13.貴船神社・本宮―絵馬発祥の社~雨乞いで馬を生け贄にした理由
2016/11/04(Fri) Category : 神社・寺・城・歴史
【京の奥座敷巡り旅】13
●「絵馬発祥の社」--------------------------------------------
貴船神社は「絵馬発祥の社」と言われています。

【絵馬発祥の社】
由緒によれば、『古来より雨乞の社として名高い当社には,畏くも歴代天皇様より旱天(ひでり)には黒馬・霖雨(りんう/ながあめ)には白馬又は赤馬をその都度献げて御祈願される例になっていました。しかし、時には生馬に換えて『板立馬』を奉納したと平安時代の文献である『類聚符宣抄』は伝えています。此の「板立馬」こそは今日の絵馬の原形と言われています』とのこと。
板立馬とは、金や銀の板を馬形に切ったもの。他にも、泥作りの馬や藁作りの馬などがあり、現在の「絵馬」になったそうです。
下記に板立馬の一例が掲載されています。
・馬1-2 雨乞いの馬
黒は太陽神を表す色。
紅白は瀬織津姫カラーでしたね。
金や銀の板になったのも金龍、銀龍を表しています。
黒馬と白馬で国常立神と瀬織津姫を表していることがわかりますが、
黒馬は雨を降らせたいときの生け贄。
白馬は雨を止めたいときの生け贄のようです。
日照りの時は黒馬(太陽神)の息の根を止め、
長雨の時は白馬(水神)の息の根を止めるということでしょうか。
(にしても、黒馬像の方は緑青が吹いているのか「碧」に見えますね~。白馬の方は銀馬に見えます。碧も銀も瀬織津姫カラーですね)
●雨乞いで馬を生け贄にした理由----------------------------------
『名葦探杖』安永7年(1778)自序に次のようにあるそうです。
「瀧の肩に龍穴あり、その深きこと人これをはかるに知れず。土民雨を祈るに白馬の首を切りて龍穴を穢すに忽ち大雨す。」
『伊丹市史』には明治16年に行われた雨乞いの記録が掲載されています。
『生瀬川(武庫川)の上流、溝滝の高座岩での雨乞いは、伊丹の昆陽(こや)の大雨乞いとして有名である。
伊丹から乗って行った白馬の首を切り、岩にその血を塗って、行基が書いたという伝来の巻物を読み上げる。そのときに白馬に一本でも色のついた毛がまじっておれば雨が降らないし、巻物を読んだ人はやがて死ぬと伝えている。
この岩の下は竜宮に通じていてこの上を血でけがすと乙姫さんがおこって雨を降らせ、たすきをかけて洗うのだという。』
京都府亀岡市稗田野(ひえだの)町佐伯の神蔵寺の奥ノ院に不動滝があり、白馬の首を瀧壷に投げ入れる雨乞いがあるようです。「丹波志桑田記」には次のようにあります。
『佐伯村から坤の方向に竜谷があり不動の石仏がある。旱魃の時に佐伯村のものがこの滝壺に白馬の首を投げ入れて雨を祈れば必ず降るという。』(意訳)
【上記いずれも「箕面瀧の雨乞 蛇と龍」より】
これらを見ると、龍神(竜宮の乙姫も龍神)を怒らせることで雨を降らせるという荒技をやっていたようですね。雨が降らなければ村全体の存亡に関わってくるわけですから、命をかけて龍神を怒らせることをやったのでしょう。馬ではなく牛の所もあったようです。
ところで、記録では旱魃で雨を降らせたいときは白馬(瀬織津姫の化身)を生け贄にしていたわけですから、貴船の伝承とは少し違いますね。貴船の場合は息の根を止める、上記伝承の方は神を怒らせる、という意図の違いがあったのでしょうか(このように意図の違いによって生け贄のあり方はいろいろあったのでしょう)。
怒らせるという目的ならば、白馬(瀬織津姫の化身)を生け贄にした方が龍神(瀬織津姫)は激怒しそうです。
それにしても、神と丁々発止やり合うわけですから、自然と人間が対等と言いますか、まぁ、人も自然の子ですからね、自然と人間の親しい関係が伺われます。
