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「匂いおこせよ梅の花」「春を忘るな」に込められた菅原道真のメッセージ

2017/03/17(Fri) Category : 神社・寺・城・歴史
【石山寺を歩く】 番外:菅原道真

梅も菅原道真も、瀬織津姫と深い関わりがあったことがわかったと思います。その上で、下記の歌を見てみましょう。

「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」(初出1005)

「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」(初出1180)

道真が大宰府に左遷されるとき、庭に咲く梅の木に別れを告げて歌ったうたで、大意は、「春の東風が吹いたらまた美しい花を咲かせておくれ梅の花よ。私がいなくても、春に花咲くのを忘れてくれるな」―ということです。


「東風」と「鮎」と「鯰」-------------------------------------

「東風」―「こち」「あゆ」

「鮎」―中国では、この字で「なまず」を指します。
「なま」は「滑らか」。
「ず」は「泥」や「土」(→どじょう)
この土中に潜む「滑らかな泥魚」が、釣り上げるとピチピチ暴れることから地震と関連付けられ、地震を占う魚ということから「鮎」がナマズになったそうです。

けれど、古来日本において占うと言えば瀬織津姫(鹿卜、亀卜)ですから、この「鮎」の字を瀬織津姫を表す魚に使いたかったのでしょう。

そこに清流に住むピッタリの魚アユがいました。
背中は緑がかかった黒色、腹の部分は銀がかかった白、ひれは茶がかかった黄または金―まさに瀬織津姫。

そこで、アユに「鮎」を当てて、ナマズは国字を作りました。
それが「鯰」。
「念」=「今+心」ですが、「今」は「あるものを上からすっぽり覆い含む」ことを表す象形で、「心」は心臓の象形ですが思いを表し、「隠されている思い」や「いつも気にしている」ことを表します。
「心柱」もそうですが、「心」は国常立神を表すのかも。

というわけで、次のように言えるでしょうか。
「鮎」は瀬織津姫。
「鯰」は国常立神。

また、東は卯の方角で東天王といえば瀬織津姫ですから、東風は「あゆ」という読みからも瀬織津姫の風ということがわかります。




「春」------------------------------------------------------

旧暦で春といえば1月~3月。なので、正月のことを「新春」「賀春」と言います。正月に来る神は年神様。年神様は最初は国常立神を表していましたが、後年瀬織津姫を表すように変化していきました(歳徳神)

1月にフォーカスすれば、「1」はアマテル(国常立神)ですが、その神も上記のように変化しました。続く「2」「3」は瀬織津姫。春の中心を2月と見れば春は瀬織津姫です。
同じような見方に「中秋」がありますね。旧暦で秋は7月~9月なので8月の十五夜が「中秋」の名月となります。

四季の第一が春であり、その季節に他に先駆けて咲く第一の花が梅(花の兄)であることを考えると春と梅が結びつきます。

「春」=「艸+屯+日」で、「艸」は草、「屯」は「幼児が髪を束ねた」象形から、「多くのものを束ねる、群がる」の意味となり、草が日を受けて群がり生じる季節を表す「はる」を意味するようになったそうです。

先天八卦で「2」(兌)は瀬織津姫を表しますが、人で言えば「少女」―ここから、稚児や幼児も瀬織津姫を表します。(稚児桜
少女の髪の上に「艸」(くさかんむり)が乗っている象形として見ると、「日」を守る草冠をつけた少女―ますます瀬織津姫ですね。

そして、唐代にはお酒のことを「春」と言ったようです。

「春」という字は間違いなく瀬織津姫を表していると言っていいでしょう。

(まぁ、テラとガイアでみれば、コア(テラ)が国常立神で、その枠組みの上であらゆる生命現象を司るのがガイア(瀬織津姫)ですから、春夏秋冬瀬織津姫なわけですが。)



 
「春宮」---------------------------------------------------

藤原時平と菅原道真は宇多天皇に重用されましたが、天皇は皇太子・敦仁親王(後の醍醐天皇)のサポート役として、893年に時平を春宮大夫(とうぐうのだいぶ/長官)、道真を春宮亮(とうぐうのすけ/次官)にしました。敦仁親王への影響力は時平の方が大きかったわけです。

「東宮」とは皇太子のことですが、「春宮」を「とうぐう」と呼んだのは、後天八卦で東は春だからでしょう。また、2つの呼び方があるのは、東宮が皇太子の教育、春宮が皇太子の家政一般を見るという区分もあったからのようです。

宇多天皇と道真の信頼は厚かったのですが、父子の関係はうまくいかぬもので、醍醐天皇は政治に口出しをしてくる宇多上皇の懐刀である道真を遠ざけたい思いもあったでしょう。時平が道真を陥れた際に、醍醐天皇はむしとチャンスとばかりに道真を太宰府に飛ばしたわけです。




残り香に込められた道真の無念-----------------------------

以上のことを元に再びかの句を見てみましょう。

「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」

この歌には4つのメッセージが込められてるように思います。

まず1つめ―

梅・桜を愛した道真は、梅・桜が咲く春を愛し、「春宮」という呼ばれ方が気に入ったのではないでしょうか。自分自身が「春宮」(とうぐう)と呼ばれ、その自分が住む宮はまさに梅・桜が咲く「春宮」(はるのみや)。

(もし左遷されたのが1月25日ではなく、桜の時期であれば、桜について詠んだのかもしれません)

さて、「梅の花」に対して「春を忘るな」と呼びかけていますが、呼びかけずとも、梅は「主なき春」に「春宮」(はるのみや)で咲き香ることになります。「主なき春宮」に香る梅の香が、自分の残り香なのです。

