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中尾英司

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オーブからのメッセージ(石山寺)

2017/01/16(Mon) Category : 宇宙・スピリチュアル
石山寺に行ったときのこと。帰って写真を見て驚きました。

石山寺駅から寺に向かう大津放水路の上ですが、左上にカラーのオーブが写っています。他にも幾つか。

石山寺 大津放水路 オーブ01
石山寺 大津放水路 オーブ01 posted by (C)Hide

その直後に撮った写真には写っていません。
石山寺 大津放水路
石山寺 大津放水路 posted by (C)Hide

上記写真のオーブを原画像のまま切り出してみました。
石山寺 大津放水路 オーブ02
石山寺 大津放水路 オーブ02 posted by (C)Hide


色が鮮やかなことも珍しいし、年輪のようなものが刻まれていますし、斜めに帯が入っていますね。これまでのものと違うなぁと感じました。



----------------------------------------------------------
東大門に着いて、阿吽の仁王を撮りました。
石山寺 東大門 仁王阿形1
石山寺 東大門 仁王阿形1 posted by (C)Hide

石山寺 東大門 仁王吽形1
石山寺 東大門 仁王吽形1 posted by (C)Hide


さて、もっと近寄って、と。
石山寺 東大門 仁王阿形2
石山寺 東大門 仁王阿形2 posted by (C)Hide

石山寺 東大門 仁王吽形2
石山寺 東大門 仁王吽形2 posted by (C)Hide

おや、吽形の仁王には何か写ってる! 何これ?!


原画像のまま切り出してみました。
石山寺 東大門 仁王吽形 オーブ
石山寺 東大門 仁王吽形 オーブ posted by (C)Hide

年輪があり、光の帯を巻いている・・・ハッキリと!

背景の壁を完全に隠してしまうような、こんな強い光見たことない。
毎朝拝んでいる、昇る太陽の純白みたいな強い光。

しかも左下に、少なくとも5連珠の玉―黄・白・緑・赤・青
フラッシュもたかず、太陽の光源もないのに、なんだ?


吽形の仁王の口が、なぜか削られていることが気になりました。小指もないし。吽形と言えば瀬織津姫側? 歴史上でなにかがあったのでしょう。

この口が削られていた仁王(目も?)の顔の近くにいたので、その光の帯が、イメージ連鎖でまるで孫悟空のわっかのようにも見えました。

理屈で生きているときは脳内母親(IP)に支配されていることに気づきませんが、いざ気持ちを言おうとするといきなり頭を締め付けて頭痛を起こして自分(IC)に意識を向けさせない―というようなことをIPはします。そういうところから、時にIPを悟空の輪っかに例えることがあるのですが、その場合はお釈迦様が脳内母親ということになりますね。

まるでこちらを見ているようだけれど、何かを訴えたいのか?



----------------------------------------------------------
その後境内を散策し、「目かくし石」を抱きしめ、そこのところで写真を撮ると、そこにも沢山のオーブが写っていました。

石山寺 めかくし石
石山寺 めかくし石 posted by (C)Hide

石山寺 めかくし石 オーブ(明度アップ)
石山寺 めかくし石 オーブ(明度アップ) posted by (C)Hide

おや、左上にいるのは帯のあるあのオーブじゃない?
石山寺 めかくし石 オーブ
石山寺 めかくし石 オーブ posted by (C)Hide

ということは、あの帯付きオーブは私たちについてきたということ?
それに、5連珠のチームもいる?(←まぁこれはフレアかもですが) 
もしかして、あの真っ白な吽形のオーブも同じもの? 
じゃあ、ずっとついてきてるの? 
しかも、「口削りの仁王」の次は「目かくし石」だよ?

とすればそのメッセージは何?!


ということで、気になりましたので、とある方に訊いてみました。
直接聴きもし、改めてメッセージもいただきました。
というのも、そのメッセージが、『中尾さんご自身へあてたものと、中尾さんと繋がる人々へ送られたもの両方ある感じでした』とのことだったからのようです。許可を得て掲載させていただきます。






仏像について-------------------------------------------------

あの仏像は神仏でありその本質は光です。
その光は明るく美しく、明るい美しさは幸せをつくります。

形を削られた程度で神仏の本質には何の陰りも及ぼすことはできません。
上位の神々は人間のしたことで怒ったり罰を与えることはなさいません。
真の神仏は人の100の不幸を消し去り無限の幸せにして返して下さる存在です。




オーブの形----------------------------------------------------

帯は天使の輪のようなものとお考えください。
中尾さんが悟空のお話をされているとき、お話自体はまったくもって同意!でなんの違和感もない内容なのですが、何か違和感を感じたんです。もう、その段階ではないのにそこに居続けているような違和感です。

あの違和感は何だったのか…それは中尾さんが「許していない」「許すことを拒んでいる」全てへの怒りだと感じました。
それは、中尾さんの心に拘り(こだわり)と偏り(かたより)を生んでいます。
その拘りと偏りが、仏像の表情を苦しみに見立て、オーブの白い光を悟空の輪っかに結び付けています。世界に「罪と罰」を生んでしまいます。

許すことができないとは、
許したくないとは、
許すことが怖いとは、
こんなに苦しいものだったのかと経験し学んだのだと、
改めて考えてください、選んでください。

それは意思であり思考です。
その思考が許せぬものを許せぬままに、それを罪と罰にせずに、
許し受け入れるエネルギーになっていきます。

思考による感情の変容です。

中尾さんは、もっともっと自由になれます。




「あなたは独りではない」--------------------------------------

写真を拝見する前から受け取っていた最も大切なメッセージは―

見ているよ、ついているよ。
あなたの願いはよき思いから出ているよ。
応援している存在がここにいるよ。
そのことをまず伝えたいよ
―というメッセージ。

ただそれは軽やかさだけではない、深い意志のようなものを感じました。
あらためてオーブの写真からリーディングしてみました。

「あなたは独りではない」


人が幸せを願う以上に、人を幸せにしたいと願う存在は多いようです。
けれど、連鎖という事実を受け止め、幻想ではなく、現実の実感の伴う孤独と向き合う人々にとって、
「わたしは独りではない」
を頭ではなく、感情のレベルで実感することはとて難しいことかもしれません。

向き合えば向き合うほど感じる孤独と寂しさを抱えながら、
「あなたは独りではない」
という言葉は空々しく聞こえ、慰めにもならないかもしれません。


そんなときは、白い光を想像してください。
白い光を想ったとき、あなたの内側に神が宿る。

白い光はあなたの孤独、寂しさ、不幸を消してゆく。

白い光を想うことさえしたくないとき、あなたは不幸(孤独)に消えてほしくないのかもしれない。
不幸が消え去った何もない場所、場所とも言えない何かが怖いのかもしれない。だから、不幸という陰にすがってしまうのかもしれない。

心配しなくてもいい。
不幸が消えた後、残るのは虚無ではありません。
消えた後に残るのは、安心と安らぎ、存在としてのあなたです。




「愛は形になるんだよ」---------------------------------------

幸せは美しいものとともにある。美=幸だよ。
あなたがここの自然を美しいと思って見ていることを、精霊たちが喜んでいるよ。




「助けを求めていいよ」---------------------------------------

一人で闘わなくていいよ。
孤軍奮闘しなくていいよ。

大多数の自由を奪う支配者(悪)と、
それに気づかぬ普通の人と、
それに抗う人と、
すでにそこから自由になっている少数の人がいる。

そして世界はまだ悪が強い。そんな悪がはびこることを許しているのが世界であり神であるなら、最初から、世界も神も悪なのです。

この世界を創ったものが神なのだとしたら、最後の落としどころは悪であり闇であり不幸なのです―まるで、人生脚本のようですね。

仏像は教えてくれます。
たとえどんなに形を削られても、笑っている。
己を削らずにはいられなかった闇を笑って許して光をもたらしている。
そうか、そこ(闇)には私(光)が足りていなかったのだねと。


