蝶と蛾と瀬織津姫
2017/08/01(Tue) Category : 自然が教えてくれた
【蝶と蛾と瀬織津姫】3
人類にとって極めて特殊な昆虫、カイコガについてみましたが、一般的に蝶や蛾についてはどうだったのでしょうか。
●蝶と蛾---------------------------------------------------------
wikiによると『チョウとガに明確な区別はない』と書きましたが、蛾というとあの耳のような葉っぱのような触覚と、毛むくじゃらの動物のような昆虫らしからぬ太い体を思い出しますね(ただあの触角は一般的ではないようです)。
日本にいるチョウ目は240種で、蛾は5500種だそうです。進化論的には、夜行性の蛾が先に現れ、その後昼に活動するものが出現して、子孫を残すためにあでやかになっていったそう。というわけで、一般的には
蝶の方が綺麗で昼行性、蛾は夜行性。(綺麗な蛾も昼行性の蛾もいます)
蝶の幼虫はアオムシ、蛾の幼虫は毛虫。
蝶は蛹で蛾は繭という違いがあります。
●蛾と蝶の古名「ヒヒル」と「タカヒヒル」--------------------------
「ヒ」は霊。
「ヒル」はヒの動詞化。ヒラヒラする様子のこと。ヒラヒラから霊力を感じた。
体をヒラヒラ波打たせて這う様から、ヒル(蛭)。
葉がヒラヒラ揺れ動く様から、ノビル(蒜)。
足をヒラヒラさせる姿から、足ヒル→アヒル。
霊がヒラヒラと飛ぶ姿から、霊ヒル→ヒヒル。
で、「ヒヒル」とは蛾の古名でした。
夜、ヒラヒラと舞う様が魂の飛翔に思えたのでしょう。
また、「霊の虫」ですから、「ヒムシ」とも呼ばれました。
蝶は、「空高く飛ぶヒヒル」という意味で「タカヒヒル」と呼ばれていたとのこと。
「霊ヒル」(蛾)と「髙霊ヒル」(蝶)
沖縄や奄美、与論では、ハベル、ハベラ、パピルと呼ぶそうで、ヒヒルからの転訛が覗えます。パピル→パピヨンもありそうだよね~。
【参考:ヒ ヒル ヒヒル 蝶】
沖縄方面の方言でわかるように、ヒヒルも蝶を表しています。
それに、蛾より蝶が高く飛ぶ? そんなことはありません。古代、そういう区別はしていませんでした。
蝶類を霊魂と見なすのは世界共通で、古代エジプトでは蝶のサナギは幽界の王オシリスの象徴とされており、古代ギリシアでは蝶は「プシュケ」(霊魂)とよばれ、キリスト教では復活の象徴となっていますが、復活したのはイエスです。
もしかすると、一般の霊(死者の魂)を「ヒ」で表し、神霊を「タカヒ」と呼んでいたのでしょうか。古代日本では、神(火水)と言えば瀬織津姫です。また、「髙」というと、「高山の末 短山(ひきやま)の末」(大祓詞)の瀬織津姫を思い出しますし、高嶺や深山は瀬織津姫の象形です。「高霊」とは瀬織津姫のことではないでしょうか。
そのことを示すもう一つの古名があります。
●蝶の別名「カワヒラコ」----------------------------------
蝶の古名に「カワヒラコ」があります。
蘿(ひかげのかずら)の胞子を「石松子」と呼んでいたのを思い出しました。
「石(瀬織津姫)と松(アマテル)の子」ですね。
カワヒラコは「川平子」なのでしょう。
「平」は、水の水面に浮く水草の象形だそうです。
また、水草がヒラヒラと揺れる様にも霊力を感じたのでしょう。
垂直の国常立神に対して水平の瀬織津姫。
その平の文字の元が水草だったとは! 驚きでした。
「川」も「平」も瀬織津姫を表しますが、「平」は蝶の平たい形状、及びヒラヒラと霊力を感じさせる飛び方の両方を表しているのでしょう。「ヒル」が「霊」の動詞化ならば、「ヒラ」は「ヒラヒラと飛ぶ霊」を表す名詞かもしれません。
「ヒヒル」が「霊ヒル」で、「霊がヒラヒラと飛ぶ」でしたから、
「川平」とは「瀬織津姫のヒラ(飛ぶ霊魂)」。
「子」はその分子ですから、「ヒラコ」=「分け御霊」
つまり、
「川平子」とは「ヒラヒラと舞う瀬織津姫の分け御霊」ということで、蝶は瀬織津姫の分霊と見なされていたわけです。
