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石山寺を歩く9― 本堂と如意輪観世音菩薩(救世観音)~日本唯一の「勅封秘仏」となったわけ

2017/02/24(Fri) Category : 神社・寺・城・歴史
【石山寺を歩く】

さて、いよいよ本堂です。

本堂--------------------------------------------------

本堂にかかる紅葉がとても美しかった。
石山寺42 本堂

拡大してみてみてください。とても幽玄な感じです。
石山寺43 本堂 美しきかな紅葉

石山寺44 本堂 美しきかな紅葉


本堂から見た境内の光景
石山寺46 本堂から振り返る

本堂から降りていく階段も提灯に彩られて綺麗でした。
石山寺47 本堂から見下ろす1

まさに紅白+緑の道で、瀬織津姫ロードですね~。

石山寺48 本堂から見下ろす2




石山寺造営は東大寺に並ぶ国家事業------------------------------

由来を見ますと、石山寺本堂は761~2年にかけて造東大寺司によって作られたことがわかります。東大寺建設は、聖武天皇発願の国家事業でしたから、それに次ぐ事業だったようですね。

石山寺45 本堂 国宝由緒

当時の造東大寺司は、国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ/?~774)でした。
公麻呂は、663年百済滅亡に際して日本に亡命した百済人高官・国骨富(くにのこつふ)の孫で、仏師としての優れた技量を持っていたため抜擢され、東大寺大仏及び大仏殿建立の立役者は公麻呂でした。政争の圏外にあった技術者であったため二十余年もの間、手腕を発揮し続けたそうです。

百済が滅亡したのが660年。天智天皇はその百済系勢力をバックに天皇になり、それを覆したのが天武天皇。けれど持統(645-703)&不比等(659-720)の計略によって再び天孫降臨(天智の孫降臨)となり、それを正当化するために日本の過去をアマテラスを頂点とする神話に書き換えるという大技をやってのけ、「日本書紀」をバイブルとして国常立神&瀬織津姫の二柱は駆逐されました。

それに敢然と反旗を翻したのが聖武天皇(701-756)。神道の最高位に位置する天皇自らが仏教に帰依する姿勢を見せることで仏教を神道の上に置き、その仏教の中心に大日如来(=アマテル/国常立神)を置くことで仏教+神道(国常立神+瀬織津姫)の二柱復活を目指しました。

このような聖武と藤原一族の暗闘の中、反藤原の大拠点である東大寺の建設に百済系の人々が関わっているわけですから、面白いなぁと思います。




勅封秘仏・如意輪観世音菩薩----------------------------------------

さぁ、いよいよ中へ。
いつもは閉じられている扉の後ろへと回り込んでいきます。そして、

「33年に一度 如意輪観世音菩薩御開扉(かいひ)」の仏像が目の前に―

これがそのお姿↓(記念切手パンフより)

如意輪観世音菩薩


見上げる圧倒的なその量感

どの天皇が、何のために封じたのか。

時が止まっているかのような空間

人がいるのに静謐なその空間に、しばし佇んでおりました・・・




如意輪観音は救世観音(聖徳太子)-----------------------------

如意輪観音は六観音の1柱。
地獄道に聖観音(しょう)
餓鬼道に千手観音
畜生道に馬頭観音
修羅道に十一面観音
人間道に准胝観音(じゅんでい)
天道に如意輪観音

これに不空羂索観音(ふくうけんじゃく)を加えて七観音。


如意輪観音は、「救世菩薩」とも呼ばれるそうです。
救世観音というと、聖徳太子等身像と言われている法隆寺の観音像を思い出しますね。
【古代日本の転換点15-光明皇后が恐れ憎んだ聖徳太子の正体】

あの救世観音菩薩と同じような迫力を感じます。

そういえば、「石山寺縁起」によれば石山寺を開基したのも百済氏出身の良弁。その良弁が巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の金銅如意輪観音像を安置し草庵を建てて、聖武天皇のために黄金が出るよう祈りました(747)。その後、その如意輪観音が岩山から離れなくなったため、観音を覆うようにお堂を建てたのが創基となっています。

いわば、藤原一族が恐れる聖徳太子が選んだ地ということになるでしょうか。藤原一族にとっては目の上のたんこぶのような存在だったわけです。

そして、その後念持仏ではない如意輪観音像が造立されたのでしょうが、その初代の観音像は1078年の火災により失われました。寺社の火災というのは放火のケースも多々あります。反藤原の拠点であった石山寺も放火にあったのかもしれません。

朗澄律師(1131-1209)が中興の祖と言われるくらい、その前の時代は厳しいときがあったのかもしれません。そして、朗澄律師は石山寺を守るべく鬼となるわけですが、火災の後に造立された如意輪観音も、火災にも動じない揺るがぬ意志を示したのかもしれません。

なるほどなぁ、と思いました。
あの救世観音像(聖徳太子等身像)も、明治に至るまで1000年も封印されていたわけです。この如意輪観音が「勅封秘仏」となったのも、聖徳太子を想起するからではないでしょうか。そして、33観音にちなんで、「33年に1度」ということになったのかもしれません。




胎内仏----------------------------------------

初代観音は焼けましたが、その胎内にあった4軀の小さな仏像は守られ、それを見ることができます。その中には聖武天皇が持っていた念持仏もあるようで興味を引かれました。いずれも穏やかな顔立ちの仏様で、特にニコニコ顔の観音様には癒やされました。

如意輪観音胎内仏
(記念切手パンフより)






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