プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
02 ≪│2017/03│≫ 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

14.貴船神社・本宮―「槻の木」(欅)が教えてくれたこと

2016/11/07(Mon) Category : 神社・寺・城・歴史
【京の奥座敷巡り旅】14

天津磐境と「椿」-------------------------------------------------------

綺麗な舟形―天津磐境(あまついわさか)  【参考:貴船の「舟」の秘密

貴船神社 本宮09 船形の石庭 天津磐境(あまついわさか)
貴船神社 本宮09 船形の石庭 天津磐境(あまついわさか) posted by (C)Hide

貴船神社 本宮10 石庭の岩のこけがすごい
貴船神社 本宮10 石庭の岩のこけがすごい posted by (C)Hide

椿の木は帆柱を表しているそうですが、出ましたねツバキ。
椿神社で有名な伊豫豆比古命神社の祭神、伊豫豆比古命&伊豫豆比売命は、伊与主命&愛比売命であり、それは饒速日命&伊予比売命→アマテル&瀬織津姫であったことを思い出します。
【松山心の旅5.椿神社(伊豫豆比古命神社)の秘密は「愛媛」の秘密】

椿を瀬織津姫の象徴として植えたんですね。
(椿については、鞍馬路で出てきますので、またそこで)




白髭社と「槻の木」---------------------------------------------------

帰り道です。
貴船神社 本宮11 灯籠の石段
貴船神社 本宮11 灯籠の石段 posted by (C)Hide

白髭社と見事なケヤキ
貴船神社 本宮12 白髭社と見事なケヤキ
貴船神社 本宮12 白髭社と見事なケヤキ posted by (C)Hide

室町時代以前は、この木は「槻の木」(つきのき)と呼ばれていました。
このケヤキは樹齢600年と言いますから、まさに室町時代―一休が「花は桜木」と瀬織津姫を(隠しながら)讃えた時代ですね。

「槻の木」と呼ばれている時代は植えることができなかった木。室町になって「欅」の字ができたからこそ、「これは欅だよ」と堂々と植えることができたんだろうなぁ、と、樹齢を見てそういうことを感じました。

槻の木は木目が美しく中がつまって砕けにくいため、弓を作るのに適していたそうです。縄文の頃からよく利用されたでしょうね。

また、神聖視されて斎槻(ゆつき)と言いました。「斎」(いつき)とは、ものいみ(潔斎)をして神に仕えることを言い、神社に奉仕した皇女を斎内親王、斎女王と呼び、総称して「斎王」(さいおう)と呼んでいます(伊勢神宮の場合は斎宮)。槻の木が神の宿る木と見なされていたことがわかりますね。

「槻の木」(けやき)は、中国で「月にある木」と見なされた桂(月桂樹)と同じく瀬織津姫のシンボルです。

その槻の木が、白髭社に寄り添うように立っています。
白鬚大明神は猿田毘古大神と習合しており、猿田毘古の妻とされる天鈿女命と瀬織津姫も習合していますから、白髭社と「槻の木」は、アマテルと瀬織津姫を表していると言えるでしょう。




「槻の木」を信仰していた飛鳥時代----------------------------------------

ところで、持統以前は瀬織津姫が信仰されていたわけで、聖徳太子の父の用明天皇は宮に磐余池辺双槻宮(いわれいけべのなみつきのみや)と名付け、斉明天皇(皇極天皇)が田身嶺(たむのみね)(→後に多武峰:とうのみね)に天宮として築かせたのも両槻宮(ふたつきのみや)でした。

皇極天皇といえば中大兄皇子が蘇我入鹿を殺害した時の“目撃者”。乙巳の変(645)後、皇極は退位し軽皇子(孝徳天皇)が即位します(日本初の譲位)が、実権を握る中大兄皇子は中臣鎌足を側近(内臣:うちつおみ)にして、すぐに宮殿を飛鳥から難波に移し、ところがわずか3年後に孝徳天皇を難波に置き去りにして飛鳥に戻ります。

つまり、難波は孝徳天皇を幽閉するための“捨て宮”だったわけです。孝徳天皇は憤死し、皇極天皇は重祚して斉明天皇となります。この時期に「狂気の溝」と呼ばれる大運河の土木工事をしていますが、これは斉明天皇がさせたのではなく、中大兄皇子が反対勢力の力を消耗させるためにやらせたものでしょう。政変が起こった時に、大規模土木工事を行うのは世の常ですね。

10/3の「ぶっちゃけ寺」の『日本仏教のルーツ“奈良”を知る3時間スペシャル!!』で、飛鳥寺、東大寺、興福寺が紹介されていました。エポックメイキングなお寺を取り上げていて面白かったです。




蘇我馬子が建てた日本初のお寺「飛鳥寺」-------------------------

蘇我馬子が日本初のお寺を建てるに当たって選んだ地が、飛鳥の「真神原」(まかみのはら)でした。「槻の木」の林がある神聖な場所だったそうです。

飛鳥寺は南門が正門ですが、西門の方が大きかったようです。そして、西門の前に神聖な槻の木を残し、後に「槻の木の広場」と呼ばれました。

飛鳥寺復元図
【飛鳥寺復元図】

その西側から見た復元イメージが下記に掲載されています。
『日本書紀』が語る飛鳥寺西側の「槻の木の広場」




「大口真神」とは誰か------------------------------------------------

この「真神原」には、枕詞に「大口の」がつき次のように詠まれています。
「大口の真神の原に降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに」
(舎人娘子『万葉集』巻八)