●大生部多の「常世虫」-----------------------------------
さて、「カワヒラコ」という呼び名はあまりにも直截に瀬織津姫を表しますので、おそらく持統期に抹殺されたでしょう。「ヒラ」「ヒル」に関わる呼び方も変えなければなりません。大切な言葉であったからこそ、徹底的に撲滅されたのではないでしょうか。
その移行期に伴う事例と思われるものが、wikiにありました。
皇極三年(644)、東国の大生部多(おおうべのおお)は、タチバナの木につく虫(アゲハチョウ、シンジュサンの幼虫)を「常世神」として祭れば、富と長寿が叶うと吹聴し、その信仰が瞬く間に地方にまで波及して破産するものまで現れて社会問題となり、秦河勝によって大生部多は討伐されたそうです。
日本書紀に記された「常世虫」の姿は、蚕に似た「緑で黒点」のある虫。緑(瀬織津姫)に黒点(国常立神)ですから、まさに二柱を象徴する虫です。「大生部」は「皇子の養育係」ですから、それなりの地位にあった人物。しかも多氏です。そういう人物が言ったからこそ信頼され広まったこともあるでしょうし、それを受ける民衆の間にも二柱に対する信仰があったからこそ広まったのでしょう。
ではなぜそういうことを広めたのか?この翌年が大化の改新であることを考えると、政変を察知した多氏が仕掛けたのかもしれないと想像が膨らみます。
祭政一致における政変は宗教刷新(宗教改革)を伴いますから、瀬織津姫抹殺の動きも感じていたのかもしれません。そこで、逆に瀬織津姫のシンボルとなる虫を広めようとしたのかもしれません。
●「伏せ蝶」と「揚羽蝶」-----------------------------------
そういう攻防の中で導入された訓読みのない漢字(国字?)が「蝶」なのでしょう。
「蝶」=虫+枼。枼は木の葉の象形ですから、文字通り葉のような平たい形をした虫。ということだと思いますが、「葉」は瀬織津姫を暗示しますから、どっこい生きていますね。
さて、新たに導入された「蝶」という漢字を使って、全てのチョウ目(蝶&蛾)を表さなければなりません。そこで、とまっているときに羽を水平に伏せている蝶を「伏せ蝶」、羽を立てている蝶を「揚羽蝶」と二分したのでしょう。(つまり、「揚羽蝶」とは現在のアゲハをさすのではなく、とまっているときの状態による区分でした。ここがわかると「蝶紋」が見えてきます)
【「伏せ蝶」状態のナガサキアゲハ】

【「揚羽蝶」状態のナガサキアゲハ】

蝶も脱皮した後や濡れた後など、羽を乾かすために伏せ蝶状態になることがありますが、通常では「伏せ蝶」の多くは夜飛ぶ蛾で、「揚羽蝶」は昼飛ぶ蝶をさすため、その二分類でも差し支えなかったのでしょう。
●「蝶紋」----------------------------------------------------
さて、貴族(藤原氏)から政権を奪った武士は、名を変えた瀬織津姫を旗印に掲げました。家紋においても瀬織津姫のシンボルが多々登場しますが、その一つが「蝶紋」です。下記にいろいろな「蝶紋」が出ています。
・森本景一の家紋研究 「蝶紋」
上記に「浮線蝶」という紋が出てきますが、元は「伏せ蝶」から来ているようです。そして、「伏せ蝶」は蛾ですから、その紋が蛾のように見えても不思議ではありません。
「扶桑」と嫦娥で見た通り、蛾は月神・嫦娥のメタファであり、嫦娥も瀬織津姫の化身と見なされましたし、日本においても蛾も蝶も「霊ヒル」(瀬織津姫の分け御霊)でしたから、蛾を瀬織津姫のシンボルとしたのも当然でした。
上記「蝶紋」の中から示唆されることをメモしておきます。
・浮線蝶と合成されている植物は、瀬織津姫植物でしょう。
・「変わり二つ蝶」は、比翼の鳥のごとく国常立神+瀬織津姫かもしれません。
・「三ツ飛び蝶」は、瀬織津姫ナンバー「三」を表しているのでしょう
・足が8本ついている「変わり揚羽蝶」も瀬織津姫ナンバーである「八」を示しているのでしょう。
・足が4本ついている「変わり谷蝶」は、二柱を表しているのか、「四」で瀬織津姫を表しているのか。
