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古代日本の転換点16-書かれた時代と書かれたものでわかる「いろは歌」の秘密

2016/09/17(Sat) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

聖徳太子は蘇我入鹿だった。
必然的に導き出された結論に私自身が驚いてしまったわけですが、その証拠が「いろは歌」なんだなぁと思いました。ちょっと光明皇后から横道に入りますが・・・その話に入る前に―


暗示と継承の国―日本---------------------------------------------

『「百人一首」随想6:百人一首の「秘伝」とは何か?』で見たとおり、古来日本は言葉を暗号として用いてきた言霊の国です。和歌や連歌や俳句、能という芸術・芸能の中にさえ人生の奥義や極意が隠されていました。それは兵法に通じるもので芸術・芸能は政治活動でもあったわけです。

「秘すれば花」―公に言えない真実を隠して流布する―そのやり方が身についたのも、古代の戦乱をくぐり抜けてきた日本人の知恵なのでしょう。

もう一つ、歴史に学んでいるんだなぁと感じるのは、日本人の忍耐のあり方です。ある勢力が権力を持つと敵視されて困る側は名を変えます。たとえば、藤原全盛時代には藤原姓が多くなるように。
ところが、時代の変化が訪れ脅威がなくなると元の姓を名乗ったリするようになるわけですが、その間に数百年経つこともあるわけです。この、個人という枠を超えた忍耐のあり方に驚嘆します。

これはもはや忍耐というのではなく、時代を俯瞰して眺める目を持っていると言えるかもしれません。自分が生きている間に、その“時”がこなくても、じっと伏して受け継いでいく・・・ふと、「NARUTO」の最終巻で柱間が言ったことを思い出しました。

『オレ達は届かなくてもよかったのだ。
 後ろをついてきて、託せる者を育てておくことが大切だった』

そう考えると、神々の名が数千年間秘されることもあるでしょうし、けれどその間も形を変えて実質的に受け継がれ続けていく。人種や民族や時代を超えて、心が受け継がれていくことが大切なのでしょう。

受け継げる器を持った者に受け継がせてゆく。それは人種を越えます。人類の中で智恵が受け継がれていけばいいわけです。恵果は異民族の空海に密教奥義を伝授しましたし、近年ではカナダ人のカーターさんが刀鍛冶17代目吉本を襲名しましたね。


脱線しましたが、ここで言いたかったのは、日本人の忍耐のあり方と、真実の広め方です。「いろは歌」は、その日本人の特質を遺憾なく発揮した傑作だと思いました。




「いろは歌」の暗示-------------------------------------------

「いろは歌」が初めて世に出たのは、1079年成立の「金光明最勝王経音義」で、金光明最勝王経の漢字の字義や発音を解説する教科書です。
日本語(ひらがな)にどういう漢字を当てているかを示したモデルで、次のように7字区切りで書かれています。

以呂波耳本へ止
千利奴流乎和加
餘多連曽津祢那
良牟有為能於久
耶万計不己衣天
阿佐伎喩女美之
恵比毛勢須

これを読む人は、「いろは」は「以呂波」と書かれてあるんだなとわかるわけです。加えて、「以」の右下に「伊」のように小さく別字が添えられており、「い」は「伊」とも書くんだなとわかるわけです。

逆に、「之」の読みがわからなくても、その右下に「士、志」と2つ書かれていますので、これは「し」と読むんだとわかります。このような仕組みで、金光明最勝王経を読めるようにしているわけです。

(なお、付帯文字が2字のものがあったり、「於」の字だけは付帯文字がなかったり、まだ何か隠されている気がします)


さて、もしこの歌が音義の教科書としてのみの機能を果たすなら、1075年に「悉曇要集記」(しったんようしゅうき)に五十音図が出ていますから、それを利用してもよかったはずです。そちらの方が機能的であり索引としても重宝するでしょうに、なぜ「歌」にしたのか。

