管理職のマネジメントスタイル―軍隊型・リーダー型・プロジェクト型
2006/07/14(Fri) Category : 会社・改革
【中年期:人生の転換期をどう乗り越えたか】①
★部下は「使う」のか「育てる」のか-------------------------------
この半年間、否応無しのモラトリアムの中で僕は考え続けた。
どの道が自分にフィットしているのか。
次長との正月明け早々の5連荘の飲み会が引き金だった。
その無理がたたったか、心身に急ブレーキがかかり、それらがほぼ回復するまで半年を要した。
その間、僕は自分を見つめつつ日常を過ごした。
その中で、組織へのコミットの仕方に、僕と次長とでは大きく異なる点がある事に気づいた。
Y次長は、軍隊型であった。自分が頭で部下は手足である。
I次長は、リーダー型である。部下育成の観点はあるのだが、結局自分が全て指示してしまうか、率先垂範する。
僕は、プロジェクトリーダー型である。一つの目標に向かって個々人が力を発揮できるように援助する。
次長2名と僕との決定的な違いがある。
次長2名は、全ての事柄に自分が直接コミットしようとするが、僕は人を通してコミットする。
次長にとって、会社で生起するイベントは解決すべき課題であって、部下をどのように利用するにせよ、当事者は自分である。
しかし、僕にとって全てのイベントは人を育成するために利用できるチャンスであり、僕はOJTを通じて人を育成する。当事者はその担当者、すなわち部下である。
Y次長は、手柄は自分で部下を手足として使うため人は育たない。あるいは、指示待ちの部下が育つ。
I次長は、結局自分が動いてしまうため、解決は早いのだが人が育ちにくい。依存型の部下が育つ。
僕がプロジェクトを成功させることが出来たのは、先ずコアメンバー個々人の主体性を引き出すことに全力を集中したからだ。僕の方法論は個人の自律→グループの自律→組織の自律という図式である。徹底して視座は個人にあり、自分の頭で考える自律した部下が育つ。
★その課題は誰のものか--------------------------------------------
この取り組み姿勢の背景にあるものは、課題の捉え方の差だ。
僕は、その課題が誰のものかを先ず第一番に考える。
課題は人を成長させるために現れる。
だから、その課題を自分が横取りすることは、相手から成長の機会を奪うことに等しい。
自分がやるべきことは、その課題を達成して成功体験をつませ自信がつくよう援助することである。そのためには、つかず離れずのフォローが必要とされる。
もちろん、スピードが要求される場合は自分がやってしまう場合もある。しかし、スケジュールとにらめっこしてぎりぎりまで待つ。
この苦労を知らない人の中には、呆れる判断をする人もいる。
管理職がプレイングマネージャーとなり、成果主義が導入され、“率先垂範、率先垂範”と呪文のように唱えられ始めた頃から、管理職は人を育成することを止め、自分の成果のために部下を使うようになった。
そして手足のように部下を使い、バリバリと率先垂範で動いているかのように見える管理職に日が当たり、「一将成りて万骨枯る」状況は見て見ぬ振りをされた。
★立脚点は“組織”か“個人”か------------------------------------
間接部門の管理職のあり方の典型の一つがI次長である。
毎晩のように飲み歩く日々。そして休日もゴルフの付き合いである。
これだけ組織にどっぷりとコミットすることは僕には出来ない。
これは、中にどっぷりと浸かった者のやり方である。
全ての問題を自分の問題とする人間のやり方である。
元来、マージナルマン(周辺人)である僕に取りうる方法ではない。
コンサルタントから、僕は内部から組織を変えるタイプの人間だといわれ、そちらの道を模索した。しかし、それは外部にいるコンサルタントから見て、そう見えたということだ。
しかし、今気がついた。
内部からであれ、外部からであれ、その立脚する視座は“組織”である。
僕の立脚点は“個人”なのである。
【2002.07.07】
★部下は「使う」のか「育てる」のか-------------------------------
この半年間、否応無しのモラトリアムの中で僕は考え続けた。
どの道が自分にフィットしているのか。
次長との正月明け早々の5連荘の飲み会が引き金だった。
その無理がたたったか、心身に急ブレーキがかかり、それらがほぼ回復するまで半年を要した。
その間、僕は自分を見つめつつ日常を過ごした。
その中で、組織へのコミットの仕方に、僕と次長とでは大きく異なる点がある事に気づいた。
Y次長は、軍隊型であった。自分が頭で部下は手足である。
I次長は、リーダー型である。部下育成の観点はあるのだが、結局自分が全て指示してしまうか、率先垂範する。
僕は、プロジェクトリーダー型である。一つの目標に向かって個々人が力を発揮できるように援助する。
次長2名と僕との決定的な違いがある。
次長2名は、全ての事柄に自分が直接コミットしようとするが、僕は人を通してコミットする。
次長にとって、会社で生起するイベントは解決すべき課題であって、部下をどのように利用するにせよ、当事者は自分である。
しかし、僕にとって全てのイベントは人を育成するために利用できるチャンスであり、僕はOJTを通じて人を育成する。当事者はその担当者、すなわち部下である。
Y次長は、手柄は自分で部下を手足として使うため人は育たない。あるいは、指示待ちの部下が育つ。
I次長は、結局自分が動いてしまうため、解決は早いのだが人が育ちにくい。依存型の部下が育つ。
僕がプロジェクトを成功させることが出来たのは、先ずコアメンバー個々人の主体性を引き出すことに全力を集中したからだ。僕の方法論は個人の自律→グループの自律→組織の自律という図式である。徹底して視座は個人にあり、自分の頭で考える自律した部下が育つ。
★その課題は誰のものか--------------------------------------------
この取り組み姿勢の背景にあるものは、課題の捉え方の差だ。
僕は、その課題が誰のものかを先ず第一番に考える。
課題は人を成長させるために現れる。
だから、その課題を自分が横取りすることは、相手から成長の機会を奪うことに等しい。
自分がやるべきことは、その課題を達成して成功体験をつませ自信がつくよう援助することである。そのためには、つかず離れずのフォローが必要とされる。
もちろん、スピードが要求される場合は自分がやってしまう場合もある。しかし、スケジュールとにらめっこしてぎりぎりまで待つ。
この苦労を知らない人の中には、呆れる判断をする人もいる。
管理職がプレイングマネージャーとなり、成果主義が導入され、“率先垂範、率先垂範”と呪文のように唱えられ始めた頃から、管理職は人を育成することを止め、自分の成果のために部下を使うようになった。
そして手足のように部下を使い、バリバリと率先垂範で動いているかのように見える管理職に日が当たり、「一将成りて万骨枯る」状況は見て見ぬ振りをされた。
★立脚点は“組織”か“個人”か------------------------------------
間接部門の管理職のあり方の典型の一つがI次長である。
毎晩のように飲み歩く日々。そして休日もゴルフの付き合いである。
これだけ組織にどっぷりとコミットすることは僕には出来ない。
これは、中にどっぷりと浸かった者のやり方である。
全ての問題を自分の問題とする人間のやり方である。
元来、マージナルマン(周辺人)である僕に取りうる方法ではない。
コンサルタントから、僕は内部から組織を変えるタイプの人間だといわれ、そちらの道を模索した。しかし、それは外部にいるコンサルタントから見て、そう見えたということだ。
しかし、今気がついた。
内部からであれ、外部からであれ、その立脚する視座は“組織”である。
僕の立脚点は“個人”なのである。
【2002.07.07】