また、「天人蝶」の紋は、そこに書かれてある通り、まさに兜を彷彿とさせ、蝶やカブトムシ、クワガタムシなどから兜を思いついたのかもしれませんね。日本人の想像力の源は、自然観察の中にあるのでしょう。
●「胡蝶」-----------------------------------------------------
蝶のことを「胡蝶」ともいいますね。
「胡」は「あごひげ」が長い人の意味で、中国が異民族を呼んだ別称となり、異民族由来のものである事を示すために用いられるようになりました。(胡瓜、胡桃、胡椒、胡麻、胡蜂、胡弓、胡坐、胡姫等々)
「胡蝶」というと荘子の「胡蝶の夢」が有名です。
夢の中で、胡蝶になってヒラヒラと飛んでいたところで目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話です。
身につまされますね。何しろ、自分が脚本人生を歩いていると気づかなければ、完全に脳(思考/虚構)にとらわれて生きていますからね。気づいて初めて自分が現実ではなく、幻の中にいたことがわかります。
「胡蝶」という能楽もあります。
僧侶の一行がとある邸宅で梅の花を観賞していると、胡蝶の精という女が現れ、法華経の功徳に預かるために現れたのだと告げます。
僧たちがまどろむと、その夢の中に胡蝶が現れて、仏法の力によって救われる身となったことを告げ、梅の梢を飛びまわるという演目です。
梅、法華経、仏(国常立神)、そして蝶―瀬織津姫の舞を堪能する舞台なんでしょうね。
「胡蝶」の事例を挙げましたが、実は面白いなぁと思ったのは「胡」の字なのです。「蝶」という字があるのに、わざわざ「胡」をつけて「胡蝶」という呼び方も作った。そこには、「縄文古来は大陸由来へ」というカムフラージュもあると思いますが、カムフラージュしているように見せて逆に露わにしていますよね。
というのも、「胡」=古い月→まんま瀬織津姫ではありませんか。(^^;)
面白いなぁと思いました。
【水樹奈々 「ヒメムラサキ」】
人類にとって極めて特殊な昆虫、カイコガについてみましたが、一般的に蝶や蛾についてはどうだったのでしょうか。
●蝶と蛾---------------------------------------------------------
wikiによると『チョウとガに明確な区別はない』と書きましたが、蛾というとあの耳のような葉っぱのような触覚と、毛むくじゃらの動物のような昆虫らしからぬ太い体を思い出しますね(ただあの触角は一般的ではないようです)。
日本にいるチョウ目は240種で、蛾は5500種だそうです。進化論的には、夜行性の蛾が先に現れ、その後昼に活動するものが出現して、子孫を残すためにあでやかになっていったそう。というわけで、一般的には
蝶の方が綺麗で昼行性、蛾は夜行性。(綺麗な蛾も昼行性の蛾もいます)
蝶の幼虫はアオムシ、蛾の幼虫は毛虫。
蝶は蛹で蛾は繭という違いがあります。
●蛾と蝶の古名「ヒヒル」と「タカヒヒル」--------------------------
「ヒ」は霊。
「ヒル」はヒの動詞化。ヒラヒラする様子のこと。ヒラヒラから霊力を感じた。
体をヒラヒラ波打たせて這う様から、ヒル(蛭)。
葉がヒラヒラ揺れ動く様から、ノビル(蒜)。
足をヒラヒラさせる姿から、足ヒル→アヒル。
霊がヒラヒラと飛ぶ姿から、霊ヒル→ヒヒル。
で、「ヒヒル」とは蛾の古名でした。
夜、ヒラヒラと舞う様が魂の飛翔に思えたのでしょう。
また、「霊の虫」ですから、「ヒムシ」とも呼ばれました。
蝶は、「空高く飛ぶヒヒル」という意味で「タカヒヒル」と呼ばれていたとのこと。
「霊ヒル」(蛾)と「髙霊ヒル」(蝶)
沖縄や奄美、与論では、ハベル、ハベラ、パピルと呼ぶそうで、ヒヒルからの転訛が覗えます。パピル→パピヨンもありそうだよね~。
【参考:ヒ ヒル ヒヒル 蝶】
沖縄方面の方言でわかるように、ヒヒルも蝶を表しています。
