泉自然公園5ー美事な椿と奇跡の陽光桜
桜(佐座)とくれば椿。
美事な椿も咲いていました。


花弁に個性があって面白い。

そして・・上記写真にもチラチラ出ていましたが、この写真にはたくさん写っていますね~(^^)↓

●奇跡のさくら「陽光桜」----------------------------------
ヨウコウザクラ(陽光桜)というのがありました。
上記によれば、愛媛県の高岡正明さんによって、里桜の天城吉野(アマギヨシノ)と寒緋桜(カンヒザクラ)との交配によって25年をかけて作出されたそうです。四半世紀とは、すごい執念。
里桜とは、人々がサクラを庭に植え始めた平安時代から観賞用に改良されてきた桜の総称(人工的なもの、野生の突然変異も含む)。
天城吉野とは、大島桜と江戸彼岸桜の交配で生まれた品種。
寒緋桜とは、中国南部から台湾にかけて分布する桜で台湾桜とも言います(他に、緋寒桜、緋桜)。沖縄で「桜」と言えばこの桜だそう。
早咲きで有名な「河津桜」は、寒緋桜と大島桜の自然雑種だそうです。
ちなみに寒緋桜の学名は campanulata(カンパニュラの様な)。釣り鐘状の花が下向きに咲くところからついたそうで、中国語でも「鐘花櫻花」と呼ばれるそうです。「カンパネラ」に続いて、ここでも「鐘」が出てきましたね~。鐘が鳴らされているんでしょうかねー。
元教師だった高岡さんが、教え子たちが戦場に散ったことを悼む鎮魂の旅に出た沖縄で寒緋桜と出会い、陽光桜が生まれることにつながったとのこと。高岡さんは、5万本もの苗を世界に送り続けたそうです。これはそのうちの1本なのでしょう。

なんと、高岡正明さんを描いた映画がありました(↓)。
【映画『陽光桜-YOKO THE CHERRY BLOSSOM-』】
映画を撮った高橋玄監督のインタビューもありました。
【高橋玄監督インタビュー】
上記を見ると、高岡正明さんは戦争中に非戦を唱えた信念の人。
アウトローとなっても信念を貫くのは並大抵のことではありません。
桜の交配においても、「植物遺伝学上不可能」「馬鹿」と言われる中でのトライでした。信念の人ですねー。
「日本と台湾の桜が夫婦になる」と言って取り組み続けたようです。
監督もまた、地味で商業性ゼロでも挑まれたことがすごい。
一挙にこの映画を見たくなりました。
主題歌もいいね~。
【THE BLUE HEARTS 「終わらない歌」】
●「もう二度と戦うまいと誓いたる 思いをこめた陽光桜」-------
この言葉、今の私にしみますね~。
私は、親の無意識と闘っていました。
父は母親(何もせずにそこにいる人)を求め、母の役割も「母親の母親」―その脚本のゴールは植物人間(“母親を見る目”だけの存在)ですから2人はベストカップル。ほっとけば、アッという間に転げ落ちてしまいます。
見えない攻防の3年でしたが(まだ続いていますが)、言えることは、『馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない』ということ。
馬以上にややこしいのは、表層意識では「飲みたい」と思っていて、無意識では「飲みたくない」と思っているので、本人さえも意識と行動が相反するのをどうにもできないことです。
選択し終わっている人に対して、なすすべはありません。
たとえば、「しない」選択をしている人は、「見るだけで我慢するという“行動”」や「できないと苦悩する“感情”」さえもが「していない」ことの証明となりますし、それに対してこちらが何かを「言う」ことが、相手にとっては「していない」ことの逆証明となります。なので、表層意識は苦しんでいても、無意識は「何もせずにそこにいる」という脚本の“証明”と「自己確認」ができて嬉しいだけ。
こちらが「言う」ことが“鏡”となって、相手の自己修正のためのフィードバックとなり得るのは、お互いが同じゴールを目指しているときだけなのです。
今はただこちらがまっすぐに立ち、相手の仕掛けには乗らず、けれどその世界で笑顔になれるよう維持をすること。
そのためには、手放しと決意が必要です。
そして、帰ってきてネットで調べて出逢ったのがこの歌―
「もう二度と戦うまいと誓いたる 思いをこめた陽光桜」
この自然公園で唯一撮った親子の写真がこの桜の碑の前。
皆ヨウコウザクラがなんなのか知らないままに妻が撮ってくれるというので撮ったのですが、これにはそういう意味があったのか・・・・
●集合無意識を形成する一人一人が大事--------------------------------
一人一人の無意識の集合が社会のあり方や流れを作っています。
両親のような存在不安の人々は、不安を払拭するために、まるで呼吸するかのように自動的に仕掛けています。
また、強い滝に打たれて自分の存在を確認するように、自分の存在に飢えれば飢えるほど、自分の存在確認のために継続する強い感情をほしくなります。そこまでひもじくなると、嫉妬・妬み・恨み・憎しみ・殺意などが大好物になり、それらを自分に向けさせるために仕掛けていきます。
結局、そういうことが戦争につながっていくわけでしょう。そして、戦争によって再び大量の存在不安者が生み出され、不安は世代間連鎖し、再び戦争を生み出していく・・・・かくして人類は、飛び立つことができない無限ループの中に閉じ込められることになり、「終わらない歌」を歌うことになります。
そう考えると、戦争をなくすためには、親を含めて既に選択を終えている人を変えようとする無駄な闘いを一人一人がやめていくこと。そこからしかありません。
闘いを挑むのは、そこに可能性があると思っているから。
けれど「小さいちゃん」は可能性などゼロであることを既に知っている。
だからこそ、「小さいちゃん」とつながるわけにはいかなかった。
つながることはがっかりと絶望を実感することですから。
つまり「絶望」とは、気づいた時点で望みが絶たれるわけではなく、望みが最初から絶たれていたことに気づくことなのですが、それがイタい。ならばこれまで自分は一体何をしてきたのか、これまでの人生を返せと言いたくなります。が、それをぶつける相手が自分なのでイタいのです。
けれど、すべて自分が選択してきたことがわかるからこそ、自分の手でこの人生を変えることができるとわかるわけです。そして、涙とともに喜びが訪れます。
そこに向かうためにも、この歌をかみしめましょう。
「もう二度と戦うまいと誓いたる 思いをこめた陽光桜」
・陽光桜
・奇跡のさくら「陽光桜」
・平和のソング&イラスト…陽光桜テーマに女性作家がコラボ 茜沢ユメルさん、永井みさえさん
【茜沢ユメル 「Stay~さくらの花のように」】
やっぱり、ヨウコウザクラに出逢うためにここに行ったのかもしれません。