仮に歌の方が口ずさみやすいからというのであれば、なぜ口ずさみ安いリズムで語を並べなかったのか。

このように「矛盾」があるところには必ず隠された「意図」があります。
そこで、わざわざ7字区切りにしているわけですから、その部分を縦に読んでいくと

止加那久天之須

が浮かび上がってきたわけですね。

「咎なくて死す」




「咎なくて死す」が示していること-------------------------------

これは一体誰のことでしょうか?
ヒントは、この歌が何に載っていたのか、です。
金光明最勝王経の解説書、「金光明最勝王経音義」ですね。

そう、聖徳太子が広めようとした宗教です。
聖武天皇もその後を継ぎ、国分寺(金光明四天王護国之寺)を全国に立てて金光明経を日本全土に広めようとしました。

つまり、法華経とともに反藤原のバイブル―それが「金光明最勝王経」で、それに書かれていたわけです。

反藤原のバイブルに密かに書かれていた暗示
もうおわかりですね

蘇我入鹿(聖徳太子)が罪(咎)もないのに殺されたことを暗示しているのではないでしょうか。




「いろは歌」の書かれた時代:白河天皇-----------------------------

では、なぜこの時に出てきたのでしょうか?
時代を見るとよくわかります。

1079年―白河天皇(1072-1086)の時代ですね。

白河天皇と言えば脱藤原の旗手。
政治を藤原摂関家から奪い、「治天の君」として天皇親政を敷いた人物。
さらに院政を敷いて天皇のバックにつくことによって、徹底して藤原氏を排除しました。
【「百人一首」随想1:百人一首に秘された藤原定家の思い】

その白河上皇が始めたのが熊野詣ででした。
聖武天皇がしたのは、東大寺+国分寺+宇佐神宮による藤原神道の骨抜きでしたが(表層的には仏教vs神道)、白河天皇は熊野詣で(神道vs神道)をすることによって、真っ向から藤原神道の骨抜きにかかったわけです。

白河天皇が力を持ち得たのも、時代の流れがあったでしょう。
藤原一族が執念で産み出した百済系天皇桓武(781)。その、怨霊が怖い桓武の頃に特に嫌われた鬼門(東北)の蝦夷(縄文末裔)。

それ以降、前九年の役(1051~1062)、後三年の役(1083~1087)を経ても奥州を征夷できずに縄文勢力の頭領に奥州支配を任せました。そして、俘囚(縄文末裔)の上頭藤原氏が四代百年(1087-1189)の栄華を誇り、平泉が平安京に次ぐ日本第二の都市となっていきます。いえ、実質日本第一の都市だったことでしょう。

藤原一族の頂点を極めた藤原道長が1028年に亡くなって以降、押さえ込まれていた縄文パワーや反藤原パワーが噴出した時代―それが白河天皇の時代だったのです。そのときに、この「いろは歌」が満を持したかのように出てきたわけです。

藤原氏が栄華を極める出発点となったクーデター、中大兄皇子と中臣鎌足(藤原鎌足)による蘇我入鹿の暗殺(645年)。その真実が、藤原氏凋落のこの時代、400年の時を経て明かされたのでした。




藤原vs反藤原の代理抗争------------------------------------------

聖武が蒔いた種も芽を吹いていました。

白河上皇は「意の如くならざるもの,鴨河の水,双六の賽,山法師(四大寺の僧たち)」(天下三不如意)と謳いましたが、藤原氏の氏寺である興福寺と、聖武天皇が打ち立てた反藤原のシンボルタワーである東大寺の確執は深まり、968年には両寺の僧徒による乱闘が起こっています。

また、同じ天台宗でありながら延暦寺と園城寺(三井寺)の確執も深く、比叡山宗徒による三井寺の焼き討ち(1081)も含め、両寺の対立抗争は50回以上に及ぶそうです。

園城寺の来歴も複雑ですね~。天智の孫の大友与多王が父・大友皇子の菩提寺を作ることを天武(持統?)が許可したことが発祥です。天智・天武・持統の三代の天皇の産湯として使われた井戸(御井)があるといういわれが転じて、三井寺という通称になります。

さてここに和気氏(渡来人末裔)と空海の妹(縄文人末裔)を両親に持つ円珍が登場。12年間比叡山に山ごもりした後、大峯山や熊野三山を巡り、さらに唐に6年間留学し、青龍寺から密教の奥義を伝授されて、868年に天台座主になりました。

円珍没後に比叡山は円仁派と円珍派に分かれ、円珍派は比叡山(山門)を追い出されて三井寺(寺門)に移り、ここから「山門寺門の抗争」が始まったわけです。こちらは、最澄vs空海の代理戦争のような感じでしょうか。

ごく大まかに分類すれば、
藤原vs反藤原の抗争が、
興福寺vs東大寺
比叡山vs三井寺
の形でなされていたとも言えるかもしれません。

参考【熊野三山めぐり3―熊野速玉大社と白河上皇】






それにしても、縄文末裔に現れた奥州“藤原”氏といい、渡来人末裔と縄文人末裔が融合した円珍といい、人はどんどん融合していきますね。国や人種や民族など、「形」で分けることに何の意味もないことがわかるでしょう。分かれるのは生きる姿勢。その背景にある自然に対する姿勢なのでしょう。


ところで、こんなのがあったんですね~。


【弘法大師いろは歌 川本三栄子】


https://www.youtube.com/watch?v=F3MSeUJ35MY
【宗歌いろは歌 二部合唱<高野山金剛流御詠歌>】


最古のいろは歌全文 いろは歌が書かれた小皿
 平安京にあった貴族の邸宅跡「堀河院」で出土




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