それに、蛾より蝶が高く飛ぶ? そんなことはありません。古代、そういう区別はしていませんでした。
蝶類を霊魂と見なすのは世界共通で、古代エジプトでは蝶のサナギは幽界の王オシリスの象徴とされており、古代ギリシアでは蝶は「プシュケ」(霊魂)とよばれ、キリスト教では復活の象徴となっていますが、復活したのはイエスです。
もしかすると、一般の霊(死者の魂)を「ヒ」で表し、神霊を「タカヒ」と呼んでいたのでしょうか。古代日本では、神(火水)と言えば瀬織津姫です。また、「髙」というと、「高山の末 短山(ひきやま)の末」(大祓詞)の瀬織津姫を思い出しますし、高嶺や深山は瀬織津姫の象形です。「高霊」とは瀬織津姫のことではないでしょうか。
そのことを示すもう一つの古名があります。
●蝶の別名「カワヒラコ」----------------------------------
蝶の古名に「カワヒラコ」があります。
蘿(ひかげのかずら)の胞子を「石松子」と呼んでいたのを思い出しました。
「石(瀬織津姫)と松(アマテル)の子」ですね。
カワヒラコは「川平子」なのでしょう。
「平」は、水の水面に浮く水草の象形だそうです。
また、水草がヒラヒラと揺れる様にも霊力を感じたのでしょう。
垂直の国常立神に対して水平の瀬織津姫。
その平の文字の元が水草だったとは! 驚きでした。
「川」も「平」も瀬織津姫を表しますが、「平」は蝶の平たい形状、及びヒラヒラと霊力を感じさせる飛び方の両方を表しているのでしょう。「ヒル」が「霊」の動詞化ならば、「ヒラ」は「ヒラヒラと飛ぶ霊」を表す名詞かもしれません。
「ヒヒル」が「霊ヒル」で、「霊がヒラヒラと飛ぶ」でしたから、
「川平」とは「瀬織津姫のヒラ(飛ぶ霊魂)」。
「子」はその分子ですから、「ヒラコ」=「分け御霊」
つまり、
「川平子」とは「ヒラヒラと舞う瀬織津姫の分け御霊」ということで、蝶は瀬織津姫の分霊と見なされていたわけです。
●大生部多の「常世虫」-----------------------------------
さて、「カワヒラコ」という呼び名はあまりにも直截に瀬織津姫を表しますので、おそらく持統期に抹殺されたでしょう。「ヒラ」「ヒル」に関わる呼び方も変えなければなりません。大切な言葉であったからこそ、徹底的に撲滅されたのではないでしょうか。
その移行期に伴う事例と思われるものが、wikiにありました。
皇極三年(644)、東国の大生部多(おおうべのおお)は、タチバナの木につく虫(アゲハチョウ、シンジュサンの幼虫)を「常世神」として祭れば、富と長寿が叶うと吹聴し、その信仰が瞬く間に地方にまで波及して破産するものまで現れて社会問題となり、秦河勝によって大生部多は討伐されたそうです。
日本書紀に記された「常世虫」の姿は、蚕に似た「緑で黒点」のある虫。緑(瀬織津姫)に黒点(国常立神)ですから、まさに二柱を象徴する虫です。「大生部」は「皇子の養育係」ですから、それなりの地位にあった人物。しかも多氏です。そういう人物が言ったからこそ信頼され広まったこともあるでしょうし、それを受ける民衆の間にも二柱に対する信仰があったからこそ広まったのでしょう。
ではなぜそういうことを広めたのか?この翌年が大化の改新であることを考えると、政変を察知した多氏が仕掛けたのかもしれないと想像が膨らみます。
祭政一致における政変は宗教刷新(宗教改革)を伴いますから、瀬織津姫抹殺の動きも感じていたのかもしれません。そこで、逆に瀬織津姫のシンボルとなる虫を広めようとしたのかもしれません。
●「伏せ蝶」と「揚羽蝶」-----------------------------------
そういう攻防の中で導入された訓読みのない漢字(国字?)が「蝶」なのでしょう。
「蝶」=虫+枼。枼は木の葉の象形ですから、文字通り葉のような平たい形をした虫。ということだと思いますが、「葉」は瀬織津姫を暗示しますから、どっこい生きていますね。