あなたは大きな山にトンネルを掘っている。
掘っても掘っても向こうにつながらない途方に暮れる感じ。
一人でやらなきゃいけないんだと思っている。

でも、一人じゃできないよ。
山の向こうにも住んでいる人がいる。
向こうの人にも応援を求めたらいいよ。
「助けてくれ」と願っていいんだよ。




「もっと大きな、きれいなものを見るといいよ」------------------

自由を縛る罠だらけの世界に時々あなたはいる。
この世界は虚構だらけということに対する絶望と怒りがあるよね。
その目で世界を見ていたら、世界は脅威だらけで厳しいよね。
「渡る世間は鬼ばかり」と見ていたら見えないものがある。
大切なものは目に見えないよ。

ここはなんて素敵な場。なんて気持ちのいい場なんだ、と世界と仲良くしよう。世界を言祝ぎ、世界と手をつなごう。

マイナスを見た分、明るいものを見て欲しい。
それを見せてくださいと頼んでいいんだよ。

あなたを大切に思っている。
あなたの幸せを願っている。
あなたに力を貸したいと思っている。

世界は美しく、
世間は温かい。

―そう考えてみて。
だとしたら、と見立ててみて。

自分にかけたマイナスの脚本の呪いを、そう考え見立てることで打ち消せる。
幸せになることを許せぬ思考でさえも、それに蓄えられた苦しみも悲しみも圧倒的に凌駕し、幸せに塗り替えられる善なる存在からの息吹がふきこまれる。

考えて心がついてこなくても大丈夫。
そう考えることが自分と世界への贈り物だと思ってみて。

世界を信じる気持ちになれないのなら、自分へ与える贈り物だと思ってみて。




「歴史を背負わなくていいよ」---------------------------------

小さな子が背中に歴史の山を背負っている。
それをお母さんに見せている。

歴史は背負うものじゃないよ。

いろいろな歴史があって、それでもつながって、今ここに来た。
お母さんもその中の一人。





母からのメッセージ-------------------------------------------

お母さんからのメッセージを伝えるね。

「私の代わりに世界の素晴らしさを見てきてください。
 私は、あなたにそれを望みます」

「私は安心している。あなたを支える人がいることにも喜んでいる。
 私を置いて行きなさい。美しいものを見てきてください。」


・・・この言葉を聴いた瞬間、ふいに涙が溢れてきました。




溢れる涙をこらえられませんでした。
あとから、あとから・・・
ただ、止めどなく涙があふれてくるー

そう、いろいろとあって、終わりにする時に来ていました。
そのタイミングでいただいた言葉―

泣きました・・・・




さらにメッセージをいただきました。

―もう、とどまっていなくていいんだよ。

あなたはお母さんを捨てることで置き去りにはしないのさ。
あなたが捨てるのはお母さん自身じゃないからね。わかっているだろう?

世界の美しさを素晴らしさを、優しさを見ると決めて生きるんだ。
「感(観)じる」と選ぶんだ。

あなたには私(善き世界、善いあらゆるもの)を纏って生きてほしいよ。

その纏った善き美しいものを喜んで欲しいよ。

その喜びはお母さんを包み、護り育てるよ。
お父さんに安心と無邪気に笑う心を与えるよ。




チャイルドからのメッセージ-----------------------------------

チャイルドの気持ちを伝えるね。

「大人になりたい。子供でいたくなーい」

大人になることがとても嬉しい。力がみなぎってくる感じ。
もう成長させてくれと願っている。

さっき見た絶望につながる世界の“見方”が、家の中にいることが桃源郷という母親の在り方をトレースすることになってしまっている。

その絶望の根源は、「この世界を自由にしたい」という思いがあるから。
でも、この世界を作った人は、もっとそう思っている。

だから、どんな場所も素敵な場所だねと見て欲しい。
たとえば淋しいと感じた所も、「なんて静かで素敵な場所なんだ」と。




「世界はプラスに偏っている」--------------------------------

実はね、世界はプラスに偏っている。
というのも、マイナスは有限だけど、プラスは無限なんだ。
だから、幸せになることを選んだ時から、そうなることは決まっている。

もう一つ大事なことがある。
幸せになりたいと願うんじゃないんだよ。
「幸せになる」と選ぶんだ。

あなたが選んでくれたら、その選択を祝福できるのだから。
(目の前に光の道がバーっとまっすぐに引かれるイメージ)




