白菊大神とは誰か6~菊と「九九」と菊酒、天武大地震と「重陽の宴」
2017/02/14(Tue) Category : 神社・寺・城・歴史
【石山寺を歩く】
石山寺のスピンオフのこの項長いね~。まぁ、天皇を表す菊だからね~。これで最後です。
●菊と「九九」と菊酒-----------------------------------------
さて、菊(特に白菊)が瀬織津姫を表すことがわかりました。
その菊を、古名では「くく」と読んでいたようです。
「くく」と言えば「九九」―平城京跡から九九の木簡が出土したように、1300年以上前から九九は暗唱されていました。古代人も九九に精通していたということです。
九九=八十一
八(坤)と一(乾)の間に十。(先天八卦)
つまり、瀬織津姫と国常立神が合わさって十全(完全)。
あるいは、
八(兌)と一(乾)の間に十。(後天八卦)でも意味は同じ。
また、「十」が「|」「―」で垂直と水平、天地、天と海、国常立神と瀬織津姫を表すように、同じ「1」でも、「1」と「一」がありますね。実は、「1」は国常立神ナンバーですが、横「一」は瀬織津姫でもあります。
というのも「朔日」=「ついたち」=「月立」で、新たな月が始まる一日目を表すからです。いわゆる闇夜の日で月は隠れていますがそこにあります。そしてようやく3日目に新たな月が姿を現しますから、闇に隠れて始まる時を「新月」という地域もあれば、三日月を「新月」というところもあるようです。
そう見ると、八十一を「八一」と書けば、点となって見えない国常立神を隠した瀬織津姫のように見えます。「陰中陽の陰」―太極図の「陰」ですね。
また、九九=「百-一」→「白」(例:白寿)
白は瀬織津姫(白菊)。
ということで、菊を「くく」と読んでいた古代人は、菊も「九九」も瀬織津姫と見ていたのでしょう。
旧暦九月を菊月と言いますし、
「菊の花」のことを「九の花」という言い方もあるようです。
(菊→九九=八十一→八・一→八+一で九ですね)
九月九日は「菊の節句」で、
この日菊酒を飲めば万病を避け長寿を保てることになってます。
ちなみに、酒は「佐の気」=「瀬織津姫のエネルギー」ということでしょう。瀬織津姫植物はすべてスーパー薬草ですが、「酒は百薬の長」と言います。まさに瀬織津姫を表す薬物の長が「佐気」なのです。
しかも、瀬織津姫を表す「菊の佐気」ですからね~。万病を祓うと言われるのも当然ですね。
(にしても、「酒は百薬の長」の言葉に瀬織津姫が隠れていたとは!)
ところで、九は陽数で最大の数字ですから九九を「重陽」と言いますが、「陽」ということ(陰ではないこと)も瀬織津姫のカムフラージュになりますね。
瀬織津姫の「大祓詞」からの異名の中に「佐久」「佐久佐」「佐女」というのがあります。
佐久神社や佐久佐神社(→八重垣神社)、「佐久佐女の森」などがあるわけですが、「佐の花」で「九」も「佐久」を連想しますね。
●天武大地震と「重陽の宴」----------------------------------
ところで、この「重陽の宴」はいつから始まったのか?