さて、新たに導入された「蝶」という漢字を使って、全てのチョウ目(蝶&蛾)を表さなければなりません。そこで、とまっているときに羽を水平に伏せている蝶を「伏せ蝶」、羽を立てている蝶を「揚羽蝶」と二分したのでしょう。(つまり、「揚羽蝶」とは現在のアゲハをさすのではなく、とまっているときの状態による区分でした。ここがわかると「蝶紋」が見えてきます)
【「伏せ蝶」状態のナガサキアゲハ】

【「揚羽蝶」状態のナガサキアゲハ】

蝶も脱皮した後や濡れた後など、羽を乾かすために伏せ蝶状態になることがありますが、通常では「伏せ蝶」の多くは夜飛ぶ蛾で、「揚羽蝶」は昼飛ぶ蝶をさすため、その二分類でも差し支えなかったのでしょう。
●「蝶紋」----------------------------------------------------
さて、貴族(藤原氏)から政権を奪った武士は、名を変えた瀬織津姫を旗印に掲げました。家紋においても瀬織津姫のシンボルが多々登場しますが、その一つが「蝶紋」です。下記にいろいろな「蝶紋」が出ています。
・森本景一の家紋研究 「蝶紋」
上記に「浮線蝶」という紋が出てきますが、元は「伏せ蝶」から来ているようです。そして、「伏せ蝶」は蛾ですから、その紋が蛾のように見えても不思議ではありません。
「扶桑」と嫦娥で見た通り、蛾は月神・嫦娥のメタファであり、嫦娥も瀬織津姫の化身と見なされましたし、日本においても蛾も蝶も「霊ヒル」(瀬織津姫の分け御霊)でしたから、蛾を瀬織津姫のシンボルとしたのも当然でした。
上記「蝶紋」の中から示唆されることをメモしておきます。
・浮線蝶と合成されている植物は、瀬織津姫植物でしょう。
・「変わり二つ蝶」は、比翼の鳥のごとく国常立神+瀬織津姫かもしれません。
・「三ツ飛び蝶」は、瀬織津姫ナンバー「三」を表しているのでしょう
・足が8本ついている「変わり揚羽蝶」も瀬織津姫ナンバーである「八」を示しているのでしょう。
・足が4本ついている「変わり谷蝶」は、二柱を表しているのか、「四」で瀬織津姫を表しているのか。
また、「天人蝶」の紋は、そこに書かれてある通り、まさに兜を彷彿とさせ、蝶やカブトムシ、クワガタムシなどから兜を思いついたのかもしれませんね。日本人の想像力の源は、自然観察の中にあるのでしょう。
●「胡蝶」-----------------------------------------------------
蝶のことを「胡蝶」ともいいますね。
「胡」は「あごひげ」が長い人の意味で、中国が異民族を呼んだ別称となり、異民族由来のものである事を示すために用いられるようになりました。(胡瓜、胡桃、胡椒、胡麻、胡蜂、胡弓、胡坐、胡姫等々)
「胡蝶」というと荘子の「胡蝶の夢」が有名です。
夢の中で、胡蝶になってヒラヒラと飛んでいたところで目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話です。
身につまされますね。何しろ、自分が脚本人生を歩いていると気づかなければ、完全に脳(思考/虚構)にとらわれて生きていますからね。気づいて初めて自分が現実ではなく、幻の中にいたことがわかります。
「胡蝶」という能楽もあります。
僧侶の一行がとある邸宅で梅の花を観賞していると、胡蝶の精という女が現れ、法華経の功徳に預かるために現れたのだと告げます。
僧たちがまどろむと、その夢の中に胡蝶が現れて、仏法の力によって救われる身となったことを告げ、梅の梢を飛びまわるという演目です。
梅、法華経、仏(国常立神)、そして蝶―瀬織津姫の舞を堪能する舞台なんでしょうね。
「胡蝶」の事例を挙げましたが、実は面白いなぁと思ったのは「胡」の字なのです。「蝶」という字があるのに、わざわざ「胡」をつけて「胡蝶」という呼び方も作った。そこには、「縄文古来は大陸由来へ」というカムフラージュもあると思いますが、カムフラージュしているように見せて逆に露わにしていますよね。
というのも、「胡」=古い月→まんま瀬織津姫ではありませんか。(^^;)
面白いなぁと思いました。
【水樹奈々 「ヒメムラサキ」】