3.貴船神社・奥宮―「連理の杉」に隠された秘密
2016/10/20(Thu) Category : 神社・寺・城・歴史
【京の奥座敷巡り旅】3
奥宮のご神門が見えてきました。
●ご神門----------------------------------------------------------

貴船神社 奥宮05 参道 posted by (C)Hide
ここから先、神域という感じ

貴船神社 奥宮06 神門 posted by (C)Hide

貴船神社 奥宮07 神門 posted by (C)Hide
●杉と楓が和合した「連理の杉」-------------------------------------
樹齢1000年と言われている「連理の杉」。

貴船神社 奥宮08 連理の杉(杉と楓)2 posted by (C)Hide
「連理の枝」は、東晋(317-420年)に著された『捜神記』の説話に由来するそうです。宋の国王が大臣の美貌の妻を監禁しましたが、妻は自殺。その後大臣も自殺し、怒った康王はすぐそばに別々に埋葬しました。近くにいても一緒になれない辛さを味合わせようという魂胆でした。ところがなんと、それぞれのお墓から木が生え、枝も葉も根も絡み合って繋がってしまいました―これが「連理の枝」の由来だそうです。
【「比翼の鳥」と「連理の枝」の由来】
後世、白楽天は「長恨歌」の中で、玄宗皇帝が楊貴妃に語ったとされる唄を記しています。
「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」
―比翼の鳥は片翼の鳥で、地上は個別に歩けますが、飛ぶ時は2羽が協力しなければ飛べません。「比翼の鳥」と「連理の枝」から、夫婦仲良きことのたとえとして「比翼連理」)
こういう由来がわかってくると、1000年前に杉と楓を隣り合わせに植えたのではないかい? と思えてきますね~。
●「椙」の意味---------------------------------------------------
日本で作った漢字を国字と言いますが、国字でスギは「椙」。
「昌」は、「日のように物事を曰う」→明るい、明らか、美しい、栄える。繁昌。
口+昌=唱(明るく物事をいう。ハッキリ歌う)
艹+昌=菖(明るく鮮やかな植物。菖蒲)
木+昌=椙(すくすく伸びる木。盛んに伸びて美しい木)
でもなぜ、「昌」(あきら、まさ、よし)という字を「スギ」にあてたのでしょうか?
古名では、スギやヒノキを総称して真木(マキ:よい木)と呼んでいました。
「真木立つ山」=杉・檜などが生い茂っている山。
このうち、スギは陽樹でヒノキは陰樹。
陽樹とは日光をほしがる木で、例えば草原に最初に成立するのは陽樹林で、その後日陰でも成長する陰樹が発達して、最終平衡状態(極相)では陰樹林となっていく。
「陽樹と陰樹の覚え方」が面白い。
陽樹:「サクラまつなら、栗ごはん」―桜、松、ナラ、栗、ハンノキ
陰樹:「たぶん、あぶなかしい過ぎる」―タブ、ブナ、カシ、シイ、杉
けれど、『スギは本来は陽樹ですが発芽してから3年目ぐらいまでは日陰の方を好みます』とのこと。
一方のヒノキは陰樹とされていますが、種子は直射日光を嫌いますが、稚樹は比較的陽性で被陰されると発育は悪いそうです。
面白いね~。
スギは「陽中陰」の陽。
ヒノキは「陰中陽」の陰。
まるで、太極図を見ているようです。
真木と呼ばれたスギは国常立神、ヒノキは瀬織津姫ですね~。
国常立神はアマテル(太陽神)と習合しますから、太陽神を暗示させる「昌」を持ってきて「スギ」と読ませたのではないでしょうか。
●槙(マキ)---------------------------------------------------
真木から木+真=槙(マキ)という字ができたわけですが、スギ、ヒノキにそれぞれ漢字があてがわれると、「槙」の漢字は浮いてしまいますね。