そこに居たいのに居られない無念。
前の宇多天皇の期待に応えられず、政治体制を刷新できなかった無念。

藤原一族が倒してきた古豪ではなく、おそらく注目されていなかった中級貴族であったが故に「思わぬ伏兵」として登場した道真。けれどその自分もついに藤原一族に足下をすくわれてしまった―その無念・・・

「主なき春宮」に香る梅の香は香しいけれど、そこに漂うのは無念の思いです。だから、強い響きが宿るのです。

超意訳すれば、次のようになるでしょうか。
「春になって東風に梅の香が香ったならば、私の無念を思い起こせ」


梅林公園12




同じ謀略に遭った橘逸勢の無念-----------------------------

菅原道真(845-903)が生まれる3年前、842年に起きた承和の変(じょうわのへん)については、いずれ道真も知るところとなったでしょう。

藤原氏の謀略によって春宮坊が兵によって包囲され、恒貞親王(825-884)は皇太子を廃され、伴健岑(とものこわみね)は隠岐に、橘逸勢(たちばなのはやなり)は姓を「非人」と改めた上で伊豆へ流刑された事件です。

恒貞親王は礼儀を心得、優雅で美しかったそうで、嵯峨上皇の意向により立太子されていました。が、嵯峨上皇が没した2日後に伴健岑と橘逸勢は捕縛されていますから、藤原側は着々と準備を進めていたのでしょう。

「主なき春宮」とは、次期天皇になるはずだった、そしてもしなっていれば自分も仕えることになるはずだった恒貞親王のことも思いにあったことでしょう。

同時に、恒貞親王に仕えていた伴健岑と橘逸勢2名のこと―特に「非人」という姓にまでされてしまった逸勢の身の上に対する無念の思いは深いものがあったでしょう。

この3名の思いを託せば、次のようになるでしょう。
「春になって東風に梅の香が香ったならば、恒貞親王、伴健岑、橘逸勢、そして私の無念を思い起こせ」


光透白梅6




「春を忘るな」に託された希望へのメッセージ-------------------

そして、伝えたいのは無念の思いだけではありません。
春は「苦しく辛い時期の後に来る楽しい時期」のことも指します。言い換えれば「春=希望」であり「春=新時代」です。
そして、主がいなくても「春は必ず来る」のです。その「必ず来る春」を前提に道真は詠んでいます。

今は苦しい藤原支配の冬の時代ですが、「春を忘るな」=「希望を捨てるな」「新時代が必ず来ることを忘れるな」と。

実際、嵯峨天皇・空海・橘逸勢の「三筆」の時代があったわけですし、その後、宇多天皇と自分の時代があったわけです。隙あらば転覆を企てる藤原というイタい一族が居ますが、理想は現実化できることを身をもって示しました。意訳すれば、

「東風が吹いたら、私の愛する梅の花よ、その香りで私の思いを皆に伝え、気持ちを奮い起こしてほしい。私は居なくなるが、決して希望を捨てるな(春を忘るな)、と」

自分はここまでという無念と、新時代が来ることを断言することによる決意と、希望を捨てるな努力せよという熱いメッセージ。
この歌は、「残された者へのメッセージ」であり、道真からのエールだと思いました。


光透白梅4




「梅の花」=「自然」の力への期待--------------------------------

4つめ―
「主なし」とは「アマテル(国常立神)のいない日本」。
そして、「梅の花」は、梅の女神―瀬織津姫。

縄文の神や縄文古来の勢力が次々に封じられていく歴史を知る道真。
その封じられる一人に自分もまたなってしまったわけです。

国常立神は封じられましたが、瀬織津姫は祓戸詞に残りました。
自分が封じられた無念を国常立神の境遇に掛け、その思いを残された神(春)に託したのではないでしょうか。

託すのは、瀬織津姫と名付けられた「自然」そのもの。
その自然の代表として、百花に先駆けて咲く梅を持ってきたのでしょう。

風雪の中に凜として咲く「花の兄」
「四君子」の筆頭であり、
「百花魁」といわれる梅を自然の代表としたのでしょう。

梅を先駆けとして、花咲き誇る日本列島。
その花々が、いつか日本人の心を変えてくれることを願って―

その願いを意訳すれば、
「今はアマテル(国常立神)のいない日本だが、花(瀬織津姫)よ、この先も変わらず咲き誇り、人々の心に勇気を与えてほしい」


紅梅乱舞1




「春を忘るな」を「春な忘れそ」に変えた理由---------------------

道真の歌からは、無念、断固たる決意、失わぬ希望、強い願い―そういう強い思いが伝わってきます。

反藤原の旗手が、またも謀略にあって左遷されてしまった時、期待を寄せていた人々の落胆も大きなものがあったことでしょう。ここで一挙に押し切られてはならじと道真は思ったのではないでしょうか。

道真が単なる嘆きの歌ではなく、格調高く揺るがぬ意志を示したことで、どれほどの人が救われたことでしょう。

この歌は、道真が灯した希望の灯台なのです。


光透白梅3



そして、後年、この歌の力強さを懸念した人物がいたのでしょう。「春を忘るな」を「春な忘れそ」に変えることで、その強さを剥ぎ取り、叙情歌に変えてしまいました。

このように、権力側(藤原側)は歌に手を加えることを時々しています。とはいえ、実際にしているのは個人個人なわけです。手を加えるまでに180年近くもたっているわけで、日本の歴史の積み重なりを見る思いがしますが、その歴史を、覆い隠す方に積み重ねていくのか、それとも真実を解き明かす方向に積み重ねていくのか、どちらを選ぶかは個々人なのです。

そして、どちらの立場を選択するのか―それは、内なる不安や寂しさを受け止める決意をするか否かに関わってくるのでしょう。


源実朝がきちんとその意を継ぎ、『軒端の梅よ春をわするな』と継承したように、思いのバトンをつないでいきたいものです。




光透白梅5







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