光り輝く巨大な形を持って世に知らしめたわけです。

そして、「日本書紀をバイブルとする国家神道」を骨抜きにするために、聖武天皇は「法華経をバイブルとする国家仏教」を打ち立てました。これは天智&藤原鎌足が葬った聖徳太子(蘇我入鹿)を復活させることでもありました。

その後も上記の通り藤原(天智系)vs天武系天皇との闘いは続きますが、その間30年もあれば東大寺仏教(奈良仏教)の勢力も強くなっていったでしょう。そこで、781年に即位した桓武天皇は、平城京を捨てることを画策します。そして、784年に長岡京に遷都しました。



桓武天皇(兄)vs早良親王(弟)----------------------------------

長岡京遷都のプロジェクトを任せられたのが、藤原百川の甥の藤原種継。けれど、種継は暗殺され、この時捕らえられた首謀者の中に桓武の弟、早良親王(750-785)がいました。早良親王は無実のハンストを行い、憤死します。

実は、早良親王は皇族を離れて東大寺の高僧となっていました。桓武天皇にとっては、自分の弟が東大寺にいては都合が悪いのは当然でした。そこで一計を案じます。自分の子がまだ幼く、一方で45歳である自分にもしものことがあった場合は中継ぎとして子のいない早良親王に天皇になってほしい―という理由を付けて還俗させ、立太子したのでした。

還俗したと言うことは“手が出せる”ということです。政争に巻き込まれるということですね。天武は出家することにより天智に手が出せないようにしましたが、桓武は早良親王を還俗することにより、手が出せるようにしたわけです。

結局、東大寺から追い出したいだけで天皇にする気はなかったので、嫌疑をかけて淡路島に流そうとしたところ亡くなってしまったわけです。ただ利用されただけの早良親王の怒りと無念はいかばかりだったでしょうか。

けれど、桓武天皇自身も、まさか弟がハンストで死ぬとは思いも寄らなかったでしょう。その怨念の深さにビビったことでしょう。その後、母の高野新笠が病死し、疫病や洪水などが相次ぎ、早良親王の祟りと恐れられました。

桓武が怨霊を恐れたことは有名ですが、それはこのように身に覚えがあったからでしょう。そこで、わずか10年で長岡京を捨てて再遷都する羽目になり、新に平安京の造営に乗り出しました。どのような結界都市を造ったのかは、またいずれ。

(なお、種継暗殺には藤原の内紛も絡んでいるかもしれません。というのも、それまでは藤原式家が権力を握っていましたが、平安遷都後は藤原北家が政権を握っていくからです)





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