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11.貴船神社・結社―「松風水月」と「荒城の月」の松嵐残葛

2016/11/01(Tue) Category : 神社・寺・城・歴史
【京の奥座敷巡り旅】11 <松本いはほの句碑~⑥>

背景が見えることによって、解釈がまるで異なったり、逆になってしまうこともあることです。前記事では「桜」で気になったフレーズを見てみましたが、ここでは「藤」で気になったフレーズを見てみたいと思います。


「松と月」と「松と藤」-----------------------------------------

「松風水月」(しょうふうすいげつ)という言葉があります。
『松を渡る風のようにさわやかで、水面に映る月のように澄み切っているということから、清らかで美しい人格を言い表す言葉』だそう。

一方で、「男は松、女は藤」という諺があります。
『男は大地にしっかりと根を張る松のようなもので、女はその松にからむ藤のように男を頼りにするものだということのたとえ』と書いてあります。

前者は、松と月がペア。
後者は、松と藤がペア。

前者は、松・風・水・月のそれぞれが並び立っています。一見、松と月が主役のように見えて、さわやかなのは風で、澄み切っているのは水面です。4者が協力して素晴らしい景観になっているわけですね。

特に大切なのは風。風が強ければ水面にさざ波が立って水鏡のようになりません。渡る風はとても穏やかで心地よいことがわかります。「松風」は穏やかな国常立神。水月は瀬織津姫ですね。

後者は、もし上記のような解釈ならば、共依存ですね。男の中の最高位は天皇ですから、「男は松」は暗に天皇(金松)を象徴し、「藤」は天皇家にからむように皇后を出し続けた藤原氏のことを言っているのかもしれません。

けれど、この藤を瀬織津姫ととらえると、全く趣が変わってきますね。
藤の花言葉は、「優しさ」「歓迎」「決して離れない」。

トゲトゲした松を優しく包む。
あるいは、上を向く松に、上から手を延べる。
そのように手を取り合う姿が浮かんできます。




「荒城の月」の意味するもの----------------------------------------------

桜&葛が月神・瀬織津姫。
松が太陽神・アマテル(国常立神)。
そう思った時、ふと「荒城の月」が思い出されました。

梅と三日月


 春高楼の花の宴 巡る盃影さして
 千代の松が枝分け出でし 昔の光今いずこ

 秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
  植うる剣に照り沿ひし 昔の光今いずこ

 今荒城の夜半の月 変わらぬ光誰がためぞ
 垣に残るはただ葛 松に歌うはただ嵐

  天上影は変わらねど 栄枯は移る世の姿
 映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月



【1番】--------------------------------------------

<春高楼の花の宴>

高楼とは「玉楼金殿」(ぎょくろうきんでん:美しく豪華な建物)を暗示させます。「金烏玉兎」と同じで、「玉」は瀬織津姫、「金」は国常立神。
春の花の宴とは桜(佐座)の「花見」―つまり、瀬織津姫を讃える祀り。


<巡る盃影さして>
<千代の松が枝分け出でし 昔の光>


喜びの盃の影を作るのは輝くばかりの太陽の光。
「千代」は仙台の古い呼び方。ここから、千代→せんだい→「先代」。
「松」は天皇なので、「千代の松」は「先代の天皇」。
「昔の光」は、「先代の太陽神」=アマテラス以前のアマテル(国常立神)のこと。

つまり、瀬織津姫を祀る宴が賑やかに行われていた二柱並び立つ平和な世の時代(大化の改新以前の王朝)を渇望している1番です。



【2番】--------------------------------------------

<秋陣営の霜の色>
<鳴きゆく雁の数見せて>


「霜の色」=銀色から、「銀の月」と「白秋」が浮かびます。
空を飛ぶのは雁ですから「月に雁」。月夜のイメージがわいてきます。
(雁はいつか書きますが、国常立神(orアマテル)を指します)

1番が「昼の花見」のイメージなら、
2番は「夜の月見」のイメージ。

これまたいずれ書きますが、
「青春」も「白秋」も瀬織津姫に関わります。
「花見」も「月見」も、ともに瀬織津姫を祝福する祭りでした。

1番が、かつての平和で賑やかな春の花見の姿を謳えば、
2番は、「秋陣営」ですから、二柱が隠されて後の政争に明け暮れる戦乱の世を表しており、空虚で寂しく悲しい思いが伝わってきます。

過去(1番)が昼なのに、現在(2番)が夜なのは、本当の太陽神(アマテル)が天岩戸に隠されたままだから。政争は終わる事無く、「陣営」を解くことができません。



<植うる剣に照り沿ひし>

「植うる剣」を「針山地獄」と見れば、立山連峰の剱岳をさすことになります。剱岳は、天手力雄神(本地不動明王)を神体としますので、つまりは瀬織津姫。瀬織津姫に照り沿うのはアマテル(国常立神)ですね。

