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白菊大神とは誰か3~百代草・百夜草、「百夜月」伝説

2017/02/09(Thu) Category : 神社・寺・城・歴史
【石山寺を歩く】

百代草、百夜草------------------------------------------

万葉集には菊を詠んだ歌がない、という有名な話がありますが、
万葉集で最もよく詠まれる花は萩(→野菊)とわかりました。
(つまり、詠まれていたわけです)

また、万葉集に出てくる菊の呼び方に百代草、百夜草(ももよぐさ)というのがあります。菊・ヨモギ・ツユクサなどを指すそうです。

百代とか千歳は、多くの年代や長い年月を意味する言葉ですが、「一」の国常立神に対して、そのペアである瀬織津姫は「百」や「千」で表しますね。(例「一日千秋」)
また、百代は「はくたい」とも読みますから、白体も連想させます。それは白い花の群生をイメージするだけでなく瀬織津姫(白い月神)にもつながりますね。

さらに、もう一つの百夜にもつながり、夜に月はつきものですが、そのものずばりの「百夜月」という伝説がありました。



「百夜月」伝説-----------------------------------------

十津川の昔話~百夜月

北山川の対岸にあった百夜月という村。
そこにあった光月山紅梅寺に美しい尼さんが住んでいた。

対岸に見える尼さんの姿に一目惚れした青年は、闇夜に川を渡る。
が、川の中程まで来るといきなり月が昇って辺りを照らした。

渡ろうとするたびに月が煌々と照らすこと九十九日。
ついに母に打ち明けると、

「あの方は仏の教えを広めている方だ。お月様は人が悪い事をしないように地上を照らしているのだよ。だから、お前が百夜通っても川を渡ることはできないのだよ」と諭したそう。
―ここから、尼さんの住む村を「百夜月」と呼ぶようになった。

尼さんは教えを広めるため、寺宝を村に分けた。
川下の村には花瓶を。その村は花井(けい)と呼ばれた。
対岸の村には重箱を。その村は九重と呼ばれた。
川上の村には竹筒を。その村は竹筒(たけとう)と呼ばれた。

その後、気品のある女性が訪れるもその寺で事切れたり、偉い老僧が掛け軸を置いて去ったり・・・そういうエピソードがあって、尼さんはやがてひっそりと亡くなっていきます。

尼さんを祀るお堂には、春のお彼岸には沢山の人々が集まったそうです。




百夜月------------------------------------------

この「百夜月」という地域が実際にあるのです。しかも、渡し船で川を渡らなければ行けない山中の陸の孤島。現在、そこには1軒の農家しかありません。なんとも神秘的な地です。それがこちら↓
百夜月

そのサイトに、栂嶺レイ(つがみね・れい)さんの探訪記がありました。
誰も知らない熊野―百夜月(前編)
誰も知らない熊野―百夜月(後編)

いやはや渾身の探訪記ですね。
それによると、南北朝時代にはその地一帯は桃井安友という南朝方の武将の領地だったそう。この地域では、「○○の土地」を言うのに「○○付き」という言い方をするので、「桃井付き」が「百夜月」に転訛したのではと洞察されています。

その館に後醍醐天皇の皇子大塔宮(護良親王)と妻滋子が訪れたそう。滋子は熊野きっての豪族竹原八郎の娘。大塔宮は身重の妻を桃井安友に託し、北朝打倒の戦に向かいますが、滋子は難産の末妻子共々亡くなってしまったのです。紅梅寺にある宝篋印塔は滋子を弔うものかもしれません。
そして、大塔宮も後を追うようにその年の内に亡くなります。折しも1333年、建武の新政の頃(鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇が親政開始)。

―これが一つの伝説。他にも幾つか伝説がありますが、護良親王は鎌倉幕府討幕のため十津川、吉野、高野山などを転々としていたそうですから、この辺りが南朝の拠点だったのでしょう。この時の出来事が伝説の元になっているのでしょうね。

あぁ、ここにも瀬織津姫の里があったんだなぁ、と思います。
実際、紅梅寺の本尊は金の地蔵(国常立神)ですが、小安地蔵と呼ばれて安産祈願でお参りが多かったそうです。


栂嶺レイさんが、東弘教さんから聞いた話―
『乙姫岩の下には乙姫さんがいて、琴を奏でているそうな。今でも静かな夕暮れには、水の中から綺麗な音楽が聞こえてくるそうな』
『その乙姫岩からちょうど、満月が昇ってくるのが見えての。岩の上に登って月の出を待つのが楽しみだった』

このように過ごしていた人がいたとは・・・。
涙が出そうになる光景です。


現在は無人で鹿の楽園になっているそう。
説話の集落「百夜月」に行ってきました。

けれど、地域は世に連れです。
賑やかだった地方都市も、このわずか30年ほどで寂れました。
これからは、その地に魅せられ、その地を守りたい人々が集まり、再び蘇るときが来るだろうなぁと思います。



光陰は矢と百代---------------------------------------------

おまけですが、「光・陰」=「日・月」で時間を表しますが、光陰を使った2つの言葉があります。
・光陰如箭=光陰矢のごとし
・光陰は百代の過客なり

前者は時間が早く過ぎ去ること、後者は永遠を表していますが、「矢」は国常立神、「百代」は瀬織津姫ですね。また、矢のことをわざわざ「箭」というのも意味深で、「如箭」はひっくりかえすと「せんじょ」→蟾蜍(せんじょ)=カエル=瀬織津姫を連想します。

ところで、「光陰如箭」という4字熟語は伏されて「光陰矢のごとし」が流布し、「光陰は百代の過客」という言葉はほとんど聞かず、芭蕉の「月日は百代の過客」に取って代わられています。
これらもまた、瀬織津姫封じの一環なのかもしれません。

とはいえ私たちは、過ぎ去りかつ永遠である時間の中を生きています。
二柱の輿の中を生きているのでしょう。




<続く>








【後藤ケイ 「百夜月」







*「百夜通い」の伝説はいろいろあるんですね~。
百夜通い
百夜通い




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