「類聚国史」は、685年9月9日としています。天武天皇が崩御される1年前のこと。日本書紀は、それは単なる宴だと否定していますが、書紀の立場からはそうでしょうね(→つまり、天武と瀬織津姫の結びつきを知られたくないということ)。
実は、前年の684年10月14日に天武大地震(白鳳地震)が発生しています。
上記サイトに因れば、『山は崩れ、河は溢れた。諸国の郡の官舎や百姓の家屋・倉庫、寺社の破壊されたものは数知れず、人畜が多数死傷した。伊予の湯泉も埋もれて湯が出なくなった。土佐国では田畑五十余万頃(しろ)(約12平方km)がうずまって海となった。古老は、「このような地震は、かつて無かったことだ」といった。この夕、鼓の鳴るような音が、東方で聞こえた。「伊豆島(伊豆大島か)の西と北の二面がひとりでに三百丈あまり広がり、もう一つの島になった。鼓の音のように聞こえたのは、神がこの島をお造りになる響きだったのだ」という人があった。』
続く11月3日には大津波が報告されています。
『3日、土佐国司が、「高波が押し寄せ、海水が湧き返り、調税を運ぶ舟がたくさん流失しまいした」と報告した。』
さらに685年4月には、『この月、信濃国に灰が降り、草木がみな枯れた。』とあり、大地震、大津波、火山の爆発と天変地異が続いたことがわかります。
こんな最中、書紀が言うような“単なる宴”などするはずもありません。おそらく、荒ぶる自然(瀬織津姫)を鎮めるために、天武天皇は「重陽の宴」を開いたのでしょう。「重陽の宴」は国家存亡をかけた神事だったわけですね。
●白菊大神と猫--------------------------------------------
ところで、白菊大神といえば伏見稲荷神社にあったよね~。
そう、あの白黒のネコが居た社です。
「葛の葉伝説」で白狐が瀬織津姫とわかりましたが、説教節「信太妻」によると、「葛の葉」が庭を眺め見つめていたのは乱菊だったそうです。乱菊は狐が好きな花だそうで、それを見ている内に本性が現れて顔が狐になつてしまったとのこと。
ここにも瀬織津姫―狐―菊のつながりが表されており、伏見稲荷神社に白菊大神が祀られているのも当然だったわけですね。
乱菊(蘭菊)は段菊の別称で、蘭との関わりも見えてきますが、それはまたいずれ。
また、後天八卦を見ると、瀬織津姫を表す西の兌宮は、人体では歯や口を表し、動物では牙を持つ動物―猫などを表します。つまり、猫も瀬織津姫だったわけです。
ということは、あのオーブのついてた白黒(陰陽)の猫ちゃんも瀬織津姫の神使いだったのかもしれませんね~。

ところで、菊が瀬織津姫とわかったところで、でも菊といえば菊理姫が登場しないとね~、なんですが、それはいずれ白山について書きますので、またその時に。
さて、休日に書店に寄ったら、こんな本が(10日発行)↓

【にっぽんは猫の国】サライ 2017年 03 月号
「猫がつくった国 日本」という特集があったり、最近注目している歌川国芳の「東海道五十三匹」という一筆箋が付録についていたりしたので即購入でした(^^)。
・・・にしても、こんなに「九九のうた」のバリエーションがあったとは↓ (まだあるし^^;)
【九九のうた】
【九九のうた】
【九九はやおぼえ】
石山寺のスピンオフのこの項長いね~。まぁ、天皇を表す菊だからね~。これで最後です。
●菊と「九九」と菊酒-----------------------------------------
さて、菊(特に白菊)が瀬織津姫を表すことがわかりました。
その菊を、古名では「くく」と読んでいたようです。
「くく」と言えば「九九」―平城京跡から九九の木簡が出土したように、1300年以上前から九九は暗唱されていました。古代人も九九に精通していたということです。
九九=八十一
八(坤)と一(乾)の間に十。(先天八卦)
つまり、瀬織津姫と国常立神が合わさって十全(完全)。
あるいは、
八(兌)と一(乾)の間に十。(後天八卦)でも意味は同じ。
また、「十」が「|」「―」で垂直と水平、天地、天と海、国常立神と瀬織津姫を表すように、同じ「1」でも、「1」と「一」がありますね。実は、「1」は国常立神ナンバーですが、横「一」は瀬織津姫でもあります。
というのも「朔日」=「ついたち」=「月立」で、新たな月が始まる一日目を表すからです。いわゆる闇夜の日で月は隠れていますがそこにあります。そしてようやく3日目に新たな月が姿を現しますから、闇に隠れて始まる時を「新月」という地域もあれば、三日月を「新月」というところもあるようです。
そう見ると、八十一を「八一」と書けば、点となって見えない国常立神を隠した瀬織津姫のように見えます。「陰中陽の陰」―太極図の「陰」ですね。
また、九九=「百-一」→「白」(例:白寿)
白は瀬織津姫(白菊)。
ということで、菊を「くく」と読んでいた古代人は、菊も「九九」も瀬織津姫と見ていたのでしょう。
旧暦九月を菊月と言いますし、
「菊の花」のことを「九の花」という言い方もあるようです。
(菊→九九=八十一→八・一→八+一で九ですね)
九月九日は「菊の節句」で、
この日菊酒を飲めば万病を避け長寿を保てることになってます。
ちなみに、酒は「佐の気」=「瀬織津姫のエネルギー」ということでしょう。瀬織津姫植物はすべてスーパー薬草ですが、「酒は百薬の長」と言います。まさに瀬織津姫を表す薬物の長が「佐気」なのです。
しかも、瀬織津姫を表す「菊の佐気」ですからね~。万病を祓うと言われるのも当然ですね。
(にしても、「酒は百薬の長」の言葉に瀬織津姫が隠れていたとは!)