これが後に、大口真神(おおくちのまがみ)として狼の神格化したものとされました。その狼とは、人語を理解し、善人を守護し、悪人を罰するそうです。現在では、たとえば下記のように狛犬ならぬ狛狼として眷属神になっているわけですね。


【三峯神社 三ッ鳥居 御眷属大口真神】


これは、前記事の「七赤金星」を思い出せばわかりますね。
「坤の金神」を表現する「七赤金星」―定座は西にある兌宮。兌=「沢」で水が集まるところ(沼、湖)を表し、人体では「口、歯」を象徴していました。(六白金星が金剛の陽の金、七赤金星は軟らかい精錬された陰の金だそうです)

つまり、「大口」とは、「大いなる七赤金星」=瀬織津姫のことです。
「真神」=真の神は瀬織津姫だよということを「大口真神」という言葉で表すようになったのでしょう。まさに「槻の木」の林がある場所におわすにふさわしい神です。

そして、大口真神が瀬織津姫であることを隠すために、「大きく赤い口」であることを「狼」になぞらえたのでしょう。それに狼は大神(おおかみ)に通じますし。




物部氏と蘇我氏の抗争は創作----------------------------------

面白いなぁと思ったのは、日本最古の仏教寺院が瀬織津姫に守られるかのように建てられていたこと。つまり、日本において仏教は最初から古神道に見守られていたのですね。神仏習合というならば、最初から習合していたと言えます。

蘇我馬子が瀬織津姫を信仰していたことは、彼が作った飛鳥寺の佇まいを見ればわかります。そうなると、神道派・物部氏vs仏教派・蘇我氏という絵に描いたような対立構造の底が透けて見えてきますね。

そもそも、瀬織津姫のありようが日本全国に行き渡っていたとすると、柔軟に形を変えていく水神のありようを日本人は体現していましたから、持統&不比等の強引な革命に対しても柔軟に対応していったように、仏教も取り込んでいったでしょう。

すると、「物部氏と蘇我氏の抗争」は、藤原氏が「日本書紀」を通じて創作した物語だったのではないか、という思いが湧いてきますね。




「飛鳥大仏」が教えてくれていること----------------------------------

それから驚いたのは、そして嬉しく思ったのは、飛鳥大仏は建立当時(6世紀)から、およそ1400年もの間、同じ場所から全く動いていないということ。悠久の時を座り続けている存在が、そこにあるということ―これは驚きでした。

飛鳥大仏
【飛鳥大仏】

碧の葉にピンクと白の花弁―いずれも瀬織津姫カラー。それに包まれるように黄色い花床(国常立神)。蓮は見事な二柱合体花ですね~。
(白やピンクに包まれた黄色→こんな感じです

ところで、銅ではなく石造台座の上に安置されていることが不自然だという向きもあるようですが、台座が花崗岩ではなく竜山石だということなので、むしろ直接その上に設置したかったのでしょう。

なぜなら、瀬織津姫に支えられて仏が座っている―古神道に支えられて仏教がある―そのことを「形」をもって伝えたかったのだろうと思うからです。

この飛鳥大仏のあり方が、古神道と仏教は対立どころか古神道が仏教を見守っていたことを示す「証拠」です。同時に、蘇我馬子が神道を大切にしていたことを示す証拠でもあるのです。(何しろ、馬子→馬=瀬織津姫の子ですからね)

縄文古来より日本人は、生命の根源神である瀬織津姫を信仰しており、それは揺るぎないものでした。蘇我馬子も瀬織津姫を信仰し、だからこそ姫神に見守られる地で、姫神に見守られながら仏教はスタートしたのです。日本における仏教は、その始まりから神仏習合だったのですね。

飛鳥大仏は、身じろぎもせず、
古神道に守られた仏教のありようを、
その姿を持って堂々と見せ続けてくれています。

合掌。




「槻の木」(欅)と椙(杉)二柱そろった鳥居前-----------------------

振り返って一礼
貴船神社 本宮13 二ノ鳥居
貴船神社 本宮13 二ノ鳥居 posted by (C)Hide

丹塗りの上に黒=丹は水銀で銀は月、黒は太陽ですから、月と太陽。
瀬織津姫の上にアマテル、二柱合体を示す鳥居です。

鳥居を挟んで、右に樹齢600年の欅(けやき)、左に樹齢700年の杉の大木が聳えています。
杉→椙は、アマテル(国常立神)でしたね。

杉が植えられて100年後に、ようやく相方の瀬織津姫を植えることができたんだなぁと、感慨深いものがあります。

同時に、ともに600年の時を過ごした両木にとって、100年は誤差だったな、と。まして、樹齢数千年の屋久杉にとって、人類の栄枯盛衰の歴史など何をか言わんや。





関連記事
 
Comment0  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真/動画集はこちら↓
 
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード