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【平安京の結界】4.「鬼には鬼を」の対鬼門・裏鬼門結界線

2016/10/06(Thu) Category : 神社・寺・城・歴史
【平安京の結界】

貴船神社(丑)と鞍馬寺(寅)が、対鬼門結界であることがわかりました。
同じように、日枝山(ひえのやま)も磐座がある神体山(現八王子山)であり、パワースポットでしたね。そこに仏堂を建てて修行したのが最澄でした。


対鬼門の第1結界線:「魔王ライン」--------------------------------------

最澄は、『古代日本の転換点20-桓武天皇と最澄』で見たとおり、桓武の親戚であり、桓武の後援を得ていたと思われます。もしかすると、結界ラインを張ることも意識していたかもしれませんね。

鞍馬寺と結んで、対東北の結界線となる線上に延暦寺を建てたのかもしれません。そして、貴船神社の奥の院が水害に遭った時に、今度は延暦寺と鞍馬寺の延長上に貴船神社を移したのかもしれません。

つまり、魔王尊を基準に延暦寺の位置が決まり、また後世、魔王尊を中心に貴船神社も再配置されたように見えますので、下図の超強力な対鬼門第一結界線(磐座結界)を「魔王ライン」と呼ぶことにします。

魔王ライン
【魔王ライン】

前記事で見たとおり、貴船・鞍馬はそれぞれが超強力な神。
しかもペアであり、秘された神―つまり、鬼です。

そして、比叡山の最澄は漢からの帰化人の末裔―つまり、鬼です。
(それに、時代が下ると元三大師という鬼も登場しますし)

というわけで、貴船・鞍馬―延暦寺ラインは、超強力な鬼ライン。

「目には目を、鬼には鬼を」というわけで、鬼門の見張り番に「鬼」を置いているわけですが、東北地方(縄文末裔)を田村麻呂(後漢霊帝の後裔)に征伐させているのも「鬼には鬼を」です。さらに言えば、田村麻呂は鬼門封じのため東北の地に北斗七星の形に寺社を建造しています。

桓武天皇は、武力的には坂上田村麻呂、宗教的には最澄を鬼門に置いて都(自分)を守ったわけです。




対鬼門の第2結界線:「賀茂の厳神ライン」----------------------------

続く第2結界線は、上賀茂―下鴨神社(賀茂御祖神社)の賀茂ライン。

平安京 鬼門・裏鬼門結界1
【賀茂の厳神ライン】

なぜ賀茂氏が結界になるのでしょうか。
かつて京都の伏見以南に、なんと諏訪湖より大きな(!)巨椋池(おぐらいけ)がありました。なぜ湖ではなく池かというと、平均水深が90センチくらいだったから。豊臣秀吉が伏見城を築城した頃から干拓が始まり、1941年(昭和16年)に池は消失したようです(かつては素晴らしい景勝だったでしょうね~)。

この池が示すように、また関東や大阪が泥湿地であったように、京都盆地も泥湿地帯でした。そこを開拓したのが渡来人でした。京都北部を賀茂氏が、松尾大社や藤森神社のある辺りを秦氏が開拓し、そこに定住したわけです。

鴨氏は大和国葛城(奈良)を本拠としていました。大物主の子、太田田根子の孫、大鴨積を始祖としていますから国津神系(物部神道系)で、味鋤高彦根神(迦毛大御神:かものおおみかみ)を祀ります。『古事記』で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけだそうです。

その後、一部が山から平野に移ったのか、山城国葛野に賀茂氏が現れます。その賀茂氏が登場するのは、神武天皇を導いた八咫烏(賀茂建角身命)。その賀茂建角身命を祀ったのが下鴨神社で、その子賀茂別雷命を祀ったのが上賀茂神社です。

次に登場するのは鴨蝦夷(かものえみし)。壬申の乱で大海人皇子について功を上げ、天武天皇より朝臣姓を賜与されました(684年→賀茂蝦夷)。この天武の功臣を不比等は利用します。天皇の后を出すためには母方の出が重要ですので、不比等は賀茂比売を妻とし、生まれた娘・宮子を文武天皇の后としました。

こうして古豪の賀茂氏は藤原氏に利用され、けれどそれが天武朝から天智朝に変わっても生きながらえていくことに繋がります。この古豪の力を桓武も利用したのでしょう。

第1結界線が、縄文神道ライン(磐座)。
第2結界線が、物部神道ライン(国津神系)。

いずれも、桓武から見ると「鬼」です(百済系桓武も鬼ですが)。
「鬼には鬼を」対峙させています。




対裏鬼門の結界線:「松尾の猛霊ライン」-------------------------------

裏鬼門を守るのは、松尾大社―藤森神社ライン。
いずれの神社も「松尾の猛霊」を祀る秦一族が関係しています。古代の基盤となる渡来人ですね。

秦氏は、聖徳太子に仕えた秦河勝が有名ですが、京都盆地を開拓したのはその土木技術。前記事で見たとおり、葛野川に葛野大堰(かどのおおい)を作って、渡月橋から下流の桂川を見事な結界線にしたのは秦氏でした。

上記から、秦氏が京都に大きな勢力を持っていたことがわかりますが、彼らが開拓の中心にいたとすれば、京都盆地は彼らの土地だったと言ってもいいのでしょう。実際、秦氏が土地を提供しなければ平安京はできなかったようです。

(秦氏がユダヤ人末裔で、平安京は彼らが目指した1000年の都「エルサレム」という話は、ここでの本論ではないので置いておきます)


藤森神社は、元は磐座だらけの神奈備山、稲荷山にありました。秦一族の居留地ですね。それが、三韓征伐伝承のある神功皇后が祭祀を行ったといういわれで現在地に移されていますが、この場所は4つの重要なラインが重なるポイントです。それを計って、ここに移したんだなぁとわかります(別記)。

その内の2ラインが、下記地図上に出ていますね。
1つが、松尾大社―藤森神社ラインの対裏鬼門結界線です。この位置まで下げることによって、ほぼ平安京全体が結界の中に入ることになります。ただ、他の理由があってこれ以上下げるわけにはいかず、その分、都の西南はほんのわずかですが切り捨てられる部分が出てきたのでしょう。

もう一つは、賀茂御祖神社―藤森神社ラインです。
ほぼまっすぐに南北に突き抜けるこのラインは、ピッタリ都の東端を城壁のように守っていますね。



--------------------------------------------------------
平安京 鬼門・裏鬼門を守る主要3ライン
【平安京 鬼門・裏鬼門を守る主要3結界線】

賀茂別雷―賀茂御祖ラインは、賀茂結界。
松尾―藤森(伏見)ラインは、秦結界。
このように、都の鬼門と裏鬼門を「鬼結界」で守りました。

赤のラインは「磐座結界」
紫のラインは「鬼結界」
でもあります。

「賀茂の厳神」「松尾の猛霊」という言葉がありますので、
「賀茂の厳神ライン」「松尾の猛霊ライン」と呼びましょうか。


次に、弟・早良親王に祟られた呪いの都。長岡京に対する結界を見てみましょう。






【上賀茂神社】






【下鴨神社】






【松尾大社】







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