ところで、九は陽数で最大の数字ですから九九を「重陽」と言いますが、「陽」ということ(陰ではないこと)も瀬織津姫のカムフラージュになりますね。
瀬織津姫の「大祓詞」からの異名の中に「佐久」「佐久佐」「佐女」というのがあります。
佐久神社や佐久佐神社(→八重垣神社)、「佐久佐女の森」などがあるわけですが、「佐の花」で「九」も「佐久」を連想しますね。
●天武大地震と「重陽の宴」----------------------------------
ところで、この「重陽の宴」はいつから始まったのか?
「類聚国史」は、685年9月9日としています。天武天皇が崩御される1年前のこと。日本書紀は、それは単なる宴だと否定していますが、書紀の立場からはそうでしょうね(→つまり、天武と瀬織津姫の結びつきを知られたくないということ)。
実は、前年の684年10月14日に天武大地震(白鳳地震)が発生しています。
上記サイトに因れば、『山は崩れ、河は溢れた。諸国の郡の官舎や百姓の家屋・倉庫、寺社の破壊されたものは数知れず、人畜が多数死傷した。伊予の湯泉も埋もれて湯が出なくなった。土佐国では田畑五十余万頃(しろ)(約12平方km)がうずまって海となった。古老は、「このような地震は、かつて無かったことだ」といった。この夕、鼓の鳴るような音が、東方で聞こえた。「伊豆島(伊豆大島か)の西と北の二面がひとりでに三百丈あまり広がり、もう一つの島になった。鼓の音のように聞こえたのは、神がこの島をお造りになる響きだったのだ」という人があった。』
続く11月3日には大津波が報告されています。
『3日、土佐国司が、「高波が押し寄せ、海水が湧き返り、調税を運ぶ舟がたくさん流失しまいした」と報告した。』
さらに685年4月には、『この月、信濃国に灰が降り、草木がみな枯れた。』とあり、大地震、大津波、火山の爆発と天変地異が続いたことがわかります。
こんな最中、書紀が言うような“単なる宴”などするはずもありません。おそらく、荒ぶる自然(瀬織津姫)を鎮めるために、天武天皇は「重陽の宴」を開いたのでしょう。「重陽の宴」は国家存亡をかけた神事だったわけですね。
●白菊大神と猫--------------------------------------------
ところで、白菊大神といえば伏見稲荷神社にあったよね~。
そう、あの白黒のネコが居た社です。
「葛の葉伝説」で白狐が瀬織津姫とわかりましたが、説教節「信太妻」によると、「葛の葉」が庭を眺め見つめていたのは乱菊だったそうです。乱菊は狐が好きな花だそうで、それを見ている内に本性が現れて顔が狐になつてしまったとのこと。
ここにも瀬織津姫―狐―菊のつながりが表されており、伏見稲荷神社に白菊大神が祀られているのも当然だったわけですね。
乱菊(蘭菊)は段菊の別称で、蘭との関わりも見えてきますが、それはまたいずれ。
また、後天八卦を見ると、瀬織津姫を表す西の兌宮は、人体では歯や口を表し、動物では牙を持つ動物―猫などを表します。つまり、猫も瀬織津姫だったわけです。
ということは、あのオーブのついてた白黒(陰陽)の猫ちゃんも瀬織津姫の神使いだったのかもしれませんね~。

ところで、菊が瀬織津姫とわかったところで、でも菊といえば菊理姫が登場しないとね~、なんですが、それはいずれ白山について書きますので、またその時に。
さて、休日に書店に寄ったら、こんな本が(10日発行)↓

【にっぽんは猫の国】サライ 2017年 03 月号
「猫がつくった国 日本」という特集があったり、最近注目している歌川国芳の「東海道五十三匹」という一筆箋が付録についていたりしたので即購入でした(^^)。
・・・にしても、こんなに「九九のうた」のバリエーションがあったとは↓ (まだあるし^^;)
【九九のうた】
【九九のうた】
【九九はやおぼえ】