1&2番の「昔の光」は、かつての太陽神を表しています。




【夏は?】----------------------------------------

ところで、春から秋に飛んで夏がありませんね。なぜでしょうか。
土井晩翠は、飛ばすことによって次の歌を暗示し、浮かび上がらせていると思います。それは・・

「春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」

―持統天皇の歌ですね。これは天武朝から天智朝へ政権を奪い返した持統天皇の勝利の喜びの歌です。そして、古代は「政(まつりごと)」は「祀りごと」でしたから、王朝を変えるには神を変えなければなりません。持統は旧王朝の神(国常立神&瀬織津姫)を消し去り、アマテラスに変えました。夏は持統に奪われたのです。

「春」は、この二柱の時代を象徴しています。そして、持統に始まる藤原の時代(貴族政治の時代)が「夏」で、その貴族の時代も過ぎ去り、さらには武士の時代も過ぎ、維新後まもなく生まれた土井晩翠(1871-1952)。1894年に日清戦争が起こり、1904から日露戦争が起こる、そのさなかの1901年に発表されたのが、「荒城月」でした。

時代背景として陣営を解くことができない、さらにそういう“時代”を生み出した背景としての権力欲(その原動力は不安)、権力に執着すべく時代をねじ曲げた原点としての二柱封印。その封印が解かれないまま、激化していく支配権闘争、そして戦争。それらに対するもどかしい思いが土井晩翠にあったのでしょう。




【3番】--------------------------------------------

<今荒城の夜半の月
 変わらぬ光誰がためぞ>


「荒城」とは、本当の主(太陽神)なき日本のこと。
その日本を照らす夜半の月とは、片割れをなくした瀬織津姫。

変わらぬ月光が照らすのは、
主なき空虚な日本。

まるで、会社に夫を取られて虚ろになった家庭を象徴しているようです。
照り沿う相手のいない空しさが伝わってきます。



<垣に残るはただ葛
 松に歌うはただ嵐>


「垣」は、スサノオが高らかに謳った「八重垣」を思い出します。
けれど、その主は封じられ、葛だけが残されました。

残された松に吹くのは、穏やかな「松風」ではなく、ただ嵐。
嵐であれば、「水月」も見えないでしょう。




【4番】--------------------------------------------

<天上影は変わらねど 栄枯は移る世の姿>

大自然の現象は変わっていません。日月は巡りゆきます。
けれど、人の世は―
縄文人の住処に渡来人が融合し、
神奈備が神道(物部神道)となり、
国家神道(藤原神道)と国家仏教(の形を借りた物部神道)の対立があり、
やがて貴族は没落して武家(神仏習合の形を取った縄文&物部神道の復活)が時代を作り、
今度は列強に対抗するために神仏分離をして再び国家神道に戻り
・・・栄枯は移ろいゆきます。


いつまで、この堂々巡りの「世の姿」を見続けなければいけないのでしょうか。
平和の世を実現するためには、一神教でも多神教でもなく、陰陽和合し、二柱並び立つ「二神教」。「ツインの世」が平和の世であり、一休が讃えた世界です。

アマテラスの荒魂として陰っている「半の月」は、望月となることが必要ですし、同時に照り沿う本当の太陽神が復活することが大切でしょう。




【そして、タイトル「荒城月」】--------------------------------------

上記で「荒城」は、本当の主(太陽神)なき日本のことと言いましたが、高山市の宮川の支流で西に向かう荒城川沿いに「荒城神社」(あらきじんじゃ)というのがあります。日面(ひおも)、日影の地名があり、椙(杉)の巨木が林立しているそうです。

「創立は遠く上代」で、境内からは縄文時代住居跡、縄文土器、石器が発見されており、「荒城神社遺跡」として岐阜県史跡に指定されている そうです。太古からここには文化があり、縄文の神が祀られていたわけですね。ご神紋も曲玉ですから、縄文の祭祀が伺われます。

元禄時代には河伯大明神(川の頭の大神)、子安観音とされていたそうで、瀬織津姫のことですね。美しい本殿ですね~。

荒城神社本殿(国指定の重文)
【荒城神社本殿(国指定の重文)】

土井晩翠がこの神社のことを知っていたとすれば、面白いですね。


また、この曲を発表したときの原題は「荒城月」です。
これを「こうじょうが」と読むと、荒れたジョウガ→荒れた嫦娥(月の女神、太陰星君)ですね。土井晩翠は、タイトルでも瀬織津姫を暗示させたのではないでしょうか。






なんとまぁ・・・「荒城の月」は、
アマテル(国常立神)と瀬織津姫を謳った歌だったとは。

「荒城月」が映し出す光景は、
物質的には恵まれても心が空しく荒む
「松嵐残葛」(しょうらんざんかつ)の光景でした。


「松風水月」
―そのような時代が来るのはいつのことでしょう。





【山口淑子 「荒城の月」】


競争や支配に意味はありません。
それらの原動力は不安からの逃走。
けれど、あれだけの結界を張り巡らしてなお、桓武は死ぬまで不安におびえ続けました。
その平安京さえ、もはや跡形もありません。

本当の「平安」は、自分の外に「京」を構えても得られません。
「平安京」は、心の中にあるのです。

内なる「葛藤」を乗り越え、内なる「不安」と向き合った時にはじめて、心の「平安」を得ることができるでしょう。

そのように、自分との循環を取り戻した時、人々との循環、自然との循環を取り戻すことができるのでしょう。

逆も真なり。自然との循環を取り戻していきましょう。





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