【志方あきこ 「祈りの果てのひとふりの」】
●「絵馬発祥の社」--------------------------------------------
貴船神社は「絵馬発祥の社」と言われています。

【絵馬発祥の社】
由緒によれば、『古来より雨乞の社として名高い当社には,畏くも歴代天皇様より旱天(ひでり)には黒馬・霖雨(りんう/ながあめ)には白馬又は赤馬をその都度献げて御祈願される例になっていました。しかし、時には生馬に換えて『板立馬』を奉納したと平安時代の文献である『類聚符宣抄』は伝えています。此の「板立馬」こそは今日の絵馬の原形と言われています』とのこと。
板立馬とは、金や銀の板を馬形に切ったもの。他にも、泥作りの馬や藁作りの馬などがあり、現在の「絵馬」になったそうです。
下記に板立馬の一例が掲載されています。
・馬1-2 雨乞いの馬
黒は太陽神を表す色。
紅白は瀬織津姫カラーでしたね。
金や銀の板になったのも金龍、銀龍を表しています。
黒馬と白馬で国常立神と瀬織津姫を表していることがわかりますが、
黒馬は雨を降らせたいときの生け贄。
白馬は雨を止めたいときの生け贄のようです。
日照りの時は黒馬(太陽神)の息の根を止め、
長雨の時は白馬(水神)の息の根を止めるということでしょうか。
(にしても、黒馬像の方は緑青が吹いているのか「碧」に見えますね~。白馬の方は銀馬に見えます。碧も銀も瀬織津姫カラーですね)
●雨乞いで馬を生け贄にした理由----------------------------------
『名葦探杖』安永7年(1778)自序に次のようにあるそうです。
「瀧の肩に龍穴あり、その深きこと人これをはかるに知れず。土民雨を祈るに白馬の首を切りて龍穴を穢すに忽ち大雨す。」
『伊丹市史』には明治16年に行われた雨乞いの記録が掲載されています。
『生瀬川(武庫川)の上流、溝滝の高座岩での雨乞いは、伊丹の昆陽(こや)の大雨乞いとして有名である。
伊丹から乗って行った白馬の首を切り、岩にその血を塗って、行基が書いたという伝来の巻物を読み上げる。そのときに白馬に一本でも色のついた毛がまじっておれば雨が降らないし、巻物を読んだ人はやがて死ぬと伝えている。
この岩の下は竜宮に通じていてこの上を血でけがすと乙姫さんがおこって雨を降らせ、たすきをかけて洗うのだという。』
京都府亀岡市稗田野(ひえだの)町佐伯の神蔵寺の奥ノ院に不動滝があり、白馬の首を瀧壷に投げ入れる雨乞いがあるようです。「丹波志桑田記」には次のようにあります。
『佐伯村から坤の方向に竜谷があり不動の石仏がある。旱魃の時に佐伯村のものがこの滝壺に白馬の首を投げ入れて雨を祈れば必ず降るという。』(意訳)
【上記いずれも「箕面瀧の雨乞 蛇と龍」より】
これらを見ると、龍神(竜宮の乙姫も龍神)を怒らせることで雨を降らせるという荒技をやっていたようですね。雨が降らなければ村全体の存亡に関わってくるわけですから、命をかけて龍神を怒らせることをやったのでしょう。馬ではなく牛の所もあったようです。
ところで、記録では旱魃で雨を降らせたいときは白馬(瀬織津姫の化身)を生け贄にしていたわけですから、貴船の伝承とは少し違いますね。貴船の場合は息の根を止める、上記伝承の方は神を怒らせる、という意図の違いがあったのでしょうか(このように意図の違いによって生け贄のあり方はいろいろあったのでしょう)。
怒らせるという目的ならば、白馬(瀬織津姫の化身)を生け贄にした方が龍神(瀬織津姫)は激怒しそうです。
それにしても、神と丁々発止やり合うわけですから、自然と人間が対等と言いますか、まぁ、人も自然の子ですからね、自然と人間の親しい関係が伺われます。
【志方あきこ 「祈りの果てのひとふりの」】