古代、スギ、ヒノキを真木と呼んでいた時代、それより小さなマキ科の木を犬マキと呼んでいました。ここで「犬」とは「小さな」「劣る」ということになっています。そこへスギ、ヒノキを表す漢字ができましたので、「槙」はイヌマキを表す字となりました。一般に、槙と言えばイヌマキ(犬槙、狗槇)を指します。
イヌマキは雌雄異株。
雄花は黄色で、男根形。なるほど色も形も国常立神(金精大明神)。
雌花も男根形(こけし形)ですが、熟すと緑と赤の団子を串刺しにしたような姿となるそうですから、色から言えば瀬織津姫。
槙は二柱を表していますね。
しかし、こうしてみるとマキもスギ、ヒノキと同じく「真木」だよ、と。ただその違いを区別するために、花の形状からイヌ(の男根形の)マキとしたのかもしれません。
→イヌマキ(犬槙)
●高野槙-------------------------------------------------------------
マキ科にもいろいろあります。
世界にはない日本特産種で高野山に多く自生していることから付いたのが高野槙(コウヤマキ)。
瀬織津姫を信仰する空海が花の代わりに仏前に供えたことから、高野槙の名が広まったのでしょう(空海は虚空蔵求聞持法を習得し天才となりましたが、虚空蔵菩薩は瀬織津姫です)。高野山では霊木とされています。
別名本槙(ホンマキ)。
「本」=八十一=九九→菊→瀬織津姫ですね。
「日本国」=「日」と「本」の国=アマテル(国常立神)と瀬織津姫の国ということですね。
(太陽と月から生まれた星(地球)という三光信仰にも通じます)
高野槙の樹形は自然に整い、狭円錐形で品格があり、老木になっても樹形が乱れないので、ヒマラヤスギ、アロウカリアと共に「世界3大美樹」、「世界三大庭園樹」と呼ばれているそうです。
棺にも使われ、生い立ちが日本と深く関わっていた百済の武寧王の棺にもコウヤマキが用いられたそうですから、尊ばれた木なのでしょう。三途の川の渡し船としての棺に用いるあたりにも、高野槙を瀬織津姫と見ていた証拠が覗えます。
心材は淡い黄褐色~淡い黄色で辺材は白色、乳白色で水に強いといいますから、まさに瀬織津姫。金龍が地に落ちると黄龍になるそうですが、黄色は「坤の金神」の色でもあります。
さて、金松(マキ)という呼び名があります。
それが高野槙の別称なのか、コウヤマキ科の中に金松があるのか判然としません。ただ、日本特産種で「天皇を象徴する木」だそうで、中国特産のイヌカラマツを「金松」と書くそうですが、その字を借りたのかもしれません。
高野槙の葉は松に似ていますから「松」を付けたのでしょうが、「松」は国常立神を表します。
「金」は金神である両柱をさしますが、大金龍と言えば国常立神。けれど、「金」という字には水銀も含まれているのです。
すると、「金松」は松じゃないよ、金(水銀)の松だよと巧妙に暗示していることになります。なるほど、松に「世界3大美樹」といわれている高野槙を対置させたのでしょうね。
松&金松は、国常立神と瀬織津姫でした。(あ~、スッキリした ^^)
【高野槙はこんな感じ→高野六木『高野マキ』について】
●「楓」の意味----------------------------------------------------
こちらも、とても興味深いです。
カエデは、葉がカエルの手に似ていることから「カエルデ」→それが転訛したもの。
古字は、「槭」でした。
「戚」は、「親しむ」「身内」(親戚など)の他に、「斧」という意味があり、そこから「いた(む)」、「うれ(える)」と読みます。
注目は、「ひきがえる」という意味があること。たとえば、「戚施」(せきし)というのは、俯せにはなれるが仰向けにはなれないという病気の症状のことを言うそうです。つまり、「槭」とはヒキガエルの木。
