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花束を君に

2017/01/01(Sun) Category : 世代間連鎖
あけましておめでとうございます。

大晦日は、老親が寝た後も妻と2人で紅白の趣向を面白がりながら見ておりました。司会の3人も、それぞれいい味出していてとてもよかった。楽しめて見応えのある紅白でした。


そんな中、ロンドンにいる宇多田ヒカルの録音ルームでのソロを見て、いつぞやの中森明菜を思い出しました。2人とも、「母親を背負った歌姫」というイメージがあります。(まぁ、そういう方は他にも多々いらっしゃいますが・・・)

そして、あの歌が母・藤圭子を思って作った歌と知って、聞いていて涙が出そうになりました。

盲目の母親のことを心配し、支えとなり続けた藤圭子。
彼女が「母親の母親」役であったことは、Youtubeに上がっているインタビューその他から伺うことができます。以下は、勝手な思いです。


あの「怨歌」と呼ばれたドスのきいた恨み節。男女の世界を描いているように見えますが、あれは子供をすることができなかったチャイルドの恨みなのだろうなぁと感じます。

彼女が結婚し家族ができたということは、内なる怒りや恨みを吐き出す相手ができたということ。目の前に対象がいるわけですから、抑えようと思っても出てきてしまうでしょう。衝動が炸裂し、素に戻り、また脈絡なく炸裂し―そういうことを繰り返すようになります。

その衝動の根っこにあるものが、母親ばかりを案じて自分(小さいちゃん)を無視し続けてきた―その「小さいちゃん」の“自分”に対する悔しさや悲しみであることに気づくことができていれば・・・と、思います。

気づかないままに、本人は自分に翻弄され、その本人に家族は翻弄されました。



---------------------------------------------------------
「おかあさん、おかあさん」と思っているチャイルド。
そのチャイルドは、自分が死ぬまでいなくならないでしょう。

生みっぱなしで全く無視―そりゃないだろう、と思うよね。
いつまでも「脳内母親」に見せるための言動をし続けて、家族はその道具、もしくは観客かい?―一人芝居にいい加減気づけよ!と、思うよね。

そういう親の実態がわかり、その親に沿わざるを得なかった自分がわかり、小さい頃の自分を今の自分が救えることがわかっても尚、

親を、気持ちのわかる人間にしたい、という思いが湧くよね。

『抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に』
―気持ちがないままに、あるいは親の親(もしくはその他の役)と見なされたまま、そうされても救いがないもんね。

それに、

どうせ死んだら向こうに行って全てわかるんだぞ。
せっかくこの次元に肉体を持って生まれたのに、虚構に埋没して現実を生きないまま。あの世で後悔することになるんだぞ。
一日でもいいから、目を覚まして生きろ!
―と、言いたくなるよね。

でも、それができない在り方になってしまっている親に対して迫り続けることは、親をおかしな方向に追い詰めていくだけ。今度は、存在不安から逃れるための行動が加速していくだけになります。


無理なものは無理。
できないものはできません。

エラが動かないマグロは、寝ていても止まることはできません。
「止まれ」というのは、「死ね」と同じ。

さらに、エラ呼吸しかできない魚に肺呼吸を押しつけるのも殺すこと。

「在り方」が違う。
その「在り方」を認めていくしかありません。



そして、「お母さんをあきらめないチャイルド」のことも、認め、受け止めていきましょう。まるで母親一神教の修道士、修道女のような純なチャイルド。その一途さは讃えるには足りないほどです。

その見事なチャイルドが、そう、親の中にもいるのです。

彼らもまた、『抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に』という無意識の思いを抱えて、ひたむきに生き通しているのです。自分が配偶者にも、親にもなることなく、「母(神)の子」のままに―



花束を、全ての人の中にいる「お母さんをあきらめない愛しいチャイルド」に―



【宇多田ヒカル「花束を君に」】





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健気さ

IPに対する捉え方が変わってきました。
最初はこのやろうと敵視。次に律儀だなぁと冷静に。
今は健気だよなIPって、と同情というか相手に歩み寄って思うようになりました。
IPのその健気さは何かに忠誠を誓ったかのような徹底ぶりで、そこまでして欲しかったものがあるんだな、あきらめたくないんだろうなと、まだどこか他人事に感じますが、いつか一緒になるときにいーっぱい受け止めることになるんだろうなと思います。

そうだよね、あきらめたくないんだよね。

 

「在り方」が違う。その「在り方」を認めていく。

「在り方」が違う。その「在り方」を認めていく。

すべての人が、すべての母と子が、その「花束」を心に生きてゆければ、幸せになれるのに。それがどうにも難しく、だからこそ愛おしく、私達一人一人がその愛(真実)に気づくために生まれてきたのかもしれませんね。

 
    
 
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