「未来は左脳で創るんだよ」----------------------------------

これまでの脚本を創ったのが左脳なら、未来の脚本も左脳で創ります。

左脳でつくった絵(情報)に、
右脳がいのち(エネルギー)を吹き込む感じ。

真っ白な雪原を、寒くて淋しいとしか思えないときもある。けれど、例えばこの白さが春が訪れるまでの瞬きの間の冬の贈り物だと考えることで、美しいと想えるかもしれない。

草を食む青虫を見たとき、青虫が成長し蝶になり空に羽ばたく様を想い、変容の可能性と神秘を考えたとき、青虫を健気で可愛らしいと想えるかもしれない。

美しいこと、楽しいこと、自分を幸せにする知性が世界の美しさを感じる感受性を育てる。

幸せの脚本は自分で創ることが出来るんだよ。




未来のビジョン---------------------------------------------

今、雨が上がった。
大きな虹が出ている。
湿った土の匂い。

あなたは今ここにいる。

さぁ、この世界をどうしたい?
それをゼロから考え直せ。




降りてきたキーワード---------------------------------------

小さな青い花が咲いています。
深い美しく輝く青です。

青は 
春、朝、緑、始まり、木星、東、青龍、垂直、喜び、肝臓、第五チャクラ、喉、耳、口、首、気管、食道、声帯、空、純粋、浄化、感情、水、木、平和、信頼、コミニケーション、自己表現、他者と繋がること、思考と感情の一致、選択の力、個人表現、自己認識、創造性・・・・

青は肝臓で、肝臓は怒りに関わる臓器
青を想うだけでも(空とか海のブルーなどなど)肝臓のマイナスエネルギーが消えていきますよ。

そして!
肝臓の怒りがプラスに変換されると、
慈悲と許しに変容するんです~!!

緑の草原、白い雲、晴れ渡った雨上がりの空と虹、小さな青い花たち、土と水の香り―この美しい世界を毎日、イメージなさると良いと思います。




「観音」--------------------------------------------------

そしてその世界を、
観て、
触れて、
香りをかいで、
音を聴いてください。

とくに、音を聴くことはとても重要な気がします。

続けていれば、そのうち音の色も感(観)じ始めると思います(観音)



お釈迦様の手のひらが「まほろば」だったなら、それは支配ではなく、
最初から支えられ、護り育てられていたのだなぁと、最後の最後で思いました。

そう思いついたことが嬉しくて、ふふって感じです。


「この世界は最初からまほろばでした」










ただただ、ありがたいと思いました。


両親共にピュアな人々。

私が縄文にこだわったのは、父の幼少期の話を聴き、その里の自然と生活が彷彿と浮かび上がってきたとき、「国栖人」の実態が見えたからです。

父の根っこはまさに『その人となり,甚だ淳朴なり』(応神天皇19年の条)とあるとおりの人間だったでしょう。
私は、そういう「国栖人」(縄文人)が大好きなんです。


―と書いたら、

いきなり、涙が溢れて止まりません。




こんなにも私は、人が、
あの二人が好きだった。

だから、
心を取り戻して欲しかった!




・・・・・・・










私はこの日、またもカラオケボックスに駆け込み、こみ上げてくる悲しみ、そして言葉にできない感情を受け止めました。
広めの部屋で大音量の中、時に声を上げて泣きました。







そうか・・・

放水路の出口(川への入口)に現れたオーブ。
仁王の吽形に現れたオーブ。
目かくし石に現れたオーブ。

いずれも画面の左側に現れたオーブ。
(左側は「過去」を表すそうです)



-------------------------------
放水路は、あの白い4段の“関所”の向こうはすこんと狭まって山になります。けれど、4つの関門を抜けると、急拡大して広々とした川へとつながります。とても特殊な形をしているのです。

重なり合う山の隘路を抜けて、しがらみ(四がらみ)はそこに置いたままそこも抜けて、出口に到達したことを祝福してくれたのかもしれません。そこから先は、ゆったりとした瀬田川です。