「ひきがえる」と言えば、太陽を表す「金烏」(きんう)の対になる言い方に、「玉兎」(ぎょくと)と「蟾蜍(せんじょ)」がありますね。蟾蜍とは「月の中にいるというヒキガエル。転じて、月のこと」です。
なぜ、月にカエルがいることになったのか。中国の神話に『嫦娥奔月』(じょうがほんげつ)の物語があります。
●嫦娥奔月(じょうがほんげつ)---------------------------------------
10の太陽が一度に現れ地上が灼熱地獄となったとき、天帝から遣わされた羿(ゲイ)が太陽達を威嚇したが効果無く、仕方なく9つの太陽を射殺した。息子達(太陽)を殺された天帝は、羿とその妻姮娥(こうが→後に嫦娥:じょうが)を地上に追放し、2人は不老不死ではなくなった。
2人は崑崙山に西王母を訪ね、ウサギが煎じた薬をもらう。分けて飲めば2人とも不老不死になるが、それをすべて飲めば再び神に戻れる。姮娥は羿を裏切って一人で飲むが、天に戻るのははばかられて月に行く。しかし、月でヒキガエル(蟾蜍 せんじょ)の姿になってしまった。ここから月にカエルがいることになったわけですね。
【ゲイ (中国神話)】
『貴船の「桂」の秘密』で見たように、「虫」+「圭」で、「美しい三角の形をした爬虫類」→「蛙」・・・こことも繋がってきますね。
ということは、「木」+「戚」=「槭」(かえで)は、「月にいるカエルの木」ということ。つまりは、楓も瀬織津姫のシンボルですね~。
道教では嫦娥を月神とみなし、「太陰星君」と呼んでいるようです。
日本でも、「天女」という意味で「嫦娥」を用いたりしているようです。
●「樹齢1000年」が意味すること------------------------------
こう見てきますと、「樹齢1000年」の意味が浮かび上がってきます。
1000年前というと、ちょうど白河天皇(1072-1086)の時代。
そう、【古代日本の転換点16-書かれた時代と書かれたものでわかる「いろは歌」の秘密】で見ましたが、脱藤原の時代であり、藤原一族がやった聖徳太子(蘇我入鹿)暗殺を糾弾する「いろは歌」が「金光明最勝王経音義」(1079)に登場したのもこの頃でした。
そして、日本で最も多いカエデの種(紅葉の代表)を「いろは楓」「いろはもみじ」と言うそうです。
なんと、まぁ~、「いろは歌」に「いろは楓」・・・
不比等&持統天皇に葬られたアマテル&瀬織津姫
鎌足&光明皇后に2度葬られた聖徳太子
両者の運命は一蓮托生ですからね・・・
ふと、1000年前の人々に思いを馳せてしまいます。
その当時の人々にとっては、350年程前に封じられたアマテルや瀬織津姫。
その封じられた二柱のことを慕って、
長い時が経過したいつしか、
この二柱が再び永遠に結ばれる時が来ますようにと、
隣り合わせに「椙」と「槭」を植えたんだなぁ・・・・・・
それから1000年の時が経過した今、
二柱(椙と槭)は見事に一体となっています。
太陽と月が一緒になって、見事な地球となりました。
異質なものが「和」する地球樹となりました。
ありがとうございます。
合掌

貴船神社 奥宮08 連理の杉(椙と槭) posted by (C)Hide
1000年前と同様、1000年後の現在も時代の転換期
ウィキリークスはじめ、旧システムのぼろがボロボロ暴露されています。
1000年前と違うのは、木が合体したこと。
合体ロボ全盛の日本です。^^
千年の時は満ちたり。
もう、ね。いいんじゃない。
本当の太陽神と月神(水神)が復活しても。
平和を形成できるのは、これまでのような一神教でも多神教でもなく、
その両方を内包しつつ、男女の神が夫婦神として対等に並び立つ
いわば「二神教」。
本当の天岩戸開きをいたしましょう。
【瀨川瑛子 「連理の枝」】
瀬織津姫の異名でもある「瀬川」―そう思うと、瀨川瑛子が「連理の枝」を歌っているのも興味深いです。
一青窈に「いろはもみじ」という歌もありますね。(一青窈さんのお母さんの実家のある地域には瀬織津姫を彷彿とさせる地名がたくさんありますね~。青も水神・瀬織津姫カラーの一つですね)
奥宮のご神門が見えてきました。
●ご神門----------------------------------------------------------

貴船神社 奥宮05 参道 posted by (C)Hide
ここから先、神域という感じ

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●杉と楓が和合した「連理の杉」-------------------------------------
樹齢1000年と言われている「連理の杉」。

貴船神社 奥宮08 連理の杉(杉と楓)2 posted by (C)Hide
「連理の枝」は、東晋(317-420年)に著された『捜神記』の説話に由来するそうです。宋の国王が大臣の美貌の妻を監禁しましたが、妻は自殺。その後大臣も自殺し、怒った康王はすぐそばに別々に埋葬しました。近くにいても一緒になれない辛さを味合わせようという魂胆でした。ところがなんと、それぞれのお墓から木が生え、枝も葉も根も絡み合って繋がってしまいました―これが「連理の枝」の由来だそうです。
【「比翼の鳥」と「連理の枝」の由来】
後世、白楽天は「長恨歌」の中で、玄宗皇帝が楊貴妃に語ったとされる唄を記しています。
「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」
―比翼の鳥は片翼の鳥で、地上は個別に歩けますが、飛ぶ時は2羽が協力しなければ飛べません。「比翼の鳥」と「連理の枝」から、夫婦仲良きことのたとえとして「比翼連理」)
こういう由来がわかってくると、1000年前に杉と楓を隣り合わせに植えたのではないかい? と思えてきますね~。
●「椙」の意味---------------------------------------------------
日本で作った漢字を国字と言いますが、国字でスギは「椙」。
「昌」は、「日のように物事を曰う」→明るい、明らか、美しい、栄える。繁昌。
口+昌=唱(明るく物事をいう。ハッキリ歌う)
艹+昌=菖(明るく鮮やかな植物。菖蒲)
木+昌=椙(すくすく伸びる木。盛んに伸びて美しい木)
でもなぜ、「昌」(あきら、まさ、よし)という字を「スギ」にあてたのでしょうか?
古名では、スギやヒノキを総称して真木(マキ:よい木)と呼んでいました。
「真木立つ山」=杉・檜などが生い茂っている山。
このうち、スギは陽樹でヒノキは陰樹。
陽樹とは日光をほしがる木で、例えば草原に最初に成立するのは陽樹林で、その後日陰でも成長する陰樹が発達して、最終平衡状態(極相)では陰樹林となっていく。
「陽樹と陰樹の覚え方」が面白い。
陽樹:「サクラまつなら、栗ごはん」―桜、松、ナラ、栗、ハンノキ
陰樹:「たぶん、あぶなかしい過ぎる」―タブ、ブナ、カシ、シイ、杉
けれど、『スギは本来は陽樹ですが発芽してから3年目ぐらいまでは日陰の方を好みます』とのこと。
一方のヒノキは陰樹とされていますが、種子は直射日光を嫌いますが、稚樹は比較的陽性で被陰されると発育は悪いそうです。
面白いね~。
スギは「陽中陰」の陽。
ヒノキは「陰中陽」の陰。
まるで、太極図を見ているようです。
真木と呼ばれたスギは国常立神、ヒノキは瀬織津姫ですね~。
国常立神はアマテル(太陽神)と習合しますから、太陽神を暗示させる「昌」を持ってきて「スギ」と読ませたのではないでしょうか。
●槙(マキ)---------------------------------------------------
真木から木+真=槙(マキ)という字ができたわけですが、スギ、ヒノキにそれぞれ漢字があてがわれると、「槙」の漢字は浮いてしまいますね。