そうか…山は、抜けたのか・・・



-------------------------------
また、
言わなかった過去(口削りの吽形の左)。
見なかった過去(目かくし石の左)。

それらが美しく彩られている。

もういいよ。
よくやったよ。
君(みんな)の過去はこんなに美しい。
―そういうことのようです。



-------------------------------
小指のかけた仁王。
約束した小指自体が、もうない。

自分を救うとか、親を救うとか、
許すとか許さないとか、
もうそれらから自由になっていい。

それを祝福してくれている。
ほらー、もう約束自体ないよ~♪ と。

だから、吽形のはずなのに笑っているように見えるんだ。
あのオーブは、仁王の代わりにウインクしてんのかも。

(もう見え方変わっている ^^;
 削られたことにとらわれていたけど、その結果は?
 笑っているように見えるよね)



-------------------------------
「目かくし石」を抱きしめたこと。
妻に勧められて、じゃあ、とやったのですが、今になって、あぁそういうことだったのか、と―。

親の実態を見ても見ても、なお「あきらめないチャイルド」がいる。
それは結局、見てないということ。

「目かくし石」は、「あきらめないチャイルド」だったんだ・・・
私は、あの時、頑として動かないそのチャイルドを抱きしめたんだ・・・

もう、いいよ。
よくやったよ。
頑張ったね。

本当によく頑張ったね…


あ~…、「目かくし石」が愛おしく見えます。



私があの時、「あきらめないチャイルド」を抱きしめてしまったから、もうそのチャイルドの存在を認め、受け止めてしまったから、そのチャイルドも荷が下りたんだね~。

頑張っても無駄、余計なお世話ということが、本当によくわかる出来事があって、脱力した後だったしね。
あー、それまで私はそのチャイルドのことをわかっていながら、頑張らせ続けていたね。

私のエゴ(親への期待)が、そのチャイルドのことを本当には見ていなかった。あー、こんな所にいたんだね…。こんな陰の片隅で、黙って頑張り続けていたんだ…。

ゴメンね。
頑張らせ続けてゴメンね。


しっかり抱きしめたから、
私に受け止めてもらえるとわかったから、
やっと泣くことができたんだね。

もうわかっていたから、泣いて終わりにしたかったんだね。


ごめんね。






-------------------------------
あ~、それぞれに意味があったんだねー。

切手から石山寺の秘仏開扉を知ったこと。
即決して石山寺に行くことを決めたこと。
日帰りで石山寺だけに行ったこと。

あの放水路も、仁王も、そして石を抱きしめたことも…全てに意味があったんだ。その“行為”をすることが大事だったんだね。妻へも感謝です。



私の歩いてきた道のりも、
生まれる前からの誓いも、
あきらめないチャイルドも、
全てオーブたちが見守り、祝福してくれていると思うと、とても安心で幸せです。


「歩いてきた道のり」と書いたら、いろんなことを思い出しますが、ふとカウンセリングから帰るときの一人歩く静かな夜道を思い出しました。月が煌々と照らす明るい夜道で、お月様がずーっとついて見守ってくれているように感じた夜道でした。


昼は太陽。
夜は月。

それだけで素晴らしいんだな…。






--------------------------------------------------------
私は、「終わる」ことを選びました。
だから、「あきらめないチャイルド」も終わることができ、
だから泣いたんですね。


〇(ゼロ)の中に浮かぶ「一」(ひとつ)

〇(ゼロ)になってはじめの「一」(ひとつ)


終わって始まり

終わり良ければ 全て良し


「あなたが終わりを選ぶことを神様は祝福している」


ありがとうございます。









本当に、「脚本ちゃん」の健気さ一途さ頑固さには頭が下がります。
脚本とは、言ってしまえば「思い込み」であり、その思い込みのまま、思いっきり間違った方向に突っ走っているわけですが、その根っこにあるのは親への思いであり、「あきらめないチャイルド」。どの人もみんなそう。

一方で、生きられなかった「小さいちゃん」の無念にも思いをはせます。



もう二度とこんな人を創ってはならないという思い。
だから、自然が豊かで地域社会もあり、縄文人のような素朴な人々からさえも心を奪ってしまう「存在不安」と「連鎖の脚本」の追究に、私は向かったのでしょう。

そのような両親にしてしまった時代への怒り>戦争を生み出すメカニズム>その背後にあるハラスメント界>その背後にある嫉妬する神・・・と、追究は神話の世界にまで行ってしまいました。

気づいたのは、一神教の世界と「母親一神教」の世界はよく似ているなぁということ。脳内母親とつながりたいが故に自らを道具にしているから、企業にせよ宗教にせよ、組織が人を道具にするものに変わってしまいます。

結局、一人一人が自らがしがみついている親を手放し(=思考で親をカムフラージュし続けることをやめ)、ありのままの実態を目を背けずにしっかりと見て、演出感情やダミー感情ではなく本当の気持ちで生きるようにならなければ社会は変わっていかない―そう感じます。

言い方を変えれば、外在神なり脳内母親がどうのという問題ではなく、自分がいかに内在神や小さいちゃんとつながるかということ。
一人一人の思考と心の変容が大事なのです。

ただ探求の中で、一神教でも多神教でもなく、「二神教」にたどり着いたのは私の中での成果でした。全く同等の力を持つ女神と男神のペアが必要なのです。地球は、太陽と月によって育まれた惑星ですからね。




まぁ、探求は自分の趣味としてこれからも続くでしょう。
けれど、何だか一段落。

歴史は背負うものではなく、創っていくもの。
その言葉が響きます。

肩の荷が下りた感じ。



素晴らしきこの世界を楽しみたいと思います。









【ルイ・アームストロング 「What a Wonderful World」】









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素敵なメッセージ!

-中尾さんは、もっともっと自由になれる-

なんか、グッときました
シェアありがとうございます!

私は北海道苫小牧市に住んでいます
こちらのブログにも時折出てくる「瀬織津姫」、不信心なもので「きれいな響きのお名前だなぁ」くらいにしか思っていなかったのですが…最近、地元の樽前山神社の元のご祭神が瀬織津姫だったらしいと知りました

地元なのに全然知らなかった(^^;)

上とは別の錦岡樽前山神社という神社には、円空作の観音像があるのも最近知って…ほんと興味がないとこんなもんです(汗)

 

シェアをありがとうございます

中尾さん、

ご無沙汰しております。ものすごく久しぶりにブログを拝見しました。貴重なメッセージをシェアしてくださりありがとうございます。すごく心に響き自然と涙が出ました。一言お礼を申し上げたくてメッセージを書いてみました。

紆余曲折ありましたが、
おかげさまで今はやりたいことで忙しく充実し始めています。

この世に怒りや悲しみを見出すよりも喜びと幸せを、私も選択したいと思います^^

ロンドンより。

 

今の私に大切なメッセージを頂き、ありがとうございました。

中尾先生
初めてコメントをさせて頂きます。

昨日お風呂に入っている時、白い輝く光が急に全ての悲しみや怒りを消し去るというイメージが湧いて来ました。
お風呂から出た後、ずっとフォローしていた中尾先生のblogをいつものように開いたところ、この素晴らしい記事がアップされていて、本当に私にとって最高のメッセージでした。

私の夫や2人の息子も、本当に私がここまで学びきるまで待ってくれた事にも感謝です。
この葛藤の塊の私が、自分で腑に落ちるまでの長い年月、家族として本当に良く付き合ってくれたと思っています。

現在私は58歳ですが、自意識に目覚めてから全ての年月を、私の母親からの自立という自分で作った脳内脚本に従って生きて来ました。
結婚前は現実逃避の生き方をし、結婚したら夫を母親に見立てて、とことん反発をしてきた人生でした。

とことんやったお蔭で、脚本を全て現実化させていた自分の生き方に、やっと気づく事は出来ました。
しかし長い年月でこじらせてしまったチャイルドの感情が、手放す事を嫌がっていうように、現実は相変わらず苦しい日々が続いていました。

ですが去年の暮に突如、夫と一つになる事こそ大事という気づきが来ました。
それから少しずつですが、現実が違って感じられるようになっていました。

そしてこの中尾先生の記事で、沢山の勇気を頂きました。
私は「幸せになる」事を決断しました。
私は「まほろば」に住んでいます。

富士山の麓にて kaoruより

 
    
 
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