古代、スギ、ヒノキを真木と呼んでいた時代、それより小さなマキ科の木を犬マキと呼んでいました。ここで「犬」とは「小さな」「劣る」ということになっています。そこへスギ、ヒノキを表す漢字ができましたので、「槙」はイヌマキを表す字となりました。一般に、槙と言えばイヌマキ(犬槙、狗槇)を指します。
イヌマキは雌雄異株。
雄花は黄色で、男根形。なるほど色も形も国常立神(金精大明神)。
雌花も男根形(こけし形)ですが、熟すと緑と赤の団子を串刺しにしたような姿となるそうですから、色から言えば瀬織津姫。
槙は二柱を表していますね。
しかし、こうしてみるとマキもスギ、ヒノキと同じく「真木」だよ、と。ただその違いを区別するために、花の形状からイヌ(の男根形の)マキとしたのかもしれません。
→イヌマキ(犬槙)
●高野槙-------------------------------------------------------------
マキ科にもいろいろあります。
世界にはない日本特産種で高野山に多く自生していることから付いたのが高野槙(コウヤマキ)。
瀬織津姫を信仰する空海が花の代わりに仏前に供えたことから、高野槙の名が広まったのでしょう(空海は虚空蔵求聞持法を習得し天才となりましたが、虚空蔵菩薩は瀬織津姫です)。高野山では霊木とされています。
別名本槙(ホンマキ)。
「本」=八十一=九九→菊→瀬織津姫ですね。
「日本国」=「日」と「本」の国=アマテル(国常立神)と瀬織津姫の国ということですね。
(太陽と月から生まれた星(地球)という三光信仰にも通じます)
高野槙の樹形は自然に整い、狭円錐形で品格があり、老木になっても樹形が乱れないので、ヒマラヤスギ、アロウカリアと共に「世界3大美樹」、「世界三大庭園樹」と呼ばれているそうです。
棺にも使われ、生い立ちが日本と深く関わっていた百済の武寧王の棺にもコウヤマキが用いられたそうですから、尊ばれた木なのでしょう。三途の川の渡し船としての棺に用いるあたりにも、高野槙を瀬織津姫と見ていた証拠が覗えます。
心材は淡い黄褐色~淡い黄色で辺材は白色、乳白色で水に強いといいますから、まさに瀬織津姫。金龍が地に落ちると黄龍になるそうですが、黄色は「坤の金神」の色でもあります。
さて、金松(マキ)という呼び名があります。
それが高野槙の別称なのか、コウヤマキ科の中に金松があるのか判然としません。ただ、日本特産種で「天皇を象徴する木」だそうで、中国特産のイヌカラマツを「金松」と書くそうですが、その字を借りたのかもしれません。
高野槙の葉は松に似ていますから「松」を付けたのでしょうが、「松」は国常立神を表します。
「金」は金神である両柱をさしますが、大金龍と言えば国常立神。けれど、「金」という字には水銀も含まれているのです。
すると、「金松」は松じゃないよ、金(水銀)の松だよと巧妙に暗示していることになります。なるほど、松に「世界3大美樹」といわれている高野槙を対置させたのでしょうね。
松&金松は、国常立神と瀬織津姫でした。(あ~、スッキリした ^^)
【高野槙はこんな感じ→高野六木『高野マキ』について】
●「楓」の意味----------------------------------------------------
こちらも、とても興味深いです。
カエデは、葉がカエルの手に似ていることから「カエルデ」→それが転訛したもの。
古字は、「槭」でした。
「戚」は、「親しむ」「身内」(親戚など)の他に、「斧」という意味があり、そこから「いた(む)」、「うれ(える)」と読みます。
注目は、「ひきがえる」という意味があること。たとえば、「戚施」(せきし)というのは、俯せにはなれるが仰向けにはなれないという病気の症状のことを言うそうです。つまり、「槭」とはヒキガエルの木。
「ひきがえる」と言えば、太陽を表す「金烏」(きんう)の対になる言い方に、「玉兎」(ぎょくと)と「蟾蜍(せんじょ)」がありますね。蟾蜍とは「月の中にいるというヒキガエル。転じて、月のこと」です。
なぜ、月にカエルがいることになったのか。中国の神話に『嫦娥奔月』(じょうがほんげつ)の物語があります。
●嫦娥奔月(じょうがほんげつ)---------------------------------------
10の太陽が一度に現れ地上が灼熱地獄となったとき、天帝から遣わされた羿(ゲイ)が太陽達を威嚇したが効果無く、仕方なく9つの太陽を射殺した。息子達(太陽)を殺された天帝は、羿とその妻姮娥(こうが→後に嫦娥:じょうが)を地上に追放し、2人は不老不死ではなくなった。
2人は崑崙山に西王母を訪ね、ウサギが煎じた薬をもらう。分けて飲めば2人とも不老不死になるが、それをすべて飲めば再び神に戻れる。姮娥は羿を裏切って一人で飲むが、天に戻るのははばかられて月に行く。しかし、月でヒキガエル(蟾蜍 せんじょ)の姿になってしまった。ここから月にカエルがいることになったわけですね。
【ゲイ (中国神話)】
『貴船の「桂」の秘密』で見たように、「虫」+「圭」で、「美しい三角の形をした爬虫類」→「蛙」・・・こことも繋がってきますね。
ということは、「木」+「戚」=「槭」(かえで)は、「月にいるカエルの木」ということ。つまりは、楓も瀬織津姫のシンボルですね~。
道教では嫦娥を月神とみなし、「太陰星君」と呼んでいるようです。
日本でも、「天女」という意味で「嫦娥」を用いたりしているようです。
●「樹齢1000年」が意味すること------------------------------
こう見てきますと、「樹齢1000年」の意味が浮かび上がってきます。
1000年前というと、ちょうど白河天皇(1072-1086)の時代。
そう、【古代日本の転換点16-書かれた時代と書かれたものでわかる「いろは歌」の秘密】で見ましたが、脱藤原の時代であり、藤原一族がやった聖徳太子(蘇我入鹿)暗殺を糾弾する「いろは歌」が「金光明最勝王経音義」(1079)に登場したのもこの頃でした。
そして、日本で最も多いカエデの種(紅葉の代表)を「いろは楓」「いろはもみじ」と言うそうです。
なんと、まぁ~、「いろは歌」に「いろは楓」・・・
不比等&持統天皇に葬られたアマテル&瀬織津姫
鎌足&光明皇后に2度葬られた聖徳太子
両者の運命は一蓮托生ですからね・・・
ふと、1000年前の人々に思いを馳せてしまいます。
その当時の人々にとっては、350年程前に封じられたアマテルや瀬織津姫。
その封じられた二柱のことを慕って、
長い時が経過したいつしか、
この二柱が再び永遠に結ばれる時が来ますようにと、
隣り合わせに「椙」と「槭」を植えたんだなぁ・・・・・・
それから1000年の時が経過した今、
二柱(椙と槭)は見事に一体となっています。
太陽と月が一緒になって、見事な地球となりました。
異質なものが「和」する地球樹となりました。
ありがとうございます。
合掌

貴船神社 奥宮08 連理の杉(椙と槭) posted by (C)Hide
1000年前と同様、1000年後の現在も時代の転換期
ウィキリークスはじめ、旧システムのぼろがボロボロ暴露されています。
1000年前と違うのは、木が合体したこと。
合体ロボ全盛の日本です。^^
千年の時は満ちたり。
もう、ね。いいんじゃない。
本当の太陽神と月神(水神)が復活しても。
平和を形成できるのは、これまでのような一神教でも多神教でもなく、
その両方を内包しつつ、男女の神が夫婦神として対等に並び立つ
いわば「二神教」。
本当の天岩戸開きをいたしましょう。
【瀨川瑛子 「連理の枝」】
瀬織津姫の異名でもある「瀬川」―そう思うと、瀨川瑛子が「連理の枝」を歌っているのも興味深いです。
一青窈に「いろはもみじ」という歌もありますね。(一青窈さんのお母さんの実家のある地域には瀬織津姫を彷彿とさせる地名がたくさんありますね~。青も水神・瀬織津姫カラーの一つですね)